はてなキーワード: あんとは
フヮァカタナオッキィアンナオモイノモテナイヨォって無邪気に喜べたのかもしらんが、
昔からお笑いとかが好きでここ2〜3年でめちゃくちゃ生大喜利に興味を持った。
コロナ禍でもリモートでやってたりYouTubeにあがってたり配信ライブがあったりとかでめちゃくちゃハマって、いつかはやってみたいと思うようになった。
住んでる場合が微・地方(?)みたいなところで県内ではあんまり大喜利会もやってなくて行くなら隣県まで出る必要があったから、今高校生で受験生だからバイトもできないしとりあえずはネット大喜利とかをやっている。
そんなウケるわけじゃないけどたまにランキングがいい位置にいると嬉しい。
大喜利するときの名義でのTwitter(X)でアカウントとかは作ってなかったけど、情報収集のためにリア垢を兼ねた鍵ROM垢を持っていた。最近は大きな大会もあるしなんだしでフォローする量が少しずつ増えて、それこそ自分の住む隣県で主に活躍する人とかをめちゃくちゃフォローしてた。
大喜利の人は(これはどこの界隈の人もそうかも)サブ垢がある人も多い。というか1つ目の垢では主に告知、ライトなしがみ(他の人の解答をおすすめする?みたいなことでいいのかな)とかをして、サブ垢では大体自己反省とか趣味のことを話したりするスタンスの人が多い。鍵をかけてない人も多いけど、よそ者だしと思ってフォローするのは躊躇って鍵リストとかに入れて見たりしてた。
なんていうか表に出て大喜利します、なんて人はやっぱり変わった人が多いみたいで、ちょっとしたお気持ちとかがあったりすると結構攻撃的なことを言ったり、若干いざこざがあったりする(これはどんなコミュニティでもそうなんだろうとは思うけど)。Twitter(X)のおすすめタブってすごく害悪で、フォローとかいいねとかの関連性とかで1触った話題に対して10のTLを構築してくる。だからそのいざこざに対して主語をぼかして呟いてもおすすめタブには流れてくる。普通に引RTとかでギョッとすることを言う人もいるし。サブ垢で暴れるならまだいいけど、身一つで暴れまわる人もいてそれがなんていうか怖い。
界隈ではだいぶ有名な人のトラブルみたいなのへのスタンスが全く明らかじゃない人も多いし、(明らかにしろ、というわけでは無い)逆に明らかすぎる人もいるしでガキの自分には怖い雰囲気に感じてしまった。長く活動する方や社会人が多い場所なので、今までいたコミュニティとの温度感のギャップがどうしても埋められなくて少し足が遠のいてしまった。受験終わったらやるぞ〜みたいなモチベにしてた部分も大きいので、勝手に神聖視してハードルをあげて勝手に裏切られた気持ちでいるだけなんだろうけど、ちょっとショックを受けてしまった。
そもそもよそ者が檻の中を覗いて毛色が違う動物がたくさんいた事を嘆く時点で間違っているのは重々承知です。でもどうしても吐き出したかったので、ごめんなさい。
なんで弱男は眉を剃って整えるのをあんなに嫌がるのっと
正直、お互い多少好意があるけど何らかの事情により交際に発展することなく、気持ちを膨らませないまま友達を続けていた関係だったと思います。
まぁでもよくある関係ですよね。7、8年くらいそんな感じでした。
そうですね。性行為に関して言うのであれば、正直、最高です。
大人になると、あんまりセックスに対して恥ずかしいとかなくなってきて自然の営みになるじゃないですか。
でも長年友達関係でいると、あり得ないくらい恥ずかしいんですよね。お互い。
だから正常位でも、体を起こそうとすると、ダメ見ないでって言ってぎゅっとされたりするわけですよ。
なんていうかね。たまらんのですよ。
なんといいますか。
・誰も手伝ってくれない
とか思ってる人、多いと思うんだよね。
自分もそうだったんだ。
