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もしもメンヘラがひとつの村だったら…―脱メンヘラの人類学講座―
http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/10/26/205745
とかいう糞のような記事がはてぶに上がっており、俺はもう駄目だ。夢が壊れました。
皿ウォッシャーとしてやっていく展望が消え、夢が壊れました。と思った。
皿はさておき、数年前に重大な遺伝子疾患があることが分かった俺は手術費用数百万円をかけて、
肉体の一部を人工物に置き換えるという手術をした。
一命は取り留めたものの、遺伝子疾患なので完治そのものは永遠に無く、
症状としては肉体に常人と同等の負荷をかけていると死ぬという厄介なものであったので、
で、いくつかあった送別会のひとつで同期の馬鹿がこのような妄言を垂れた。
「それって子供の頃、運動しなかったとかの努力が足りなかったんじゃないの?」
「いや、遺伝子疾患なんですよプログラムのバグで細胞結合が弱いんですよ」
「でも、人間って鍛えれば強くなるじゃん。やっぱ弱いなら人並みに努力しなきゃ」
あるあるあるあるあるりーゔぇでるち、ウェルチグレープ味。
俺は社会に出るまでこのような糞のような発想の持ち主は幼稚だからであり、
大人社会においてはマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸として扱われ、
死に絶えているとばかり思っていた。が、そうでは無かった。
いるのだ。
このように、自分の持てる知識や人生体験だけで全く他人の知らない病気の理解を処理してしまう馬鹿が。
それも大真面目に上から目線である。風邪引いたときに鼻水と一緒に脳が流れ落ちたに違いない。南無南無。
交通事故で両手両足が切断されて乙武様状態になった水泳選手がいたとしよう。
「さ、みんな100m泳いでいるし、これまでも出来てたから頑張ろうね。医学とかブロイラー」
みたいなことを言う奴がいたら、さすがに社会ではマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸賞受賞ものである。
しかし、症状が、原因が、苦痛が見えない病気については、糞みたいな持論を展開する馬鹿が大勢出現する。
そして、なんかふんわりとそれが許される。
例を上げよう。不妊症。
医学的な処置をし、夫婦生活のコントロールをし、最善と思える全てを尽くした患者に馬鹿は言う。
「性欲が足りないんじゃないの?/タイミングがうんぬん/神様への祈りが/日頃の行いが」
それは知ってる、それは間違い、それはすでにやった、そんなことはお前に言われる筋合いは無い。
ほんの少し、ポケットの中で1/256に分割されたビスケットの屑ほどの想像力が有れば分かることを、
「たまたま運良くスムーズに子供をもうける事ができた」だけの頭悪男や頭不足女が上から目線の余計なお世話をいう。
糞である。
そして、メンタルヘルスのあれこれについてもそう。
医学がどうの統計がどうの「俺ってこう思う」ではやっていけない諸問題を先達が知恵を絞って導いた結論を全く無視して、
「村、村長、若者・・・」である。アホか。ド低能か。マジ糞吐き気催す。
今ここで腹にナイフさされてのたうち回っている人間に同じように言え。
「この近代社会が生み出したナイフ製品を村としよう」と。そこから始めろ。
そして同じように腹にナイフぶっ刺されて村長になれ。若者よ、大志を抱け。
単に言及対象の病気が「症状が見えない、分かりづらい」からだ。
「頭が悪く、理解力が無い、恥知らずな人間が病気のことについて好き勝手言っている」のが事実なのだ。
分かった?くずが。
神條遼「私は『敢えて』汚い言葉を遣い、面罵し、否定/批判し、相手を怒らせ『感情』に走らせる。それが私のスタイルだ。」
こちらの神條スタイルのパワーアップ版だから笑いに備える心の準備をしてください。
それじゃ、はじまるよ~
前々から思ってたし、時折指摘してたことだがな。『無断転載批判という目的は肯定するが、今の手法は否定する』と。言っても聞き入れずに『手法に拘泥する』ようだしな。……ちょっと今日はかなり本気でムカついたから、今後は真っ向から『目的賛同手法批判』スタンスで行くわ。口も濁さず罵倒に回る。
kamijo_haruka 2013-02-09 16:28:53
@amagatari まぁ、『どんな目的の為であろうと、あらゆる手段が正当化されるという事は有り得ない』からね。そんな類のもの見つけたら連絡下さい。
kamijo_haruka 2013-02-11 22:44:23
