2015-08-05

論点先取としての「戦争法案」という表現について

戦争法案」という表現が、一部の人から批判されているようだけど、なんだかなぁと思う。というのも、「戦争法案」という表現は、修辞法上の分類である論点先取」にほかならないと思うから安保法案に賛成する人は、それがあった方が戦争回避できると思っているわけだし、反対する人は、ない方が戦争回避できると思っている。つまり安保法案が「戦争法案」なのか、「戦争回避法案」なのかが議論されているわけだから、「戦争法案」という表現は、無意味とまでは言わないけれど、せいぜい主張の結論を言っているのに過ぎない。「これこれこういう理由で、安保法案は、戦争法であると主張したい」というなら筋が通っているわけだけど、一見これと似ている「安保法案は、戦争法案だから反対」という主張は、循環論法に陥っている。そして、昨今の政治運動で「戦争法案」という表現が、この前者と後者意図的混同させるような使われ方をしていることに、違和感を感じるわけだ。

ただ、論点先取は、政治・・・国の政治だけではなく、社内政治のような場面でも有効なことが多いと思う。そういう意味では、「戦争法案」という表現を使って行われる政治運動は、政治王道であるし、だからこそ成功している面もあるだろう。だからプラカードに「戦争法案」と書くことは、政治的戦略としてはとても良い。ただ、そのことによって、本来考えられるべき、法案のものの是非が覆い隠されてしまうことには、複雑な心境で眺めている。

そもそもの話を言うと、安保法案戦争法案か、戦争回避法案かなんて、そんな簡単に結論が出るものではないと思う。自分安保法案は要するに、アメリカに対して軍事的支援を行うことで、守ってもらおう・・・ただ、それによって日本自身が別の形で軍事的リスクを負うことになるかもしれないが、利益の方が大きい・・・。という考えに基づいていると思っている。要するに二つの利益を天秤にかけて、どっちが大きいかという判断が、安保法案への賛否なわけだけど、こんなこと素人に分かるはずがない。おそらく、外交プロだってからないだろうし、そんなこと、自分になんてわかるはずはない。ただ、一つ言えるのは、「それがないと著しく安全保障不利益」というほどのことではなさそうだということ。A投信を買うか、B投信を買うかみたいな、結構微妙問題なんじゃないかということ。

であれば、憲法解釈上の疑義を招いてまで、頑張って通すようなものではないだろう・・・というのは、自然結論ではないかと思う。

個人的には、今の政治マターの中で、一番関心が高いのが、自民党が進めようとしている「基本的人権の縮小」。もちろん、安全保障大事だけれど、どっちが正しいのか分からないような問題のために、取り返しのつかなくなるような事態は避けたい。避けてほしい。そういう意味で、一番嫌なシナリオは、今後自民党内の勢力争いの結果、首相が交代となり、「禊」を済ませた自民党が、次の選挙で勢力を維持し続けるということ。そして、その結果本丸である基本的人権関係規定に手をつけ出すということ。そういう意味では、安倍さんにはまだまだ首相の座にかじりついてほしい。それが日本のためだと思う。

  • まあ、いまどきの平均的よりも理知的な普通の人の反応ってこういうかんじなのかな、と思った。 で、この部分にその上で安保法案に賛成する(してほしい)立場から一言。 要するに...

    • 共同行動中の米軍に加えられた攻撃を集団的自衛権の行使ができない自衛隊部隊は一回盾になって引き受ける。しかるのちに個別的自衛権を根拠に反撃せよと自衛官たちに要求すること...

      • デメリットなるほうは俺が言わなくても散々虚実おりまぜて別のひとが言ってるのを聞いてるだろうから、俺から言うまでもないと思う。

        • だからデメリットが少ないって反論はないの? 日本がアメリカに協力することでアメリカに守ってもらえるというが、それって上司にお歳暮を贈ったら昇給するかもしれないレベルで、...

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