はてなキーワード: 眩暈とは
どこかは伏せるけど有名なところね。
最近絶望感とか気落ちが半端なくて、かといって衝動的に泣きそうになるのも飽きてきてた。
少し体動かしてるとまだいいんだけどね。
もうこの先ないのかと思って絶望感がいっぱいなの。
こんな状態に自分がならないように頑張ってきたけど、もう限界とか初めて思った。
いい加減よくならないかな、これってうつ状態だよな、と思ってGoogleで「うつ 良くなる」で検索したら
今回行ったメンクリが出てきた。うは、俺とうとうこの年にしてメンクリデビュー。
待合室とか個室になってるのかと思ったけど、ふつーの待合室っぽい空間にソファーがオシャレというか、人と目が合わないように配置されていた。そうそうメンクリまでのビル内の塗装もなんか気持ちいい感じの森の絵が壁いっぱいに描かれてた。
予約して行ったから初診の患者さんには絵を描いてもらってます、って白い紙と鉛筆渡された。
ここで気づいたけど絵心ナッシン。子供の頃あんなに好きだったのに今見たら全然絵って描けないのな。
へったくそな絵を描いて受付のお姉さんに渡した。
周りの患者さん見ると、まあ気弱そうな人とかおかしな恰好した人が来てるのかと思いきや
メンクリに対して偏見があったんだろうけど、風邪で内科に行くのと微塵にも変わらない雰囲気。
ただし患者同士は目を合わせない。みたいな。
異常なまでに人当たりよさげというか、商売人のようなうさくさげな医師が座ってて
こいつがマスクしてるのにぼそぼそと話してるから何を話してるのかわからない。
メンクリの医師って位だから初対面で安心感とかあるもんなのかと思ったけど普通に考えてもそんな事なくて、
普通に淡々と状況を話して、治療方針は投薬だけじゃなくて投薬+カウンセリングにすることにした。
カウンセリングがマッサージ屋並みにたけえwwいい商売ww とか思ったのは内緒。
カウンセリングメインで治って行きたかったけど、投薬でよくなる人もいるのは知ってたのでお守り程度の薬も頂くことにした。
最初常薬出されかけたけど、常薬飲む程自分がセーブできていないつもりはなかったので
頓服の処方を希望。頓服も最初中度に強いのを出されそうになったんだけど、出来る限り弱いにして出してもらった。
とりあえず話は通じてるようでよかった。
副作用(眩暈。意識混濁)とか超怖いのでもらった薬は休みになる昨日の夜就寝前まで飲まなかったけど
昨日飲んで今朝目が覚めて世界が随分変わってた。
記録代わりに箇条書きしていく。
・ 睡眠時間が大体3時間から4時間で目が覚めてたのが8時間寝られた。テラ寝坊www
・ 朝起きた時のどうしようもない不安感とか絶望感というのが無いのが久しぶり過ぎて、これがふつうだったのとか忘れてた。
・ 朝の動きが遅いのはあまり変わらないんだけど、気持ちがいいからいつもよりも動けちゃう、ウハ。みたいな。
・ 朝食が気持ち悪くていつも野菜齧ってそれで一杯、って感じだったんだけど、今日はパンに目玉焼きにカリカリベーコンに味噌汁までつけてしまった。
・ 首の凝りというか、首を回したときの違和感があったんだけどそれが随分軽くなった。これって心理的なものだったのか。
・ 首に伴って目の周りの筋肉も元気になったみたいで、目がいつもよりも大きく開いている気がする。
・ 頭の左側が軽い。どう表現すればいいのかわからないけど血が滞ってたのが一気にそっちに流れ込んでいるというか。
・ 呼吸がしやすい。鼻の奥の方が重力で落ちてて呼吸がしづらい感じがずっとあったんだけど、昨日までの呼吸は何だったのって位
息するのが楽。
・ 物事するのが億劫だったんだけど、てきぱき動けてる。
新しい事があった時、今の状態をどこかに書き留めておこうかな、って思っていつもそのまま忘れちゃうんだけど
すくなくとも増田を開いて書き出す位にやる気が出てる。(普段はEvernoteに書くのも億劫。ひどい。)
・ とにかく頭がクリア。普段うつっぽくなる前から集中するためには少し作業して2,30分位経った後に頭の中が動いている感じがするけど、
そんなエンジン温めるような時間なしで、最初から集中状態がデフォルト。
でもいい事ばかりじゃなくて
・ 食後少ししてから眠さがぶり返してきた。⇒強めのコーヒー飲んで15分位寝たら、さっぱり収まったけど。
・ ちょっと視界が落ち着かない感じはある。。かも。
という感じ。今これ書いているので投薬後12時間。いつになったら効果がなくなるのかは不明。
結局何が言いたいかっていうと、
うつだの、気落ちしてる状態だの、そのうち良くなる、と思ってほったらかしにしてたんだけど、
薬を飲んで、たまたまその薬が体に合ったから一日でこんなに劇的によくなってる。
うつとか気づく前、億劫に感じるより前は、健康に動けてたし考えられてたし、何より楽しかったかを思い出した。
少々の疲れはしょうがないけど、本当に体が疲れてるのか心が疲れてるかのジャッジが出来てなくて、
体は元気なのに心が元気じゃなかったせいでもったいない時間の使い方しちゃってたなと。
薬に頼らない生活にしたいけど、今日の自分だけ省みてると行ってよかったなって思ってる。
また辛抱堪らなくなったら飲むけど、暫く大丈夫そう。
フェイスブックやっていたら、たまたま中学時代の同級生を発見してしまった。中学時代の友だちなんか殆ど連絡が途絶えていて
当時の記憶が蘇ってきて変な気分になった。もう10年以上経ってる。
その人は地元に居てサークルのようなものをやっていて、そこでやってるメンバーも4~5人
知ってる同級生だった。あっという間に「うわー」となり、眩暈がしてきてしまった。
というのはその中にAというのがいて、当時ペッティグをし合ったそういう深い仲で、時々あのA今何してるんだろ
