はてなキーワード: ティングとは
非モテだろうから、僻んで女を敵視して受け付けないんじゃないか……と思ったけど、そーいや昔ハッカーズジャパンでセキュリティ会社の女社長が語ってた話を思い出した。
女は馬鹿だと決めてかかって、マウンティングかけるために、その女がとっくの昔に知っているような情報を喋りまくる、いわゆるマンスプレイニング。
そいつのおかげで、女社長だと信頼されないため、代理で社長のふりする男を用意して取引先に行く必要がある反面、セキュリティチェックのためにソーシャルハックかけると、マジで情報聞き出したい放題だそうだ。もう聞いてないことまで次から次へと教えてくれて、なんならパスワード直接喋るんじゃねーかこいつ? ってくらいだとか。
女性の経験数を比べることが出来る社会では、一番重要な決定打だけど、既婚者ばかりの集まりとか、それがしづらい面も多々ある。
だから、ぶっちゃけマウンティングの材料は何でもいいが、会社みたいに明確な地位がある場所以外なら、まぁ声がでかい奴だな、基本。
これなー、一見自立心のなさに見えるけど、逆なんですよ。
過剰なまでに互いにすべてをコントロールする自立ぶりを求めるせいでそうなってる。
要するに、配偶者をちゃんと管理できているか、もし配偶者の出来が悪いなら、それはそいつをコントロールしてるお前の責任だ、っていう発想なんだよ。
男子型マウンティング文化だと、人間が人間を所有したりされたりして、誰にどんな序列で所有されているかで、本人の存在価値が決まるんで、その延長線上で見ると見間違うんだけど。
よく見るとこの手の奥様がたは、旦那が出世しているだけでは、「出来ている人」とはみなさないんだ。
子育てから、家の管理から、庭の手入れから、何から何まで出来て、初めて仲間として認められる。
旦那が適切に出世しているのかも、管理責任のうちの一部に過ぎないんだよ。
マウンティング文化だと所属と序列さえよければ、他はスルーされるというか、無理矢理スルーさせて、そっちはそっちでえぐいけど、そうじゃないタイプのえげつなさ。
配偶者が駄目人間だったとして、それはそいつ本人の責任であって、結婚した自分の責任じゃねぇ、って言えないわけ。
ろくでもないってのは同意だ。
何となくすれ違ってそうな部分が見えてきたので、さくっとまとめてみた。
大体相手を自分が属している文化基準で計るので、根本的に勘違いしてしまってそうな系統。
もともとオスは、性による遺伝子配合をするために生まれた性であるためか、いかに多くのメスと交尾できるか、その座をかけてオス同士で戦いあい一位のボスを決める文化。
基本的に男子文化は、マウンティング合戦、互いに上下関係を作りたがり、集団でまとまって外敵と戦うこともあれば、互いが互いを蹴落しあって女性全体からの「モテる」の座の獲得を狙うこともある。
もともと人間が母系の生物なためか、母系集団の社会における「あるべき理想ルール」を維持しようとし続ける文化。
母を共有しない相手の集団には互いに馴染みにくく、敵対しがちなため母系集団を無視して作られる嫁姑は、ルールの違いをめぐってもめやすい。
とりあえず自身あるいは自身の集団に所属する女性の子供の品質を、自身の理想にかなう形に維持し続けたがる。
同じ集団に所属する、いわゆる姉妹に該当すると見込んだ相手が、自分の理想に叶う子孫作りをすることを要求し、自身も子供を作る場合は母系集団の理想に叶う子孫作りをする義務を負う。
1.イケメンは攻撃的で怖い。地味でやぼったい人は攻撃性が低く優しいはず。
これは女子文化だと、品質の高い女子が、品質の低い女子を攻撃して、態度を改めさせたり、追い出すことで集団の品質を上げようとするため、女子文化に多い傾向。
「彼にするなら、地味で優しい人が良いなぁ」っていうのは、大体それが男子にも当てはまると思ってしまっているせい。
実際は男子の場合は地味なオタク系の人の方が攻撃的な傾向が強い。
マウンティングを全方向に駆使して、勝ち上がらなければいけない状態に置かれているせいか。
性的にすでに優位にいる男は、優位に立つために攻撃して回る必要性がないため、大体こっちの方が温厚。
2.行きずりの異性と片っ端から寝る男の人は、きっと寂しがり屋で、一夜の愛を求めて回っている
んな綺麗なもんじゃないです。
女性の数が多ければ多いほど良い、いわゆる女をトロフィーと見て、数を多く集めたがっているだけです。
その視線は女性と言うよりは、同性へ向けて優位をアピールする方向に向いています。
女性の場合は、寝るのは恋愛感情を確かめるための、コミュニケーションの一種に過ぎませんが、男にとってはコレクション品なのです。
