はてなキーワード: 記念日とは
とても長くなります。
誰にも相談できないことなのでこちらで吐き出させていただきます。
私と彼は同い年(23)で付き合って2年記念日の11月に入籍を予定していて、多分2ヶ月後の誕生日にプロポーズされるかな、
なんの問題もなく結婚の話が進んではいたが、本格的な実感が湧くにつれて彼には話していない私の家庭の問題を伝えるべきか悩んでいる。
まず私は幼少期から地方の母子家庭で育ち一つ年上の姉がいる。その姉こそが彼に秘密にしている大問題。
姉は子供の頃から勉強がとても苦手ではあったがコミュニケーション能力や運動能力が抜群で自慢の姉だった。高校生になると非行や校則違反で悪目立ちするようになり次第に苦手意識が強まった。母が忙しく私が寂しがっているときには、色々な場所に連れて行ってくれたりずっと遊んでくれて大好きな姉だった。
沸点が異常に低く怒ると手をつけられなくなるところ以外大好きだった。
姉は高校卒業と同時に寮付きの職を見つけ都内に上京した。だがそこで同僚とトラブルを起こし3年で退社。頻繁に連絡をしていたため次の仕事が見つかるまで水商売でやりくりしていくと連絡を受ける。その後そこまでの心配はしておらずしばらく放置していたらホストに入れ込んで貯金全部なくなった。キャバクラを本業にする、ってことで私も母も大反対したものの言うこと聞かず…
またしばらくすると「絶対返すからお金を貸してほしい」とのこと。話を聞くとホストに入れ込み期限以内に入金しないとヤバいことになると言われ私も母も焦ってお金を貸してしまう。
(私30.母50)
そのようなことが頻繁に続きいよいよ姉がマズいと思い、私も仕事を辞め上京し姉と暮らし生活を正していこうとした。
実際姉と暮らし始めて楽しい事も多かった女友達みたいに夜通し恋話したり飲んだり遊んだり、けど知らないうちに姉の借金が増えてて生活正すどころか私まで水商売に入れられ、昼の仕事と掛け持ちしながら姉の借金返していった。
姉は気性が荒くて、謎ポイントでブチ切れて包丁持ち出したり暴力振るってくるからビクビクしながら生活してた。生活費催促すると暴力振るうから何も言えなくなった。姉は私に甘えすぎたせいで借金増えていつのまにか風俗嬢になった。
このままじゃ共倒れすると思ったし、私がいる事で負の方向に向かっているのがわかったから、姉が仕事行ってる間に荷物引き払って引っ越した。
・私が姉のせいで水商売をしていた事
他にも到底人には言えないような姉の問題が多くあります。これらのことを婚約者に伝えた方が良いのではないかと思い始めてきました。
結婚式は挙げる予定だが姉は呼びたくない。
顔合わせや親戚付き合いにも参加させたくは無い。(驚くほど沸点が低いのでどこでブチ切れ出すかわからない)
やはり結婚をするとなると家族同士の付き合いとなり、お相手からすると姉を呼ばない不信感や疑惑を持たれてしまうと思います。そしていつかはバレてしまうのかと思います。
全てを曝け出さないとは言えボカした伝えたりするべきなのでは無いかと、彼と一緒にいて心苦しくなります。
幸せいっぱいな家庭で育った彼には衝撃を与えてしまい最悪、破談も仕方がないと受け入れる覚悟はしています。
やろうと思えば姉のことを伝えず結婚することができると思いますが、誠実に向き合いお伝えしなければいけないのではないかと思い始めました。
また母も「申し訳ない、今回万が一破談になるようなことがあれば姉とは縁を切る」と言ってくれています。
彼も素敵な人なので受け入れてくれるかとは思いますが、もしそうでなくても責めたりは決してできません。
私が逆の立場なら時間を貰って考えてしまうと思います。いくらでもクリーンで穏やかな家庭に越したことはないですからね。
