はてなキーワード: 反動とは
それ以前にADHDやうつ病、睡眠障害などでいろんな薬は飲んでいたが、今の薬(エビリファイ)になってから、自分の頭の中はすっかり変わってしまった。
まず趣味として嗜んでたイラストは全く描けなくなった。構図の妄想ができない。前は頭の中でテレビが鮮明についていたのに、消えてしまった。
今も描いてるけど、なんとか搾りかすを出力してるようなもの。
そしてなんといっても性欲が綺麗さっぱり消えた。自分は引くくらい性欲が強かったのだが、オーガズム障害になってしまった。
ちゃんと病院で薬が原因だと言ってもらえてたのだが、症状を抑えるのと性欲を天秤にかけるならもちろん二度と勝手に裸になって外へ出ていかなくなるほうを選ぶ。
新しい創作物を見ることにも興味が無くなった。漫画、アニメ、小説、すべてに興味が出ない。
搾りかすでも絵を描く身としては、インプットができないことは致命的だ。
眠気もさっぱり消えてしまった。いまはフルニトラゼパムを飲んでなんとか脳を気絶させている。
そして三大欲求のうち二つが封印されて、反動で食欲が増えまくって40kg増えた。
統合失調症のため手帳は一級、医者の診断書にも就労は不可能と書かれ、障害年金をもらって実家で暮らしている。
まだ20代なんだが、こんな虚無の人生に希望を見出せない。何度も何度も薬をやめたいと思った。でも自分が自分じゃなくなるのは怖い。耐える。今日も耐える。生まれてきたのが一番の間違いだった。
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
プライベートライアンを見た後にその映画見たら本当に酷かったというか
精々15人くらいの役者が雑な合成でチュンチュンしてる砂浜をモジモジしてるだけだった・・・・。
挙句発砲シーンも合成で銃口から出る煙やフラッシュもズレまくり。
それまでこんなもんだろって許されてたものが許されなくなった感じ。
ゴールデンウィーク突入目前前の私は飛び込み前転をとにかく意気込みだけは決めたいところだけど、
『ステラーブレイド』のためにプレイステーション5を買ってしまってお小遣い散財したから
旅に出る予定はもともとないけれど
お出かけは控えて節約の道を辿ることにするわ。
クリスタルキングさんが歌っているのは「大都会」じゃない方の「大砂漠」ね。
ってそもそもとして大都会じゃなくて内山田洋とクールファイブさんの曲の「東京砂漠」を言う方が正しいわよね!
そこでうろちょろしていてオアシスは何か楽しそうなものあるかな?って
慎重に慎重を重ねてって
まるで慎重に慎重を重ねた宝石箱やーって言いたいぐらい
フィールドの雑魚敵をみたら回避しまくりまくりまくりすてぃーで
マップを開いてクエストがあると表示されているオアシスに辿り着いたの。
そしたら釣りしてる人がいて
話しかけてもなんも返答ないしイヴが一所懸命ここは危ないよ!って言ってあげてるのに無視。
私ことイヴはその人の横に仕掛けておいてある釣り竿を拝借して、
餌を付けた針に魚はヒットするんだけど、
うまく魚が釣れないの!
雑魚敵も強いのにこの魚も釣り上げられない難しさの強敵現る!って
もはやミニゲームの要素満載で簡単に釣れちゃうんでしょ?って思っていたけど、
ぜんぜん釣れないの!
でも竿を魚の向きに合わせてボタンを押していって
プレイステーション5のコントローラーってR2L2のボタンが状況によって手応えがあるように反動があるのよ!
そんなイキフンの雰囲気を充分に味あわせてくれるこの釣り感はビックリよ!
そんでリールを巻き上げるところまで行ったけど
上手にリールが巻けなくて魚を釣り上げることができなかったの。
釣り難しくね?って
でも餌なくても釣り竿は振れるので針をオアシスにまた垂らしてみたの。
そしたらまた魚ヒッツパレード!
餌なくても針にかかるんかーい!って
なるけれどやっぱり釣り方が難しくて釣れなかったわ。
釣りやってみるけど
早くクリアして2周目成長リミットが外れて際限なく強くなれる上限がなくなるレヴェルアップがあるのをやりたいのに!
なのに釣りとか!
ぜったい魚のご褒美あると思うのよね。
ザイオンに魚屋さんあったから釣れた魚そこで持って行ったら何かいいことあるのかも知れない!