と2~3年くらいにいちど忘れた頃に頭をよぎる。
Aは当然老けていた。
Aはサークルに入って何かするようなキャラじゃなかったから驚いたし、地元を離れてるか、
そうじゃなくても中学時代の友だちと一緒につるんでる事が何より意外だった。
Aの現状を知ってしまった今どうやって複雑な感情を処理するか悩んでいる。
A一人だけならそんなに難しくないのだけど、上述のように同級生とネットワーク化してるので
こちらの弱みを握られているというか、立場が劣位に感じられて、この現状を打破したい。
9月30日、母が死んだ。酔っぱらって衝動的に自殺したっぽい。
部屋は綺麗だった。昔からきれい好きだし。一軒目は何処で飲んだのか未だに不明。部屋にも酒は無かった。
とある出禁の店に泥酔状態で行って追い返されて、警察に保護されて深夜の2時頃に自宅に返された。その3時間後に海で見つかった。
その日の朝9時頃地元の警察から電話がかかってきた。最初は前の日に話をした地元の友達かと思った。俺の会社で働いていて色々な人から金を借りて逃げたからだ。半年ぶりに連絡がついてそしてそれを凄く怒った。金のことも怒った。本当に自分もびっくりする位怒ったのでびっくりして警察に駆け込んだのかと思って電話を出た。
海で遺体で上がりました、と警察。頭が真っ白になるってこの事だったんだ。
電話を切って結構ボーとしてた。月末で仕事もまあまあ忙しかった。
近所の公園をふらふらしながら離婚した親父とか、母の弟とかに電話した。人嫌いで親戚・友達づきあいは殆ど無かったから連絡はこれで事足りる。
ボーっとしすぎってチケットを取ったのは夕方だった。すぐに電話すればすぐに帰れたのにボーっとしてしまった。
母とはずっと疎遠だった。ヒステリックで酒乱で本当に嫌だった。
帰ったのは17の時に上京して友達が事故った20歳くらいの時、じいちゃんが死んだ22歳くらいの時、あとは半年くらい前。
近所の習い事の先生に酔っ払って「俺君を返せ!隠してるんだろ!」と。
更に飲み屋で俺の同級生に金を借りて飲んだ事も聞いた。
酔ったら俺に電話してくるのもやめて欲しかった。当たり前のように100回以上は電話が鳴った。留守電もいっぱいになった。
鍵を開けて入っていくと久しぶり過ぎてびっくりした後に大泣きして土下座して謝っていた。痩せていて、老けていた。
部屋を見てみると綺麗にはしているがカップラーメンばかり。薬も色々な種類の薬(うつ、糖尿、痔、等)を飲んでいる。
これはやばいなと思った。
ホテルの厨房で働いていたから飯はめちゃくちゃ旨い。なのに何でカップ麺ばかり食っているのかと軽く怒った。
んで東京に住むか、と誘った。でもずーっと住んでいるこの地が良いらしい。
素面の時ならいつでも電話しろと言った。素面でもこの何年かは話が通じなかった。
内容としては、
・金はあるのか?
・何でそんなに高いマンションに住んでるのか?
・やくざになったのか?
・誰を頼って東京に行ったのか?
等。
母の中では金持ち=ヤクザらしい。儲かったってヤクザなんてやらないのに。
なので一度でも俺の会社を見て欲しかった。色々とやっていてひとつひとつ見せながら説明したかった。
そこで2時間位で家を後にした。
そんな事が前にあって、飛行機に乗って帰り、警察が空港に迎えに来ていた。
母の死体が警察署にある。当然見ることになる。隣には一緒に来てくれた彼女がいるけど、ずっと緊張、というか過呼吸になりそうな感じだった。なったことはないけど。
上記に書いた時系列を説明してもらい、発見地点など地図に書いてもらった。
母と対面した時には冷たくなっていた。冷蔵してるし当たり前かと考えていた。
1分ほど見つめて、後にした。司法解剖に行くことになった。事件性の有無を調べるためだ。
でも俺はそんなものは無いと思ってるし今でもそう思っている。それは間違いない。
地元の街中の殆どの店を出禁になり、飲む所がない。1件だけあってそこによく行っていたようだ。葬式にもいきなりそこのママが来てくれた。
その後隣町の実家に帰った。ひどく部屋は綺麗だ。いつも通り。
彼女が台所を見て言った。歯磨きに俺が小学生の頃に作った焼き物の湯のみを使っていた。そこでその日初めて泣き崩れてしまった。前の日にも彼女の胸で泣いた。泣き顔は5年のうちで初めて見せた。
家中探してもやっぱり酒を飲んだ形跡はない。やっぱり何処かで飲んだんだ。未だに判明してないけど。
とても自殺した人の家とは思えないくらいに綺麗で、色々と行き届いていた。生活感もあった。
ふと思った。冷蔵庫を閉めた後に。ちゃんと色々買って自炊している。言うことを聞いている。カップ麺は一個もない。
携帯電話を見た。全く何も入ってない。俺の携帯に電話をしてみた。鳴らない。通話ができません、と。
他の携帯にかけてみた。鳴った。どうしようもない気持ちになった。
母は俺に迷惑をかけまいと俺に電話できないように設定していた。
でも10日前くらいに公衆電話から電話があった。病院からかけていると。
何で携帯からかけて来ないのか不思議だったけど、特には聞かなかった。これで謎は氷解した。
その電話の時もやはり話題は誰を頼って東京に行ったのか。前までは素面でも話が通じなかったけど、多分今回の電話は電話する理由が欲しかったんだと思う。ちゃんとそこは説明している。
それが最後の電話になった。もっと話しておけば良かったと眩暈がするくらい後悔してる。
というか、親孝行をもっとしたかった。これは一生後悔し続ける。
日本中の殆どの人が、世界中の人かもしれない。日常的に言っている「親孝行は生きているうちにしておけ」と。
何でそんなことが、そんな簡単でいつでもできることが俺には出来なかったのか。
