はてなキーワード: 使い捨てカメラとは
こち亀は時代を先取りする?-こち亀アイデア関連の特許出願紹介 Vo.1-
https://toreru.jp/media/patent/600/
木製パソコン(パソコン本体やマウスに被せる木製の外装ケースについての特許出願)
https://toreru.jp/media/patent/709/
特許庁の審査官はこち亀好き?-こち亀アイデア関連の特許出願紹介 Vo.3-
https://toreru.jp/media/patent/1283/
穴あきすべり台
審査官はどうしてもこち亀を参照したかった? -こち亀アイデア関連の特許出願紹介 Vo.4-
班編成は出席順で強制割り振り
カメラ含めて電子機器類はアナログの腕時計以外持ち込み禁止、カメラは班に一台の使い捨てカメラだけ
金銭持ち込みは二千円まで
宿泊先はボロい旅館で部屋に風呂もトイレも洗面台もなくて、大人が四人も入ったらいっぱいになりそうな大浴場と廊下にある共同トイレと流しだけ
朝は混雑の回避とかで班ごとに15分単位に利用可能時間決められて、流しは使ったら水滴を残さず拭き上げろとか、チェックアウト前には部屋掃除させられて髪の毛一本残すなとか、ゴミは全部持ち帰れとか…
食事も移動中もずっと班行動で、ちょっとでもはぐれると監視してる先生に止められて集まるまで待機
遊園地も乗り放題じゃないから持ち込み金額内だと乗れても二つかそこらへんだからただただ園内を無意味にうろうろしてただけだった
何も学ぶものなかったよ
せいぜい、行きのバスで歌わされた原爆の歌(原爆を許すまじ〜我らの町に〜みたいなやつ)が悪ガキにうけて卒業までいじめられっ子が名前もじって囃し立てられてたくらい
同じく町立の中学校は行き先は姉妹都市協定のある海外だったけど、内容はほぼ変わらず
日中は制服に指定運動靴に指定鞄、就寝時は体操服、靴下も下着も色の指定ありの名前記入必須、私物は筆記用具と時計以外は持ち込み禁止
飲み物やおやつも持ち込み禁止で業者手配の現地語の書かれたペットボトルの水と飴とガムだけだったかな
部屋は二〜三人で一部屋で風呂もトイレも洗面台もあったけど、オートロックだから夕食後に部屋に入ったら消灯巡回の先生に鍵を預けて部屋の外に出るの禁止
さすがにゴミは置いて帰ってよかったけど、部屋の風呂とかトイレは掃除させられた
ご飯も、田舎町でその国の料理なんか給食でしか食べたことない子も多くて口に合わずに残す子多数なところをマナーが悪いって完食強要して移動のバスでゲロ吐く子が複数出た
そういうわけで、何一つとして修学旅行に良い思い出がない。
地元の公立高校は修学旅行あるところとないところが半々で、自分のところは修学旅行なかったから行ってない。
余裕がなくて家族旅行もしない家だったから、進学して一人暮らしし始めるまでディズニーランドもUSJも富士急ハイランドも行ったことなかったし、社会人になって出張ついでに観光するようになるまで旅行とか遠出とかつまらない無意味な行為だと思ってた
何年か前に一人で広島観光したらすごく楽しかった。修学旅行がつまらなさすぎて記憶が無かった原爆ドームや原爆資料館行ったし宮島も行った。あんなに衝撃的な場所でも記憶に残らないって相当だと思う。
去年はついにパスポート取り直して海外にも出た。一発目は修学旅行で行った国にした。気になったところ全部回って、現地の料理もおしゃれなカフェも気になったものはなるべく回れるように厳選した。言葉は分からないけどすごく充実してて楽しかった。行ったのが観光地ばかりだから治安も別に悪く無かったし、親切な現地人にお世話になったシーンもあったし、初めての一人での海外旅行だったけどすごく良い旅行になった。
修学旅行に楽しい思い出がある人たちはせいぜいその思い出を大事に盛り上がれば良いけど、えー修学旅行が楽しくないわけナイでしょー!とかいってくる奴が本当に鬱陶しい!!!クソが!!!って内心思ってる
往復の郵送料をお客様には負担して頂けないので、結局のところ現像は全てお断りしている
なぜって「現像+プリント代の利益」よりも「往復の郵送料」の方が高いから
本日も持ち込みの方がいらしたので、使い捨てカメラの購入先を聞いてみた
私「セブンイレブンさんでは現像の受付はしていないのですか?」
お客様「ええ。なのでここなら受付してくれるかと思って」