ゴミが落ちてるのにどうして誰も拾わないのとか、あんたのために食事を作ったのにすぐテレビつけて感想もないとか、疲れている時に洗濯物を畳んでいるけど家族がだれも手伝ってくれないとか、一回一回はそうでもないけど、ずっとそれが続くと、つらいよね。やるせないよね。
その結果、イライラがつのったり、孤独感が大きくなったり、なんのために頑張っているんだろうとよくわからなくなったりして、苦しいんだよね。
一部の人にしか参考にならないかもだけど、こんな風にしたら改善しつつあるよって個人的な体験を、ダラダラ書いてみるよ。
これまでにただの一度も手伝わなかった家族ってあんまりいないと思うんですよ。子どもやパートナーが手伝ってくれた時に、きちんと感謝を伝えるのをテキトーにしていると、だんだんと手伝う気を削いでいくね。言葉で「ありがとう」って言うときに、スマホ見てない?相手を見てる?「感謝の言葉テンプレート」に沿った機械的な感謝になっている場合は、意味が無いどころか逆効果だよ。あと、手伝ってくれた人に対して「いつもこんな風にやってくれるなら助かるのにね」とか「こんなのやってくれて当たり前だから」なんて感謝と真逆の嫌味を言ったことはない?該当するものがあったら、そりゃあ誰も手伝いたくなくなるよ。
思い通りにならないときに、わざと物音を大きくたてるとか、大きなため息をつくとか、独り言に見せかけた愚痴を垂れ流すとか、そういうことをする人からは他の人は離れていくよ。当たり前だよね、近寄りたくないんだもの。ニコニコ笑ってろとは言わないよ。けど、あからさまに「こんなに態度に出しているんだから気付いて何かしなさいよ」っていう意図で不機嫌な雰囲気を利用していないか、振り返ってみようね。みんな気付いてるよ。気付いているけど言葉になっていないから、何をしていいかわからないんだ。
前の項目と近いんだけど、相手にこうしてほしいなと思うことがあったら、まず最低限言葉で伝えよう。「それくらい察してよ」は絶対NG。だって考えてもごらんよ。何をしてほしいかわからないけど不機嫌な相手にさ「もしかしてこれかな?」と仮説を立てて実行したら「全然違う!」ってもっと不機嫌になったり、罵倒されるようなことがあったら、本当にこうしてほしいと思うことにたどり着くのに、相手はどれくらい頭を使って精神を疲弊させることになるだろう?想像できる?察してほしいが通用するのは乳幼児までだよ。
まるで勝ち負けを決めるかのように強い言葉を使うことってあるよね。それ絶対やめた方がいい。強い言葉って大体の場合は怒りと共に発していると思うんだけど、そもそも怒りってのは自分が自分のストレスを発散させるためのものだから。依頼や、ネガティブなことを伝える、指摘や叱りってのは、むしろ冷静に行うべきものだよ。もちろん、そんなことを言ったって怒ることもあると思うんだけど、だけどそれって自分自身のためだけに、自分が選択している行動だってことは思い出そうね。怒る人は怒ることを自分で選択しているんだよ。怒る人は発散して少しクールダウンするかもしれない。だけど、怒られた方の人は、意味が分からないことも多いはずだよ。「どうしてそこまで言われないといけないんだろう」って。たまには怒りをぶつけることが良い関係に繋がることもあるかもしれない。だけど、もし日常的に怒ってるような人はね、相手や家族に対して、あなたの想像する数十倍ものストレスをかけているってこと、忘れないでね。ちなみに、子どもに対してこれを続けると取り返しのつかないことになるよ。
「それしないと死んじゃう!」っていうくらい重大なものって世の中にはあるよね。だけど、そうじゃないものだってさらにたくさん世の中にはあるよ。「まあ、これくらいは、いいか!」って割り切っちゃえば消えるストレスもあるよ。
