はてなキーワード: 朽ち果てとは
ビックモーターじゃん
枝をバッサリ刈り取られ、根元に注入された除草剤によって朽ち果てたヒノキは、バタンと大きな音を立て倒れた――。
富士五湖のひとつとして有名な河口湖は、富士山を一望できるとして人気のエリアだ。2023年の年末、この地に別荘を建設中の井上さん(仮名)は、目の前の光景を見ながらやり場のない怒りをどこにぶつければいいのか途方に暮れた。
近年、富士山が見渡せる観光地では、中国資本によるホテルや旅館の買収が加速度的に進んでいるが、地域住民は様々なトラブルに巻き込まれている。
トラブルの原因の多くは、中国人オーナーが日本の常識を無視して大陸の感覚で物事を強引に進めることだ。前出の井上さんの悩みの種も中国人オーナーによる非常識な行動だった。井上さんはほとほと困り顔で経緯について説明する。
できちゃった婚だった。長女を授かったのがわかって妻の実家に挨拶に行った。
物静かな義父の反応がぎこちなかったのを覚えている。
皆年を取れば一部を除きそうなるのだ。
いつか自分も生きていればそうなる日が来る。
自分には両親がいない。増田が中学1年の夏頃に離婚して母に引き取られた。
その育ててくれた母も一昨年に亡くなった。
この年になってようやくわかる。
皆平等に老い、朽ち果てていくということを表面的にしか理解していなかったんじゃないかと
昔の3世帯同居というシステムは良く出来ていたんだなとつくづく思う。
義両親は介護の経験がない。特に義母はわがまま放題。自分が介護のつらさを体験していないからか、
身勝手な振る舞いが多い。自分の親の介護を経験している人は、自分がされる側に立った時そういった振る舞いをしない人が多いと聞いた。
3世帯同居は家人の老いと死を家族に見せて経験させ人の死を乗り越えさせるというシステムを内包していたんだな
義母は事あるごとに義父に対する恨み言を口にする
年老いた義母に「昔のことは忘れてこれから楽しめばいいじゃない」と勧めても、
先の短い体の不自由な人にとっては口先だけの慰めにしかならない
今を後悔しないように生きる
子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものへスライドしていった。
「無」になることが怖くなった。
意識の断絶。経験したことのない状態。体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考の過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥や吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。
存在を忘れられることが怖くなった。
無になっても、他人を介して自分に存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。
大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分の存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれた文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分のアイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉や性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。
思春期の自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。
しかし自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。
生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠の存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。
これらはすべて理屈の問題というよりは納得、受容の問題だった。
後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。
死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。
生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的な地盤などなく、あやふやなものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚で理解できた。しかし自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。
死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。
映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。
それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在の不条理なんていう目を向けてはいけないものを凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。
情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在の不条理など忘れ去ってしまった方がいい。
くだらない考えもほどほどに目の前の生活を淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。
そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。
思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から、普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。
世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。
といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学の哲学系の講義でサラッと語られていた。
読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観のDIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。
質問すれば返ってくるのが当たり前か・・・?なぜそんな風に考える・・・?
世間というものはとどのつまり 肝心なこと何一つ答えたりしない
(略)
これは企業だから省庁だからってことじゃなく 個人でもそうだ 大人は質問に答えたりしない
それが基本なのだ それを履き違えているからこそ 朽ち果てて今こんな船にいるのだ
しかしそれは答える側にとって都合がいい内容だからそうしているだけであって
そんなものを信用するのは つまりのせられているってことだ 何故それがわからない・・・?
しかしオレがそんな話をしたとして その真偽はどうする・・・?
真偽などどうでもいいから聞きたいと言うか?
すでにこの船に乗り込んでいるおまえらに裏を取る術はない
結局はただ妄信的に信じるしか道は無い どんな話を聴いても・・・
それは単なる気休めにすぎないってことだ
@yamadataro43
4月14日政府の回答あり。「性暴力と性犯罪は違うが、基準は示せない」「同意のない性的な行為は全て性暴力」との説明は、性犯罪の被害予防や被害者救済の点から問題多数。
性犯罪の撲滅は重要。だが、予防の徹底と適切な処罰なくしては実現不可能。
@yamadataro43
4月13日、本件ポスターについて作成元の内閣府男女共同参画局、その他、法務省、こども家庭庁等からレク。私に寄せられた多数の問合せ等も踏まえ、様々な問題点や疑問点について質問するも何点かは宿題で後日回答に。本日説明を聞いた限りでは、一旦取下げた方がいい。 twitter.com/KodomoKatei/st…
pon@
@edogawahanako55
妊娠すれば女性は死ぬ事もあるし子育てするなら最低でも1000万円と言われる費用と20年近い年月と多大な労力が必要になる。
性行為の同意とは妊娠の肉体的負担と子育ての費用と労力の負担を2人でどう共に背負うかを確認し合う形で行われるべきです。
pon@
@edogawahanako55
性行為によりこの世に生み出される新たな命に対して全幅の責任を持つ覚悟をするのが大人として取るべき態度であり、また、責任を取る覚悟のない者は性行為をするべきではないと思います。
そして、一方のみに妊娠の責任を押し付けるつもりの「同意」は性的搾取であり性暴力である、と思います。
pon@
@edogawahanako55
これまでは、無理矢理レストランに連れて行って食事させて、支払いは君が全部やってねと、連れていった方が一円も支払わずに逃げるみたいな事が罷り通ってきたと思います。
性行為にはその先に生じる負担がセットで付いてくるのに、性行為だけを切り取る同意は、負担させられる側にとっては暴力です。
https://twitter.com/edogawahanako55/status/1646884086718529537?s=20
あと同意とか全然意味不明ですね。アホか。だったら女性は売春婦ですね。金のためにセックスするのかってなりますね。
さて、このうすらトンカチがなぜだめなのかを説明しておきましょう。
この主張だと、り女性は家畜で大切に扱えという意味ですし、人間としてまともではないということにしかなりません。
どうも避妊すら知らないようです。配慮をどれだけ必要なのでしょうか。こんなワガママを支える男はいません。さっさと朽ち果てて死んでください。不要です。
しかも性行為=妊娠とか小学校で性教育を学んだのでしょうか。幼稚園児みたいですね。
すごいですね。江戸時代かな?
