はてなキーワード: 愛読書とは
親が医者というわけではないのだが、子供のころから病気オタクだった。愛読書は家庭の医学だった。7歳ぐらいの頃は本で読んだとある病気の発作の真似をしてよく親に怒られた。
大して頭がいいわけでも勉強ができるわけでもないのだが、テストになると奇跡的な勘が冴えて、特になんということもなく医学部に入った。
しかし入学後に躓いて、1年目から追試に次ぐ追試、追試地獄に陥っている。全然テストで点数が取れない。テストのときに奇跡的な勘を働かせても、まだ足りない。
というより黙ってぺたっと椅子に座ることができない。みんなに図書館で勉強した方がいいと言われているが、図書館で勉強していると腰が痛くなる。次に背中が痛くなる。最後に頭が痛くなる。仕方がないから図書館の中をプラプラ歩いていると、面白そうな本を見つけて読んでしまう。
図書館での勉強を諦めて、最近は自室のこたつの中でぬくぬく勉強している。この方がまだマシだが疲れるとすぐに寝っ転がって眠りに落ちてしまう。
筋力が足りないのかな?と思って、数日前からプランクを始めた。
座ることは何とかできたとしても、その後教科書・レジュメを読むことができない。
予め断っておくが私はどちらかというと読書が好きでおそらく年間70冊ぐらいは本を読んでいるので、読字障害ということはないと思う。
教科書・レジュメを読もうとしても、どう読めばいいのか分からず、ただ漫然と眺めているだけになってしまう。特に図の多いものは最悪である。
図に惑わされずに文章の部分だけ読もうとしてもどこが重要でどのように覚えればいいのか分からず、ただ字面を追っているだけのような気がする。案の定何も身についていない。
おまけに変なところに固執して同じところを何度も読んでしまい全然進まない。いつも試験範囲の10分の1ぐらいしか読まずに試験を迎えてしまう。そして落ちる。
試験対策委員がまとめプリントのようなものを作ってくれているのだが、それすらも量が多すぎてどう読めばいいのか分からない。
仕方がないから、過去問を解こうと思っても、教科書やレジュメを読んでいないとほとんど分からず、もはやどこから覚えればいいのか分からず、途方に暮れて頭がぼんやりしてしまう。
昔から、どうすれば教科書や参考書を読んで物事を覚えられるのか分からなかった。実のところ人生において今まで教科書や参考書をまともに読めたことがほとんどない。化学の参考書も倫理・政治経済の参考書も生物の参考書も全て挫折した。しかし何かの悪運によって大学受験までは何とかなってしまった。しかし医学部では何とかならないようである。
仲のいい学年トップクラスの友人に勉強の仕方を訊いてみた。ざっくりいいうと教科書を読んで、まずまとめを作る。その後に過去問を解く。というようなものだった。
真似しようとしたものの、教科書が読めないうえに、まとめを作ろうにもどこが重要なのか分からないので、真似できなかった。
その同級生とは同じように現役で入って入学時の成績も同じぐらいだったのに、今となっては差は歴然である。少し悔しい。
おまけに、私はロングスリーパーである。1日8時間ぐらいは寝ている気がする。テスト前もなかなか夜中まで起きているということが難しい。朝早く起きるということはもっと難しい。
どうすれば全教科それなりの成績がとれるだろうか。
今なら間違いなくパワハラで訴えられるような指導・対応も日常だった。
そんな上司に皆が気を使っていた。
『自分が人の上に立った時には、そんな上司・そんな人間にはならないようにしよう。』
そう思っていた。
独立した。
事業はそこそこうまくいき、社員数30人程度の規模になってきた。
当初より、社長になっても偉そうにせず、できるだけフラットな組織をつくり、フラットな関係で社員と付き合ってきたつもりだった。
しかし、最近になって、どうにも社員に舐められているように感じてきた。
また、自分ではない幹部が以前の上司と同じように偉そうに振舞いだし、一般社員が私ではなくその幹部の顔色を伺いながら仕事をするようになってきた。
私の考えていた組織、人間関係は空想論だったのか。人類には早すぎたのか。
偉そうに振舞わなければ舐められる。
>舐められているように感じる ・自信が無いから 髭はやすとよい。手っ取り早いのは
>舐められていたらなんか具体的な弊害があるの? 弊害があるなら、それを防止すればいいだけだろう。雇用主なんだから 弊害がないなら、それが望んでいた企業の形だ...