姉は今この時もホストに貢いで借金は増え続けている事でしょう。その債務が家族に来ることは無いと思いますがやはり心配です。
これ以上なにも手助けはしてやれませんが…
そして恐らく姉は精神障害、学習障害があります。本人は開き直ってはいますが決して病院にはいきません。(お願いすると殴られます)
また本当に障害があったとしてそれにあぐらをかいてしまうことが分かっています。
私も母も諦めています。
大きなトラブルを起こしたり、これ以上借金が増える前に死んでくれたら…とも思ってしまいます。
話しが二転三転してしまい申し訳ありません。姉についてのことをプロポーズされる前に彼に伝えるにはどこまで言えば良いでしょうか。
とても長くなります。
誰にも相談できないことなのでこちらで吐き出させていただきます。
私と彼は同い年(23)で付き合って2年記念日の11月に入籍を予定していて、多分2ヶ月後の誕生日にプロポーズされるかな、
なんの問題もなく結婚の話が進んではいたが、本格的な実感が湧くにつれて彼には話していない私の家庭の問題を伝えるべきか悩んでいる。
まず私は幼少期から地方の母子家庭で育ち一つ年上の姉がいる。その姉こそが彼に秘密にしている大問題。
姉は子供の頃から勉強がとても苦手ではあったがコミュニケーション能力や運動能力が抜群で自慢の姉だった。高校生になると非行や校則違反で悪目立ちするようになり次第に苦手意識が強まった。母が忙しく私が寂しがっているときには、色々な場所に連れて行ってくれたりずっと遊んでくれて大好きな姉だった。
沸点が異常に低く怒ると手をつけられなくなるところ以外大好きだった。
姉は高校卒業と同時に寮付きの職を見つけ都内に上京した。だがそこで同僚とトラブルを起こし3年で退社。頻繁に連絡をしていたため次の仕事が見つかるまで水商売でやりくりしていくと連絡を受ける。その後そこまでの心配はしておらずしばらく放置していたらホストに入れ込んで貯金全部なくなった。キャバクラを本業にする、ってことで私も母も大反対したものの言うこと聞かず…
またしばらくすると「絶対返すからお金を貸してほしい」とのこと。話を聞くとホストに入れ込み期限以内に入金しないとヤバいことになると言われ私も母も焦ってお金を貸してしまう。
(私30.母50)
そのようなことが頻繁に続きいよいよ姉がマズいと思い、私も仕事を辞め上京し姉と暮らし生活を正していこうとした。
実際姉と暮らし始めて楽しい事も多かった女友達みたいに夜通し恋話したり飲んだり遊んだり、けど知らないうちに姉の借金が増えてて生活正すどころか私まで水商売に入れられ、昼の仕事と掛け持ちしながら姉の借金返していった。
姉は気性が荒くて、謎ポイントでブチ切れて包丁持ち出したり暴力振るってくるからビクビクしながら生活してた。生活費催促すると暴力振るうから何も言えなくなった。姉は私に甘えすぎたせいで借金増えていつのまにか風俗嬢になった。
このままじゃ共倒れすると思ったし、私がいる事で負の方向に向かっているのがわかったから、姉が仕事行ってる間に荷物引き払って引っ越した。
・私が姉のせいで水商売をしていた事
他にも到底人には言えないような姉の問題が多くあります。これらのことを婚約者に伝えた方が良いのではないかと思い始めてきました。
結婚式は挙げる予定だが姉は呼びたくない。
顔合わせや親戚付き合いにも参加させたくは無い。(驚くほど沸点が低いのでどこでブチ切れ出すかわからない)
やはり結婚をするとなると家族同士の付き合いとなり、お相手からすると姉を呼ばない不信感や疑惑を持たれてしまうと思います。そしていつかはバレてしまうのかと思います。
全てを曝け出さないとは言えボカした伝えたりするべきなのでは無いかと、彼と一緒にいて心苦しくなります。
