はてなキーワード: 護国神社とは
この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。
実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。
特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。
そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。
柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。
シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生の柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。
「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」
「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」
「いつまで畳で寝とんな。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」
「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」
※本当にやって反則負けになったらしい
「プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」
彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子と乱取りをしても吹っ飛ばされない。
それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。
そういえばT君は、毎日必ず昼休みに柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車のゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリは相手にしてないと思うが……。
昼休みに柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。
柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技の乱取りを通じてしか、そのスポーツに必要な『体力』は身に付かない。
しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである。時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなことを考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。
高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。
さて、高三最後の公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞を果たして県大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。
柔道場での立ち技の乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置は自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。
「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」
すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。
ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手が高校生だとすぐにわかる。
「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ、連続。ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」
実際、高校レベルの試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。
ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である。
「今のお前の柔道、ほかの選手と乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」
T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。
ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢の問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置がおかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。
ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。
だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。
「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」
彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語は適当にググってほしい)を上下にブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。
「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」
T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。
ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。
「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳まで真っ赤になってるのを見た。
この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手は餃子耳にならない。本気で寝技を練習した証である。
こんな光景を見ながら、ある漫画のセリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。
……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力でねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て
拳闘暗黒伝セスタス 2巻より
俺だって、中学生や高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技の最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である。
こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。
2024年現在だって、野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。
立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこれしかない。それくらい、彼の運動神経は絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。
柔道場の端にある、寝技の乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。
「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」
横四方固めで抑え込まれた状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。
俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。
「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。
寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。
俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。
こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチと選手って対等な関係だろ。
T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技のセンスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。
ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。
せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミングで大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。
ただ、彼はよくやっていた。性格やキャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。
時期は半年ほど戻る。
いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばした名門校の選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。
あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。
そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいのテーブルに付いた。2on2の相席Styleである。
そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級の選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。
2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。
俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦人デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。
会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。
それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。
思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。
「高校入ってやっとるよ」
「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」
「えー、すごいやん」
「親に無理やり。両親とも柔道してて」
「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね」