いつかは思う存分孝行しようとしていた。というかその時期だった。
ある程度東京でも成功し、月収も1000万を超えた。なんでもできるはずなのに。なんでだろう。そればっかり考える。
ビジネスは成功して、親孝行は失敗する。親孝行のほうがはるかに簡単でいつでもできるのに。
俺の存在意義を疑う。何の為に生まれてきたのか。
小学生になる前にはママ、ママと呼んでいつもおやすみのキスを求めていた。
小学校低学年になったら取っ組み合いの喧嘩をするようになった。習い事も初めて色々な賞を取って喜んでいた。
小学校中学年は他の習い事も始めた。その習い事は世界大会でベスト3に入るまでになった。本当に誇りだっただろう。
小学校高学年は両方の習い事でグングン伸びて全国をかけめぐっていた。これは中学校も続く。ママと呼ぶのが恥ずかしくて母さんと言うようになった。
中学1年になって初めて喧嘩に勝った。蹴りがみぞおちに入って唸ってうずくまってしまった。これからは手加減しないとまずいと感じた。
中学2年は包丁を投げられて必死でかわした。この頃からお前というようになった。毎日夜遅くまで友達の家で遊んだり泊まり歩いたりが始まった。
中学3年は同上。もっとひどくなっていった。
高校1年制は不良友達のたまり場になった。6畳の部屋に10人はざらだった。彼女もできて家には殆ど帰らなかった。
高校2年制は停学3,4回目で首になった。もうこの頃はほぼ帰らなかった。母が知っている友達の所にいるといきなりやってきて窓を全力で開けて叫び始めるからだ。
溺愛されていた。でもその愛情の表現の仕方が本当に常識とかけ離れていた。俺もわかりつつも心から嫌いになっていった。
17歳の時に求人誌を取り寄せて片道の飛行機代で上京した。本当につらい毎日だった。
家の引き出しを見てみるとその頃に振り込んでもらった振込用紙が出てきた。勝手に出ていったくせに。俺に関連するものはどんなものでも綺麗にとって置いていた。
アルバム、学校の通知表、習い事の全国のおみやげ、インテリア、載った新聞の切り抜き等。
彼女も溺愛しているのは簡単にわかると言っていた。友達達も溺愛しているのは言うまでもないと。
俺の為だけに生きていた。99%。それ以上かも知れない。
生活保護を6年ほど受けていた。俺は生活保護の手紙みたいなものを受け取ったが関わりたくないので面倒見切れませんと返信した。
引き出しには通帳が入っていた。
6年間で120万程度貯めていた。実際使えるお金は6万程度なのに。光熱費とか食費とか色々あるのに。その中から月に15000円以上も貯めていた。
よく見てみると、大きい買い物はテレビだけだった。チラシも、領収書も入っていた。俺に言ってくれればそんなものすぐに、もっと大きい、もっといいものを買ってあげるのに。
もっとよく見てみると、服も、布団も、何も新しいものがない。全部見たことがあるものばかり。
何を楽しみに生きてきたのか。
涙が止まらない。
今日の朝、いらないものは全部捨てた。捨てるのを迷うものばかりだ。
全部持って帰りたい。
このまま部屋を借りるかどうか迷う。
全部このまま残したい。
今もまだ考えている。
形見と呼べるものは少ない。
遺体が発見された時も小銭入れと、部屋の鍵とタバコだけだ。今乾かしている。
取っ組み合いの喧嘩をして父親替わりもしてくれた。
全ては俺が最後まで素直になれなかったのが原因だ。
東京に来いといったが完全に命令口調でいった。
久しぶりに会ったからと肩でも揉んでやればよかった。
東京に来て生活するよりも、そのほうが嬉しかったかも知れない。
会社の人間には言ってない。下手な気を使わせたくない。俺も気を使われたくない。
1年間は何も言わないつもりだ。
うつでアル中で親の事を好きだけど素直になれなくて、でも何かしてあげたい人の為に。
もう俺みたいな一生後悔するような事は誰にもさせたくない。
今日さっきまでお通夜だった。母だけの知り合いは一人だけ。上記の唯一飲みにいける店のママだ。
そこでも喧嘩して出禁になりかけたらしい。でも素面に戻って飲む所がないと泣きついてきたらしい。
大人たちが帰って、地元の友人10人程度で飲んだ。こんなに皆が集まるのは高校生以来だ。腹を抱えて笑った。ずっと皆で笑ってた。母もそのほうが喜ぶだろう。
このまま保存できるならずっと保存したい。ずっと一緒にいたい。俺が死ぬまで一緒にいたい。
でもそんな事は叶わないから焼く。
生き返るなら全財産出しても借金してもいい。そんな気持ちになったのは初めてだ。その為に人生を賭けてもいい。
本当に母が好きだった。なのに優しい言葉をかけたのは記憶がない。
どれだけ母は俺の優しい言葉を望んだだろうか。
別れた父もお通夜も来なかった。母の弟は遠くで死ねばいいのにといった。完全に回りの鼻つまみものだった。
俺もそういう気持ちだったはずだった。なのに何でこんなに愛おしくなるんだろう。
金を稼ぎたかった。だから親は後回しにした。でも本当にいい暮らしをさせてやりたかったからなのに。
増田はいつも見ていた。でも俺が書くとは思わなかった。たまにホッテントリで見るくらいなのに。
でも何処かに吐き出したかった。今の気持ちも忘れたくなかった。だからこの場を借りる。
【追記】
本日、火葬を無事終えました。本当にありがとうございました。お骨ってあんなにもろくなるものなんですね。
・爺ちゃんが亡くなって10年近く経つんだけど、亡くなってからずっと行っていなかったお参りに今年は2回も行っている。
・今年の7月頃親友のお母さん(母の同級生でもある)に素面で電話して、出なかったので役所で働いている旦那さんにまで電話をしている。同級生と久しぶりに話したかったのか?
