はてなキーワード: エビとは
ないよね?
肉、魚、野菜、全て焼くと美味しい(もしくは食べられる)よね?
パンも焼くし、カレーも焼くと美味しい、パスタも焼くと意外と美味しい
みかんもバナナも焼くと美味しいし、餅もエビもうどんも焼くと美味しい
焼くと不味いものってないよね?
初めてココイチに行った。
行きたくて行ったわけではない。
出先で会社の上司が、「この辺で食べられるところはここしかない。カレーでいーだろ?」と言ってきた。
「いやー、俺カレー好きじゃないんですよねー。オリンピックレベルで食べない時も有るんで。ココイチは行ったことが無くて...」
「あそう、じゃ時間かかるけど歩いてどっか探す?」
「あ、いや、食べて、みます。」
という事で、デビューとなった。
お店の人に辛いのが苦手な事を言ったら、「普通」というのを選んでくださいとの事だったので、エビとアサリが入った「普通」を、
そしてご飯の量はどうするかと聞かれて、標準の300gは多いような気がしたので250gにしてみた。
ご飯の量はちょうど良い感じだけど、ルーの量を300gに合わせているせいかルーが多く感じた。
何とか完食できたけど、次が有るかと言われたらよほどのことが無い限り来ることは無いだろうな。
ただ、辛すぎてとか苦手なスパイスがきつくてというのはなくて、
自分にとって食べることが可能なカレー屋さんという事が分かった事はちょっとした収穫だった。
ちな、なか卯の和風カレーは食べられるけど、吉牛のカレーは無理だった。
カレーの好きな方には申し訳ないが、胃が弱いせいかカレーが苦手という人は結構いると思う。
近所にあった中華屋のチャーハンが好きだったけど、高齢の店主が亡くなって店じまいしてしまった
海鮮焼きそばも、エビやイカやキクラゲがたくさん入ってて好きだった
店名に北京と付いてたけど、北京に行った時に食べたチャーハンはどこの店でもほぼ具なしで薄い味付けだったから、北京料理という訳ではなさそうだった
北京ダックもなかったし
町中華のナルトの入ってるような油多めでなんか焦げたカスみたいなのが入ってる感じのチャーハンじゃなくて、油分少なめで冷凍のチャーハンが近い感じ
美味しいチャーハンの方向性が人によって違うから、中華好きな人に教えてもらって食べたチャーハンも美味しかったけど、求めてる感じとはちょっと違った
なかなかないんだよな〜
どんどん文字数伸ばしゲームが先鋭化していって、文字数が少ない時点で評価されないなんてなったらそんなインターネッツは俺には厳しすぎる。
それに増田なんてファーストブクマ運ゲーガチャだから、万文字書いて釣果0連発したら心折れるわ。
なにより嫌なのが話題のネタに相乗りしようとした時に求められる字数が増えすぎると、旬に間に合わせるために徹夜で書き上げる羽目になりかねないことだな。
他の連中が記事読まれている間は俺の記事は読まれないわけでな。
そこで奪われる単位が一度に◯時間とかになったら、俺の増田が読まれるのはいつになるんだって話だ。
書いて2週間ぐらい経つと自分の中での熱も冷め始めてるから反応返ってきてもあんま嬉しくねえんだよなあ。
インターネットに求められてるのってスナック菓子みたいなもんじゃん。
沢山文字読むなら本でちゃんとまとめてからにしてくれーって皆も思ってるんじゃないの?
俺はそう信じてそれに合わせてスタイル構築してきたわけよ。
「これからは論文みたいなスタイルが流行りますよ」なんていきなり言われても俺はついてけねえよ。
ツイッターみたいなやたら短いスタイルに合わせるのも大変だったし。
俺はさ、なんか書きたいなと思った時に書き殴って、それがなんか反応あるぐらいがいいわけ。
同じ話題について書きたい気持ちを1ヶ月も2ヶ月も燃やしたくないのよ。
俺にとって書き込むってのは排泄に近くってさ、排泄ってそんなに貯めるもんじゃないじゃん。
まあ駅や会議中やレイド中に催した時に「まあ1時間ぐらい我慢して一気に出すか」って考えることはあるけど、「3日分貯めてから一気に出したら凄そうだな」はなんか違うじゃん。
なんかハラの中にモヤっとしたものがあるし、ちょっと出るか出ないか確認しておきますかで吐き出して、その時に出し切った分だけで終わりってしたいのよさ。
勘違いしてほしくないから最後に言うんだけど、「ああいうことされると困るんだよね」ってわけじゃないよ。
なんだろう……「ああいうのが伸びる時代なんだって風潮が生まれちゃったら辛いから、あんま伸びないでくれて安心した」って感じなのかな。
そういう流れが来て「え?まだ文字数4桁の記事やってるんすか?もう誰も読まないっすよ?」みたいになるのは耐えられんのよ。
まあそうはならんと思うがね。
思うんだが、取り越し苦労があったというわけだね。
夫が興味本位で3日間だけヴィーガンになってみたいなどと言い出した。
めちゃくちゃ面倒なことを言うなぁと思ったので「作るのも食べるのも付き合うからレシピを調べるなどのお膳立ては自分でやるように」という趣旨のことを伝えた。