何を言ってんのか。ウエメセのループでもやろうってか?w 私は『敢えて』汚い言葉を遣い、面罵し、否定/批判し、相手を怒らせ『感情』に走らせる。それが私のスタイルだ。 @luckyantvalley
kamijo_haruka 2013-08-27 23:05:29
結局ね。私の『汚い言葉を遣い、否定/批判し、面罵し、相手を怒らせ「感情」に走らせる』スタイルってのは、『怒らせる』事で『対峙してる人』の『本音』と『性根』が表層化して見えやすくなるからなんだよね。そうやって相手を見定めてる(悪く言えば値踏みしてる)のよ。私は。@Necologie
kamijo_haruka 2013-08-28 00:36:57
うん。私程度の面罵に耐えて反論出来ないようじゃ、私よかもっと頭のいい左翼の御歴々に批判された時に耐えられますかっての。やっぱ『左翼は理性、右翼は感情』って言われた時代のまま変わってないのかなぁ…… いや、今は『左翼も感情』に成り果ててるけどさ。 @Necologie
kamijo_haruka 2013-08-28 00:51:21
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
その2つが切り分けられない人って多いよね。こっちは敢えて『口悪く』やってると、それに乗って『君は無礼だから議論にも値しない』とか言う奴ばっかり。 RT @azukiglg: 「議論の態度の善し悪し」と「議論の結果の善し悪し」、それを最終結論とするかどうかは、全て別の話なんだよなあ posted at 19:16:43
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
結局ね。私の『汚い言葉を遣い、否定/批判し、面罵し、相手を怒らせ「感情」に走らせる』スタイルってのは、『怒らせる』事で『対峙してる人』の『本音』と『性根』が表層化して見えやすくなるからなんだよね。そうやって相手を見定めてる(悪く言えば値踏みしてる)のよ。私は。@Necologie
posted at 00:36:57
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
更に言えば、相手が反論に詰まった時に追求可能なように『汚い言葉遣い』という『逃げ道』を敢えて与えてるんだよね。だからこそ対話前/対話中に『言葉遣いを問題視し出す人間』を見たら、その瞬間に『ああ、反論に詰まったな』と見限れるって利点もあるのよ。 @Necologie
posted at 00:42:41
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
承前》 批判①【何故『死ね』とか『殺せ』とか『ゴキブリ』とか口汚い言葉で罵ったりするんだ?滔々と問題点を周知させる街宣をすればいい】 《続
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
そうなんだよねー 『韓国との交流を止めて頂けませんかって丁寧語で言ったって印象に残らない』…… おいおいおい。『汚い言葉』の意味解ってないだろ。 RT @chipauyo: 綺麗な言葉で印象が残らないのは、言ってることにに中身が無いから… #北海道在特会デモ
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
『汚い言葉を使うのは逆効果だって声がありますが、綺麗な言葉じゃ印象に残りませんよ!汚い言葉でこそ印象に残るんです!』って。おいおいおい。 #北海道在特会デモ
posted at 14:16:40
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
在特会にせよ、他の行動界隈にせよ、最早完全に『仲間内の慣れ合い』になってんなぁ。何も知らない人間が『デモで大声上げて口汚い言葉で騒ぐ連中』に対して、いい印象とか共感なんて抱くと思ってんのか??一般人から引かれるだけだぞ??何やってんだよ<広島デモ #在特会
posted at 15:25:53
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
在特会にせよ、他の行動界隈にせよ、最早完全に『仲間内の慣れ合い』になってんなぁ。何も知らない人間が『デモで大声上げて口汚い言葉で騒ぐ連中』に対して、いい印象とか共感なんて抱くと思ってんのか??一般人から引かれるだけだぞ??何やってんだよ<広島デモ
posted at 15:18:36
一般人からドン引きされても言葉遣いに囚われたら本質を見逃すと意味不明な神條遼大先生