とか色々。
何らかの予感があったのかも知れない。
20代女性です。私はipodがないと不安なんです。音楽をいつもボリゥムを最大にしてイャホンで聞ける状態でなければ電車に乗ることができません。出掛けに忘れたりする事があってとても不便な思いをします。その場合はたとえ約束があっても取りに戻ります。そうしないと音楽をイャホンで聴いていない状態で外出を長時間続けると背中やこめかみ足の裏掌に汗をかいてきます。不安で顔を上げることができません。なるべく他人に見られないように脇をしめて肩幅を縮めて両肩のラインより後頭部を上に出さない心持ちで早足になっていきます。そうして早くこの状態から逃れるためにipodのところへ向かいます。この時が最も危険で心臓の鼓動も早くなり耳鳴りと頭痛で倒れそうになってしまいます。光の粒が頭の周りを囲むようにたくさん浮遊しながらジグザグに降りてきます。その数が段々増えてくるとまた動きも早くなり、見てはいけないと思いながらもつい目で追ってしまい眩暈を起こして転んだ事もあります。また出かけるときになってipodを用意していると充電が不十分ですぐに電池が切れてしまいそうな時があり、出かけるのを中止してしまう事もあるのです。出先で電池が切れてしまったら恐ろしくてどうしていいのかわかりません。ですから電池が満タンの時でも常に充電するためのコードを持ち歩いています。コードはカバンの底の進行方向右手のポケットの中とカバンの外ポケットの中と肩掛けベルトの中に(縫い目をほどいておもて地と裏地の間にはさみ込んで軽く縫い合わせてあります。我ながらとてもうまく考えたものだと思います。)、それぞれ計3本を常に持ち歩いていて不測の事態に備えています。しかしご存知かもしれませんがipodは充電式なので電池が切れてしまった場合はたとえこうして充電コードを持っていてもコンセントがなければ意味がありません!そのことを考えるとまた掌が湿ってきて心臓も早くなり息を吸っても苦しくなって耳も聞こえなくなってきて頭が朦朧としてきてしまいます。みんな他の人は平気なのでしょうか? 私だけがこんな風になっているのでしょうか。
最近よく思うのですが耳にイャホンやヘッドホンをつけてなくっても音が直接聞こえる新しいバージョンのipodが出ていてみんなはそれを使っているので平気なのではないでしょうか? そしてその新しいバージョンは直接頭脳に音楽が聞こえてくる仕組みでもちろん手術で頭の中に埋め込まなくてはいけないでしょう。高いのではないでしょうか。今の私には新しいバージョンで手術を受けるだけのお金が用意できないでしょう。でもとっくにみんな多くの人がその手術で新しいバージョンになっていてそうしたらどんなに楽しくて快適でいやなことがひとつもない暮らしなんだろうと羨ましくて悲しくなってきます。相談できる友人にも聞いてみたのですがそんなことはないと私だけではないと言ってくれるのですが私はやっぱり信じられないのです。その友達がイャホンをしていないのに音楽が常に流れているように楽しそうに笑ったりしているのを見ると憎くて裏切られた気持ちになってきます。私だけが新しいバージョンの知らせを受けていないのでしょうか?ご存知かもしれませんがipodはパソコンに繋げると時々新しいバージョンのお知らせが来たりします。ある時私は間違ってその時のお知らせをいいえでクリックしてしまったのです。その日からお知らせがくる回数が随分減ってしまっているようなのです。その友達のパソコンを覗いたことがあるのですが私に来ているよりもたくさんのお知らせが来ているのです。もちろんそう言って見せてくれるように頼んだのですが友達は意地悪でそんなことはないと見せてくれなくなりました。どう考えてもその時を境にパソコンのガードが固くなったとしか考えられません。クリックでいいえをしてしまった(たとえ間違っていたとしても)場合はその人に絶対に情報を教えてはいけないというようなお知らせも同時に送られているのかもしれません。私はしてしまったのでもうそのお知らせも見る事ができませんが。どうかいいえをクリックしないままでそのお知らせを見せてもらえないでしょうか。そしてあたらしい最新の直接聞こえてくるタイプのバージョンのipodの手術を受けさせてもらえないでしょうか。万一お金が高くて足りない場合もこれからちょっとずつ貯金をしていくのでその具体的な情報が知りたいのです。お願いします。
不登校になり、留年し、本当に苦労して学校を卒業し、それからも当傷痕に苛まれてきました。
今でも当時の頃をふとした瞬間に思い出しては動悸が激しくなったり汗をかいたり
眩暈を感じて倒れそうになったりし、夜中に夢を見ては涙を流しながら目覚めることもあります。
ある日、かつて私を虐めていた同級生の一人から知人を介して連絡がありました。
私は心の底から怯えました。今さら、いったい、何の用があるのか。
また虐められるのではないか。また私を虐めて楽しみたいのだろうか。
私は知人に「絶対に会いたくない」と同級生に伝えて貰えるように言いました。
しかし同級生はしつこく、どうしてもどうしても私に会って話がしたいというのです。
私は絶対に嫌でしたが、向こうもしつこく、知人も間に挟まれて迷惑がってましたので、
もうあれから長い時間も経ってるし、たまに思い出すにせよとっくに過去のことだし、
私自身も成長したから、会っても大丈夫かなという気持ちもありました。
当日、ファミレスで挨拶もそこそこに、いきなり泣きながら頭を下げられました。
「あの時は自分が馬鹿だった。あなたを虐めてごめんなさい。本当にごめんなさい。
謝ってすむ問題じゃないとは思うけど、どうか許してほしい」
相手はテーブルに額をくっつけながら動かず、話が見えていない様子の知人は居心地が悪そうにしていました。
私は自分でも驚くほど憤慨していました。コップを後頭部に叩きつけてナイフを突き刺してやりたい。
相手が少し顔をあげて「許してくれる?」と言われた時、私は席を立って急いで店の外に出ました。
こんなに悔しくて、怒りたくて、不愉快な気持ちになったのは学生の頃以来でした。
その後も知人を介して同級生からの謝罪したいという旨の言葉がいくつか届きましたが、どれも全部無視しました。
ですがあまりにもしつこいので一回だけこちらの言葉を伝えました。
「二度と会いたくないし、声も聞きたくないし、連絡をよこしてほしくもない。
私に本当に悪いと思っているなら、これ以上関わらないでほしい」
連絡は途絶えました。
以上のことをある日べつの知人に相談してみると「相手も悪いけど、あなたも悪い」と言われました。
その理由は「子供の頃の話だし、相手も謝ってるんだから許すべきだ。許せないのはあなたの心が弱いからで、
相手を許せたときが本当に成長できた、強くなったということ。どんなに悪いことをした人でも
謝ったのだから許さなくちゃいけない。いつまでも根に持ってはいけない」とのことです。
人を許すってどういうことですか。
私は同級生を許すべきなんでしょうか。
私はどうしても許せそうにありません。
なんだかあちらこちらで子育ての話が多いから、俺もちょっと考えてみたんだけど、独身の俺でも子育ての大変さに気が付いてしまったんで増田に書いてみる。
まあ言葉では「大変だね」なんて幾らでも言ってきたんだけど、どの程度、大変かなんて想像も付かない。ただいくら大変だからといっても、世間一般の人達はそれなりに子育てをクリアしてきているので、たかが知れてるレベルだとは思っていたんだ。友人の家に遊びに行くまでは・・・