分からないけれど、
そういやいろいろ水辺があって潜ったら魚が泳いでいたから
いろんなところで釣りが出来るのかも!
どこで買えば良いのか分からないけれど
とりあえず釣り糸を垂らしているだけでも魚は食いついてくれるそれはゲームのご都合主義よろしく都合のいいものだけれど、
そうよ!
せっかくのゴールデンウィークだから釣り三昧ね!ってやかましーわーい!
できるならとりあえず早いところ1匹でも釣って釣りミッションクリアしなくちゃいけないのよ。
思いのほか釣りが難しくて、
本編のフィールドにいる雑魚敵に遭遇して瞬殺されるよりも難しい魚の釣り上げは早いとここれミッションクリアしないと先に進めないの!
主人公のイヴは一切缶ジュースを拾ったときにしかニコリとしないんだけど、
それでも釣りに夢中になっている姿をって私がやらせてるんだけど
そう思ってにこりとも笑わずにクールに釣りしてると思うとなんか可愛いわね。
しかしでも
これが釣りかーって
思いのほか釣り感を味わうにはとりあえず持ってこいな感じには驚いたわ。
この早いとこ釣りミッションをクリアしないと次にいけないのよ!
うふふ。
お笑いのレギュラーの西川さんみたいに気絶しちゃうことがあって
本当に気を付けないと寝食の食を忘れたらとんでもないことになるわ。
余計な渋味がない分すっきり飲めていいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
親がさー、ガンになっちゃったのね。
で抗がん剤治療を始めたんだけど、聞いてた通り、副作用で味を感じにくくなっちゃったんだってさ。
でも抗がん剤の味覚障害だと酸味は比較的感じやすいって言うからさ、ポッカレモンとかああいう酸っぱい調味料なんかを試してもらったのよ。
そしたらやっぱりレモン系の味は比較的美味しく感じるって言うもんだから、地方名物のレモン系の味の食べ物買って渡そうかなってお取り寄せしたんですわ。
したんだけど、がんの転移が急速に進んでて、体力的に抗がん剤治療も手術ももう無理ってなっちゃったの。
それは残念だけどせめて一緒に食べればいいじゃんって思うわけだけど、抗がん剤治療やめたら、反動なのか今度は味がちょっとでも濃い物がダメらしくてさ。
今自分一人でそれ食べてる。
フェミニズムって各社会で受け入れ可能か本当に正しいのか証明してる最中に過ぎないやん
再現可能性じゃないけど「この教義を受け入れて社会に持続可能性があるのか」を試してる
実際アメリカじゃ中絶権とか反動で禁止になっとるしイスラム教でもウラマーの集まりじゃ割れてるやろ
何とか入れようとしちゃいるけど各社会の実践次第じゃ全然「社会共通認識」じゃなくて「西欧の支配文化が流行っただけ」になってもおかしくはない
土曜日に1時間の練習走行を一回したあと、決勝レースのスタートする順番を決めるための予選を行います。
熱心なファンは練習走行からチェックするでしょうが大抵のファンは予選と決勝しか配信を見ません。
サーキットに足を運んで観戦するファンも練習走行、予選、決勝と進むにつれて増えます。
そこで頭のいい人が考えました。
日曜日だけじゃなくて土曜日にもレースをすればサーキットの観客は増える(収入が増える)し、
こういった考えのもとF1では年に何回か土曜日にもレースが行われます。
金曜日に練習走行を1回、土曜日のレースのスタート順番を決めるための予選を実施し、
土曜日に土曜日レース(日曜日のレースより周回数が少ないミニレース)と日曜日のレースの予選。
こうすると視聴者や観客が少ない練習走行を2回減らして、人気がある予選とレースを1回ずつ増やすことが出来ます。
で、それがいいことなのか?
