はてなキーワード: 安保とは
好きにすればいいでしょ?そして国会前のデモには7,000人しか集まらず安保法制は完全に合法的に成立し、一旦成立したら誰も廃止しない。
しゃっくりか何かの生理現象の止めかたかと思ったら、安保法案のことらしい
となると参院で仮に否決されても、いわゆる「衆院の優越」で自動的に成立するはず
じゃあ彼らはどうやって「本当に止める」んだろう?
ここ最近先進国で盛り上がったほとんどのデモが何の勝利も得ることなく瓦解していることからもそれは分かる。
先進国のデモが負け続ける理由、それは選挙に対する姿勢にある。
安保法案に反対してデモしている人々も選挙では何も変わらない、民主党や共産党に投票しても何も変わらないと考えているからこそ直接的な行動に出ているのだ。
民主主義国家では選挙を通じて意思決定プロセスが決定されるが、彼らはそれに従いたくないためにデモという非正常なやり方で意思決定プロセスに影響を与えようとしている。
しかしデモをする人々が自分たちが民意を代表しているとどれだけ騒いでも、選挙で本当の民意が示されれば彼らがノイジーマイノリティでしかないことが明白になってしまう。
結局のところデモというのは政府に挑戦しているのではなく選挙というものに挑戦しているといえるだろう。
そしてどれだけやっても選挙を経て示された民意にデモ隊は勝つことができない。
台湾のデモのように指導部が優秀で政権と妥協点を探れるようなデモであれば政治的に影響力をもてるが、感情にまかせて騒ぐだけ騒いで選挙の民意に挑もうとしても勝てるはずがないし何も残るはずもない。
饅頭食おうと思って噛んでると餡子の中からアメリカが出てきて人種のるつぼ西海岸って叫びながらテロ掃討しはじめてヘイジャップ俺の地球守れよYOU打っちゃっていいんだよとかいって口の中血だらけになるのが餡子法案じゃなくて安保法案なのかな食えねえよー
共同行動中の米軍に加えられた攻撃を集団的自衛権の行使ができない自衛隊部隊は一回盾になって引き受ける。しかるのちに個別的自衛権を根拠に反撃せよと自衛官たちに要求することだ。
まぁ言っていることは分かる。そういう議論はさんざん聞いたし、それは安保法案の「メリット」の方だ。ただ、「デメリット」の方も無視できない。で、結局として安保法案があった方が、自衛隊員の生命が守られるのか、さらに国民全体の生命が守られるのか、判断するのは極めて難しい。だからこそ自分は、「A投信を買うか、B投信を買うかみたいな、結構微妙な問題なんじゃないかということ。」と書いたわけだ。これは未来の予測についての賭けの問題であって、賭けのオッズがどの程度であるかの判断は人によって違う。そういう問題だということ。
なので、「メリット」の方だけ言って、「デメリット」との比較考量について議論しない議論、逆に「デメリット」だけ言って「メリット」を無視した議論。これはいずれも意味がないと思う。
まあ、いまどきの平均よりも理知的な一般の人の反応ってこういうかんじなのかな、と思った。
で、この部分にその上で安保法案に賛成する(してほしい)立場から一言。
要するに二つの利益を天秤にかけて、どっちが大きいかという判断が、安保法案への賛否なわけだけど、こんなこと素人に分かるはずがない。おそらく、外交のプロにだって分からないだろうし、そんなこと、自分になんてわかるはずはない。ただ、一つ言えるのは、「それがないと著しく安全保障上不利益」というほどのことではなさそうだということ。A投信を買うか、B投信を買うかみたいな、結構微妙な問題なんじゃないかということ。
であれば、憲法解釈上の疑義を招いてまで、頑張って通すようなものではないだろう・・・というのは、自然な結論ではないかと思う。
まずここ
軍事同盟は集団的自衛権がないとなりたたず、日本の平和と繁栄は日米軍事同盟に依存している現実がある。
集団的自衛権の行使方法を定めた安保法制なしでは本来日米安保は成り立たない。