私「申し訳ありません。当店では現像の受付は致しかねます。ですので使い捨てカメラの販売も取りやめているんですよ」
みたいな会話。お客様、せっかくのお孫さんの写真が現像できずしょんぼり。
どのお店でもそうだが、使い捨てカメラを売るなら現像まで面倒見てください。
お願いします。
「それどこ大賞」の審査員の末席をつとめさせていただいたのですが、
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/12/22/110000
実は当初、審査コメントの文字数このくらいでよろしく、という指示をすっかり見落としてしまい、最初に間違えて書いたロングバージョンがありまして、せっかくなのでここに公開しておきます。受賞者のみなさんおめでとうございます。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2016/10/12/220000
「買い物で人生が変わりました」と言われても「それはまあそういうこともあるだろうな」としか思わないかもしれません。「買い物がテーマのブログコンテストなのだから、一番ど真ん中だよね、あざといよね」と穿った見方もできるかもしれません。けれど20年にわたる人生の変化と、その中心にあった買い物とをこれほど簡潔に描き、心から「ああ、買い物で人生は変わるのだなあ」という感慨をもたらしてくれる記事は、これを除いてほかにありませんでした。
「45で買ったストラトキャスター」という素っ気ないタイトルの「45」。その〈価格=45万円〉を表すようにも読めなくはないけれど、冒頭2行ですぐ、筆者にとっての「45」が〈年齢=45歳〉であることがわかります。「35で転職。37で離婚。/それから8年が経っていた。」。そして3行目に「子どもと妻がいなくなった生活。」と続きます。わずか2~3行に濃密な行間を含み、 id:aonbo さんの10年間のほんの一部が明かされます。
10年前、臨時収入を手にした、ゲームが趣味の45歳。「(うーん、このお金で何か自分にごほうび?)」の「自分にごほうび」という表現も、ちょうど10年前っぽい気分です。そんな中、とあるきっかけが id:aonbo さんに「(そうだよな。もうオレ45だよ。ゲームはそろそろやめようかな。)」と小さな一歩を踏み出させ、そこから一本のストラトキャスターを買うことによって、物語がはじまります。こうやって生きていけるのだな、と思いました。この記事は、ひとつの小さな人生賛歌です。
ところでこの記事、読後感は「ああ、人生」という感じなのですが、実は「人生」ということばは一度も出てきません。一貫して「生活」と書かれているところにも、ご本人のパーソナリティが感じられます。ぜひ賞金の30万円で、また次の10年の「生活の楽しみ」になるような買い物をしてください。おめでとうございます。
http://akasofa.hatenablog.com/entry/2016/10/19/182759
つい「買い物」だけで満足してしまうことも多いですが、あくまで「買い物」はスタート地点で、使いこなせるようになっていく歓びこそが醍醐味なのだと感じさせる記事でした。「上達」を言葉で伝えるのはむずかしいですが、「カメラの上達」を伝えるのにブログというメディアはぴったりですね。
親バカ目線と子どもの目線がちょうど交わるところに結果としての写真がある、という感じもほほえましかったです。親が「美大生」とか「サブカル」とか評するにつれ、「最初は美大生も、子どものような純粋な好奇心のもとにシャッターを切るんだな」ということにあらためて気づかされたりしました。
子どもの視点からしか写せない写真の魅力というのもありますね。子どもに使い捨てカメラを渡して撮られた写真だけを集めた『Childlens』(リトルモア、2003)という写真集があります。このまま id:akasofa さんのお子さんのカメラの腕がさらに上がっていってついにプロの写真家になったりしたら、その上達していく軌跡をまとめた写真集をぜひつくってください。ぼくは買います。
http://walking-gourmet.hateblo.jp/entry/2016/10/15/164806