しかし夫は麻婆豆腐や野菜炒めなどと適当に思いついたであろうものをその場でいくつか挙げて、レシピひとつ調べずに結局丸投げされた。
そもそも麻婆豆腐には肉が入っているし、普段からよく出している野菜だけに見える料理にも鰹出汁やバター、鶏ガラ、オイスターソースなどを使っているのだと説明したら「調味料はノーカン」とまた適当なことを言う。
夫の基準がよく分からんのでどういう基準にしたいのかきくと「小松菜のおひたしに鰹出汁を使うのはOKだが、鰹節を振りかけるのはNG。シチューにコンソメを使うのはOKだが牛乳を入れるのはNG(豆乳にしろ)」とのこと。
面倒くさいなあと思いつつも了承し、豆腐等でタンパク質を補いつつ、肉がなくても満足感を得られるように工夫した献立を用意した。
夕飯時、夫が冷蔵庫からキムチを取り出して追加で食べようとしたので「それエビの塩辛入ってるからだめだよ」と言って片付けさせた。
エビの塩辛は、おひたしの鰹節と同じだと私は思う。自分が言い出したことなのだから、せめて自覚を持って飯を食ってくれよと思った。
翌朝、珍しく私より先に起きていた夫はすでに朝食を食べ終えていた。シンクを覗くと、シリアルに牛乳をかけて食べた形跡があった。
牛乳飲んだ?と聞くと、うん、と返事。これは、私が飲むために置いていた牛乳だった。
こっちはあなたの興味本位の菜食に付き合うため、献立を考え、買い物に行き、料理するという手間を負っているというのに。自分ひとりだと面倒を嫌ってシリアルに牛乳かけて食べるのか。
ごはんも、納豆も、漬物も、パンも、バナナも、りんごも、いくらでも食べられるように用意しているというのに。
夫がやってみたいって言うから始めたことなのに、まさかたった1日で牛乳を飲むなんて思いもしなかった。私は何のために3日分の献立を考えて、普段買わないような食材を揃えたんだろう。
その旨を伝えたもののヘラヘラして特に謝ることもなく、非常に腹が立ったので、今日からはもうサラダに豆腐乗っけたやつと米だけ出すことにする。オリーブオイルと塩だけかけて食いな。ヴィーガンってそういうもんだから。
そうすると決まった時間に、神社の外からとても丁寧なお辞儀をしてから駅に向かう家族がいる。
どんなお願い事をしているのか、それとも過去に起こったことに感謝しているのかわからない。
両親は50歳くらい。おそらく息子と思われる男子は中学生くらいだと思う。
過去に大きな病気にかかったときに頼ったのか、未来のために何か大切な願い事を掛けているのか。
特に会話もなく神社に近づき、入り口の外に3人が横並びになって、特に合図があるわけでもなく3人がきれいにお辞儀をして、そのまま何事もなかったかのように駅に向かう道を行く。
そこだけ切り取るととても美しい何かを感じさせるシーンなのだが、何かが引っかかった。
毎日しっかりと決まった時間に家を出ているわけではないので他の日はどうかわからないが、同じ時間に神社に差し掛かるときは決まってその家族が神社の外からお辞儀をする姿が確認できた。
それでなんとなく他の時間帯でも気にするようになったのだが、この家族以外にも、一定数の人が神社の外から非常に丁寧なお辞儀をしてから駅に向かっていることに気がついた。
朝の時間帯、忙しいという理由で中に入るまでもないという感じなのかもしれないが、お辞儀だけは手を抜くまいとする姿は皆に共通していた。
それだけ切り取ると確かに美しい何かを感じさせるシーンなのだが、やはり何かが引っかかった。
そうなのである。
お賽銭を全く投げていないのにも関わらず、お辞儀だけはクソ丁寧なのである。
願い事の万引き。
ちゃんと参るっていう行為自体が信仰の対価になるのだから、そこ端折ったら万引きでしょ。
それに気づいてからそれまでどこか神聖に見えてた彼らがエビルな存在だとした感じられなくなってしまった。
もしかすると何かのタイミングでまとめてそれなりのお布施(初穂料?玉串料?)を払っているかもしれない。
それにしたって、そんなに大きな神社なわけでもないのだから、たった十数メートルの参拝を省略するのはどうなのか。
だったら神社の前を通るときに心のなかで手を合わせていけばいいだけなのに、お辞儀だけクソ丁寧っていう願掛けの線引はまじで意味がわからない。
神様にガチなプレッシャーかけて、絶対に元取ってやろうっていう魂胆が見え見えなのだが。
似たような話で、大手町に将門塚というのがあるのだけど、めちゃくちゃ丁寧なお参りをしてる人がすぐ横に路駐してた車に乗り込む姿をみるとやるせない気持ちになるのよね。
そこを通るとかなりの頻度で路駐があるのだけど、そのせいで左折車線に入りづらくて迷惑だしそもそも危ない。
人に迷惑をかけてまで参られる側がどんな気持ちになるか考えればわかることだろうって。
お参りは誰よりも丁寧!って姿が、謙虚の皮を被った傲慢に見えておかしくて仕方ない。