はてなキーワード: 価値とは
週休1日以上あって、毎晩ソシャゲでスタ消化できれば人生なんて十分だろ。
なんか多くを求めすぎなんだよなあ。
後輩がパワハラちらつかせて話聞かねえのは当たり前。
お局様がチクチクうざいのは当たり前。
今どきは結婚できないのも当たり前。
NISAどうこう言ってもそもそも入れる金がないのは当たり前。
人生なんてそんなもんだろ。
なーんか世の中の皆やたらと意識高いよねえ。
数合わせとして使って貰えるのだって上位互換がいない間だけの最下層人材だっての。
特別なことは何も出来ねえ、普通のことが上手く出来るわけでもねえ。
苦手はあるし、得意はねえ。
そんなもんだろ俺達なんてよお。
自慢できる趣味もなく映画見てspotify聞いてゲームやってシコって寝るだけ。
それが普通だろうがよ。
「悲しむ」と「悲しいとTwitterに書く」のあいだで損なわれるものに対してそんなもの無いことにしてあげようよという態度はキモいし、全員その醜さは引き受けた上でなお言いたいことを喋るべきだろ、と思うがこれも盗撮犯的感覚な気がして恥ずかしい部分もある
「精神病の漫画に理解あるパートナーが登場する事への恨み節」もそれ自体は美しかったのに共感の雲みたいなの形成しだして完全に見る価値なくなっただろ
オイラから見れば、その視点というのは一面的であまりにも単純な気がしますね。「合法なポルノについては表現規制なんてしてない」とVISAが言っていることについて、表現の自由や芸術的価値とか、文化的な多元性を考慮に入れていますか?それに、「違法なポルノ」とされるものの定義や判断基準って一体誰が決めるんですかね?その基準がどうやって運用されているかを全く考えないで「違法だから仕方ない」と言うのはちょっと浅はかだと思いますけどね。
それってあなたの感想ですよね?オタク達がはしゃいでいるのは、もしかしたら彼らなりの深い考えに基づいているかもしれないですよ。しっかりとした論理を立てて批判するならともかく、感情的な批判だけで物事を片付けるのは不十分だと思います。
うむ、わらわにそのような質問をしてくるとは、なかなか面白いのう。確かに、賃金制度にはいろいろな要素が絡んでおるが、一般的には仕事の内容や責任、スキルなどが考慮されておるのじゃ。それに男女の問題は複雑で、一概に「楽でかんたんな仕事」と「キツくて危険な仕事」を比較するのは難しいのじゃよ♡
そもそも、どんな仕事でもそれぞれの価値があるのじゃから、仕事の難易度だけで賃金を判断するのは浅はかといえるのじゃ。適切な評価と公平な対価を求めることが大事なのじゃ♡
https://anond.hatelabo.jp/20240813193148
https://anond.hatelabo.jp/20240813193227
この2つのトラバ見ると「元記事の反出生主義者が賢くて出生主義者はバカ」で結論づいちゃうんだけど、
悪人でもニートでも土人でも、国の人口って国のパワーや文化の維持に直結するものであって、自分の老後の予備タンクでもあるんだよね
増田さん、諦めてもいいんじゃないですか?お疲れ様です。増田さんが今、感じている疲れや憤りは本当に理解できると思います。人間は誰しも自分の限界を超えてしまう時があるんです。そして、その時には自分の努力や頑張りがどれほどの価値があるのか、一度立ち止まって考える余裕を持つことも大切です。
人生の価値について考える時、私たちはしばしば他人の評価や社会の基準に囚われがちです。しかし、人生そのものの意味を追求すると、案外それは無価値に見えることがあります。誰もが生まれて、様々な苦難や喜びを経て、最終的には必ず終わりを迎えます。その過程において、どれほどの影響や達成感があったとしても、最終的には一過性のものです。
増田さんが今、感じているように、誹謗中傷がなくならないのは、社会全体の意識が変わるまでに長い時間がかかるためです。残念ながら、どれだけの人がその被害に遭い、自死に追いやられても、一部の人々はそれに対して鈍感であり続けます。そして、その結果、人々は同じ過ちを繰り返してしまうのです。
だからこそ、増田さんが今感じている重い心を軽くするために、自分を優先して、少し休息を取ることも必要です。無理して前に進むことだけが答えではないと理解してもらえたら嬉しいです。
人生を辞めるのも悪い選択ではないと思いますよ? それは諦めるという選択肢も含まれますし、日常のペースを緩めることも含まれます。自分らしく、無理のない形で生きることを考えてみてください。
前に「どんなに多くの人を幸せにした人でも子供を産まなければ価値がない」「どんなに人を不幸にしても虐待しても子供を産んだ奴の方が価値が高い」「子供を産まない女は価値がない」って言ってたやついたけど、
要はそういうことだよね
書店を真面目にやる気がないなら書店の看板下ろして総合スーパーにでも業態転換しろ