3.自分に対する愛があれば、彼が不特定多数の女性に手を出そうとすることはない。手を出したのは愛がなくなった証拠。
コレクションの一部に自分も、浮気あいても加わっているだけで、自分への愛がなくなったとは限らなかったりします。
ただ逆に言うと、自分ひとりだけしかいなくても、愛があるかどうかは別だったりします。
コレクションのひとつをとりあえず増やして、男性同士の世界で優位性を保つためのだけだったりする場合もあるわけです。
1.女同士の争いやいがみ合いは、男にモテる座を獲得するための闘争
性的にふしだらな女性を嫌う女性がいますが、これは取られるから、負けたからではなく、「ふしだらであることが、私の理想とする社会の品質を下げる。許せない」と考えているからです。
女性同士で仲が良いのは、若いうちは理想基準をお互いに満たしている、素敵な存在であると看做しているからで、年をとってくると全てが理想どおりに行かないと諦めがついて仲良く出来るようになるようです。
特定の男性に的を定めた場合、その人をとりあっていがみ合うケースはありますが、その場合も女性同士が男の取り合いで互いに、きちんと所属社会の暗黙の仁義を守るかどうかを重視します。仁義に反して取ることが許しがたいわけです。
2.女が男を選別するのは、自分が選ぶ余地があるほどモテることを同性にアピールするための自慢行為でありマウンティング
男性文化だとそもそも選別を厳しくする利点がないため、少しひねって解釈してしまいがちです。
実際は女性の場合は品質の低い異性とくっつくことが、集団の品質を下げてしまい、女性集団からも顰蹙を買うためです。
そもそも品質を下げるくらいなら、自分は子供を作らずに、集団の子育てをバックアップすることを選ぶこともあります。
直接的に子孫を残さなくても、母系集団が子供を残せればそれで良いわけです。
なので品質を低くするくらいなら、男と寝ない道を選ぶわけです。
女性の場合、欲しいのは男性そのものではなく、理想の愛であり自身の恋心を理想的な形で味わいたいという願望で恋愛することがままあります。
いわゆる恋に恋するわけです。
集団の品質を高めるためには理想の子供を作るための過程が必要であり、そのための理想となる恋愛像が先にあり、それを邪魔しない丁度良い釘として男性を探すわけです。
俗に言う女性にとって男性は、いわゆる愛をひっかけるための釘であり、品質のよい愛をひっかけるために、邪魔にならないよう変に尖っていない、無難な形をした釘が、俗に王子様と呼ばれるわけです。
なんか両方ディスって両方にマウンティングとろうとして、誰にもかすらない頓珍漢な叩きをあらぬ方へ投げている感が。
仕事はただの金儲け派は、人生楽しく生きていくのにまず金が必要で、そのために時間を切り売りします、それで稼いだお金を使って人生楽しみます、派でしょ。
一方生きていくのに必要なお金を稼ぐと同時に、その仕事自体も楽しみの一部に組み込む派もいる。こっちは稼げる金の量が減るかもしれないけど、楽しみに使う金が少なくて済むので、どっちがいいってもんでもない。
っつーだけの話かと。
最大限ここまでのスレッド(多分も元増田の書き込み多し)を尊重して導き出せる俺の結論は
マウンティング社会に参加しない(参加することができなかった、も含む)女性は古き良き本能を保存できて、そうでない者は男化することで本能を失っていくということ、それ以上のことは言っていないと思うよ。
「おばあちゃん」はどう考えてもマウンティング社会の住人ではない。
また、俺もそうだが中学校時代の交友関係をウン十年たっても保てているのは多分生息域が違い利害がバッティングしないからだと思う。
要はマウンティング状況から距離を取れるか取れないかということなんじゃないか。
で、マウンティングを男社会の産物なのは元増田に言われるまでもないと思うが、マウンティング社会を生理的な次元(多分本能という言葉でもいいんじゃないか、増田にならえば)で快く思っていないのは女だけではないことも、ついでに付け加えておきたい。
で、その人の使う君付けが装っているのか素なのか、ってのは、本人に聞かないと分からないし、正直判別しづらい案件だべ。
目下の人に対等な目線に降りてきている人の行為でも、上下関係ずぶずぶの目線で見れば、マウンティングに見えるだろうし……下手すると被害妄想の域かもしれんしな。
そんじゃ、たとえば、香港の日本人駐在員の奥様ワールド見てみたらびっくりするよ。
飲茶を一見仲良くつまみながら、おたがいの旦那の会社の格やら、会社からあてがわれたマンションの所在地がどっちが上やら、色々なアイテムがマウンティングの材料になっているよ。
ところがどっこい、それで一見仲良くしているように見えて、実際ドロドロのマウンティング合戦をお互いにやってるからねぇ。