弊害はある。誰もが対等でフラットで、、尊重しあえる人間関係や組織を目指していたのに、結局は偉そうに振舞った者勝ちの組織になってしまったこと。これが望んでいた組織の形ではない。
もちろん、それを防止するのが雇用主の役割なのは理解しているので、悩んでいるし、ここで愚痴らせてもらった。
>マキャベリが「愛されるより恐れられたほうがいい」って言ってた
自分も以前は「今の時代には合わない」と思っていたが、最近は「現代であっても有効な手法だ」と感じることが多い。どんなに法律で決まったり、規範が高まっても、人間の本能はそう簡単には変わらないんだな、と思う。
キャラ作りに模索する芸人さんや、宴会芸を考えている人など、どなたでもご自由に利用してください。
ギリシア哲学をネタにするコンビ。得意ネタは、ソクラテス式問答法による論破。業界の大御所にもソクラテス式問答法を用いたら怒られてしまったので、仕事を干されている。
ヘルメットと作業服を着たコンビ。「ゼロ災で行こう、ヨシ!」の掛け声から、工場作業員ネタを始める。ネタ以外でも安全にうるさいので、落とし穴ドッキリは安全帯を装着したうえで行われた。
戦国の世より現代によみがえった落ち武者、という設定のピン芸人。童貞のまま死んでしまったことに未練を残しており、客席などに若い女(おなご)がいると男性器が勃起してしまう。興奮をしずめようと腕立伏せや背筋運動をするが、それによる陰部の刺激で果ててしまう。
くノ一(女忍者)姿をしたピン芸人。忍者あるあるをネタにするが、ネタをしゃべりすぎると(秘密を言いそうになると)自害する。舞台が暗転して切腹や爆発の音がすることで、自害を表現する。その後、何事もなかったかのように再登場し、「あやつは影分身。拙者は不死身だ」と締めくくる。
加藤鷹のモノマネ芸人。メタボリック体型なので外見は似ていない。チョコボールが好物。
ゴリマッチョと細マッチョのコンビ。「Today今日も観客のオーディエンスに笑顔とスマイルをディストリビュートして広めて、このワールドな世界で一番トップ」という挨拶から始まり、英語・日本語の重言を力技(力業)でネタにする。まるで二か国語放送のようだが、当然のように英語話者には伝わらない。
音響カプラの声マネやポケベル暗号をネタにする女ピン芸人。「みかか」という名前の意味が若い人に通じないことでジェネレーションギャップを感じている。
1980年代に流行した伝奇小説の主人公をモチーフに、霊能力や陰陽道などをネタにするピン芸人。「そうか、鬼門の方角か」が口癖。フリートークでも「鬼門の方角」と言いすぎるために「鬼門から離れろ」と突っ込みを受ける。それでも本人は、「鬼門から離れよと…? ハッ! それすなわち裏鬼門!」とボケ倒す。
スタイリッシュなエリートビジネスマンを装うが実際は窓際族社員、という設定のピン芸人。不要な書類を優雅にシュレッダーに入れる。文字入力するわけでもないのにキータイピングする。手帳や名刺入れを意味深に開け閉めするなどして、時間をつぶしている。
大豆の化身を演じるピン芸人。「〇〇は大豆が原料って、知ってるかい?」(〇〇…豆腐や味噌など)という大豆うんちくは定番のネタ。人類は一万年近くも大豆を食していることと、大豆の栄養価の高さが食品中ナンバーワン(自称)であることが、万年豆一という名前の由来である。ネタの終盤には「すでに人類は我が支配したのも同然だ」と高笑いをする。しかし、直後に崩れ落ちるように倒れてしまい「なぜだ、なぜ、どの国家・民族も我を主食とせぬ」と最後に言い残す。大豆といえども、世界三大穀物(コメ・コムギ・トウモロコシ)には敵わないようだ。
坊主頭の兄弟コンビ。夏休み中の小学生のように、半ズボンと白のランニングシャツを着て、虫取り網や虫かごを持っている。とにかく腕白で元気。コンビ名の名付け親は、少しは謙虚になるようにと五十音順で最後になるような名前を付けた。兄の愛読書はコロコロコミックだが、マセガキの弟はコミックボンボン。
分かる。それに九州大なんて出てるんだから、いくら就職氷河期でもラーメン屋でアルバイトなんかする必要は無かったはずで、労働とかそういうことに向いてなかったが親や世間的な事情で渋々という感じだったんじゃないかと思う。勝手に。
正社員になって3年前まで働いていたのも、3年前までで完全に人間としてバーンアウトして何かが彼の中で「終わって」しまったということなのかもしれない。
年齢的に、大学に戻れる年齢も越えてしまったと悟ったとかもありそうだし。
流石に低能先生程のニュースにはならないだろうけど、こういう事件はこれからも増えると思う。ああ、そういやこの前逮捕された奴の愛読書はハイデガーとドストエフスキーだったな。