その友人宅には、一歳半と二歳半の男の子がいる。そこのカミさんとも仲良しなので、子供が生まれるまでは、晩飯にお呼ばれしたり、酒を飲みに行ったりしていた。しばらく遠慮してたんだけど、子育てにもひと段落付いたから、久しぶりにメシ喰いに来なさいみたいな話になったので、ごちそうになりに行った。
最初は子供達も大人しくしていたが、どうやら俺が安心できる人間だと理解されてからは、もうカオス状態。友人夫婦は常識人だし、しつけも普通にはしているらしいんだけど、夜遅くまで室内をダッシュしまくり、こっちに体当たりしまくり、物投げまくり、皿は割る、水はこぼす、ウンコしてオムツ交換中に暴れてクソまみれ、冷蔵庫バタンバタン、パソコンの電源連打しまくり、プリンタの紙カセット引き出して紙ぶんなげまくり、ティッシュ出しまくり、引き出し引き落とししまくり、なぜかこっちのチンコもまれまくり、電子レンジチンチンしまくり、エアコンのリモコンどっかに隠されたり、俺の携帯がいつのまにか米びつに突っ込まれていたり、意味が解らない大声で叫びまくり笑いまくり泣きまくり、これでひと段落付いているレベルなのかよ・・・と愕然。これが夜寝てる時と昼寝の時間を除いて、朝から晩まで続くそうだ。
帰り道にふと思った。あの子供達は知的障害児なんじゃないかと。抑えが一切利かず、暴れまくる。昔、小学校や中学校にあった特殊学級のメンバー達を思い出した。そういう人達にとても似ていると思った。そういや、そういう子供達は、知能が三歳児レベルだとか四歳児レベルなんて話を聞いたことがある。
はっとした。そうだ、そうなんだ、さっき訪ねた夫婦の子供達が知的障害児かどうかはともかく、せいぜい五歳、六歳になるまでは、子供はこっちのイメージしている知的障害児と同じ行動をするもんなんだと。朝から晩まで知的障害児と暮らすと思うと、マジ大変なんだと思う。そりゃ子供を殺す親も出てくるだろうなと。
子育てがどのくらい大変かイメージ湧かない人間でも、少なくとも5、6年は知的障害児と生活を共にすると考えると、イメージが湧くんじゃないだろうか。そういう子供に朝から晩まで付き合い、1日3食x365日x5年で5500回もメシを作り、喰わせなきゃならん。しかも知的障害児やボケ老人レベルの動きに合わせてやらんといけない。対価は子供の笑顔程度しかない。こりゃ地獄だ。と同時に母親はすげえ。世間一般の母親はそういうものを概ねクリアしているんだから。どんだけ母親すげーんだと。
介護施設や養護学校で働く人達は大変だというけど、しょせん仕事。一方、世間一般の母親は無償で、朝から晩までの仕事になる。どんだけブラックなんだと。
帰りにハーゲンダッツとパピコをかーちゃんの為に買って帰った。肩も揉んであげた。なんかきもちわるいと笑われたが続けた。うっすら俺は泣いていた。かーちゃんはその顔をちらっと見たはずだが、何も言わなかった。何故か結婚したくなった。
[2010.3.24]
国民皆保険制度を始めるという法案であり、下院で過半数を取って成立した。しかし、現状の法案にはかなり大きな穴があいている。アメリカの医療費が世界一高額なのは、その費用の大部分が、訴訟リスクに対する保険料と、あまりに高額な医療費によって破産する患者が踏み倒した分の回収に占められているからである。
この問題を放置したまま皆保険を始めるとなれば、高額な医療費の請求が、そのまま保険という丼勘定によって全員に背負わされる事になる。破産によって踏み倒された分の回収が終わってしまえば、それ以上の破産による踏み倒しは発生しなくなるので、税法が認める償却期間の間は高額で推移するが、その後は徐々に下がっていくという見通しらしいが、肝心の、医療過誤裁判に対する訴訟リスク保険については、放置されている。
訴訟リスク保険は保険会社のドル箱であり、患者向け医療保険よりも、はるかに効率の良い儲け口である。
皆保険制度によって、国民は医療を受けやすくなるが、訴訟リスク保険には、一年間に診療できる初診患者数に上限がつけられており、患者は居ても、診療できないという状態になる事が簡単に予想できる。初診患者数に上限があるのだから、診た患者からは、可能な限り高額な診療報酬を引き出さなければ、採算割れを起こすという構造になっている。つまり、皆保険制度によって医者にかかりやすくなったからといって、お金にならない簡単な病気の患者ばかりが来るようになると、医者の側が破産する事になる。来た人全員を、緊急の手術が必要な患者であるとするぐらいのことをしないと、割に合わない。腹痛なら盲腸、盲腸を取っているならば腹膜炎や切除しても害が無いとされている脾臓破裂。熱や眩暈といった内科的症状ならば腫瘍があるとするぐらいの事は平気でやってのけるし、病理検査機関は、医者の診断通りの結果を出すというサービスができなければ、仕事を受注できない。こうして、高額な医療費と、それで破産する患者という存在が生み出されている。この構造こそが問題なのだが、現状の皆保険制度は、状況を悪化させるだけである。破産する患者は減るだろうが、医者のモラルは悪化していくであろう。
これを避ける為に、初診患者数に上限の無い訴訟リスク保険契約を作れば良いというのは、明らかに間違いである。一日に集中力をもって対応できる患者の数には限界があり、その限界を越えて診療せよというのは、幾らなんでも間違いである。
医療費の見積もりを出すコンサルタントの所に行って、自費で各種の検査を受けて、高額の治療が必要な場合には医者の所に行くが、そうでない場合には市販薬を適当に飲めば治るとやるには、その診断を下すコンサルタントが、結局は初診担当医となってしまい、訴訟リスク保険に入らなければならなくなる。各種の検査キットやレントゲンのセルフ撮影といった自己判断の為のサービスを一般化するというくらいしか、やりようが無いが、これはこれで、手技を持った医師以外は不要という事になりかねないし、そんなことをしたら、限られた初診患者数という制限の中で利益を追求している医師にとっては、いろいろとバレてしまってマズい。
医療過誤訴訟における賠償金額は、支払った診療費を上限とするという制限を加えるのが一番合理的なのだが、こうすると、訴訟リスク保険は不要になってしまい、保険業界と医療過誤裁判でメシを食っている弁護士業界が困るので、猛烈なロビー活動を展開する事になる。実際、このロビー活動によって、医療改革法案は、今回成立したような、保険業界と弁護士業界の既得権益には一切触れないという、不自然で歪んだ制度となったとも言える。
始まるばかりの制度に問題があるのは当然であるが、そういった問題のうち、制度が始まる前の検討の時点で確認された問題については、制度が始まる前にすべて対応が取られるのが、最低限度の仕事であろう。
「!!!1!」みたいにPCでやる打ち間違えを携帯メールでやられるのはうざい。
送ってくる彼氏に好ましく思っていないことを直接伝えたが改善される様子はない。
私は「絵文字がないと怒ってるみたいで怖い」と言われたから、ときどき絵文字を使うように努力しているというのに。
しかし一般的な恋人間のメールがどのくらい装飾されているものかを知らないことに気付き、
少しくらい過剰にするものなのかもしれないと、当たり障りのない恋人同士のメールを妹に頼んで見せてもらった。