結局そういう所に集まる人たちは、お互いを潰しあって、勝手にせんでいい苦労を背負いまくるという。
あと、君付けでややこしいのは、君をつけて呼ぶと目下扱い、ってのがそもそもホモソーシャル内部でのルールで、元々枠外扱いだった女性の場合君付けで呼んでも、目下扱いではなくむしろ対等目線、ってのがあるからなぁ。
「もともとホモソーシャルに最適化している会社に生きたら、マウンティングだらけになる」なわけで、
基本やっぱホモソーシャルが原因で、それはつまり男の人間関係構築が、マウンティングを通さないと成立しない、って意味でちゃんと筋が通っていると思うんだけどなぁ。
でも、ここで挙げられている例は、会社人の男と身の回りの関係に生きる女みたいな感じだから、その意味ではマウンティング云々が男社会のものと強調気味なのに違和感はあるが。
もともと猿山の猿の研究から、この手の政治力学研究ができているのはわかるけどさ。メス猿はオス猿の権力闘争から距離をおいているが、利益の配分場面ではちゃんと前面に出てくるとか
いう例の話ね、
そりゃ根本的に、会社というシステムがマウンティング前提で出来てるからでしょ。
で、そこで生き抜くのに女だったら多分男の倍は適応しないと無理なわけで。
(スタート地点で女というだけですでに下にマウンティングされてる状態になるので)
そもそも会社というシステムの設計を根本から変えないと、っていうね。
でも会社という空間で見ると、女のマウンティング合戦もひどいものがあるよ。
女同士の争いも激しいし、出世マインド女の戦略的なふるまいも醜い。
うちの会社では「さんづけ」が50年前の創業時以来の習慣なんだが、ある女が年下の男性を「君づけ」で呼び始めてから、社内がギクシャクし始めた。
セクハラ対策も含めて、女を君で呼んではいけないのに、女は男を「学生時代のノリを維持している」ということにして、上下関係を作り始める。
頭いいよなあ。
俺も部下を君付けで呼んでもいいよな、とならないところが社風のなせるわざ。
どうもマウンティング本能を駆使した上下関係と、外敵を作って対立して勝つための数増やしの本能を駆使して、友情っぽいものを形成してるんだよなぁ、と。
ホモソーシャルってのは、本質的に上下関係が崩れると、途端に瓦解するっぽいというか。
何かを目標として、上下関係作る団体に所属してたり、互いに知識やら経験やらでマウンティングしあえる間は続くけど、体力なくなる年齢になると、がたがたっと友情も消えていくというか。
要するに会社とかクラブとか辞めると、途端に互いに連絡すら取らなくなってしまうあれ。
回り見てもおばあちゃん同士でずーっと仲良い人たちは見かけるけど、おじいちゃんはおばあちゃん以外に一緒にいる人があんまりいない。
おばあちゃん同士の場合、よくもまぁこんだけ好き勝手なことお互い言い合えるなぁ、って思うような好き勝手会話してても、それで相手のことを見捨てたり、嫌いになったりはしないっぽい。
多分それで嫌になるような相手は、若いうちに別れて別のグループになってるんだろうけど。
ただ若い頃は、まだしっくりくるグループを見つけきれていないのか、結構もめているようにも見える。
本能レベルな分、体力有り余ってる間は、こだわりが強すぎて、力抜けてから上手くいく人がいるのかもしれない。
この辺が熟年離婚のすれ違いの原因の一つなのかもしれない。
若い間だけ成立する男同士の友情と、年をとってからしっくりくるようになる女の友情。
コミュニケーションを取る相手に好かれようとしていないこと
その根底には、相手を全く信頼せずどうでもいいと思っている自分
それはつまり傷つくのを恐れ、相手をマウンティングし、身を固くしている状態だ
そうなんだよなあ、だから店員とか医者には恐ろしく雄弁でスムーズでいられる
相手を役割や契約でしか見ていないから、信頼できるし心を預けられるから
契約関係でも感情労働のともなう仕事場の人はやはり心を固く閉ざしてしまう
そりゃマウンティングしてくる心を閉ざしたやつとなんかまともなコミュニケーションはとれないよな
この人たちに好かれたいと思った趣味のグループでは社交的でいい奴でいられるしきっとそうだ
ひとりはバブル期女性だからそんなもんかな、と思ったけど、30代前半の男性まで口を揃える。
当方30女ですが「基本ワリカンだし、周りもそうだった」つったらレアケース扱いされた。
同性/同年代なのに価値観が違うってことは、性別や年代の差じゃないんだろうから、あとは地域差ぐらいしか思いつかない。
(私は首都圏出身-電車社会なのに対し、その人たちは地方出身-車社会-男性主導のデートが多い、とか??)