確かに塩野七海さんは多いですね。ちょっと意外。本当に愛読していたのなら。
夏休みとかになると、書店に平積みされたりする類の良くお勧めされる類の、書籍でもありますけれど。
ただ、読みたいと思って買っていても読んでいない積読もあるし、
誰かに「これはいいのでお勧め」といってたくさん新品の本をプレゼントされることはある(私もあったし)
一概になんでもその人の部屋にあった本を「愛読書」とまで言っていいのだろうか。という気持ちはあります。
【余談なので読まないでいいです】
一緒にするなと言われそうだけど、知り合いのお姉さまがお勧めのBL同人を買ってはどんどん送って下さってて
実はそれらはまったく未読なんだけど、人が見たら何と思われるだろうってのは実際あります。
親には「**さんに何貰ったの?」なんて詮索されるしほんとうにキツかったなぁ。
厚生労働省が公開している資料「公正な採用選考について」を見れば企業の人事担当者が守るべき基準というものが分かります。
求職者・就活生においては、その企業はまっとうな選考を行っている会社かどうかのチェックリストにもなります。
本人の適性・能力というキーワードが出てきます。仕事をする人材を求めている以上、本人の適性・能力を図らないといけないため、
本人の適性・能力に無関係とされる項目を考慮することは良い人材の採用につながらない、すなわち企業の損失になると考えて良いかと思います。
http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/saiyo.htm
http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/dl/saiyo-01.pdf
次の①~⑪の事項を、エントリーシート・応募用紙に記載させる、面接時において尋ね
る、作文を課すなどによって把握することや、⑫~⑭を実施することは、就職差別につなが
るおそれがあります。
本人に責任のない事項の把握
② 「家族」に関すること(職業・続柄・健康・病歴・地位・学歴・収入・資産など)
③ 「住宅状況」に関すること(間取り・部屋数・住宅の種類・近隣の施設など)
⑤ 「宗教」に関すること
⑥ 「支持政党」に関すること
⑨ 「思想」に関すること
⑩ 「労働組合(加入状況や活動歴など)」、「学生運動などの社会運動」に関すること
❷家族に関すること
「家族」の職業(有無・職種・勤務先など)・続柄(家族構成を含む)・健康・病歴(遺伝性疾患の家系であるか等)・地位・学歴・
収入・資産などを応募用紙や面接などで把握しようとする事例が見受けられますが、それらの事項は、本人の適性・能力に
関係のないことです。
そもそも、両親のいる家庭であるかとか、親などの家族がどんな仕事についているか、会社の中でどんな役職か、どれほ
どお金持ちかなどによって、本人の就職が左右されてよいはずがありません。また、親などの家族の状況から本人の適性・
能力などを推しはかろうとする考え方も、家柄を重んじるなどの前近代的な因習に基づく多くの予断と偏見が作用した
「面接において家族について尋ねたのは、応募者をリラックスさせるために、答えやすい身近な話題として出しただけ
であり、何かを差別しようとするつもりはなかった」などという場合もあります。しかし、ひとたび尋ねて把握してしまえ
ば、それは知らないうちに偏見や予断を招き、本人に対する評価・見方にフィルターがかかります。はじめは差別するつも
りはなかったということでも、結果として、把握したことが採否決定に影響を与え、就職差別につながるおそれがあるの
です。
また、家族について尋ねるということは、例えば家族の離死別・失業など、本人に責任のないそれぞれの家族のさまざま
な事情に立ち入ることにもなり、もし応募者がそれらの事情を尋ねられたくないと思っていたならば、本人を傷つけた
り、動揺させて面接時に実力を発揮できなくさせ、結果としてその人を排除してしまうことにもなりかねません。
家族に関することは、尋ねる必要がないばかりか、本人自身の適性と能力を公平かつ客観的に評価するためにあえて尋
ねないようにする考え方が必要です。
「住宅状況」「生活環境」「家庭環境」などは、そもそも本人の適正・能力に関係のない事項ですが、それらを把握すれば、そ
こから本人や家族の生活水準(収入水準・家柄など)を推測し、さらにそれに基づいて人物を評価しようとする考え方に結
びつくおそれがあります。
以上引用。
この考えで行くと、キラキラネームは面接で不利というのは、「家族に関すること」に関わり(名付けたのは親だから)合理的な理由がないということになりますね。
愛読書はウシジマくん1巻?