というのがこの文章の本題です。
私はF1を見ますが練習走行まで目を皿にして見るほどの熱心さはありません。
しかし、一方で私の娯楽に使える時間は限りがあり、今週末の土曜日はつまらない用事にふりまわされてF1を見る時間がありませんでした。
通常であれば、予選とレースを消化するために3時間ほど使えばいいだけのところを
予選×2、ミニレース、レースと合わせて5時間ほどかかることになります。
娯楽というのは負担に感じる、消化しないといけないという義務感を感じると途端に嫌になってきます。
またリアルタイムで視聴していないとうっかりと情報が目に入って結果を知ってしまいます。
私はまだ金曜日の予選も土曜日のミニレースも土曜日の予選も見ていませんが結果を知っています。
だから予選×2、ミニレース×1を見るモチベーションがそれほど高くはありません。
しかし、これを消化しておかないと日曜日までの流れを掴むことが出来ずに決勝レースの面白さが半減します。
見ないわけにはいきません。
これが通常であれば予選の1時間を見れば決勝レースに追いつけますが今回は3時間必要になります。
こういったことはF1だけではなく、あらゆるジャンルで蔓延しています。
いかにして時間を専有するか?時間の陣取り合戦がエンターテイメント業界では熾烈に争われています。
ただ我々はそういった義務的なエンターテイメント消化に疲れ切っています。
そしてこれは皮肉なことにその反動としてあらゆる予習を必要とせず、止めたいときにすぐやめれる(ような気がする)、
TikTokのような短編動画配信へと時間を使うようになります。
TikTokには消化しておくべき事前情報というものがありません。
演技やロボットのアクション描写とは当時の水準でも相当高かったよね
もちろん全部がしっかり組まれている必要はないし、ご都合主義がダメとも思わない
けど、全体的に低品質というか薄味感が否めない
というより、あえていうとキャラの個性を立たせるためのストーリーであり、BGMによる演出を優先していたって感じがする
ギアスの暴走とかゼロレクイエムとか、みんなこれ面白いと思っていたんだろうか?
終盤で軍艦をつかってチェスをしているって描写はマジでナンセンスすぎるよなーって思っていたし
当時リアタイしていたけど、夢中になってストーリーを追いたいって感情は全然わかなかった
金曜に仕事でやらかしてな、やらかし方も自分のプライドをえらく傷つけるタイプの奴でな、その反動なのか今日はやたら完璧に過ごせた
朝は6時に起きて溜まっていた家事を順調にこなし、午前中のウチに図書館に行ってプロジェクト・ヘイル・メアリー上下巻を借りて帰ってきた。昼食後は映画を見ながらひたすら踏み台昇降をしつつスマホでテラフォーマーズを読み進め、運動でたっぷりと汗をかいた所にタップリのバスソルトを入れた風呂に入ることで発汗機能のメンテもバッチリだった。
そのあとちょっとだけ昼寝をして、気づいたら3時間が飛んでいた。
夢の中で俺はゾンビが溢れた街に籠城し、時にはドラゴンに襲われ、突然始まった過去編の中では中世ナーロッパの一般モブ農民としてのつらい日々に愚痴をこぼしていた。
念の為30分おきにかけていたスマホのアラームで起きたが、単純計算で5,6回ぐらいアラームが鳴っていたのに起きなかったことになる。
でも寝る直前に感じていた金曜のやらかしに対する後ろめたさは遠く記憶の彼方に消えていた。
なんとなく、なんか致命的なやらかしをして自己評価がゴミカスになっていたような気がするだけで、今はもうなんでたかが仕事の失敗1つをあんなに気に病んでいたのかと他人事のように遠く感じるものだ。
「反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判的意思と抵抗を突き進める立場として私は評価している。
曖昧で定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。
SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレは配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。
日本より立場の弱いアフリカでもラテンアメリカの各国でも、しっかりと「ポリコレ」に対する大衆の反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。
定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。
我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?
本当にその芸能人の過去や起した事件は舞台を奪われるに相応しいのか?
なぜ「子ども」が関わると様々な表現が規制されなければならないのか?
アングロサクソン・プロテスタントの一部の道徳基準とその差別の歴史からしか発していない基準をなぜアジアの日本人が採用する必要があるのか?
地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?
芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPのミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?
そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者が尊重される日が来るのか?
その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?
上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧なものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関や機関銃のような物である。
原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。
そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧なものを拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。
個別の「昔はよかった論」「弱者男性・女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。
そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。
数ある「炎上」騒動の中でも、自活できる基盤のある会社・個人は、そもそもの圧力を無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。
そしてポリコレへの反動は大衆やマジョリティのためのものだけではない。マイノリティのためにもなる。例えば障害者も障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。
我々を取り巻いている曖昧な空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館や交通機関における障害者の権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。
障害の不便さを笑う芸と、障害者の権利。異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微をポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。