価値観の違いがどこに起因してんのかすげーモヤモヤしたんで、id:topisyuさん解説お願いします。このへんの体験談は小町に死ぬほど溢れてそうですが。
(追記)
わーいさくっと解説ありがとうございました。URLの「Money>Love」がクール。
ただ読んでいて、大変申し訳ないのですが、重要なモヤモヤポイントを書き忘れていたのに気がつきました。
上記の話はすべて、「学生時代(大学生時代)」の話だということなのです。
私の経験上、大学生は性別問わず、皆おしなべて金のないものでした。なのでワリカンは当然、奢られたら次回は自分が持つ、というようにしていたんですが。
バブル期女性は「大学のころ、男の子は(女性に奢るために)一杯バイトしてて大変そうだなって思った」と語っていて、ものすごくモヤモヤしたのです。
解説の中では1~3の理由が主かな、と推察しますが…どうなのでしょうか。
「東京のオシャレな人はこんなことしてますよー、あなたも仲間入りしないとダメですよー」
って仕掛けるわけで。実際「オシャレな東京の人」なんてほんの少数なんだけどね…
教養ってのはたとえばピカソを見て「俺でも描ける」とか言わせない類の知識のこと。
ブルジョワのマウンティングと言えばそうかもだけど、そもそもピカソに「俺でも描ける」と言っちゃうこと自体がマウンティングだからね。しかもバカがもの知らずっぷりを武器に仕掛けてくるマウンティング。最悪だよ。
そういう恥ずかしい真似をさせない知識、それが教養。
たぶん教養を、分野を問わない知識の定量的集積に「すぎない」と考えてる人はあんまりいないよね。
本1冊にしたって、カントと浅田彰と稲盛和夫とマンガとケータイ小説では人それぞれ重み付けが違うだろうし、逆に「そんなものを読んでいるなんて教養がない」と言う人だっているわけだし。
やっぱり、なんらかの方向付けや傾向があって、それによって何らかの能力や権力が生まれるような、組織的な知識や見識の編成…って感じがするね。
とはいえ、増田のいうマウンティングみたいな形で、誰か他人との上下関係を競うゲームに直接使える、高級な知識資源のことだけを「教養」というには、あまりに貧しい気もする。
さて(今よみなおしたら元エントリの冒頭で元増田も言及していたけど)フランス社会学で有名なブルデューという人は、70年代フランスでのいろいろな職業と、文化的選好を下のような図にしてマッピングしてる。ここで彼は「教養というのは、単なるお金(経済資本)とは違う種類の資本=文化的な資本だ」というようなことをいってるのね。
http://www.ofda.jp/sakaushi/text/2004a/_img/fig03.jpg
この図では、聞く音楽、乗ってる車、好きな番組、休暇の過ごし方…なんかがさまざまな職業のクラスタとむすびつけられているね。そして、図の左にいくほど「文化資本+/経済資本−」、右にいくほど「文化資本−/経済資本+」となっている。つまり、金持ちじゃなくても教養があるのが右側、金持ってるけど教養には欠けるのが左側、というわけ。
経済学でいう「資本」には「蓄積保存でき、何かに投資でき、自己増殖できるもの」という含みがあるけど、ブルデューさんは「教養というのは、実はそういう点でお金に似てるんだよ、でも、それは必ずしもお金持ちという意味での裕福とは結びついていないけど、やっぱりそれ固有のパワーを持ってるんだよ」ということを実証的に明らかにした。日本的な言い回しなら「名家と成金の違い」といえば体感できるよね。
教養=文化的資本には階級の表示機能があるし、だから、階級を再生産することもできる。やっぱり趣味が近い人間はそういう人間同士でつるむものだから、そのクラスタの中での「当たり前」な知識や所作や価値観をお互いに共有・強化しつづけることになるし、そういうクラスタに属する家族では、子どもも自然に同じような教養のセットを身に付けるよね(文化資本の継承・相続)。婚姻選択のときにも「いくらお金持ちでも一代限りの成金の家にはウチの娘(息子)はやれませんな」みたいなのがあるし。
つづくかも。