私の愛読書は旅行会社のパンフレットである。特に好きなのはクラブツーリズムのやつで、いろいろな行き先のツアーがいっぱい載っていて楽しい。普通の旅行会社だったらだいたい行きたいエリアを決めてからその場所のパンフをもらう式なので、なんとなく日程的に行けそうな国内やアジアのものばかりもらいがちだけど、クラブツーリズムは自分が行けそうにもない遠いエリアだろうが、そんなに休みが取れないだろうと思うような長期間のツアーもお構いなしに載せてあって、脳内で妄想旅行を楽しむのに適している。
クラブツーリズムは良くも悪くも至れりつくせりで、一・二泊程度の旅でも「これでもか!」とばかり色々な名所を回るので、実際にツアーに参加してみると忙しくてしょうがないのだが、ペーパードライバー歴15年以上の私としては、交通の便が悪いところに行くならこういうツアーに頼らざるを得ない。あと、写真を撮るのが趣味なので、パンフを見ていると「ここにはこういう名所があるんだな」という調べものの材料にもなる。交通の便が良い場所なら往復のJRや飛行機と宿だけとって、パンフからピックアップした良さそうなスポットに行けばゆっくり撮影できる。
が、問題は仕事が不規則で人と予定が合わないことと、私と旅行に一緒に行ってくれる人がきわめて少ないことだ。前よりだいぶ一人旅にも慣れたけど、エリア的に一人で行きたくない場所(主にテーマパーク系)とか、二人以上でないと泊まれない宿が多く、行きたい場所を泣く泣く諦めることがある。一度一緒に海外に行ってくれた人がいて、その人とは他にも国内旅行に一回行ってるけど、わりとお気に入りの場所をリピートするのが好きみたいなのと、休みの予定が合わないので、なんでも声をかけていいのかが分からない。ちなみに私と同じ趣味(写真撮影)の持ち主で、かつ彼女の好きそうな場所(花の名所が多い)を選んで日帰りで誘っても断ってくる人がいる。最近は始めから声をかけないけど、何がそこまでイヤなのか言って欲しい。
最近の悩みは、休みの日に寝坊してしまうことが多く、洗濯とか雑用をこなしているうちに一日が終わってしまうこと。せめて日帰り圏内のスポットぐらい遊びに行きたいのにそれすらできない。こないだの休みに無理して富士山が見える(はずの)菜の花の名所に行ってみたが、家を出たのが遅すぎたのか、菜の花は見られたけど、富士山はお隠れになったままだった。でも久しぶりに長い時間電車に乗って遠足気分を味わえたのでやっぱりこうやって時々出かけないとだめだなと思った。
ちなみに私のシフト表は3日働いて1日休みみたいなパターンが多いので、珍しく2連休・3連休を確保してあるのにどこにも行けないと非常に悲しい気分になる。別に新幹線や飛行機に乗っていくような遠い場所でなくてもいいんだけど、都内でもちょっとフォトジェニックな場所とか美術館とか写真展とかぐらいは行きたい。最近めんどくさがりに拍車がかかって家の中が散らかってしょうがないんだけど、家の中を片付けるよりもどこかに行きたい。これは単なる現実逃避なんだろうか。
ニート→派遣→派遣→無職というネットで気持ちよく叩かれるために用意されたような人生歩み中
無職になった経緯も「母が病気と怪我で入院し、残された父の生活支援のために半年を2回」という、嘘つくならテンプレは避けろと怒られそうな経緯
(これを読んでる人へ:年を取ると症状が出やすい。不審な長咳は結核を疑い診察を。それと、雪国の人は物置などの高所の雪かきはプロや隣人に委託を)
で、状況の説明ついでによく聞かれるのが「ご両親はおいくつになりますか」ということである
えー、むろん違法である。職業安定法の第五条の四で禁じられている。家族構成年齢職業愛読書、みんなNGである
でもまあ、聞きたい気持ちはよくわかるのだ