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
言葉遣いに囚われて本質を見逃す様なら、幾ら綺麗な言葉を聞いたところで『ああ、良い事聞いたな』って感想を抱いて解った気になるだけで一切『有機的理解』をしないから、そんな気遣いは無駄だよ。
――って言ってるんだよ。 @shigebone
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
もう一度言う。『解る奴だけ解れ』 そして『気付く奴だけ私の発言の中から勝手に拾え』 私は相手に『了解』を求めてんじゃない。『同意』を求めてんじゃない。『賛同』を求めてんじゃない。そんなんじゃなく、自分の中にある『知識』を有機的に結合させて『理解』しろ。
}YY} /…/ ≠ ≠ ∠} / {> ⌒。Y / (°^ /^) わけがわからないよ ≠ ≠(^Y / /…/ У { {ハハ{ ( ヽ (ノ⌒ヽ、 _ノ、 /⌒ ー‐U } / / { ___ / ヽ ( \)
@kamijo_haruka
神條 遼@スパイラルグレープ美味しい@kamijo_haruka
基本的に私の発言は、全部連続性があるよ。尤も、そう読むか否か、そう気付いて拾うか否かは人次第だけど。 @TOMODATI_20SEIK
posted at 00:29:38
madoka1homu@「鏡」と呼びますのブログ-神條スタイル
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まとめ:いや、どうしよう?何と申したら言いか分からないのでAA貼りますね。
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∧_∧ <神遼さんの過去の発言を見てください
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(つ /J
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し⌒
学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。
中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。
何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとかなったし、結構業績もあげたので30前半も20代の貯金でなんとかやっていけていた。けれど30半ばになって全く新しい仕事をやらなくてはならなくなり、そこでクラッシュして休職した。復職してからは自分の頭や体の調子を冷静に見るようになって、ヘビースモーカーだったのを禁煙したり、ランニングを始めたり、食べ物に気をつけたりしたところ、少しずつだけど調子は上向きになっていったけど、根本的に何かおかしいと思っていた。以下ここまでで出ていた症状。
(追記)
仕事は、失敗するのが怖くて異常にワークロードをかけてやる。だからうまくいくときはいいけど、失敗すると目も当てられない。うまくいってもうまくいかなくても疲弊してしまう。うまくいった仕事は、人の手助けとか責任がなくて気軽にやったものがほとんど。
こういう状態だから、とても悩んでいろんなメンヘルの本や啓発系の本を読んだけど解決にはならなかった(違う意味で色んな示唆は受けたけど、特に瞑想とか)。ある時アメリカ人の書いた本を読んだところこんなことが書いてあった。
炭水化物を減らす
炭水化物は"全粒"がキーワードです。白いパンや白いご飯、白いパスタなどの精製された炭水化物は血糖値を急激に変化させ、気分をコロコロ変えてしまいます。
「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ、三笠書房
アメリカの啓発系の本は説教くさくなくプラクティカルなので好き(追記:個人的にこの本全体を評価するわけではありません。最後のほうにはカルトっぽい記述もありましたし。要は部分的にでも役立てばなんでもいいということです。)なんだけど、早速玄米やライ麦パンを試してみたところ、頭がすっきりした感じがした。のでさらに調べてみたところ「低血糖症」のキーワードにたどりついた。特にこの本には驚いた。
「低血糖症と精神疾患治療の手引き」マリヤ・クリニック院長 柏崎良子、イーグレープ
この本によると、低血糖症患者(反応性低血糖症の場合))は食後の血糖値が急激に上昇するために、インスリンが出過ぎてしまい3-4時間後に血糖値が異常に低くなってしまうとのこと。血糖値が低くなりすぎたりすると、血糖値を上げるためにアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、
