はてなキーワード: 若年性パーキンソン病とは
母が言った。
「本当はいい人を見つけて、結婚して、その人を頼って生きて欲しい。最後に『いい人生だった』って思ってくれたら、それでいいんだけど」
「いい人生だった」
って思うの、本当はすごく難しいことなんじゃないかな?と、泣きながら話す、母の言葉を聞きながら、少しだけ思った。
ここから先は少し昔話になるけれど、私の父は私や妹には優しいけど、母や店員さん、「自分より下」だと彼が思っている人間には、凄く横柄な人間だった。「DV」という言葉が出来る前からずっと、父は怒ると母に手をあげて、家の物を壊して、暴れた。
基本的には父が好きだったけど、そういう面がずっと苦手だったし、怖かった。
そんな父を相手にいつの間にか母は鬱になってしまって、暫く精神科(心療内科、という言葉はまだ耳馴染みのない時代だった)に通うようになった。
少しだけ母の様子が落ち着いてきた頃、父はパーキンソン病になった。
若年性パーキンソン病の患者さんって、すごく「ギャンブル」や「アルコール」に依存する可能性が高いらしくて、礼に漏れず、父は今までほとんどしなかった、パチンコをするようになった。
「あと数年で動けなくなる、だから今のうちに遊ぶ」とでも言うように、父は、何年も何年も、湯水のようにお金を使った。何を言っても聞かないし、暴れて、怒鳴って、「自分だけが可哀想」なのだと言う。病気のせいだし、薬の副作用のせいだと最初の頃はわかっていた。けれど、いつの間にか、そう納得することも出来なくなった。父を憎く思い始めて、もう何年も経った。
ここまでが前置きで、心身のバランスを崩した母、初めて人に対して「憎い」という感情を抱かせた父、そんな二人を見て育ってきた私(なんとか社会人として慣れてきて、ギリギリの生活を送っている)が、「結婚」に対していい印象を持てるだろうか。
って思えるかとか、思ったより色々考えてしまって、本当に「楽しい人生」なんか送れるのかなって、一瞬遅れてめちゃくちゃ不安になっている。
多分、こんなこと誰にも相談できないけど、相談できないから、こんなところに吐き出してるんだと思うけど、私、自分の家族がちょっとした弾みで「不良品」になってしまったと、思ってるんだと思う。
その「不良品」になった瞬間が、例えば私が社会人になってからだとか、30を越えてからだとか、立派な「大人」になってからなら、まだ受け止められたんだろう。
ただ、それを受け止めるには私はまだまだ小さい子供だったから、抱えきれずに「家族ってこんなもんなんだ」とか、「好きになって、結婚して、子供が出来たって結局これなんだ」って色々思うし、結局のところ、
っていうのが今さらよくわかんないのだ。
そういう像を思い描くことは出来るけど、めちゃくちゃ他人事で、自分が「母」としてその中心にいることは考えられないし、「子供」だった時分の事を思い出すには、余りにも時間が経ちすぎていて、もうわからないのだ。
楽しかったし、幸せだったはずなんだけど、その上に重なった「家族」への別の印象が、余りにも大きすぎるのだと思う。
結局私は何とか大人になったけれど、中身はまだ幼い子供とさほど変わらないのだろう。
最近「機能不全家族」という言葉を知って、「あ、うちの家じゃん」と、ものすごく思った。
家族の形として、人間として、うちの家は不良品の集まりだと思う。勿論、私自身も、自分の事を「不良品」だと思っている。めちゃくちゃ情緒不安定だし。
不良品の中で育った「不良品の子供」が、「幸せな家族」なんか、作れるのだろうか?
っていうのが、まず、大きな疑問。
不良品の子は結局不良品だと、思う。なら、その不良品がまた子供を産んだら、その子も「不良品」になってしまうんじゃないだろうか?
なら、「不良品」になってしまうことがわかっていて、態々産んでしまうなんて、その子がかわいそうなんじゃ?いらない苦労をさせてしまうんじゃないだろうか?生まない方が、結婚なんかして、元を辿れば「ただの他人」に不良品の人生まで背負わせるなんて、どうかしてるんじゃないだろうか?
色々ぐるぐると考えた結果、「不良品」が母の望む普通の人たちの「幸せな人生」を送るのって、めっちゃ難しいことなんじゃないか?って、思ってしまったのだ。
ここまで書いたけど、多分、母は私が自分の事を「不良品」、自分の家族も「不良品」だと思っていることを知れば、多分、また泣くと思う。
読みにくい文章でごめんなさい。