その結果、画面の大半を埋めるキスマークの絵文字に眩暈がした。
これをやらなければいけないのだろうか。
ハートマーク1つ付けるのにもタイミングや場所に迷う私には無理な話だ。
職場の同僚にも聞いてみた。
よく知らないが装飾されたメールがあるらしい。
これまで付き合ってきた人はシンプルなメールだったり、メールを送らない人だったり
そもそも携帯でEメールができない機種だった頃もあるのでメールで悩む日が来るとは思わなかった。
大量の絵文字やデコメを送る人じゃないだけ良かったと思って、あまりうるさく言わないことにしよう。
そのうち打ち込むのが面倒だと気付いて飽きるだろうし。
センスの話をするなら、ロードス島戦記なんて、当時のリプレイ連載とか、それから起した本を読んだら眩暈がするぜ。
よくもまぁ、ディードリットをあそこまで育てたよな。
あの辺り(エルフの耳とか)、SNEの功罪が大きすぎるが。
それはさておき、当時のレベルアップ+強い装備でキャラ強化というのは、まんまD&Dライクなやり取りなんだけれど、
当時でも、強くなった主人公が空気読まずにボスを瞬殺的なギャグは結構あったよね。
そういった空気が、スレイヤーズ的な物に繋がっていくんだけど。
TRPGで言えば、TORGなんかのシステムはまさにスレイヤーズ的で、
プレイヤーは雑魚を蹴散らす事ができるが、ボス戦闘だけは別格。
様々な要素を積み重ねて、一気に打ち倒すみたいな流れになる。
あれは、ドラマ要素を重視した意欲作だった。
話は違うが、バスタードがどっぷりとD&Dだったのを覚えている人ってどの程度居るかな?
あれもダーシュが最強で始まったりするから、アレだけれども。
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/9012493.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/9012493.html
結論は全く同感なのに、変なのは、この議論は今の日本の状況でしか通用しないということ。仮に将来治安が悪くなれば、この議論はそのままでは通用しなくなる。究極的に予防策がないことを前提にした上で、出来る範囲の努力はした方がいいという状況になるかもしれない。その上で、結論には同感。
こういう議論の傍らで、ココロ社さんのtwitterがブコメを集めるとか、意味不明。あれこそ常識論の最たるものだった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kokorosha/status/6461191333
こういう常識こそ破壊するのがジェンダー論なのではないかと思ったんだが、それとももうこんな常識はとっくに破壊されてたんだろうか。わけが分からなくて眩暈がした。
陰鬱な空から雨が降り注いでいた。街が灰色に蝕まれていく。くすんで、濡れそぼっていく。
宵口の窓辺から覗く世界は、ほんのりと濃紺に染まっていた。行き交う車のヘッドライトが煌々と筋を刻んでいる。等間隔に立ち並ぶ街灯は、どこか所在がなさそうだった。漏れ出す家々の明かりがやけに白々しく見える。
閉め切ったガラス窓に、水滴がぽたぽた、打ち付けてはゆっくりと流れ落ちている。やがてひとつになって、窪地に溜まり、淀み、溢れて排水溝に流れ、支流は河へ、本流となって海原へ……。白光のもと、再び上空へ駆け昇っては、いつもみたいにどこかに降り注ぐ。
滑り落ち始めた一滴をなぞりながら、この雫はかつていつこの街に降っていたのだろうと考えた。数日前かもしれないし、数週間前かもしれない。数ヶ月、数年などという期間も候補に考えられなくはないような気がした。そもそも、混ざり合い、どこの、いつの雨なのかが分からなくなってしまっているのだ。数十年、数百年、数千、数億年――あるいはもっと、それ以上にも及ぶ悠久の時を深海の底で眠り過ごしてきた初めての一滴である可能性も捨てきれなかった。
可能性が選択となって、頭の中で遮るものなど何もない広大無比な高原の如く展開していく。そのあまりにも壮大なスケールに、思わずくらくらしてきてしまった。軽い眩暈に瞳を閉じて、冷たい硝子に額を押し付ける。
透明な境界は、視覚的に透明であるために捉え難いだけで、確かにいまここに存在している。なるほど、姉にとってはこの敷居を跨ぐことがなによりも大変で、困難で、恐ろしいことだったのだろうなとぼんやりと考えた。
顔を上げる。後頭部を窓に、背中からもたれかかるようにして立ってみる。何年もの間、碌に光が差し込まなかった、内からさえも照らし出されなかった小部屋の中には、染み付くかのように重たい、へばりついてくる、濃厚で濃密な掬い取れるかのような闇が沈んでいた。
そんな部屋の中央に、天井から輪が釣り下がっている。簡素な机と、スチール製のベッド以外に、例えばポスターだとか、本棚だとか、CDラックだとかが病的なまでに何もない部屋の真ん中に、タオルで作られた即席の絞首台が設けられている。
込み上げるようにして息を吐き出した。そこに浮かんでいた表情が、安息そのものだったことを思い出す。彼女はやっと苦しみから解き放たれたのだ。姉は絶望的な辛苦から逃れることに、その手段を用いることに成功してしまっていた。
視界の右端、壁に面した机の上に、一冊のノートが置かれている。先ほどざらりと読み終えたばかりのノートだ。全ての紙面を埋め尽くそうとしていた心象は、あるときは言語であり、あるときは稚拙な絵であり、スケッチとなり、あるいは音階となって私の目に代わる代わる飛び込んできた。そしてその内容は、私が思っていた以上に、家族が知っていた以上に壮絶なもので、どうして姉が今日までの日々をこの小さな部屋の中で完結させなければならなかったのか、あるいはどうしてその部屋の中からさえも逃れなければならなかったのかを如実に示してきていた。
『やさしさノート』と題されたその一冊は、これまで姉が関わってきた人たちに対して、こんな自分をまだ見捨ててくれないでいる家族に対して、そしてこの世に存在しているありとあらゆる人たちに対しての謝罪を冒頭に据えて、つらりつらりと始まっていた。
ごめんなさい。
その一言を、姉は一体何度このノートの中で繰り返したのだろう。対象となった人の人数は? おそらく、私がこれからの人生で頭を下げることになる人数を優に一万倍以上超えているはずだった。姉は自らがここに存在していることを呪い、悲しみ、恨み、溜まりに溜まった申し訳ない想いを吐き出すために何度も、何度も何度も何度も何度も、ごめんなさいと謝り続けるしかなかったのだ。
完全に他者を排し、愚直に紙面とだけ対峙しながら、強大な感情に取り憑かれてペンを走らせ続けていた姉の姿を想像する。漆黒に染まった部屋の片隅で抱いていた苦しみを、廻りまわり続けていた激憎を、決して消えることのなかったその業を思い、私は再び絞首台に目を投じた。
「大変だったんだね」
彼女に向けることのできる言葉は限られている。姉の苦しみは、絶対的に姉にしか分からないものだし、他の誰かが、とりわけ私になんぞは共有できるものではなかったのだから。
