はてなキーワード: 仏法とは
ttp://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2010/03/post_b3b9.html
石井 そうなんですね。バブル時代にガーッとなった時、お墓の業界だって大型霊園を造って、お寺さんに経営主体になっていただいて、実は石屋さんが販売するという方法なんですけど、それだって今よりは「家族として」とか、檀家制度の上にのっかった販売でしかなかった、という感じでした。
では、マンション形態の『クレヨンしんちゃん』の先にある家族に、仏壇をどう押し込むかという話でいくと、従来の仏壇が何となく部屋の雰囲気、インテリアにあわないという話があって、一方で、フローリングの部屋にも合う仏壇などもあるんですが、南先生はその辺をどう思われますか?
南 どうでもいいんです。
石井 ああ、やっぱり。
南 というのは、これから先、仏壇を置くとすれば、仏教が必要な人、あるいは仏法が必要な人だけです。「先祖の家」として置くかどうかわからないですよね。「先祖の家」として置く人は、仏壇がなくても何かを置くでしょう。
ある若い女の人から私のところに電話がかかってきて、「大好きだったおじいちゃんが亡くなった。おじいちゃんのお骨をちょっとだけわけてもらって持ってきたけど、私は今学生で東京のアパートにいる。どうしたらいいですか」と言うんです。その時に、「今すぐ仏壇屋に行って仏壇を買ってきましょう」といったことは、馬鹿げていますわね。下宿に大きな仏壇を置いたら馬鹿でしょう。しかしその子は遺骨の入ったもの、ビンか何かを持っている。何とかしたいわけです。「どうすればいいんだろう」と言うわけですから。そうなれば、それにふさわしいことを言ってあげれば、そこでおじいちゃんを祀っているんですから、いわゆるどんな形態であれ仏壇です。仏壇でなくても、少なくとも霊壇でしょう。つまり、この人の気持ちを掬いとれるかどうか、が問題です。
http://www.seikyonet.jp/sg/sp/taiwa/teigen/index
うーん別にさぁ、言ってることはそれなりに良いと思うんだ。別にトンデモこいてる訳じゃないと思う。
でもさー、彼はちょっと思想家とか偉人の名前を出しすぎる所があるよね。
それでその偉人の思想を「究極の所は仏法と同じです」って同一化しちゃうの。これが十八番。
こう、教えの偉大さを別の偉大さと同一化することで規定してる、みたいな?
名誉市長とか博士号とかもそう。あの数はギャグだろうwそろそろギネス乗るんじゃないのw
あと「最高の名誉」とかすげー言う。「大○○」ってやたら「大」使う。
あとあと中継のときやるHHみたいのはなんなの?わざと?自虐?
話がズレた。まあ↑の記事が意外と面白かったから布教した。それだけのこと
修学旅行で行った奈良・薬師寺の坊さんの話をいまだに実行している殊勝な俺。
薬師寺の坊さんは、講話が面白いことで有名なようで、今でも修学旅行の生徒たちが坊さんの話をきくのは、定番メニューらしい。
「なぜ、仏法ではご祈祷をするとき、手と手を合わせるのかご存じですか。指と指のシワを合わせて、シワ合わせ、つまり幸せを願うのです」
これ、のちに仏壇のコマーシャルでもやった。
「また、手の甲の側を合わせて逆にしてはいけません。なぜなら指の節と節を合わせるとフシアワセになってしまうから」
これで一同意味なく感心。
「さらにこの話は3つでワンセットになっているのです。爪と爪を合わせてみてください。ほら詰め合わせ。ワンセットです」
一同笑い。
この話をきっともう何十年もしているのだろう。
「修学旅行の生徒さんがこの寺を訪れると、わたしたちは講話をさせていただくことになっています。しかしこれはあまり我々も進んでやりたい仕事ではありません。そこでジャンケンをして当番を決めるのですが、みなさんは普通、嫌な仕事の当番をジャンケンで決めるとき、負けたほうに決めますよね?」
「我々は違います。勝ったほうが当番をすることにしているのです。ジャンケンで勝つと嬉しい。やった、勝った!と思います。嬉しい人が、嫌な仕事をするのです。結局おんなじことなんですけど」
以来俺はジャンケンをするとき、嬉しいことを決めるときには負けたほう、嫌なことを決めるときには勝ったほう、ってことにしている。今でも。
別に仏法精神に則ってるわけじゃないよ。そのほうが幾分かおもしろいから。
めんどうな仕事の担当を決めたりするときに、「勝ったほうにしようぜ」と言うとたいてい怪訝な顔をされるけど。
実際やってみると、分かるひとには分かる。と思う。