これ10割、100%嘘なんだ。そう思って他人と接している人は自分のためにこの言い訳を使っているだけだよ。「この人のために出来ることはなんだろう?どんな選択肢があるだろう?どんな方法があるだろう?」ってまず最初に考える人はね、あなたのために怒ってる、なんて言葉は使わないんだよ。8割とか9割かもしれないって思うでしょう。だけどね、この考え方にとらわれている人たちはね、自分は残りの1割とか2割の方だって、すぐに逃げちゃうんだよ。だから言い切ったよ。10割嘘だよこんな言葉。
本当にダラダラ書いちゃったよね。傾向としてはさ、冒頭に書いたことで苦しんでいる人は、実は自分の振る舞いで人を遠ざけていることがあるんだよってこと。
きっと、そうじゃない理由の人もたくさんいると思う。これはチラシの裏の落書きだからさ、そこは勘弁してね。
ただね、他人を自分の思うように変えることはできないからさ、できることって自分の表情や言葉、振る舞いや考え方を変えることくらいしかできないから。
プレジデントで片野 秀樹の記事 https://president.jp/articles/-/82011 が新着であがってたんだけど、
前の記事のブクマでは否定的な反応が多かった https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/80899 (あんまりブクマされてないけど)
他のメディアでは結構肯定的に捉えられててブクマ数も1000越えてる https://b.hatena.ne.jp/entry/s/logmi.jp/business/articles/330480 (ブクマのページ)
同じブクマカがブコメしてるかは確認してないんだけど、「内容は変わらないのにメディアでこんなに反応が変わる」という事実に失望しました。
いわゆるガイジ採用枠が一人入ったんだけど、そいつの業務に上司が永久について回ってる。
パニック障害の手帳持ちなんだけど現在は病状は安定していて日常生活に特に問題はないレベルと聞いているんだけど、システム導入の支店への説明や使用指導とかあらゆる業務に上司がついて回ってる。
何してんのかなと思って支店の仲のいい同僚に聞いてみたらなんか後ろで突っ立って見てるだけって言ってて、マジでこいつ何しについて行ってんのって感じ。ガイジも普通にハキハキ話してて説明もうまいしガイジ採用枠ってわからなかったよ!って言ってた。
ガイジ採用だから給料自体はちょっと安いらしいけど、それに無能上司が常について回ってるんだったら実質、一人で済む業務に2人分以上の給料がかかってることになるわけじゃん。ぶっちゃけそれだったらガイジじゃなくて健常一人とってそいつにその業務やらせた方がよっぽどましじゃない?
あんスタのキャラに虫の画像で書類送検ってやつ、見たところ表現の自由戦士は全く騒いでないな
奴等は著作物に対してこれ以上に酷い行為を繰り返してるから他人事ではないだろうに
しかし「推しの扱いが粗末だから」で虫の画像とコラするって意味が分からんけど
それだけ酷い扱いをされてるって事のアピールなの?
ああいうの、昔は2chの漫画板にだけ籠ってたのに、今は電書アプリのコメント欄に引っ付いて、少しでも自分の気に入らない感想に絡んでばかりいる。
漫画について「今回はちょっとわかりにくかった」くらいの、全体的にはまったく否定してないのに、単に調子の善し悪しに少し触れただけで「アンチ」とか言ってくるのマジどんな脳味噌してんの?
それで、(漫画に対する批評は少しでも自分の気に入らなければキツい表現扱いしながら)自分はまったく言葉を選ばずその相手の人格を根本から否定してくるようなことズケズケ言ってくるの。
ほんとどんなイカれた思考回路してればあんなことが疑問も持たずに出来るわけ??