姉は、小さい頃から聡明で、何でもできて、いろいろなことを知っていて、たった三つしか歳が離れていなかったはずなのに、幼い私にはまるで全知全能の神様のように映っていた。同時に、幼稚園でいじめられていないかと心配をしてくれて、守ってあげるからと毎日一緒に通学してくれていた。姉の掌はどんな時も私の小さな右手を包んでくれていて、そのぬくもりを、感触を抱いていられれば、私はどんなことにも立ち向かっていけるはずだったのだ。
歯車が狂いだしたのはいつのことだったのだろう。気がついたときにはもう修復など効かなくなってしまっていた。歯はぼろぼろに欠け落ち、空回りをするばかりでうまくいかなくなってしまっていた。
姉が賢すぎたのかもしれない。本を読みすぎたのかもしれないし、私に気を回しすぎたのかもしれなかった。あるいはそれは私の問題で、そして姉を取り巻いていた周囲の問題でもあって、徐々に変化し拘泥していった姉の人格を見抜けなかったからなのかもしれなかった。様々な事柄をたったひとりで考え処理するのにはまだ小学生にすぎなかった姉は幼すぎたし、置かれている状況も恵まれすぎていた。
多眠が始まったのがちょうど中学生になった年で、以降姉は塞ぎがちになり、与えられた問題を集中的に考えることができなくなった。部屋から出られなくなったのはその翌年だ。どうすることもできないまま姉は自らの精神によって自室に追いやられ、そこから抜け出すことができなくなってしまった。
姿を、心無い人は蔑み、揶揄し、大袈裟に嘯いた。面白おかしく吹聴する者もいた。何を隠そう、私自身がそうだった。
情けない姉、駄目な姉、わがままだから絶対的に社会に求められない。荒んでも、落ちぶれても、ああはなりたくないよ、などと知ったような口をはいていた。友達と家族の悪口を言い合う行為は、思春期を迎えた嗜虐的な子供心にはとても気持ちのいいことだったのだ。纏わり付いている繫がりというものを、私は心底疎ましく思っていた。
だから、姉が私に謝る必要などないのだ。どちらかといえば私のほうこそ彼女に謝らなければならなかった。苦しみに喘いでいた姉に細心を払うわけでもなく、あろうことか邪魔者扱いをしていたのは私だったのだから。
姉は、どんな時も私のことを穏やかな視線で想い続けてくれていた。この小部屋の中にいなければならなくなりながらも、想像を絶するような苦しみの中にありながらも、真摯に私のことを心配し続けてくれていた。
それを、それを私は――
……後悔など、するだけ無駄だ。淀みの中から掬い上げて振り返り続けることなどは無意味だった。高校に進学し、幼い恋を、出会いと別れを重ねて、大学に入学する前にはちゃんと理解していた。
いまここにいる私には、彼女に言わなければならない言葉がある。
「ごめんなさい」
姉に対して、何もできなかったことを、何もしなかったことを、それどころか邪険に思い扱っていたことを。実家を離れるようになってから、ずっとずっと謝りたいと思い続けていた。
床に降ろした腰に冷たい感触が伝わってくる。膝を抱えて小さく、誰もぶら下がっていない絞首台を見上げた。その小さな輪が作り出した痣を思い出してぐっと震える唇を噛み締めた。
階下では、両親が恐慌をきたしながら救急隊の到着を待っている。通報からもう二分ほどたっただろうか。意識を失った姉に付きっ切りで、私がいなくなっていることには気が付いていないようだった。
「お姉ちゃん……」
こんなの駄目だよ。ずるいよ。私が永遠に謝れなくなってしまうじゃないか。
身勝手な考え方だとは理解していた。もしくはそれこそが姉の願いであり、最初で最後の、多大なる復讐なのかもしれなかった。でも、それでも私には、姉にまだ言いたいことがたくさんあったのだ。
大学生活がどんな風か。好きな音楽や小説のこと、テレビ番組のこと、おいしい喫茶店のこと、教えたいことがたくさんあった。姉には私を知ってもらわなければ駄目だった。かつて守ってもらっていた、ずっと心配してもらっていた姉には、伝えなければならないことがたくさんあったのだ。
ギブ・アンド・テイクの関係性。貰っていた寛大な想いに、私はまだひとつも返事を返せていない。だから――
「駄目だよ。まだ死んだりしちゃ」
握り、額に押し当てた両の手に祈りを込めた。幸い、発見が早かった。不穏な物音に只ならぬ予感を抱いた私が、姉の部屋の扉を蹴破ったのだ。きっとまだ助かる。絶対に助かる。助からなければならないはずだった。彼女はまだ生きなければならない。他の誰でもなく、彼女自身のためだけに。
救急車のサイレンが近くなる。家の前で停車。救助隊が声を上げながら駆け込んでくる。
気を失っていた姉はすぐさま運び出されて、両親と共に病院へと運ばれていった。離れていく救急車を、留守を預かると決めた私は、姉の部屋からじっと見送る。
伝え足りない想いがあるのだ。
霖雨の中を点滅する赤色灯を、角を曲がって見えなくなっても、私は凝視し続けていた。
ある病院で血液検査をしたら実はひどい栄養欠乏なのと鉄欠乏製貧血ていうのがわかった。
スレ主のような症状から膠原病と診断される人が増えてるようだが、
そういった人を見ていると、本当に膠原病の人は少ないように思う。
私のように膠原病でない場合が少なからずあるのではないかと思っている。
なぜかと言うと、膠原病の疑いが濃厚であるとされる症状と、鉄欠乏製貧血の症状は非常に似てるんだ。
だから膠原病と断定する前に、詳細な血液検査ができる専門病院で血液検査をしたほうがいいように思う。
垣根を乗り越えようとするのは健康になってからじゃないかな。
なので早計は避けて欲しいとも思う。
まさか自分でも入院するとは思っていなかったので驚いた。しかし、生来そんなに思いつめる方では無かったので、すぐに楽天的に考えることができた。これは、会社を休んでゆっくりできる良い機会であると。
入院中は、一日三回の体温検査と血圧検査を行う以外は、基本的に自由行動であり、気ままに本を読んだり、PSPでゲームしたりした。また久しぶりに朝からワイドショーを見たりして過ごした。たまに友達や同僚、家族が面会に来てくれ、世間話などを行った。こうして、瞬く間に一週間が終わり、とうとう退院した。概ね楽しく、ゆっくりできた一週間だった。まるで大学生に戻ったかのような錯覚に陥った。
そんな中、現実に引き戻す一件の電話が入った。祖父からだった。
「二度と同じ過ちを繰り返すんじゃないぞ」との一言をもらった。この言葉を聞いた瞬間、嫌悪感と共に、吐き気と眩暈に襲われた。
その後も、「気が弱っているから病気になる」「病気という経験から、学ぶように」と色々なアドバイスをいただいた。確かにどれも正しいことなのかもしれない。しかし、愚かな僕は素直に言葉を受け取ることができなかった。
なぜなら、僕が欲しかった言葉はこんな言葉ではなかったからだ。確かに酷い病気ではなかったのかも知れないが、「無事でよかった」という一言が欲しかったのだ。
これは甘えだろうか。もう退院して健康になったにも関らず、まだ僕はねぎらいの言葉を求めていたのだ。確かに祖父は正しい。もう病気からは回復したのだ。今は病気を反省し、自分の行為の何が問題点として摘出できるか、考えるフェーズに入らなければならないのだ。
社会は僕が思っているよりも厳しいところで、病気は過ちとなり、なってはいけないものなのだろうか。そもそも病気は人の意思でコントロールでき、二度と繰り返さないように努力可能なのだろうか。
僕は明日から強い意志で病気にならないように過ごすだろう。だが、病気にならないように強い意志を持つことは、最も病気になる可能性を秘めているのではないか、と思わずにいられないのだ。