雇って半年後に「親が倒れたので田舎帰ります」なんてのは、どう考えても好ましくはない
部長が明日死んでも会社が回るようにしておくのが役員のやくめでしょ属人性なんてクソでしょというのはその通りではあるが、実際には厳しいと言わざるを得ない
40歳ともなれば親は少なくとも60、下手したら70ということもありうる以上、慎重になるというのも、うん、わからなくはない
単純にオッサンだからとかタオルで顔拭いたとき物凄く臭いからとか保険払う額増えるからとかそういうのだけが不採用の理由じゃないってことなんだろう
この季節になると思い出す、昔飼っていたハムスターのこと。
母の同僚が飼っていたハムスターが子を生み、里親を募集していた。
種類はゴールデンハムスター。世間ではジャンガリアンハムスターが人気だった。
しかし「とっとこハム太郎」で、こうしくんよりもハム太郎が好き。「ハムスター研究レポート」が愛読書だった私は喜んでゴールデンハムスターを迎えたいと申し出た。
やってきたハムスターは小さかった。その日は抜けるような青空だったので、名前はソラになった。ソラは賢い子だった。1週間もすれば餌をくれる人間を覚え、愛想を振りまいた。
楽しみは、夜の散歩。30分程度、部屋に離すのだが、障害物や隠れる場所が多い我が家では目が離せないし、好奇心の塊の小学生にとって、目を離すなどもったいないと思える動きをした。
ひくひくと鼻を動かし、ときどき二本脚で立ってはキョロキョロとあたりを見渡す。
私がひまわりのタネを手のひらの上に乗せ差し出せば躊躇なく手のひらに登り、ほおぶくろに詰めた。その動作が可愛くて、兄とふたりで「写ルンです」で撮ろうとしていた。しかし、当時の写ルンですに接写機能などなく、現像したらすべてピンぼけだったときはがっかりした。
飽きっぽい子どもだったが、ソラは別だった。日記は1週間以上続かなくても、ソラの小屋は毎週掃除した。ソラは私とともに成長した。小学6年生のとき、中学生になったら部活や勉強でソラのお世話をする時間が少なくなるかなと不安になったが、それは杞憂だった。
小学6年生の10月。ソラがあまり餌を食べなくなった。親とともに動物病院へ連れいていった。
私はずっと待合室にいるよう言われていた。待合室の時計を見ていた。
秒針が何度も分針を追い越したとき、親がなんともいえない顔で診断室から出てきた。
「病気なの?」と私が聞いた。
「病気じゃないよ。ただ、おばあちゃんになっちゃったんだって」と、母はゆっくり言った。
ソラは私を追い越して、もう老体なのだと知った。ソラが初めて来た日と同じような空模様のある朝、ソラは動かなくなっていた。餌置きの前で、ひまわりのタネを口からはみ出させながら、冷たくなっていた。
家族みんなで涙を流し、ひととおり落ち着いて、お墓を作った。
実家を離れて10年ほど。玄関のコルクボードにはたくさんの写真が貼られている。旅行の写真に混じって、ピントの合っていない茶色と白の何かが写っている写真。多分だれにも何かわからないが、私だけはソラだと知っている。
愛読書を売る、それは過去を捨て去るような心地だ。世間ではこれを断捨離と呼ぶ。
麻紐で雁字搦めにされた書物の山。紐解かなければ物語はもう誰の目に触れる事もない。燃やせば、その分のスペースが出来る。人生と同じ。誰かが消えればそこに誰かが入り込む余地が生まれる。私が愛したのは埃に塗れた、小汚い書籍達。私と共に歩んだ書籍達。今はもう心躍らせる事はない、そう思い込みたかった。
二度と思い出す機会はない?そんな筈はない。何故なら同じ物が書店で売られているのだ。印刷の色鮮やかさが何度でもノスタルジアに私を捉えて離さない。捨てて進むも、抱えて進むも同じ事。だけど一度触れてしまったのならその記憶は捨てる事が出来ない。
デーデデデ、デデッデデッ
ブブー!!!