『買い物』することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう」というストレートな書き出しから、その「楽しさ」のルーツとして、子どものころの買い物の記憶、それと結びついた場所の記憶を辿る旅なのですが、行き先がまさかの「屏風浦」。id:s06216to さんがご存知かどうか定かではないですが、「赤い電車」を歌ったくるりのもうひとつの京急ソングとして、その名も「屛風浦」という隠れた名曲があります。ぼくの「屛風浦出身という人もいるのだなあ」というどうでもいい感想は本当にどうでもいいのですが、ノスタルジックな主題からしてもBGMとしてこれほど最適なものはないので、よろしければぜひ「屛風浦」を聞きながら読んでほしい記事です。
迷いながらも、風景をたよりにこっちかなと進んでいく感じ、「久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれどぼんやりとした記憶を頼りに歩き始めた」という感じが、写真もとてもきれいで、鮮やかに描かれています。ぼくも久々に自分が通っていた駄菓子屋に行ってみたくなりました。住んでいた部屋や遊んだ公園はなくなっていた、そして、探しものも見つからなかった、という話で終わるのかと思いきや……というところもよかったです。ちなみにぼくは、一枚20円のころでした。
90年代後半、彼女たちはお世辞にもきれいとは言えない写真が撮れるカメラ付ケータイ電話をこぞって買った
2000年代初頭、デジカメ全盛期のころ女子高生は使い捨てカメラがブームになった。
今でも女子高生中心のブームではあるが、アナログもいいよねとか最近になって見直されているチェキや写ルンですのブームは10年以上前から女子高生の間では普通のこと。
2005年ごろ、twitterがはやる前に、ケータイ向けの短文サービスが女子高生の間で流行っていた。
ブームになるたびにITおやじたちは文句を言っていた。そんなものが何になると。
電子書籍のまえにケータイ小説で200万部売るブームも女子高生が中心だった。
おそらくメルカリもそのうち世界に認められるだろうと思うよ。実際もうアメリカではうまくいっている。
はてなでITだのに調子こいてるおっさんたちは、危険だなんだと文句を言うのが先行するけど結局こういう感覚で先行する「いい感じ」のものが世の中では重要
おそらくgoogle誕生したころにはてながあったらITおっさんはgoogleの検索結果も著作権的にアウトだとか吠えてたに違いない。googlemapやストリートビューでも吠えてたし、youtubeでも吠えてたし
以前増田で使い捨てカメラは最高にストイックでイカしたカメラではないかみたいな書き込みをした増田です。
はい。そんなもどうでもいいですね。
さて、こないだ地方の町中のスナップ撮りに行くときに、使い捨てカメラを買ってお供にしてみた。
メインはデジタル一眼レフね。使い捨てカメラはコンビニで買った
です。1,000円ちょいした。結構高いね。
フィルムでISO1600の感度とかあるんだーとか感心しました。
シャッタースピードは1/200で固定だそうだ。絞りはいくつになるんだろうね。
室内、モノ、風景といろいろ撮ってみたけど、
室内ではフラッシュ焚かなかったので全く写ってなかった。写ンないです。
おもしろかったのはフィルムの特性なのか、カメラ側の特徴なのか、
露出アンダーになると黒ではなく灰色に写るのね。
屋外での写りはどの場所でも露出が外れることは無かった。
ちなみに天気は曇り or 晴れね。フィルムすげー。
被写界深度を確認するために、眺望のいい山の上で、
木と風景、どっちにもピントが合っている。
まあそんなもんですかね。コンデジもそうだよね。
で、画質なんだけどやっぱり甘いっすね。
この甘さを生かすのは人物撮影になるのかなと思う。
風景とか全然ありがたみがないというか。
現像代は30枚ちょいで1,700円くらいだったかな。本体代と含めると馬鹿にならないね。
でもまたやってみたいと思う。
まとめとして「まあこんなもんすかね」って感じだ。
ただ、前述の通りピントが甘いので、人物撮影以外で使うのはあんまりしたくないかな。
あと、ダイアルジーコジーコ回してシャッターを切ると、「チャッ」って中で何かがどうかしたような小気味よい手応えがくるのが好きかも。
お金に余裕があるときにまたやりたい。