分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンが情動を司る脳の分野(大脳辺縁系)を刺激し、感情的興奮(怒り、憎しみ、敵意、焦燥感、恐怖感、落ち込み、悪夢、不眠、自殺観念)を引き起こすため、脳全体の機能のバランスが悪くなり、感情をコントロールできずに「キレる」症状を起こす原因の一つともなります。
攻撃的行動、うつ的衝動、性格の異常化、感情の抑制ができない、判断の統合ができない、引きこもり、自律神経失調症、完璧主義になる、健康の認識基準が低い、自責の念が強い、過度に目的志向型になる、幻聴幻覚の症状、不眠と悪夢、「キレて」止まらない症状、ストレスへの対応、感情表現の欠如
また、コルチゾールも分泌されるが、血糖値を上げるためだけに使われてしまい、アレルギーや炎症が出るとのこと。これも症状ぴったり。
極め付けはこの文章。
青少年期から低血糖症の患者は、低血糖の異常状態に慣れていて、それを通常の状態であると誤認していることもあります。低血糖症がもたらす他の症状のために来院し、検査の結果、低血糖症であることがわかり、治療して後、体質も性格も変わり、自分の健康状態、正常な状態を知って驚くことも多くあります。
これだけ言われたら試すしかないと思い、これで駄目だったら田舎にでも引っ込んで低位安定の人生を送ろうと決心して食生活を試行錯誤の末こんな風に変えてみた。
朝食:ライ麦パン、生野菜、卵、カフェイン抜きコーヒー、果物少し、ジュースなし
間食1:コンビニのミックスナッツを150kcalくらい
昼食:肉か魚でご飯は2口くらい、玄米が選べたら茶碗半分くらい
間食2:ゆで卵
間食3:プロテインとナッツの残り
間食4:寝る前にナッツとプロテイン
(追記:最適な食べ方は人によって違います。低GIで少量頻食にするのがポイントですが、ミネラルバランスを気にして、内臓疾患がないか検査は必要でしょう。)
ポイントは、お腹半分でまでしか食べないことと、空腹のタイミングを作らないことと、ソースも含め砂糖とブドウ糖果糖液を徹底的に避けること。食べるものは基本的にマクロビオティクスに肉と卵を足したものだと思えばいい。最初はSoyJoyも食べていた(症状が重くなければ十分効果があると思う)。酒は翌日に残っていたのが残らなくなったのであんまりセーブしていない(追記:飲む種類は蒸留酒と赤ワインがメインになりました。ビールを飲むととたんにおかしくなるので)。むしろ野菜と肉と魚で飲むと眠くならないし飲むのが楽しくなってきた(甘いつまみは厳禁だけど)。ちなみに、頭が働かない時にブドウ糖や甘いものを、と宣伝されているけど、あれは砂糖業界の陰謀だとしか思えない。その一瞬はいいけど、すぐに悪循環に入ってむしろ悪化する。たんぱく質だって脂肪だって時間はかかるけどブドウ糖に分解される(追記:厳密に言うと糖新生ですね)ので最終的な効果は一緒で、いきなり吸収されないぶん血糖値を上げず安全だったりする。だから泰葉みたいに砂糖を食べてはいけなくて、ふらふらする前にたんぱく質か低GI食品を食べるのが正解。
効果は笑っちゃうくらいすぐ(2-3日で)出た。まず仕事の集中力が圧倒的に戻ってきて、いい資料は作れるし、ミーティングで効果的な発言はできるし、客に嫌味を言われてもこたえない(冷静に指摘としてとらえる)ようになった。寝る前に食べるせいだろうけど、朝は気持ちよく目覚めるし、いらいらすることがないから性格も丸くなった。なによりうれしいのは、以前だったら調子のいい時に思いついたアイデア(プライベート、仕事を問わず)が、昼食をとるとリセットされて全然進展しなかったのが、継続して発展させられること。結構ややこしい問題に関する説明資料を1ヵ月かけてつくって客のお偉方に説明したりなんてことが簡単ではないにしても充実してできるようになって、もしもう少し若い時に同じことができたら、高給取りのコンサルになれたのになと思ったりした。今や仕事の企画を考えるのが楽しくて仕方がない。
ランニングも調子よく、以前だったらハーフマラソンに出るたびに怪我をしていたのが、今回はフルマラソンを走っても3日後には練習が再開できるくらい。胃腸については、お腹を壊すことはほぼなくなり、肉を大量に食べても難なく消化できるようになった。
おまけに、インスリンダイエットとプロテインダイエットを同時にやっているようなものだからいい感じにやせてきた。(追記:もともとやせていましたが、体型は良くありませんでした)