今まではそれをごまかすために無理に無理を重ねてきている。どういう無理かと言えば別のところで論じたから詳細は避けたいが簡単にまとめる。共同行動中の米軍に加えられた攻撃を集団的自衛権の行使ができない自衛隊部隊は一回盾になって引き受ける。しかるのちに個別的自衛権を根拠に反撃せよと自衛官たちに要求することだ。
ようするに兵に日米同盟という国益のために自殺しろと言っているようなもので、神風攻撃隊とくらべても大差のないどころか見ようによってはそれ以上に非人間的で異様なものだ。
「著しく安全保障上不利益」がないとはとても言えないと思う。君の良識を信じる。
俺が前件部分に唱えた異に納得してもらえれば不要かもしれないが、次にこの部分。
であれば、憲法解釈上の疑義を招いてまで、頑張って通すようなものではないだろう・・・というのは、自然な結論ではないかと思う。
個人的には少なくとも新たな憲法解釈上の疑義はないと思っている。自衛隊と日米安保が合憲なら安保法制もそこから当然合憲だし、自衛隊と日米安保が違憲なら安保法制も違憲。前者だけを合憲とするのは不可能だと思う。これまでそういう議論がないかと思って探してきたが、俺が見るかぎりあったとしても朝日新聞の社説をはじめ非常に稚拙な議論ばかりだった。
なお、誤解をさけるために予め言っておくが、俺個人は、統治行為論と日本国民の幸福追求の権利、国際平和はそもそも各独立国の自衛の努力が前提としてなりたっている(そして、集団的自衛権は自衛の努力の一部として国連憲章に堂々と謳われている)ことを踏まえれば、自衛隊も日米安保も安保法制も違憲とするのは不可能という立場。
「戦争法案」という表現が、一部の人から批判されているようだけど、なんだかなぁと思う。というのも、「戦争法案」という表現は、修辞法上の分類である「論点先取」にほかならないと思うから。安保法案に賛成する人は、それがあった方が戦争を回避できると思っているわけだし、反対する人は、ない方が戦争を回避できると思っている。つまり、安保法案が「戦争法案」なのか、「戦争回避法案」なのかが議論されているわけだから、「戦争法案」という表現は、無意味とまでは言わないけれど、せいぜい主張の結論を言っているのに過ぎない。「これこれこういう理由で、安保法案は、戦争法案であると主張したい」というなら筋が通っているわけだけど、一見これと似ている「安保法案は、戦争法案だから反対」という主張は、循環論法に陥っている。そして、昨今の政治運動で「戦争法案」という表現が、この前者と後者を意図的に混同させるような使われ方をしていることに、違和感を感じるわけだ。
ただ、論点先取は、政治・・・国の政治だけではなく、社内政治のような場面でも有効なことが多いと思う。そういう意味では、「戦争法案」という表現を使って行われる政治運動は、政治の王道であるし、だからこそ成功している面もあるだろう。だから、プラカードに「戦争法案」と書くことは、政治的な戦略としてはとても良い。ただ、そのことによって、本来考えられるべき、法案そのものの是非が覆い隠されてしまうことには、複雑な心境で眺めている。
そもそもの話を言うと、安保法案が戦争法案か、戦争回避法案かなんて、そんな簡単に結論が出るものではないと思う。自分は安保法案は要するに、アメリカに対して軍事的な支援を行うことで、守ってもらおう・・・ただ、それによって日本自身が別の形で軍事的リスクを負うことになるかもしれないが、利益の方が大きい・・・。という考えに基づいていると思っている。要するに二つの利益を天秤にかけて、どっちが大きいかという判断が、安保法案への賛否なわけだけど、こんなこと素人に分かるはずがない。おそらく、外交のプロにだって分からないだろうし、そんなこと、自分になんてわかるはずはない。ただ、一つ言えるのは、「それがないと著しく安全保障上不利益」というほどのことではなさそうだということ。A投信を買うか、B投信を買うかみたいな、結構微妙な問題なんじゃないかということ。
であれば、憲法解釈上の疑義を招いてまで、頑張って通すようなものではないだろう・・・というのは、自然な結論ではないかと思う。
