はてなキーワード: パチンコとは
普通にしてたら数百万余裕で溜まるはずの期間工満期2年11ヶ月やったのに夜のお姉さんとかパチンコとかで使い果たして貯蓄ゼロの人たちたくさん見てきた事実を書いただけなんだけど
行く予定の高校も通信制高校だし、全日制の高校に通うことから逃げちゃったんだよね。新しい環境で普通の学生としてやり直すのが怖くて、また逃げた。これじゃ二年前と一緒じゃん。何一つ成長してない。
あと、まだ幼稚園児の弟がいるんだけど、こいつが全然好きになれない。ていうか家族が嫌い。同じ空間にいるだけで息が詰まって逃げ出したくなる。
母は私に手当たり次第に愚痴とストレスをぶつけてくるし、父はパチンコ大好きのクズ野郎の癖にすごい上から目線。こんな親どうやって尊敬すればいいの?ってくらい嫌いだし気に食わない。しかもデキ婚だから愛情なんて一度も注いでくれなかったし、褒められた記憶もほとんど無い。こんな親だったら生まれない方が良かった。心の底からそう思う。
弟は家中走り回って騒ぐし、一日に数えられないくらい泣き喚く。子供だから仕方ないとか言われても私が気に食わないんだから邪魔なものは邪魔なんだよ。この間は「バカ」とか「死ね」とか言われたし。発達障害の気もあるし、生まれない方が幸せだったんじゃない?可哀想に。
親がこれだからもちろんその子供もまるで駄目で、私自身今まで努力とかそういう物をほとんどしてこなかった。自分の好きな物を追いかけるだけでやらなきゃいけない事から目をそらし続けて、結局不登校だよ。本当情けないな……
何かやらなきゃいけない事でも、なぜか足がすくんでしまって出来ないし、努力とか忍耐とかそういう物もまるで出来ない。ただのクズじゃん。中三でこれとか、死んだ方がマシじゃない?
この文章も眠れなくてぐだぐだ書いてるだけだし、自分を見つめ直して何かが変わる訳じゃない。増田を見ている時間も無駄な時間だって分かってる。でもやめられない。どれだけ苦しくても逃げる事がやめられなくて、また自己嫌悪に陥る。
aukusoe アボカドパワーズの話しをしても最近アニメ化したやつの話をしてもどちらも言葉尻のオタクワードを広げるいつものブコメになるからむつかちいなあ。はーあ、何にもできねえな俺。
アボカドパワーズの話し
「週末の過ごし方」
DL版も発売されている
社長はお亡くなりになった
→「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」から。
2017年4月放送開始なのでほぼ一年前を最近と判断できるかは微妙だが、
三十路の体感時間だとまあ普通にあるかなという実体験からそのように予想する
最近のアニメで終末といえば少女終末旅行がまっさきに浮かぶかもしれないので
正直微妙なところではあるが、元増田からいってこちらのほうが適切・・・だと思う
一応「終末」が入るアニメは上記に加えて終末のイゼッタもあるがこちらはアニメ放送時期が2016年10月なので該当しない
キーワード的にいえばウテナも入るか?と余計な考えを巡らせたが、
よくよく考えると終末少女幻想アリスマチックというエロゲと混同していたので関係なかった
先日、シンガポールのカジノへ行ったんです、マリーナベイサンズ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、春節、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、春節如きで普段来てないカジノに来てんじゃねーよ、ボケが。
よーしパパルーレットやっちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
カジノ通の俺から言わせてもらえば今、カジノ通の間での最新流行はやっぱり、
バカラ、これだね。
バカラってのは中国人の金持ちが多めに入ってる。そん代わりハウスエッジが少なめ。これ。
で、それにツラ狙い(連勝している側に賭けること)。これ最強。
まず最初に。
はちゃめちゃ長文だ。誤字脱字もある。
いい年して駄々っ子のようだとも自覚しているが、ここはそういう場所だと聞いたのでただ吐露していく。
私は母親が苦手だ
ありきたりな話だと思うが母親が苦手だ
