はてなキーワード: サザエさんとは
サザエさんみてりゃわかるだろ
1 子供部屋おじさんで両親に丸投げ ←部活やってる学生はいまでもそうだろ
2 家政婦サービス的な ←結婚して専業主婦養うという意味ならいまでもそうだな
3 やらない。くっさい服、滞った公共料金、開かれない郵便物、それらを散らかった部屋に押し込んで職場ですべてを忘れる。←新聞社などアウトロー的な職業では一部許されてたしアメリカの探偵ものも郵便受けが請求書まみれなのは定番
4 今みたいにスーパー残業ワールドからの土日でまとめて家事って生活様式じゃなかったので5時ぽんして毎日その日のぶんの家事をや←ってた人もいたとおもうけど実家暮らしでも結婚して主婦がいるでもない暮らしは当然なりたたなかった
補足するとブラック残業はいちばん手堅いサラリーマンである国家公務員一種のお家芸で100年まえからずっとある。(国会の質問準備したり海外と折衝するのに「居ない」ではどうしようもないしね)
インターネットがなかった1990年代までは市役所郵便局のみならず銀行や証券会社の窓口が3時までしかあいてないのは非常にこまったので電話通販の受け取り払いが盛り上がったり有給とって家かったりした
サラリーマンがスマホのようなものをほしがったのでモバイル端末はいろいろでていた ガラケーとザウルスのようなパームトップデバイスもわりと昔からあった それで株投資を昼休みにやってる人はいた
なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?
自分はこう考える。
つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、
重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。
そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、
集中的に叩いてしまうのではないだろうか。
自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、
サザエさん・ドラえもん・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんである。
これらの名作は、昭和~平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、
長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、
家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。
日本のアニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから、
また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメの描写が共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、
現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。
そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、
(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)
分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。
それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?
制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、
炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。
繰り返すが、長寿アニメもその描写も属人性も、個々では全く何の問題もない。
「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、
そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である。
重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、
個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。
それなら、どうすればいいのか?
正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。
前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親が専業主婦ばかりである点の影響については、
(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。
若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、
広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。
非常に個人的な見解になるが、日本は現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、
しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、
現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。
それを口実にミソジニーが現実の問題を矮小化するのも止められないだろう。
【MAD GEAR SOLID】 FUCK THY ENEMIES 【full,高画質ver】
下ネタMADの代表作といえばこれ、と言っても良いかもしれない。
このFTEバージョンは元祖のPS1版ではなくGC版の映像を使った元祖MAD GEAR SOLIDのリメイク作である。
METAL GEAR SOLIDシリーズのキャラクター達が原作の流れに沿いながら数十分間下ネタを垂れ流す何とも言えない作品。
公式側からの認知度も高く、METAL GEAR SOLIDシリーズの監督小島秀夫氏は、MGS3で遂にこのMAD GEARのノリを逆輸入した。
変態サーキュレーション(ロックマンSEエックス ゼERO)
ロックマンXシリーズのキャラクター達が音楽に合わせて卑猥な掛け合いを繰り広げるシリーズ。製作者は634隊長。
2007年に第一作が投稿されてから現在2021年まで常に新作が投稿され続けている。シリーズ総数はとうとう1150作を超えた。
ロックマンXの新作が2005年以来ご無沙汰という事で、元のゲームを知らない人にとってはロックマンX=ゼEROという認識もあるかもしれない。
具体的にこのシリーズがどういう雰囲気であるかはリンク先の動画を見てもらえれば分かると思う。このノリの作品が、本家634隊長によるものだけで1150作もある。
アーマードコア音声MAD詰め合わせ【高音質】
アーマードコアシリーズの音声MADシリーズ。元のゲームがシリアスな作品だけあって落差が凄い。
オナニーがバレるケイイチくん【ひぐらし業】
去年ひぐらしシリーズ最新作ひぐらしがなく頃に業の放送に合わせて突如現れた新星。ひぐらしエロMAD集・ひぐらシュールとも呼ばれる作品の新作でもある。
ただ一人の例外もなくひぐらしシリーズのキャラクター達がオナニーと乱交を繰り広げる作品。あまりにもノリが昔の下ネタMADすぎて本当に令和の作品なのか疑わしくなる。
サザエさんMAD
ジブリ 総集編
それぞれ国民的なアニメの音声MAD。やはり各キャラクターが淫行を繰り広げる卑猥な内容である。
君はサザエさん見てなさい
タイトルの通りだが。
京アニ、原作レイプも大概にしろってレベルでレイプ連発してるよね
けいおんの第一期は日常ゆるふわとかけ離れてて、豊崎愛生が家でめっちゃ練習してるシーン入れて部活努力もの要素ぶっこんでるし
頻出するウサギとカメのモチーフは「亀の歩みでちょっとづつ練習して形になってる」って意味合いだし
最終話はそういう努力が学祭っていう小さな場でひとつの実を結ぶ話にしちゃってて。
第二期は予想外の人気と原作枯渇で軌道修正しまくって、原作にない要素(クラスメートとか)をガンガン突っ込んでるし。
あのクラスメートたちのカット割りレベルでの目立ち方、単なるモブキャラっすか? 名前こそ出さなくても劇場版にまでつながるテーマ含んだ、オリジナル重要キャラだよね?
原作の「大学もみんな一緒」て展開に対して「モラトリアムは高校までだろ、現実をなめんな」みたいな半ばサザエさんワールドな4コマ原作を無視したツッコミ入れるバカが出てきたの、
アニメで努力根性要素やクラスメートとの交流ていう学校3年間を強調する要素を突っ込んだせいで「原作をどう読むか」に影響を及ぼしたのデカいよね?
これ原作レイプだろ?
同じくKanonも話をまとめるためのオリジナル要素ぶっこんで、キャラ設定レベルまで改変。
あれで「原作に忠実」っていって喜ぶファンしかいねえ、原作者も文句言わねえってんだもん。
ファンなんて原作の理解なんざしてない。単に「思考も解釈も面倒だから台詞も展開の順序も全く同じなら同じとこでテンプレで泣けて面倒くさくない」ってだけ。
そら脚本家だろうが監督だろうがプロデューサーだろうが、原作なんざ真面目に読み込む必要ねえよ、どうせ客は見ねえからってなるわ
さ~て、今期のサザエさんは?
私は父親から虐待と言えるレベルに理不尽で厳しい叱責を受けてきた
そのためサザエさんで波平がカツオを怒鳴りつけているシーンを見ると当時のことがフラッシュバックして傷つくし、
だから長谷川町子は即刻サザエさんの作者から解任されて謝罪すべきだ
これは私にだけ謝罪して済む話ではない
父親から虐待を受けた世界中の人々に長谷川町子は謝罪する必要がある
どれだけ創造的な人物であろうと、父親による虐待の被害者をあざ笑う権利はない
また、私はADHDを持っている上に知能が低いのでMr.ビーンを見ているとまるで自分のことが笑いものにされているようで傷つくし、
だからローワン・アトキンソンは即刻Mr.ビーンの作者から解任されて謝罪すべきだ
これも私にだけ謝罪して済む話ではない
世界中のADHD持ちの人々と知的障害者にローワン・アトキンソンは謝罪する必要がある
さらに、ADHD持ちや知的障害者の親兄弟などにはMr.ビーンのことを聞いて傷ついた人もいるだろうから、
ローワン・アトキンソンがコメディに関与することは世界にいる1億人を超えるであろうADHD持ちや知的障害者の現在を侮辱することになる
虐待被害者や障害者をネタにすることが不謹慎で人を傷つけ言語道断であるのなら、
長谷川町子とローワン・アトキンソンは解任されて謝罪すべきだ