来月、実家に帰るのを急に迷いだした。
せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。
30~34歳の未婚率
70年 男 11.7% 女 7.2%
05年 男 47.1% 女 32.0%
しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人は結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。
まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。
早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。
女の子は女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。
宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違い。ナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。
女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。
武田:キャリアウーマンの女性は・・ネタなのか、自分を負け組と定義していたりはするようだが・・
宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。
宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入高キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。
森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。
森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。
法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターンの婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。
森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。
森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。
どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。
森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。
森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。
読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。
森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚を言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。
宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークルの女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。
再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己に帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。
森岡:社会は男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。
そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。
宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。
いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。
ステージ(笑)。前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。
しかしこの引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。
はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。
この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期の男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。
数多い屋台の中に、鶏肉を鉄板で焼いているところがありました。鶏肉を焼いているのは他にも複数あったのですが、その店は少しだけ工夫がしてあり、段ボールにマジックで味の種類を書き並べてあります。
少し気になったので見ていると、店のあんちゃんに愛想良く声をかけられました。
「どうお嬢さん、味がいろいろあるよ。」
なるほど七種類もあります。
「今の時間はね、ちょうどいいんだよ。夕方くらいになると肉が硬くなっちゃうからね。」
そんなものかと思い、肉の焦げる匂いも食欲をそそったので買ってみようと思いました。
「ソースの種類を選んでね。」
鶏肉に掛け回すソースによって、味のバリエーションを持たせているようです。
よくよく見てみると、なかなか凝っています。半分くらい、私の聞いたこともない名前です。
その中で「デミグラスソース」があります。そういえば最近、ハヤシライスを食べていないな、最後に食べたのはいつだったかなと埒もないことを考えつつ、何となく豪華なイメージがあるのでこれにしました。
離れたところに陣取ってぱくつき始めて間もなく、何とはなしの違和感を感じました。
鶏肉自体は美味しかったです。皮もほどよくパリッと焼けていました。それにケチャップとソースは、家庭のハンバーグにかけると美味しいものですしね。
でも釈然としません。ケッチャップ・アンド・ソースを、デミグラスと称して良いものでしょうか。普通、牛肉やたまねぎを煮詰めたような、肉の出汁の効いたものを言うのではないでしょうか。私は騙されたのでしょうか。
数あるたこ焼きの屋台の中で、特に行列のできているところがありました。得てして屋台は、似たような店でも客の並び具合に大きな差があるものです。
その店は、おそらく、大きな海老がバットに入っていることに特徴があります。
たこが比較的大きく刻んである店は複数あるのです。でも、エビチリに使いそうなぷりぷりの海老が具になっているのはこの店くらい。
ただバットの端っこを良く見ると、その海老が細かく刻まれたのが置いてあります。さすがに一個丸ごとを入れるのは無理があるでしょうが、大きな海老は目を引きます。