靖国神社は遊就館ていう偏りの極端な施設があるが、実際行くとわかるが遊就館はけっこう奥まったとこにあって鳥居から真っすぐ行って拝むだけだと目立たん
地方の護国神社のほうがよほど大日本帝国時代のモニュメントが目立つし偏りが目立つまである
日本は敗北して敵に占領されてるので意図的に曖昧にして目立つのを避けたし、靖国神社が曖昧さを利用しつつ政治的な意味合いでずるく立ち回ってるのは確かなんだけども
日本人、というか政治を忌避する無宗教というか無定見な庶民の大半は近所に神社でも寺でも大して考えず賽銭入れて拝むわけで
そういう考えのなさを、啓蒙して分別がつくようにしてやろうというのは傲慢だし、そもそも庶民に立ち位置を明確にせよってのは無理
キリスト教でも仏教でも現地信仰や習慣を適当に採用するから広まるんであって厳しく処罰だけしてれば広まるもんではない
新興宗教なんか罪は罪のまま(前世の因縁とか)で、自分はいいことをしよう(壺とか本とか札とか買おう)ていう誘導の仕方する
科学的な態度ではないだろうが、厳密に科学的な態度って検証してく過程で批判プロセスも必ず入るから、上記の理屈上、庶民の生活に組み込むの困難だし
むしろ科学的であろうとするけど厳密には科学的とはいえない、批判するけど批判は受け付けない態度が発生して、余計な反発を拡大してる
これもまた否定されたくない庶民が科学的であろうとした結果、相手を否定するのだけ採用したわけで、仕方ないっちゃ仕方ないのだが
どっちかで言うなら日本古来の習合信仰を復興させよう、建物とか再建しよう、とやったほうが「学問的に正しく」て「庶民感覚に訴え」て「江戸時代は素晴らしい」「日本スゴイ」に合致する上に、旧大日本帝国の残滓をほどよく薄めるのでは