以上のように、全く非論理的です。セックスしたことがないんでしょうね。
そもそも結婚してそんなに子供産んでいません。だったらもう少し結婚し生んでいないと通用しない。極めてデータとも整合しない。
このようにツィッターでなんでも暴力といえばわがままが通ると思い上がっているども以下の存在がフェミです。
女性はバカで無能ならいいですけど。そうではない以上こんなばかげたことは通りません。フェミとしてはそうしたいんでしょうけど、そんなバカはこれから生きられない。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
枝葉末節の部分は比較的新しく更新されているが、理由は寿命が短いから。
さすがに根幹部分もかなり危険な状態で一刻も早い更新が必要なんだが、なんと言ってもまず金がない。
更に大きな問題がある。
昭和の設計は古くなったら別の場所に作れば良い、どんどん新しく作って古いのは廃止していけば良いという発想だったのだろう。
バルブ一つの交換の為に施設全体を相当期間止めないといけない構造になっていて手を入れられないんだ。
もう一つ言うと、施工時にその場のアドリブで設計を変えたりする事も多くまともな図面が少ないのも困っている。
子供が描いたようなフリーハンドの線が引いてあるだけの図面もザラにある。
その為問題が先送りされてきたが、いよいよいつ崩壊してもおかしくない。
ある日全てが一斉に朽ち果てると思う。
カタストロフィの日は近い。
歴史的に革命をもたらす者って本人は猛反発にあってボロボロに朽ち果てていくけど死後結果的に本人の目指した時代がやってきたりするじゃないですか。
それまでの価値観だと異常者でしかなかった「家庭的にも社会的にも何も成していない男」が自由恋愛と格差社会の時代には普通に現れることを身をもって証明してくれた人たち。
特に当時オタクの持ち物だったインターネットをガッツリ弱者男性マインドに寄せていったのは良くて、これで下の世代がかなり"教育"された。
おかげで今は「適当に生涯独身で生きます」と宣言しても表面上は「ま、いいんじゃない?」と返すのが正しい世の中になったし本心からそう思う人も多い。
氷河期弱者男性のおかげで今の俺たちがあるといっても過言…いや過言か。でもそこそこ貢献してくれたと思う。
ただ、そうやって彼らが(部分的に)作り上げた時代に…彼ら自身はいまいち適応できていないのが残念なところだ。
まず本人らの価値観が更新されていないからいまだに妻子持ちの年収800万~年齢的には1200万あたりに「普通」のラインを置いているフシがあり妙に要求が高い。
しかもパターナリズムが抜けていない場合が多くて影響を与えたはずの下の世代ともやたらと衝突を起こす。
なんといってもずっと針の筵だったから性根が腐りきってしまっているのが致命的で、もう属性がどうとかではなく普通に付き合いたくない人間になってしまった。
最初の話になぞらえると今は氷河期弱者男性にとって死後の世界、腐りながら彷徨う姿はゾンビのようなものだから、せめて速やかに成仏してほしいものだ。
少なくとも自分の場合、海外に逃げられる人達が羨ましくて嫉妬しているからだよ
だってこっちは衰退する日本で朽ち果てていくしかないのに、自由に海外でのびのびと生きられる人とはあまりにも格差が酷過ぎるじゃん
いいじゃん、海外移住できるなんて勝ち組の上級国民なんだから、外野の意見なんて気にせず堂々としてれば。
なんで弱者から言論の自由まで奪おうとするの?あまりにも強欲では?
「なんかコンプレックスでも刺激されるんかね?」
そうだよ
「親でも殺されたの?」
この言い方する人本当に多いけど、なんで親を殺されてないと敵意を持っちゃいけないの?