幸せいっぱいな家庭で育った彼には衝撃を与えてしまい最悪、破談も仕方がないと受け入れる覚悟はしています。
やろうと思えば姉のことを伝えず結婚することができると思いますが、誠実に向き合いお伝えしなければいけないのではないかと思い始めました。
また母も「申し訳ない、今回万が一破談になるようなことがあれば姉とは縁を切る」と言ってくれています。
彼も素敵な人なので受け入れてくれるかとは思いますが、もしそうでなくても責めたりは決してできません。
私が逆の立場なら時間を貰って考えてしまうと思います。いくらでもクリーンで穏やかな家庭に越したことはないですからね。
姉は今この時もホストに貢いで借金は増え続けている事でしょう。その債務が家族に来ることは無いと思いますがやはり心配です。
これ以上なにも手助けはしてやれませんが…
そして恐らく姉は精神障害、学習障害があります。本人は開き直ってはいますが決して病院にはいきません。(お願いすると殴られます)
また本当に障害があったとしてそれにあぐらをかいてしまうことが分かっています。
私も母も諦めています。
大きなトラブルを起こしたり、これ以上借金が増える前に死んでくれたら…とも思ってしまいます。
話しが二転三転してしまい申し訳ありません。姉についてのことをプロポーズされる前に彼に伝えるにはどこまで言えば良いでしょうか。
三十路になったのを機に、結婚したいなと思って結婚相談所に登録して出会った人と付き合った。
付き合ったはずなんだけど、色んなふわふわした問題があってこのまま進めていいのか分からなくなってしまった。
・30歳
・年収500万くらい
・30歳
・顔は中の中、可もなく不可もないが私の好みではないかもしれない
・年収800万
少し私の話をすると、中学、高校、大学、社会人と彼氏が途切れたことはほとんどなかった。幸運なことに男関係で苦労した事がなかったように思う。
20歳を超えたあたりから付き合った人とはそれぞれ3年以上付き合ってきたし、プロポーズもされていたから、自分の市場価値はそこそこあると思っていた。
なぜそのプロポーズを受けなかったのかというと、私は高校大学と奨学金をもらっていて、その返済が残っていたし、奨学金は自分で返すつもりでいた。だから返済残額が100万円をきる30歳までは結婚はしないと決めていた。
仕事も順調だったし、独身仲間との貴族的な遊びも「結婚はまだいいや」と思わせる材料の一部だった。
そして気付いたら三十路になっていた。
会社の同期は早々に結婚して子供もいるし、予定通り奨学金も来年くらいまでには返せそうだ。
周りには出会いがないし、ここは思い切って結婚相談所に頼ってみよう!と思い立ち、「まずは話を聞きに行こ」と思って聞きに行った某結婚相談所で煽てられ、あれよあれよという間に登録が完了していた。
その例の彼氏(的な人)とは、某結婚相談所に登録して1ヶ月目に出会ってお茶、その1週間後に仕事終わりに晩御飯、そのまた1週間後に休日ドライブデートした。
ドライブデートの帰り際に「好きだから付き合ってください」と言われてOKした。
晴れてお付き合いということになったのだが、ここに来て困っている事や謎な事がある。
謎その1
えっ、高校生の悩みかな?って思っちゃうけど、付き合って数日なのに1日のLINEの件数は1-2往復程度。しかも未読無視の時間が平気で8時間とか。
年度末および年度始めで仕事が忙しいとか、そもそも仕事中は携帯を見れないのかもしれないけど、移動中とかトイレ休憩の時とかランチの時とか、返せるだろ。と思ってしまう。
私としては即レスはしなくていいものの、2-3時間起きにLINEできたら楽しいのにな、と思っている(けど言えない)。
謎その2
1ヶ月記念日に温泉旅行行きたいと言われた。これってさ、ぶっちゃけ心と毛の準備しとけってことでOK?