個人的には、今の政治マターの中で、一番関心が高いのが、自民党が進めようとしている「基本的人権の縮小」。もちろん、安全保障は大事だけれど、どっちが正しいのか分からないような問題のために、取り返しのつかなくなるような事態は避けたい。避けてほしい。そういう意味で、一番嫌なシナリオは、今後自民党内の勢力争いの結果、首相が交代となり、「禊」を済ませた自民党が、次の選挙で勢力を維持し続けるということ。そして、その結果本丸である、基本的人権関係の規定に手をつけ出すということ。そういう意味では、安倍さんにはまだまだ首相の座にかじりついてほしい。それが日本のためだと思う。
コレ見て思ったこと書く。
反対派の理想ってのはまぁ、「戦争反対」やら「法治主義の徹底」あたりでしょうか。
戦争自体もう二度とやってはならんという意見や、憲法違反の法律を通したら政権のやりたい放題になる、という話。
一方賛成派は徹底して「現実的な対応」という主張を繰り返すが、コレも結局ある「理想」に基づいて主張されてるのは
賛成派の人たちは自覚してないんじゃないかと思う。
安保法案に関しては「憲法にそぐわない」というのは一部の人以外の共通認識としてあると思う。
そのうえで、「現実に対応するために仕方ないんだ」という賛成派の人がいるのは理解できなくはない。
中国なり、北朝鮮なりの勝手な行動に対応する策を用意しないといけないという点については賛同する人は多いと思う。
ただ、それが憲法違反な法案を通す理由としてホントに正しいものなのか?ってのはちゃんと考えないといけないと思う。
これを認めるって事は、「今後のすべての政権が必要だと判断したら国民の反発にあってもそれをゴリ押ししていい」っていう事を
認めることになるんです。
もはや「安倍政権がこの法案をどう扱うか」の範疇を超えた問題になるんです。
その辺ちゃんと考えて賛成してる人ってどれだけいるんだろう?
左派はどうして無能にも安保法案反対だけをゾンビのように叫んでいるばかりでこのような革命に命を賭そうという覚悟ができないのか。
36歳の安保鉄也(アボ・テツヤ)氏は5月1日、観光ビザ(現時点で既に切れている)で首都に飛んできた。同月29日、氏は東京へ帰らなければならなかった。しかし自分の便のレギストレーションを通過し、搭乗券を受け取ったところで、出発ホールに残ることを決めた。
人によれば、政治的動機による行動である。「我々はいまだに米国に占領されているかのようだ」。ラジオ「Vesti.fm」の取材に氏はこう述べている。
「分かりますか。私はこういう人生のほうがいいんですよ。飢えた方が。誰もがウソをつき、欺瞞だらけの場所に帰るよりはね。私は大手の日米企業で働いてました。私は多くのものを内部から見ていました。でもジャーナリストですのでそれについては書けません」と鉄也氏。
当人によれば、信念のために、偽りの罪で投獄されたことさえあるという。今、首都空港のターミナルが彼にとっての家になった。どうやってこの人物が生活しているのか分からない。しかし金銭が少ないのは分かっている。ホテル代も食費も足りないのである。空港職員ももう彼に慣れてしまった。うわさでは、誰かが食物を与えさえしているらしい。
「ターミナルEを歩いていくと、夕方、背広がかかっているのだ。なんだかもう慣れてしまった。あいつ一体どうやってここに存在しているんだろうね、と同僚たちと話している。ここのめしは高いから」。
安保鉄也氏はロシアに留まる希望だという。「言ってしまえば、いま私はこんなことを考えてばかりいます。ロシア国籍を取得できたらな、と。もう政府に申請も書きましたよ。そのへんのお巡りさんに渡したら、返事を待つように言われました」。
当人は自分をスノーデン氏になぞらえているという。スノーデン氏は政治的動機から故国を逃げ出し、1月以上にわたり同じシェレメチエヴォのトランジットゾーンで過ごした。
こういうことはモスクワ以外でも起きることのようで、イラン人がシャルル・ド・ゴール空港に18年間滞在したことがある。このイラン人は抗議行動への参加がもとで国を追われた。彼の半生をテーマにした「ターミナル」という映画がある。監督はスティーブン・スピルバーグ、主演はトム・ハンクス。