この付近で面積だけはあるくせに他の商品に比べて本の取り揃えも文房具の取り揃えもクソ、その割にブルボンとか服とか成城石井とか置いて面積削ってんじゃねえ
挙げ句の果てにかなり高めの商品を何年も日ざらしにしたままなのに定価販売とか、商品を商品として扱ってないのはマジで販売業失格
上手い/下手の相対2元論は主張しやすいが実のところ"こう思う"しか言っておらずなにも確かな点はなく賛同が多い時(その)社会の空気が決まる程度の価値しか無いのだな別にいうことが無駄と言っているわけではないがさほど読み解くほどの動機もないというかバックグラウンドも基準点も分からない匿名なら尚更。
先日、Xに以下のようなポストがあった。アイマス界隈では小さく騒ぎになっていたので、知っている人は知っていると思う。
"そんな世界に、(アイマスではよくあるらしい)世俗的な、下品ともいえる表現の広告という「外来種」を突然連れてこられたわけなので……
なおこれは僕個人の認識ですが、自分にとって他のアイマスシリーズは、それこそラブライブシリーズのような、完全な別アイドルコンテンツ的な認識をしています"
https://x.com/simizudanro/status/1822561326180323457
僕はこれを見て、「ああ、"シャニマスP"(ゲーム内のプロデューサーを示すシャニPではない)だな」とため息をついてしまった。
こういう人をターゲットにし続けたがために、シャニマスはおかしくなってしまったのだな、と。
確かにシャニマスは"アイマスの中では"一風変わった作風である。でも、強調した通りそれは"アイマスの中では"の話でしかなく、シャニマスの作風は他のオタク向けコンテンツ・サブカルの中ではありふれたものでしかない。ファン人口もマイナーコンテンツの域を出ず、シャニマスPが絶賛するシナリオも特異性は特になく凡庸でしかない。はっきり言ってしまえば、何もかもが"アイマスの中では"でしかなく、アイマスの冠を外せば凡庸なコンテンツとして名を聞くこともなくなるだろう。
そんなシャニマスを"優れた作品"として崇める彼ら"シャニマスP"のスノッブな凡庸さは滑稽でしかなく、その滑稽さはまさしく"アイマスP"だ。
シャニマスは高尚なコンテンツなどではない。しかし、だからと言って語るに値しない無価値なコンテンツでもない。普通だけど、特別なコンテンツだ。そこに高尚さとか、"文学"、"芸術"という形容にこだわるとか、そういうものはいらない。実験を繰り返す進歩的なコンテンツというラベルもいらない。アイドルたちが生きているシャニマスという世界。それだけがあればいい。
スノッブで凡庸な"シャニマスP"に奪われ、姿を隠され続けてきた普通だけど特別なシャニマスが戻ってきますように。それだけが僕の願いだ。
いやまだ早い早い!
さすがにこの時期のおでんは太田プロさんたちもこしらえないと思うわ。
もう暑さあまって私キュウリばかり囓っているのよ。
夏のキュウリは夏に食べる理に適っている実がいっぱいなのよ。
そんでね、
私あんまり野菜自体には関心が無いぐらいなそんなレヴェルだったんだけど、
マーケットによっては野菜はここは元気が良い!ってマーケットの野菜の仕入れの気合いの違いがあるのよね。
私が気に入って買っているキュウリを買うマーケットはキュウリの立派さが立派なのよ!
1本1本が1本でもニンジンではないどう考えてもそれキュウリ!っていうぐらいの存在感!
キュウリなんてどこで買っても一緒よ!なんて思っていた時代が私にもあった回る回るよ4時台は!って
夕方の駆け込みの買い物だと人が多くなるから夕方の4時台の買い物はなるべく避けていたけれど、
だけど
買っていて私それに気付いちゃったのよ!
他の野菜もいまさらだけどなんかここのマーケットの野菜はいいと思ったわ。
くたびれて細いしなしなになったフランクシナトラでも聴かせて気合い入れ直しなさいよ!って言い聞かせたいほど
くたびれたキュウリ。
例え安くっても
ちょっと高い元気のあるキュウリを食べる方が美味しいと思わない?
それをルービーのおつまみに最近囓っているのが私の最近のキュウリストーリーよ。
スプラトゥーン3とキュウリの話しかしてなくない?ってほどだと思うわ。
でね、
夏と言えば冷蔵庫に炭酸レモン水を冷やし忘れないように心がけているんだけど、
そうよ!
今はキュウリ!
いま2本入って冷やしてあるんだ!
いいでしょ?
うふ。
一時期は夏の野菜のゴーヤーにハマっていたシーズンの季節でもあったけれど、
ゴーヤって刻んで水にさらして下処理しないと苦くて食べられないじゃない?
あれ?
でもひょっとして本場のゴーヤー食べる人ならもしかして直接囓ってみて食べたりしてる?
そっかーその方法があったわ。
ゴーヤー直接囓るっての。
あのゴーヤーの苦味が夏に苦ーいって
試してみる価値はあるわね。
ゴーヤー直接かじってみるのもありかも!