良いオタクと悪いオタクをわける基準をたったひとつ選べと言われたら、
漫画アニメ(今の言葉で言えば「推し」)に対する「愛」を言い訳にして暴れるフーリガンみたいな奴を「オタクだから仕方ない」なんて認めたら絶対にいけない。
そんなの天地がひっくり返っても正当化されるべきことじゃないよ。ただの自己愛の投射じゃないか。
今どきは「オタク」が認められるようになった、ってのはあくまで人間の趣味として。オタク以前に人間としての常識を弁えなければ遅かれ早かれやっぱりただの侮蔑語に逆戻りだよ。
オイオイ待てよお前だって普段はソシャゲなんて出来の悪い賽銭箱だ。買い切りの方がずっと面白いと言ってきただろ。、と。
要約すれば、買い切りゲームでは失敗してもプレイ時間以外に失うものがないので、1プレイにかける熱を薄めるというデメリットになる。、ということらしい。
つまりアイツが言いたかったのは、ソシャゲであることがマイナスになるゲームとプラスになるゲームを区別できずなんでもかんでも買い切りじゃないから駄目だと言ってる奴らは浅いということだそうだ。
なるほど。
アイツは言葉ではそう言っていたが俺には分かる。
アイツが本当に言いたかったのは、プレイするたびにスタミナを失うというゲーム性が、プレイするたびにコインを失っていくアケマスのゲーム性へと原点回帰しているのに、これを評価できない奴にこのゲームについて語る資格はない。、ということのはずだ。
俺達はあの頃、アケマスをやっていた。
金がない中で、飯代を必死に削りながらアケマスをやっていた。
若かった。
家庭用が出た。
XBOX本体と合わせた値段で考えてもプレイにかかる総コストはべらぼうに下がったはずだ。
だが、どこかで情熱が失われていった。
身銭を切ることがなくなったはずなのに結果に対しての悪態が増えていた。
時間以外は何も失っていない中で、時間だけを失っていくとうい感覚が結果的に、より多くのものを失ったかのような錯覚さえもたらした。
1プレイにかける覚悟、それを生み出していたのはクレジット投入音だったのか。
俺達のアイマスにかける熱はいつしか冷え切り、ガラケーで、スマホで、課金してスタドリを飲みながら走り続ける連中を嘲笑うようになっていた。
あんな集金装置にお金を入れちゃって、好きなアイドルにいつか声がつくと信じてるんだからおめでたいもんだね。、と。
そんな俺達もアイマスの新作が出るたびに少し齧っては、ゲーム性に違和感を覚えてやめてばかりいた。
だが、最近になってそうじゃなくなってきたんだ。
失敗と隣り合わせの育成が、育成の度に失われるスタミナが、単なるポイント稼ぎのための作業ではなく、一回一回に新しい発見のある周回が。
スタミナ制だから、疑似クレジット方式だから、そこに意味があるんだよ。
音ゲーじゃ駄目なんだ。
育成ゲーじゃなきゃアイマスじゃない。
周回じゃなきゃアイマスじゃない。
そして、買い切りじゃ駄目なんだ。
時間以外の何かを失いながら走れないなら、それはアイマスじゃない。
俺達にとっての、俺にとってのアイマスじゃないんだよ。
これが分かってないやつら、本当に浅いよな。
filmarksで映画をクリップするのは楽しいけど、いざ観ようとすると億劫になる。
なんかおれの人生の楽しみって期待ばっかりで、実感とか情熱とかそういうものが決定的に欠けてる。
のを理解した上で、新しく趣味を始めて初期衝動に突き動かされて、その後の退屈に耐えて、耐えられなくなって他の趣味を転々としてる。
いつもこれのためなら生きていけるかもって憧れや希望だけで、いつもこれのためになら生きてもいいかなあって納得のレベルまで行けない。
ランニングだけはなんか習慣化してるけど、それも歯磨きや風呂と同じで別に楽しいとかそういう気持ちが湧かない。
結局自己実現なんかどうでもよくて、気持ちが良ければそれでいいのかもしれない。でもやっぱりちょっとそれでは納得しきれない気もしてる。