謎その3
私の身長167、普段はヒールを履くので外では170cm越えの女。
かたや彼の身長は165(自称)。なので外を歩くと私の方が背が高いという現象が起こっている。
私個人としては自分の好きな靴を履きたいし、彼氏が私より低身長でもぜんぜん構わないのだけど、一般的に男性はそういう所を気にするのかな?とふと思った。
彼にコンプレックスがあるのなら、ほじくる様な事はしたくないし。
しれっとペタンコの靴を買いに行けばいいのかなぁ。似合わないからあまり乗り気じゃないんだけど。
謎その4
どの程度かと言うと、室内だと「…おや?」と感じる程度。
今は手術もサクッとできるし、ワキガで良い事ひとつも無いと思うから是非手術してほしいんだけど、これも彼のプライドを傷付けるような気がして言い出せない。
どんな方法でお知らせするのがいいのか、誰かアドバイスください。
愚痴です。
基本的に、複数キャラでいろんな人と遊ぶプレイスタイルでしたが・・・いまはほぼ相方としか遊べていません。
・一緒にいる鯖以外のキャラで遊ばないでほしい。(他の鯖に行く場合は申告する。帰ってくる時間を言う。ただ、これを守って遊びにいったがずっと機嫌が悪かった。半年前だが未だに言われる。)
・他の鯖のキャラの話はツイッターでしないでほしいと言われた。(する場合は別垢をつくりブロックするため連絡して欲しいと言われた)
・何かやりかけでも、急ぎでなければ自分に会いに来るのを優先する(以前、しなかったのを根に持っている。ツイッターでいう。装備強化より自分を優先するべきらしい)
・自分が知らないフレと接触しないでほしい(さんざんグチグチ言うので元々別鯖で知り合いだった人達のフォローをはずしました。)
・記念日のSSはアップが一日あくと、不機嫌になり、どうせ特別に思ってないと言われる。(寝落ちギリギリまでインしてるの平日はアップする余裕がない)
・忙しくてインが遅くなると、その分ゲーム内納品物がいくつできたか報告される。
・休日が被った場合、できるだけ午前中からイン。してない場合はツイッターで「まだ寝てるのかな」って呟かれる。放って置かれていると愚痴る。
・基本的に否定的なことを言うのはNG。肯定がベストだが、嫌味に取られる事がある。(機嫌しだい。)
・別の鍵アカに、自分への愚痴と誹謗中傷をしてるらしい。(内容が見れないので不確か)
キャラは気に入ってるし、思い出もたくさんあるし。
まあ、相方解消すればいいんだけど、解消したらキャラ削除しましたとかのあてつけと、こんな酷いことをこの人にされましたみたいなのを言いふらされるのが怖い。してないことまで言われそう。
実際、前に仲良かったひとと、ちょっと意見ぶつかっただけで逆上して、ブロックののちずっと悪口いってたから、こうなるんだろうなって。
正直、ずっとこっちが悪いみたいな言われ方しかしないし、まわりはだいたいあっちの味方だしで、
よくわかんないというか、思考が停止して、うんうんって聞くだけになってる。
せっかくのオンラインゲームなのに、いろんな人といろんな遊びがしたいだけなのにな。
書きたいだけの愚痴でした。
アイドルマスターシンデレラガールズが僕の中で終わってしまいました。大雑把に言うと、運営やキャストよりもこのコンテンツが好き過ぎたのだと思います。
モバマスを遊び始めたのは新聞記者やってて過労で倒れ療養生活を送っていた2014年春。その後資格取得のための大学再入学や現職への転職を経ながらやり続け、2017年からライブにも行き始めました。昨年11月の7thツアー名古屋が本当に夢のようでそこからはかなり本格的に。復刻イベントやデレステからのイラスト逆輸入など縮小路線は目に見えていたので、少しでも延命できればと、12月はガチャじゃぶじゃぶ回しながら全イベ上位入賞しました。他にはデレステも面白いけどモバマスもいいよって意図的につぶやくようにしたり、名刺作って選挙活動したり。永遠に続くものはないと理解しながらも、出来る限り続いていて欲しいと思っていました。
年末年始にかけ、5人のキャストが結婚を発表し、そんな中モバマスでも今後サービスが縮小される旨のリリースがありました。個々のご報告に対しては、同世代の結婚に焦りを覚えつつも、祝福の気持ちで一杯です。またサービス縮小に関しても、JAMやヒストリー等、モバマスでしか出来ないことを利益出る形で継続する意思の表れと感じ好意的に受け取りました。
しかし、ビジネス、コンテンツの継続という観点からみるとどうでしょうか。ドル売りしていたキャストが結婚を発表したことは売上の減少に繋がれど、プラスに働くことはないでしょう。祝福のコメントはすれども、アクティブユーザーが少しずつ減っている流れは加速すると思います。亜美菜さんの結婚が7th幕張で好意的に迎え入れられたことを踏まえてのこの年末年始のご報告ラッシュなのでしょうが、だから大丈夫だろう、まとめればヘイトが分散されるだろうという思惑が透けて見える点も非常に引っかかりました。AKB商法はじめ、ドル売りをするからって人としての幸せを求めてはいけないのか、って議論はありますが、夢を見せるのをやめるけど変わらず応援してね、ってのは都合が良すぎると感じます。自身、ガチ恋ではないと思いつつも、1%もそういう気持ちがなかったかというと否定はできません。ここら辺、ビジネスとしては駄目だろって判断をできなかったのか、した上でゴーサインを出したのかはわかりませんが、可能性に思い至らないわけはなく、コンテンツに見切りをつけられたと悲しくなりました。
アイドルマスターのユーザーはファンではなくプロデューサーと呼称し、より主体的に作品世界へ没入します。キャラクターの物語、キャストの歩んできた道、ライブを経ることで曲に蓄積されるメッセージ性、それを楽しむプロデューサーの思い。それらが重層的に絡み合うことがこのコンテンツの魅力でした。だからこそ、その終わりの合図を「現実を見ろ」と言わんばかりにこうした物語世界の外側から持ってくるのは最悪の手法だったと憤っています。
12月にはアニバーサリーイベントがありましたし、7thツアーは2月まで続きます。もっと丁寧な魔法の解き方は確実にありました。令和最初の年末年始って記念日のためなら人はなりふり構わなくなるんだなって人間の性は微笑ましくもあり、プロなんだからちゃんとやれやとも思います。
冒頭に書いたように、これは僕がアイドルマスターシンデレラガールズという世界を好き過ぎたからこその思いであり、当然キャストは自身の幸せを優先する権利があるでしょう。キャラと心中しろと言うのは酷な話です。それでも、強制的に12時を回らせる形でシンデレラの魔法を解いて欲しくはなかった。だから僕は引退します。
きょうの朝、父から電話が掛かってきた。 実家の愛犬が旅立ったという電話だ。 8時15分に旅立った、と。 もうみんな覚悟はできていたと思う。 12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。 そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。 わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。 しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。 家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。 その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。 私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。 彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、 それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。 実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。 「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。 その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。 実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。 犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。 後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。 どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。 それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。 「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。 私もただ「分かった」と言うしかなかった。 しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。 「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」 なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。 それから3日、愛犬は頑張った。 幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。 だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。 だからもうみんな分かっていた。 予想はできていた。 でも、悲しい。 最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。 でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。 安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。 自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。 あの子が死んだのはとても悲しい。 でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、 とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。 もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。 それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。 年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。 今日はクリスマスイブ。 みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。 でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。 誰かの記念日は、誰かの命日でもある。 こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。 それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。 とりわけ、子どもにとっては。 メリークリスマス。
8時15分に旅立った、と。>
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>
<しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。>
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。>
<実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
<実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。>
<「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。>
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
予想はできていた。
でも、悲しい。>
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
8時15分に旅立った、と。
もうみんな覚悟はできていたと思う。
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。