ポリコレがどうので叩かれてたけど世界的に大人気でアナ雪超えしてて草
日本のルッキズムのひどさと見た目が気に入らなきゃポリコレ棒が〜!と叩いて物語の本質や音楽の良さを楽しめない性質が顕になっただけでは?というか叩くことが目的だから見てもないので本質もクソもないんかな?
モアナもそうだけど主人公が白人か日本人のルッキズムに耐えられるキャラじゃなさそうだとそもそもディズニージャパンが宣伝渋っちゃうんだよなーほんとケツの穴が小さい。
ネトフリもだけど海外の会社でもジャパンになると腐り朽ち果てるのもはやお見事!って感じ。
とか書くときっと
ミラベルは日本では受け入れられにくい内容だった、とくにミラベルの○○のような要素は欧米に顕著で共感を得やすいけど日本では〜とか言う人いそうだな。(偏見)
個人的にはミラベルに限った話ではないけど、ディズニーって割と家族大事〜最高〜みたいな話に持っていきがちでそこはう〜ん…みたいに思ってるよ。
血の繋がりなくても最高だぜってのディズニーなら色々と作れると思うんだけどなー。
暗躍している tnajun に制裁をくらわすがために立ち上がらんと欲す者たちよ、このアノニマスダイアリーにて存分に語るが良い。この私は、tnajun に処女を散らされた JK であるし、泣き寝入りしたことを恥ずかしく思っている残念な女なのである。tnajun という、この悪党は性欲の塊で、ずっと小女子を物色して生きており、その色眼鏡でなめるように見つめる視線に、かつて私の秘所を真っ赤に染め上げられたのを繰り返さんという思惑で、そこら中のメスに対して目を光らせているのだ。彼の自身の拠り所は、誰でもなれる『社長』という地位を悪用し、未成年のアイドルに温泉を誘い出すという十八番をもってして、あとで捨てるであろう女子を物色するのが生きがいのようだ。人面獣心の tnajun に接近するにあたっては、レイプされるものとしと覚悟して参るべきである。けして tnajun の甘言に耳を傾げることないようにするべきである。かの人の性病まみれのイチモツにゴムをつけたところで、その程度では忌しい穢れは漏れ出すことを防げず、やがて貴方の肉体や魂を朽ち果てるであろうことは、私が現在進行中で苦闘しているのをご覧していただければ、察していただけるだろう。この私に植え付けられた負の呪印を解くために、必ずや tnajun を暴き出し、刑罰に処せねばいけない。どなたか tnajun を処したいと欲する者がいるならば、是非とも声をあげてほしい。同士よ、性病でただれた tnajun の赤い鼻を潰すことは、我々の尊厳を取り返すために必要なミッションなのだ。さぁ、戦おうじゃないか。あの忌まわしき tnajun を地獄に葬るために。
知る限り、父親はこれといった趣味もなければ友達と遊びに行くみたいな話も聞いたことがなかった。
毎日家と職場の往復で夜は発泡酒をあおり、酔ってよく母親と喧嘩していた。土日もネットサーフィンに費やしているようだった。そんな父親が怖かった。何が楽しくて生きているんだろうと思っていた。何の目的も持たずに生きていて怖くないのかと思っていた。
育ててもらった感謝はあるけど、こんな風にはなりたくない、自分は人生に目的を持って充実した人生を生きていくんだと当時は思っていた。
実家を出て上京し、10年近くが過ぎた。気づけば、生き続けることが恐怖になっていた。
仕事はしてるからお金には困らない。でも、毎日同じことの繰り返し、これから先も同じことの繰り返しという人生にだんだん耐えられなくなってきた。
家族は当然いないし、趣味だって誰かと共有するようなものはなかった。アニメを見たり、音楽を聴いたり、たまに絵を描いてみるけど、ただ苦しい現実から目をそらす鎮痛剤以上の役割は果たさなくなっていた。
運動は好きだから社会人サークルにも参加した。体を動かしている間は気が紛れるしそこそこ楽しいけど、元々仲のいい集団の中にいるのは苦痛だ。なんとなく話を合わせるけど、興味のない話題についていくほどしんどいことはない。みんな充実した人生の出来事を自慢するように話すし、価値観も合わない。
サークルで旅行に行くことになったけど、気が重くて仕方がない。体を動かして気を紛らわせればそれでよかったのに、集団に属することはどうしてこうも濃密な人間関係とセットでやってくるのだろう。
あれほど受け入れ難かった父の生き方を理解できるようになってしまった自分に愕然とした。
誰かと関われば価値観の違いに傷つく。一人で何かをしようとしても虚しいだけ。きっと自分はパートナーを持っても傷つけてしまうという確信さえあった。
ただ、父と母は離婚することもなかったし子供たちが大人になるまでちゃんと育てた。家庭という重しは時として生きる希望になるのかもしれない。
自分はきっと無理だ。誰かと生きることさえ受け入れられない。この世に何も残さず、誰とも交わらず、一人で消えていきたいと何年も、何年も呟き続けながら、ある日そっと朽ち果てるのだろう。