私は生まれた頃から生粋のおじいちゃんおばあちゃんっ子だった。当時祖父母の家と自宅が目と鼻の先の距離だったこともあって、小学校に上がるくらいまでは自宅で過ごした記憶しかないくらい祖父母宅にほぼ住んでいた。
初孫で初めての女の子だったこともあり、蝶よ花よと祖父母は可愛がってくれた。頻繁に遊びに来ていた親戚も可愛がってくれた。それが母親は面白くなかった。
それもそのはずだ。自分にとっても始めての子供を姑に取られてしまったのだから。
この事が私と母親の根っこに未だに深く残っているのだと思う。
私も母もお互いへの接し方が分からず、当たり障りなく過ごしているうちに私が小学生に上がる頃祖父母宅とは遠い場所へ引っ越すことになった。
その辺りから徐々に、いや今まで溜め込まれていたものが少しづつ外へ出てくるようになってきた。
母は怒りを頻繁に爆発させた。
親は怒るものだというが、母の怒り方は常軌を逸していたと思う。
何に怒っていたかは分からない。職場や外で何か嫌なことがあったのだろう。そういう日は玄関を蹴りながら開け買い物袋から自分の荷物から全てキッチンに投げ捨て包丁でまな板をグサグサ刺し続けるのだ。
初めて目にした時はこのまま殺されるのかと思い体が動かなかった。今さらながら蛇に睨まれた蛙とはこの時の様な状態なんだと思う。
まな板にいくつもの刺した後が残るころ、気が済んだのか笑顔になり『うるさくてごめんねーごはん作るね』と言うのだ。いつも通りに。笑顔で。ついさっきまで包丁でまな板を刺していた人がだ。
この頃から母はやばい人だな逆らわないでおこうという生存本能のようなものが植え込まれていた。
他にもテーブルを蹴る。物を投げ捨てる。大声を出す様な事はわりと頻繁にあった。
母の出した料理に少しでも微妙な反応(上記の通り逆らいたくないので間違っても不味いなどは口にしてはいない)をすると食べなくていいと食事途中であっても膳を下げられた。なので食事中は大げさに『おいしい!今日もごはん作ってくれてありがとう!』とまるで『いただきます』を言うように言っていた。
幸いなのはどんなに起こっていても私や妹たちには決して手を出さなかった。なのでここまで書いておいてだが虐待されたとは微塵も思っていない。少し他の母親と違うだけだ。
まず始めに書いた私を小学校上がるまでほぼ祖父母に取られてしまったこと。
父がクソなことだ。
我が家が比較的裕福ではないこと、は父がクソなとこに繋がるので父の話をさせてもらう。
父は私たちを養うためにあまり家にも帰らず必死に働いてくれた。それは大人になった今有り難みが心の底からわかった。労働して家族を養うってものすごい大変だ。
それでも父はクソだった。
パチンコに入り浸り、出会い系をして、一回り下の子と不倫をして、借金を残して蒸発した。
父の話は以上だ。
あれだけ書いたが、私は母を恨んではいない。感謝している。父が蒸発しそれでも働いて私たちを育ててくれた。私が母と同じ状況になったらもっと駄目な母親になると思う。少しやばいけど尊敬する母だ。
それでも苦手なのはいまだに変わらない。
そんなことがあって、女手一つで育ててくれた母親にむかってと思う人もいるだろうが苦手なのだ。
嫌いではない。人として反りが合わない。
子どもの頃の母の言動がいまだに忘れられないというのもある。トラウマというには大げさだが、自分に向けられていないにしろ母親が包丁を振りかぶっている姿というのは忘れたくてもなかなか忘れられないものである。
例えばパチンコ店で働く親戚に対して、あんな所で働いて恥ずかしくないのかと言ったり。所謂『オネエ』が嫌いで、女の武器を使って姑息だと言ったり(そもそもLGBTにあまり理解がない)。階段でベビーカーを持ち上げて登っているお母さんが居たので手伝おうとしたら『私がベビーカー使ってたころは自分で持つのが当たり前だったんだから今の人たちも苦労しなきゃいけない。手伝わなくていい』と私の手を止めたりもした(そこで母に逆らいたくないあまり手伝わなかった私も同罪だ)。
それから、母に面と向かって『お前を育て直したい』と言われたことがある。
もちろん母なりに考えていて悪意のある言葉でなかったと思う。そう信じたいが、それを言われた子どもの気持ちは?