これは匿名性であることの利点を活かしきった、すばらしい流れ。ってことで、私の体験談も。
私の住んでいるところは田舎の車社会なので、電車での痴漢体験は皆無。そして狙われるのは専ら路上。
マラソン大会の練習で放課後に堤防を走っていたら、そこに停まっていた車に人が乗っていた。走って通り過ぎざまに見えたのは黒い影。(当時は運転席までプライベートガラスの車があった)男の下半身から突起物が突き出し、それを握っているような陰影。
小学生の頃、兄のエロ本を隠れて読んでいた私には、それがどんな行為だったのか理解できた。そしてそのまま走って通り過ぎた。
まだ『露出』という嗜好までは知らなかったので、すぐ傍を人が走り去ったことで、中の人はもうこんな所で自慰なんてしないだろうと子供ながらに「浅はかな人。そういうことは自分の部屋か、トイレでしなよ」なんて思ってた。
浅はかなのは私だった。
次に練習に行ったとき、走っている途中で男の人に声をかけられた。なんだか手招きして「ちょっと、こっち…」みたいに言われて堤防をおりて近づく。
何か落ちているか、または道を聞きたいのかと思っていた。近づくと男は私の腕をとって、いきなり股のあたりをまさぐりだした。
最初は、本当に意味が分からなかった。相手のおじさんは笑っていたし、その場所は殆ど毎日通っていた日常の世界で、自分にとってはセーフティゾーンだったのだから。
変質者だと理解したのは、おじさんの掴んだ私の手に痛みが走ったとき。払いのけようと抵抗しても、全く自由にならなかった。
自分の置かれている状況を理解するのに時間を要し、助けを求めなければという思考に至るまで、さらに時間をとられた。しかも人選が悪い。
あろうことか、私は今まさに加害者である目の前の人間に助けを求めた。多分「イヤ」とか「ヤダ」とか、それくらいの短い言葉で自分の意志を表示した。怖がっている自分を見せれば止めてくれるだろうと、相手の善意に訴えたのだ。
もちろん、きいてはもらえなかった。おじさんは笑ったまま、私の股やら胸やらを撫でたり揉んだりまさぐったりした。
どれくらいの時間そうなっていたのか分からないけれど、堤防を別の子どもたちが自転車で通り過ぎたのをキッカケに、私はもう一度「ヤダ」と言って、手を払った。
自分のズボンを下ろそうとしていたせいか、それとも大声を出されたらマズイと思ったせいか、掴んでいた手から解放される。私は自転車の子どもたちの方へ向かって一目散に走った。とにかく人のいる方向へ。
怖くて振り返ることも出来なかったし、その子ども達に助けを求めることも思いつかなかった。ただ横目に誰も乗ってない先日の車をみつけて、後からその変質者と車で自慰行為してた人が同一人物なんだと理解した。
逃げ出せたのはタイミングが良かったのだろうと、大人になった今は思う。相手が露出趣味で外での行為に興奮していたけれど、もしも車に連れ込まれていたら…と、思うとぞっとする。
このことは誰にも話さなかった。自分の中でなかったことにしてしまいたかった。
驚くべきことに、大人になってから友人同士で話し合っているうち、似たような体験をした人が大勢現れた。
もう過去のことだから言えるけど…という感じで、続々と被害体験が語られる。ある人は遊びに行った友人の兄から、無理矢理それを触られたとか。ある人は通り過ぎざまカメラでスカートの中を激写されたとか。(つうか、ケータイなんてない時代の使い捨てカメラで、どうやって現像に出したんだ?)車の中から道を訪ねられ、「この地図で説明して」って持っている本をのぞき見たら、エロ本が重ねられてたとか。下半身露出もあれば、触られた・見られた系も後を絶たない。変質者は昔からバリエーションに富んでいる。
そして彼らはいつも日常の世界で息を潜めている。電車内や路上。家庭内や学校、そして職場も。つい先日も女子更衣室のロッカーを荒らされる事件が起こったばかり。
この手の話は、本当にあげだしたらきりがない。
それこそ一晩中でも語っていられそうだけれど、電車通勤でない地域ですら、この状況。
女性に自衛を促すのも大事だけれど、やつらはそれをかいくぐって、より弱い者を狙ってくる。
逃げ場のない電車内や、抵抗する手段を知らない子ども。どういう状況で被害にあっているかを考えれば、加害者を取り締まるシステムを強化する方を最優先すべきなのに。
どうして「襲われる方にも非がある」ってなるんだろう。