「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」
「伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」
「自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」
「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」
※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた
「もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」
このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。
「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」
「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」
「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」
「えー、そういう仕組みなん?」
ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。
「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」
「うん、当たるの楽しみにしてる」
「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドしちゃうよ」
「楽しみにしてる」
ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。
あの店は、とんこつラーメンのアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。
※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである。
ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で。
当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハン+から揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。
俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである。事実だ。認めるしかない。
そんなこんなで、最後の公式戦までの日々は風のように過ぎていった。
この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。
あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問とマネージャーの関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか。
何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然なタイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。
ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議と安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。
マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日にネクタイピンをくれたこともある。
私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。
別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶でした…
ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道や陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。
性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母と実妹と一緒に寝床についていた。
いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初の感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母の衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。
そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。
妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初の感情だった。
愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。
次です
靖国神社は遊就館ていう偏りの極端な施設があるが、実際行くとわかるが遊就館はけっこう奥まったとこにあって鳥居から真っすぐ行って拝むだけだと目立たん
地方の護国神社のほうがよほど大日本帝国時代のモニュメントが目立つし偏りが目立つまである
日本は敗北して敵に占領されてるので意図的に曖昧にして目立つのを避けたし、靖国神社が曖昧さを利用しつつ政治的な意味合いでずるく立ち回ってるのは確かなんだけども
日本人、というか政治を忌避する無宗教というか無定見な庶民の大半は近所に神社でも寺でも大して考えず賽銭入れて拝むわけで
そういう考えのなさを、啓蒙して分別がつくようにしてやろうというのは傲慢だし、そもそも庶民に立ち位置を明確にせよってのは無理
キリスト教でも仏教でも現地信仰や習慣を適当に採用するから広まるんであって厳しく処罰だけしてれば広まるもんではない
新興宗教なんか罪は罪のまま(前世の因縁とか)で、自分はいいことをしよう(壺とか本とか札とか買おう)ていう誘導の仕方する
科学的な態度ではないだろうが、厳密に科学的な態度って検証してく過程で批判プロセスも必ず入るから、上記の理屈上、庶民の生活に組み込むの困難だし
むしろ科学的であろうとするけど厳密には科学的とはいえない、批判するけど批判は受け付けない態度が発生して、余計な反発を拡大してる
これもまた否定されたくない庶民が科学的であろうとした結果、相手を否定するのだけ採用したわけで、仕方ないっちゃ仕方ないのだが
どっちかで言うなら日本古来の習合信仰を復興させよう、建物とか再建しよう、とやったほうが「学問的に正しく」て「庶民感覚に訴え」て「江戸時代は素晴らしい」「日本スゴイ」に合致する上に、旧大日本帝国の残滓をほどよく薄めるのでは
今問題になってるのはあくまで過去の日本軍において戦死した人間の追悼施設の問題であって
これからの死者の問題はもちろんそうではあるのだけど残念ながら全く考えられてないと思われる。
あ、それは違う。
まず、想定されている「国立追悼施設」というのは旧日本軍で戦死した兵士と、空襲などで亡くなった市民など、戦没者全体を追悼することによって平和を祈念する役割を負うことになるはずで、この辺は政府の議事録でも出てる(ググって調べてくれ)。
これからの死者の問題は、誰も口にしないだけで実際は皆の頭にそれはある。イラクに派遣した時も、死者が出なかったのはラッキーだっただけで、出ていたかもしれない。死者が出ることを恐れている、安全第一であることと、もし死者が出たらどうなるかどうするかという問題は別。
で、もう増田で出ていたと思うけれど、殉職した人は護国神社なりに祀られることに今はなっていて、これはこれでいいんだけど、神道を信じない、別の宗教をもつ遺族にとっては有難迷惑な話でもあって裁判にもなってる。そういう面からも、神道形式の「神社」とは別の仕組みが必要になってきているのも現実なんだよ。
たしかに、今までは自衛隊の海外派遣も安全性を重んじて、「ガソリンスタンド」みたいな仕事でもよかったかもしれないが、これからはそういうわけにもいかなくなる。そうなると、「戦死」する人も必ず出る。国としてそういう人をほったらかしにしておいていいはずがないので、「国立追悼施設」が出来たら、具体的な形式はまだ分からないけれど、そういう人たちのことも何らかの形で含んで追悼されることになると思う。
追悼する形は個人の自由だ、みたいな増田があったようで基本的にはそれでいいんだけども、しかし国が派遣した自衛官が戦死したとき、その死を国家が悼む形を持っていないというのは、ずいぶんな話だと思う。情けない、冷たいと書いたのは、そういうこと。
もともと宗教色が薄いように見えたのは、時代の影響もあると思う。戦争で家族を失った人がマジョリティで、そういう生々しい記憶が残っていたから、別に宗教を云々する必要がなかった。靖国で頭を下げる心情は、自然なものだよ(僕も護国神社や靖国神社にお参りすることそのものに抵抗はない)。
それに、戦争に行った人たちは心の傷をずっと抱えていて、靖国が今言っているようなことで自己正当化してないと生きてられないという老人も少なくなかった。これは、戦争を知らない世代としても十分に理解できて、必ずしも批判できない。
靖国の問題が自業自得なのは書いたけど、もう一つの問題が経営問題、つまりカネの話。遺族会も子・孫の世代に移ってきて、会員が減ってきた。今はまだいいけど、このままだと経営にかかわりかねないから、それなりの努力をするのが当たり前。
追悼施設反対を唱えるのは、そんなものが造られたら靖国の立場がなくなってしまうからで、生き残りのために必死になるのは当然なんだよね。歴史だのなんだのは、あまり関係がない話だね。
そこで救いの手を差し出したのが麻生案で、あれは将来の経営難も見越してたのだけど、その代りに靖国はあの保守イデオロギーを捨てなきゃならなくなるはず。金のためにイデオロギーを捨てるか、イデオロギーのためには武士は食わねど高楊枝を貫くか、そういうこと。このままでいくなら、イデオロギーを振り回して、信者を増やすしか道がない。だから、宗教としてエスカレートしていく。ネットを読んでる若い人たちは、ここのところに注意しなきゃダメだと思うよ。
靖国神社は、明治の歴史的記念碑としてしか生き残る道がないと思う。むしろ、その方が自然。今の日本では、明治のころほど国家の統一性を維持するために気張る必要はなくなってて、靖国神社はそのための装置として役割を終えている。
だけど、これから自衛隊が海外に出て戦死する自衛官も出ようかと言うのに、国家が何らかの形で追悼の気持ちを表す仕組みがないというのは問題。といって、靖国神社では政治的色合いが強すぎる。であるならば、追悼施設を作るべきだという結論に落ち着く。もし、そんな施設もつくれないような日本なら、情けない、冷たい国だと、僕は思う。
追悼施設なら、各所に護国神社あるのに新たに作るのは無駄じゃないのかね?
護国神社にしろ、靖国神社にしろ、憲法上の「宗教団体」であることには変わりない。
アジやデマに踊らされ、匿名をいいことに過激な言動を繰り返す。
日本SUGEEEEEEを連呼して、代わりに中国・韓国・北朝鮮を馬鹿にする。
そういう人たちが存在するのは確実なことだろ?
そりゃ~存在するには存在するだろうけど滅多に見ないなぁ。
どちらかと言えば、左翼(?)の連中が正論に対して反論できなくなったら、
「ネット右翼!」「ネット右翼w」って、レッテル張りしてるだけに見えるけどなぁ。
って、書いたり言ったりしたら、ネット右翼扱いなんでしょ?
「メディア芸術総合センター」はダメってのがさっぱりわからん。
追悼施設なら、各所に護国神社あるのに新たに作るのは無駄じゃないのかね?
それこそ、護国神社を国営にしてしまって「宗教法人」でなくしてしまえば、