それを言われた瞬間に『今のお前は失敗作だ』と言われた気がした。
弁解させてもらうと私はいたって真面目な子だったと思う。ずば抜けて優秀だった訳ではないがほどほどの成績を取り。校則違反を犯した事もなく。教師からの評判もいい地味で真面目な子だった。働く母に変わり夕食を作り家事を手伝った。今思えば幼少期に埋まるはずだった信頼を必死で埋めようとしていたんだと思う。
それでも言われたのは『お前を育て直したい』だった。
少し他と違う、少し変わった母でも信じようと思っていた気持ちがそこで切れた気がした。
崩れたんじゃない。切れた。
母への想いがそこで終わった。
尊敬はしている。育ててくれた恩も感じている。だけど終わっている。
母は今再婚して、義父となった人と暮らしている。私も妹もみな家を出ているので母の現状の暮らしがどうなのか詳しくは知らない。
義父が地方の出身で将来的に地元に帰るので、母も付いていくのだという。
あの人の人生は幸せだったのだろうか。これから幸せになれるのだろうか。
私はあの人から産まれてあの人に育てられたのに、もう終わってしまったからそんな事をぼんやり思うしか出来ない。
ごめんなさい。
育て直せればよかったね。
母が言った。
「本当はいい人を見つけて、結婚して、その人を頼って生きて欲しい。最後に『いい人生だった』って思ってくれたら、それでいいんだけど」
「いい人生だった」
って思うの、本当はすごく難しいことなんじゃないかな?と、泣きながら話す、母の言葉を聞きながら、少しだけ思った。
ここから先は少し昔話になるけれど、私の父は私や妹には優しいけど、母や店員さん、「自分より下」だと彼が思っている人間には、凄く横柄な人間だった。「DV」という言葉が出来る前からずっと、父は怒ると母に手をあげて、家の物を壊して、暴れた。
基本的には父が好きだったけど、そういう面がずっと苦手だったし、怖かった。
そんな父を相手にいつの間にか母は鬱になってしまって、暫く精神科(心療内科、という言葉はまだ耳馴染みのない時代だった)に通うようになった。
少しだけ母の様子が落ち着いてきた頃、父はパーキンソン病になった。
若年性パーキンソン病の患者さんって、すごく「ギャンブル」や「アルコール」に依存する可能性が高いらしくて、礼に漏れず、父は今までほとんどしなかった、パチンコをするようになった。
「あと数年で動けなくなる、だから今のうちに遊ぶ」とでも言うように、父は、何年も何年も、湯水のようにお金を使った。何を言っても聞かないし、暴れて、怒鳴って、「自分だけが可哀想」なのだと言う。病気のせいだし、薬の副作用のせいだと最初の頃はわかっていた。けれど、いつの間にか、そう納得することも出来なくなった。父を憎く思い始めて、もう何年も経った。
ここまでが前置きで、心身のバランスを崩した母、初めて人に対して「憎い」という感情を抱かせた父、そんな二人を見て育ってきた私(なんとか社会人として慣れてきて、ギリギリの生活を送っている)が、「結婚」に対していい印象を持てるだろうか。
って思えるかとか、思ったより色々考えてしまって、本当に「楽しい人生」なんか送れるのかなって、一瞬遅れてめちゃくちゃ不安になっている。
多分、こんなこと誰にも相談できないけど、相談できないから、こんなところに吐き出してるんだと思うけど、私、自分の家族がちょっとした弾みで「不良品」になってしまったと、思ってるんだと思う。
その「不良品」になった瞬間が、例えば私が社会人になってからだとか、30を越えてからだとか、立派な「大人」になってからなら、まだ受け止められたんだろう。
ただ、それを受け止めるには私はまだまだ小さい子供だったから、抱えきれずに「家族ってこんなもんなんだ」とか、「好きになって、結婚して、子供が出来たって結局これなんだ」って色々思うし、結局のところ、
っていうのが今さらよくわかんないのだ。
そういう像を思い描くことは出来るけど、めちゃくちゃ他人事で、自分が「母」としてその中心にいることは考えられないし、「子供」だった時分の事を思い出すには、余りにも時間が経ちすぎていて、もうわからないのだ。
楽しかったし、幸せだったはずなんだけど、その上に重なった「家族」への別の印象が、余りにも大きすぎるのだと思う。
結局私は何とか大人になったけれど、中身はまだ幼い子供とさほど変わらないのだろう。
最近「機能不全家族」という言葉を知って、「あ、うちの家じゃん」と、ものすごく思った。
家族の形として、人間として、うちの家は不良品の集まりだと思う。勿論、私自身も、自分の事を「不良品」だと思っている。めちゃくちゃ情緒不安定だし。
不良品の中で育った「不良品の子供」が、「幸せな家族」なんか、作れるのだろうか?
っていうのが、まず、大きな疑問。
不良品の子は結局不良品だと、思う。なら、その不良品がまた子供を産んだら、その子も「不良品」になってしまうんじゃないだろうか?
なら、「不良品」になってしまうことがわかっていて、態々産んでしまうなんて、その子がかわいそうなんじゃ?いらない苦労をさせてしまうんじゃないだろうか?生まない方が、結婚なんかして、元を辿れば「ただの他人」に不良品の人生まで背負わせるなんて、どうかしてるんじゃないだろうか?
色々ぐるぐると考えた結果、「不良品」が母の望む普通の人たちの「幸せな人生」を送るのって、めっちゃ難しいことなんじゃないか?って、思ってしまったのだ。
ここまで書いたけど、多分、母は私が自分の事を「不良品」、自分の家族も「不良品」だと思っていることを知れば、多分、また泣くと思う。
読みにくい文章でごめんなさい。