東京国立博物館や地域の博物館とかで経塚やそれに関する遺物を見かけることは多い。
経塚は、昔の人が末法の世になってもお経が伝わるように、地面にお経を埋めたものだ。
経文と共に仏像なんかも安置される。
埋められた経文を埋納経という。金属などで出来た容器は経筒という。
埋めたものが何かの拍子で出土することがあるのだ。
埋める際には、当然末長く伝わることが目指された。
経筒を密封することはもちろんだが、まわりを石で作った入れ物でさらに封をする場合が多い。
お経は紙で、溶けてしまって今に伝わらないが、後世にはお経を石に掘って埋めたり、石に墨書して埋めたものもある。
いつまで仏法を伝えればいいのか? それは56億7000万年後だ。
弥勒菩薩が現れて再び衆生を救済するまで、末法の世は続くのだ。
経塚関係資料を見ながら、埋めた人々の想いはいかばかりだったかと想像する。
色んな苦しみが今よりずっと多い時代。
拠り所とするお経というか仏教がなくなるかもしれない。伝わらないかもしれない、という想い。
金と権力がある人が示威的にやっている側面ももちろんあるだろうけれど、それだけで切りとれない要素もある。
未来に向けて伝える、という何か意気込みのようなものが実物資料から伝わってくる。
ところで、私たちは銅鐸の使い方を知らない。
多分こうだろうというのはあっても、精確なところは解らない。
銅鐸に限らず弥生時代の祭祀具は、使い方がわからないモノが多い。
さらに前の縄文時代の祭祀具(と思しい)考古学的資料も、やっぱり精確なところの使い方は解らない。
皆忘れてしまったのだ。歴史のどこかの段階で、忘れてしまった。知る人が一人もいなくなってしまった。ある種の絶滅だ。
銅鐸に替わって登場する祭祀具は鏡だ。こちらは解る。今も神社に奉納してある。ご神体のような使い方をする。伝わっている。
このあたりから、何となく使い方が実感としてわかる資料が出てくる。
例えばいきなり経塚から石板に刻まれたお経が出てきたとして、その名前や考古学的な背景が解らなくとも「うわなんかお経が書いてあるぞ」くらいはわかったりする。
あるいはそこまで行かなくても、「何か文字が書いてあるぞ」とわかる。
この辺りで「これは何か重要なものかもしれない」と多くの人は感じとることができるだろう。密封されてもいるわけだし。
専門的な仕事に携わってなくとも、例えば土木工事や農作業で経塚が今に姿を現したら、「なんか仏教関係ぽいのがでてきた」と思えると言うわけだ。
私たちは仏像なりお経なりを見たら、直観的にどんな分野のものであるか理解できる社会に(今も)生きている。
科学が発展しようが、未だに路傍には地蔵があり、葬式でなんだかわからんままお経を唱えたり、する。
仕組みを何となく掴んでいる。
そ私たちは仏教になじんでおり、仏教を今から未来に伝える一翼を担っている。
銅鐸とはここが違う。
そういう意味では、古えの人々の想いは伝わっている。
平成が終わろうとしているが、その時代にあっても仏教にまつわるものだと素人でも判断できる社会だからだ。
難しいけど、科学が発展した時代だけれど、こうした直観でわかる宗教的バックグラウンドは大切なものと思う。
今はかなり色々なことがわかる時代だが、そうじゃなかった時代に人々の心のよりどころになった考え方とその資料。
要約 モノやシクミをデザインするときはアフォーダンスを意識しよう