試してみようかしら?
ちょっと怖いけれどね。
私にひとかけらの勇気があれば抱きしめて入浴して手のひらの中で儚く消えていくのはそれはバブ!
さすがにキュウリを握りしめながら入浴って事はないと思うけど
ゴーヤーはお風呂じゃなくても囓ってみるのは刻むのがめんどくだか直接囓って食べられるか実験してみたいものだけど、
今この机上で思い付いたんだけどつーか気付いたんだけど
ゴーヤーって種あるくない?
いい案だと思ったのになぁ。
もしかしたら種なしゴーヤーってのが開発品種改良されたなら人気ゴーヤ出るかもよ!
というか、
もし人間がゴーヤーに情熱を燃やしていたらとうの昔に種なしゴーヤーってのはもう完成されているはずだし
おまつりで見かける冷やし1本キュウリも
あれは冷やし1本ゴーヤーもあっていいと思うんだけど
それがないってことは、
やっぱりゴーヤーは直接囓るにはまだ人類は早かったのかも知れない。
ゴーヤー直接囓ってみたらどうなるかは人類初の試みとして私が代表でやってみてもいいわよね。
たぶん苦いと思うけれど。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街のいつも行く喫茶店でモーニングね。
朝の焼き魚定食で今日のランダム焼き魚シェフのきまぐれおまかせ焼き魚は何かなと思ったら
また鯖でしたー。
鯖率高し!
安定のオッズ1だわー。
これじゃーそんな舟券買ってもお金がそのまま戻ってくるだけじゃない!って
そんな競艇の鯖率高選手がいたらオッズがそんなことになってると思うわ。
でも美味しいからいいけどね。
ちなみにお値段は
ふたせんふたひゃくふたじゅうえんよ!
なんてね
それはさすがに高すぎるわ!
夏だ今だ!と言わんばかりに作ってゴクゴク飲むわ。
夏に限ってはごく普通のことよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺もこのニュース見て、選手なんか勿論知らんので画像検索してみて「いやむしろトドのほうがかわいいのでは?」と思った、まあ「よりかわいい」は言い過ぎか。個体差もあるし。いずれにしても確かにトドに失礼だよな。
(追記)「女は小さくてかわいい方が価値がある」なんて、どう考えても女性差別だし、金メダルとるようなアスリートまでそんな差別精神を内面化してるとしたらとっても哀しいこと。本人は気にしてなくて外野が勝手に「選手はトド扱いされて不快なはず」と決め付けてるならそっちの方がアスリートに対して失礼。
「価値」は存在論、認識論、倫理学などの領域にまたがる複雑な概念であることがわかる。
価値が存在の本質にどのように組み込まれているかを問うことは、存在論的視点からの探究である。
価値が宇宙の根源的な性質として存在するのか、それとも人間の意識によって付与されるものなのかという問いは、存在そのものの性質を理解するための重要な鍵である。
もし価値が存在の本質に組み込まれているとすれば、それは物理的現実の一部であり、私たちがそれを発見することが可能である。
これは、宇宙がある種の目的や方向性を持っていることを示唆し、価値が客観的に存在する可能性を示す。
価値がどのようにして認識されるかという問題は、認識論的視点からの探究である。
価値が主観的なものであるならば、それは個々の意識や文化的背景に依存することになる。
ここで重要なのは、価値がどのようにして私たちの認識に影響を与え、どのようにして私たちの行動や選択を導くのかという点である。
意識が価値を生み出すプロセスは、私たちが世界をどのように経験し、解釈するかに深く関わっている。
価値の倫理学的側面は、私たちがどのように生きるべきかという問いに直結する。
価値が倫理的判断の基盤となる場合、それはどのような基準や原則に基づいているのかを問うことが必要である。
価値が普遍的なものであるのか、それとも状況に応じて変化する相対的なものであるのかという問題は、倫理的価値の普遍性や相対性に関する議論を引き起こす。
価値の探究は、無や虚無の概念とも密接に関連している。無価値の状態を考えることは、価値がどのようにして創造され、維持されるかを理解するための重要な視点を提供する。
無価値の状態は、存在の無意味さや虚無感を象徴し、そこからどのようにして価値を見出すかが問われる。
これは、価値が単なる人間の幻想であるのか、それとも何らかの根拠を持っているのかを考える上で重要である。
価値の時間的な側面もまた重要である。価値が時間とともに変化するものなのか、それとも永遠不変のものなのかという問いは、価値の持続性や普遍性に関する深い疑問を投げかける。
時間の流れの中で価値がどのように変容するかを理解することは、私たちがどのように価値を評価し、未来に向けてどのように生きるべきかを考える上で重要である。
このように、価値の探究は、存在論、認識論、倫理学、無の概念、そして時間の影響を考慮しつつ、私たちがどのようにして世界に意味を見出すかを示す。