そんな昨晩の夜更け、
そっとベッドの横に置き眠りにつくはずだった。
急に入った一報で私は目が覚めた!
なんか昨日はゲットワイルド界隈で、
どえらいことが起こったらしくって、盛り上がってたようね。
あーあ、
私もコンプリートゲットワイルドアルバム買っておけばよかったわ。
まあ、後の祭りね。
ゲットできなかっただけに。
うふふ。
変わり栄えしない定番、
これがあれば充分。
リッチな超ショックね!
朝はまだ寒いかしら?
気分によって、
煮出したり、水出しにしたりして
テイストを変えるの。
口当たりが違うから、
いろいろ比べると面白いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「何の契約書?」って例えば賃貸とか電気ガス水道とか保険とかクレジットカードとかWebサービスの利用規約とかそういうものね。
それをみんなどの程度読んでるのかなあって。
「みんな」を日本人の平均とみなして考えてみよう。
たぶん全く読まないか、読もうとするけど10秒程度即息切れしてサッサとハンコか同意ボタンを押すという人が圧倒的多数だよね。
いやね、さっき関電ガスとかいう新しいガスサービスが始まるっていうDMが自宅ポストに届いててね。
何やら良さそうな気がしたので契約してみようかと思ったんだけど、もし◯年縛りとか契約解除しづらい事されたら嫌だなあと思って。
それで重要事項説明書とやらを読んでる訳なんです。
こういうの普段全く読まない人なんだけど、3連休でヒマだからさあ。
それにこういうの読んでるとか神経質なインテリっぽくて良いなと思って。
でね、全部で29項あるんだけど、もう2項目で疲れちゃって。
むつかしいこといっぱい書いてあってさぁ。
甲とか乙とかは書いてないし、ですます調で頑張ってフレンドリーに書いてくれてるんだけど、専門用語が多くって。
高木浩光とかこんなの毎日読んでるのかなあと思うと尊敬しちゃうよね。
でも高木さんって呼ぶと逆に馴れ馴れしいし怒られるかな。
あの森博嗣って人。
作家になりたきゃ本を読む暇があればまず書くべき。と言っている。
どうも作者の書籍やその著書自体を読んでおらず、ツイッター(ツイッタ)見てると言葉だけが独り歩き(ウォーカロン?)している状況
あれはつまり「まずやらなくてはならないことをやれ」という森先生の基本ポリシー(ポリシィ)前提に、話が進んでいる。
森は本を読まないんだ!と言っている人居るけれど、森は自分のおすすめ本をあつめて紹介するという本を2冊だったか3冊だったか出している。
本を読むのはめちゃくちゃ遅いけど(しかし人より丁寧に読みこむため、内容を一つも忘れない。そもそも速読否定派なのだ)、めちゃくちゃ読書家(作家になるまでに千冊は軽く超えてたということを読んだ記憶)。まぁ書くのをはじめてから忙しくて減ったような感じではないか。
本を読まないというのは多分「日本語の本を読まない」っていう意味もあって、基本的に読むのは洋書。
森先生は常に「小説は得意じゃない」って言いながら、常に億万長者で自分の山に列車を走らせている。
あと名古屋で最初に同人即売会を始めた人。当時はオリジナルをメインにして、東京に次ぐ勢力だった。
そういうのを踏まえた上で、森論は聞くべきですよ。