一応病院にも行って、保険適用外の5時間糖負荷検査というのを受けた。検査の最中から慣れ親しんだ嫌な身体的心理的症状が出て、結果は見事に反応性低血糖症(200以上に上がった血糖値が4時間後に50近くまで落ちた)だった。念のためこれも保険適用外のサプリ(結構高い)も買ったけど、なくても食事だけで十分効果があるのはわかっているのでいつでもやめられる。低血糖症を治療することでうつ病だけでなく、統合失調症も良くなるらしいとのこと。統合失調症になったことはないのでよくわからないけど。ただ、不定愁訴系はかなり治るような気がするし、いらいらしてキレやすい犯罪者やDQNは、自分もそうだったから治療可能だと思う。
何をやったらいいかわからなくて無為に時間を過ごして、無力感と自責感にさいなまれながらだらだら遅くまでいた以前とは大違い。一日集中できるということがいかに素晴らしいか痛感する。マネージャーだったころに人系のぐだぐだでとても疲れたことがあったけど、そういう仕事も懐深くできるような気がする(あくまで気がするだけだけど)。
プライベートでもランニングがこれまで以上に楽しくなったほか、もともと好きだった音楽や映画も心の底から楽しめる感覚が本当に久しぶりに戻ってきた。今はドアーズを聞きなおして曲の良さにほれぼれしているところ。味覚も鋭くなって、豆や野菜の自然なおいしさがよくわかる。自然のおいしさを理解して生かしている料理を食べると嬉しい。二度とチェーンの居酒屋なんか行けないけど。妻や友人と過ごす時間も増え、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思う。経済的な不安はまだまだあるけど、幸せっていうのは結局自分の状態のことなんだなと実感した。
ともかく空腹感や満腹感で良くも悪くも気分や体調が変わってしまう人は試したほうがいいかも。症状が治まった目で見るとそういう人がとても多いように見える。アメリカでは保険適用で、4,000万人くらい潜在患者がいるとのこと。日本で普通の治療になったら、長期のうつ病や進行した結果としての糖尿病やメタボが過去のものになるかもしれないと思う。
(凄い久々の追記)
基本的に同じ食生活を続けていい調子ですが、最近もしかしてセリアック病なんじゃないかと考えだしました。セリアック病による自己免疫不全でお腹の具合が悪く、小腸から栄養が吸収できないということなのかもしれません。糖尿病の併発も多いようで、結局は低血糖症で言われているのと同じ現象が発生し、治療法もほぼ同じとのことです。将来的にここらへんが統一的に説明がつくようになるのかもしれません。
(またまた追記)
セリアック病のテストではネガティブでした。ただセリアック病を疑うのと前後して、ハーフマラソン後に誤って飲んだオレンジジュース(炭水化物30g)で体が発狂(痙攣と胃腸障害)したので炭水化物不耐性なのだろうなと思います。炭水化物不耐性→現象としての低血糖症という感じです。
夜のうちに通り過ぎた台風は一気に夏になってしまったかのような晴天をもたらした。何処にも見当たらない雲。まぶしい太陽。そして嘘っぽい青い空。本当にきれいに晴れ渡った空はまるで青い天幕を張り巡らせたかのように現実味が薄い。いつものように遅く起きだした僕はコントラストの強くなった景色の中を歩きながらあやふやな記憶の糸を辿っていた。
はっきりと思い出すことは出来ないのだけれど、その日は夏の終わりを告げるような涼しい風が吹いていて、寮に住んでいた僕は夕飯も風呂も済ませて手持ち無沙汰にしていたはずである(そう、この頃の僕はいつでも手持ち無沙汰だった)。そして何故か売店の前にいた僕にたまたま通りかかった彼女が話し掛けた。もしかすると、通りかかったのは僕の方かもしれないし、話し掛けたのも僕かもしれない。何故こんなにも覚えていないかというと、彼女のたった一つの台詞の印象が強すぎたからだろう。
空を見上げながら彼女はそういった。つられて見上げた空は確かに紫色をしていたけど、ファンタというには淡すぎて、僕はその発想の突飛さに笑いながらそうかなぁと疑問で返したような気がする。彼女は手に使い捨てのカメラを持っていて、僕もフィルムに収めたいと思ったのだけれど、カメラを手にしているわけもなく、部屋まで取りに行ったとしても風景の一部として切り取れるような場所がないと考えて諦めた。そして何より、彼女との会話を打ち切るようなことはできなかった。
それから今まで、鮮やかな夕陽にレンズを向けたことは何度かあるけど、あの日に見たような不思議な紫色の空を見ることはないし、空の色をファンタグレープにたとえるような、そんな人に出会うこともできないでいる。僕が未だに写真を撮りつづけているのは、いつかあのファンタグレープ色の空をフィルムに写しこむためだ。そして、もしかすると、僕はそんな表現をする人と出会うために生きているのかもしれない。