はてなキーワード: 作詞家とは
当時のスレで「これはクラフトワークのRadioactivityをインスパイアしてる!」と騒いでる奴がいて
「そんなわけねーだろwww」と笑いものにされていたが
シングルのジャケットがクラフトワークのマンマシーンオマージュで逆転大勝利した
アニメの内容は全く覚えてない
OP曲の「Q&A リサイタル!」がめちゃくちゃキャッチーでクソかわいい
爆死王戸松(SAOは売れた)が歌っていて、作詞作曲はUNISON SQUARE GARDENの田淵智也
USGは当時はもうオリオンはなぞり済みでシュガーソングは3年後
OP曲「DISCOTHEQUE」がクソキャッチーでめっちゃ耳に残る
通称「ちゅるぱや」と呼ばれイントロの「ちゅ~る、ちゅるちゅる、ぱ~やっぱ~♪」は有名
作詞家の園田凌士が麻薬取締法違反で逮捕されたためアルバムには収録されなかった
アニメの内容は全く覚えていない
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
「こいのぼり」を歌ってるのがお母さん。
近藤宮子(こんどう みやこ、1907年3月21日 - 1999年4月8日)は、日本の唱歌作詞家。唱歌『チューリップ』、『こいのぼり』作詞者。
国文学者の父・藤村作が広島高等師範学校(後の広島大学)へ教授として赴任した1907年、広島県広島市国泰寺町(現在の中区国泰寺町)に出生。母・季子は広島高師附属中学、山中高等女学校の音楽教師を務めた。1910年、父が東京帝国大学文学部助教授に転任、東京市外千駄ヶ谷に転居。1931年、父の教え子で東京音楽学校(後の東京芸術大学音楽学部)講師・国文学者の近藤忠義と結婚、専業主婦となる。
ファン歴半年の星街ファンです。あんスタはやってないですが、配信中の話題は好意的に聞いており、好きでも嫌いでもないという印象ですが、とこまち寄りの意見になってしまっています。
私も今回の騒動は
という考えに賛成で、むしろその点に終始させず感情論に理由付けをするためなのか、トレスや規約を持ち出したことで不必要に揉めていると考えています。
誹謗中傷は論外ですが、感情論で批判することは悪いことではありませんので、そのやり方はどうなの、不快だ、ムカつくという気持ちをそのまま伝えればよかったのではと思ってしまいます。
ジャケットイラストがあんスタのイラストに寄っており、これが利用規約の誤認に該当するのではないかという指摘についてですが、引用されている
当社もしくは当社ゲームの公式や公認と詐称しての活動、またはそのように誤認するおそれのある表示、外観、状況を利用しているもの
という文言は利用規約中で3回使用されており、①二次創作について、②インターネット上での利用について、③プレイ動画の配信についての各項目の範囲内でハピエレが権利を持つコンテンツの利用を制限するものです。
それぞれを見ていくと、まず③については言うまでもありません。
①については描かれているのは星街・戌亥の2人で、ハピエレが権利を持つキャラではありません。この2人は服装から女性用ジャケット+スカートからもおそらく女性であることが判り、これらの衣装は過去にDFで使用されていた衣装や女装イラストで使用されていたドレスや私服とも異なるものです。あんガルの作風とも大きく異なり、あんスタ×あんガルのコラボだとは思えないでしょう。
またCDのイラストや楽曲、告知などにおいて、作品名やキャラの名前など、あんスタとの関連を示唆する記載やそれに類する発言はなく、このイラストを見てあんスタに似ていると感じても、あんスタ公式と関連していると結論付けるのは難しいのではないでしょうか。この点で争えそうなのは松井氏の世界線発言のみですが、当人が謝罪して公式からコメントが出ているため今後問題にならないでしょう。
twitter上では②を根拠に批判している方もおられましたが、今回のイラストはインターネット上の利用に該当するのでしょうか。
今回のCDが全国流通で店舗販売されていたとして、「ネット利用じゃないから店頭からは回収不要だけど、デジタルリリースのほうはイラストを差し替えてね」となるかというとそうではなく、問題視されているのは、あくまであんスタブランドを利用しようとしている(ように見える)ことと、あんスタのイラストを大事にしようとしなかった(ように思える)という点なのではないでしょうか。
そもそも②で言及されているインターネット上の利用とは、アカウントなりすましや限りなく公式に寄せた非公式サイトの作成などwebデザインやSNS等の運用に関して制限しているのであって、他者の創作物が自社の創作物に似ているかはこの項目とは関係のないことです。他者のコンテンツとの類似性を争点とするのであれば利用規約ではなく著作権法に基づいて行うべきでしょう。
個人的には、こうした点から規約違反だという意見に対しては、規約の内容も理解せずただそれっぽい記載があるから理由として挙げてみました、という薄っぺらい根拠に思えるのです。少なくとも、規約違反をあげている方の中で、寄せていると感じた、公式コラボだと誤解したからこれは誤認なんじゃないか、という以上の根拠は見つけられませんでした。
法律や規約を盾に他者のコンテンツを制限するというのは、考えている以上に大きな力を持つ権利であり、その根拠が定まらないまま他者のコンテンツを取り下げさせようとすれば、当然反発も大きくなりますので、この件についてはお互いにもっと慎重に扱うべきだったと考えています。
また、
世界線を繋いで
というのは事実ではないですよね。
前者の松井氏のツイートは「世界線の大きく精神的な部分を繋げよう」であり、あんスタとVtuberが同一の世界線にある以外の解釈の余地を与えるものではないでしょうか。
また後者はArte及び松井氏からの謝罪文に対してあんスタ運営が注意喚起のコメントを発表したのであり、コメント内に謝罪を匂わせる表現すら見つけられませでした。
たまたまなのか、わざとなのかはわかりませんが、そうやってファンやアンチが少しずつ事実を書き換えることは他者の誤認を招くことになり、それが今回の炎上に一役買ったのではないかと考えてしまいます。
ほかの方も書かれていますが、客観的には「ファンを不快にさせたこと」と「界隈を騒がせたこと」以外、謝るべきことがないように思います。落ち度としては「炎上しやすい界隈にいるのになぜその点に配慮できなかったのか」という点でしょうか。
そして、説明するにしてもこれらの点に言及せざるを得ないでしょうし、「V側が謝罪した」という点だけを切り取ってさらに炎上する可能性は否定できません。現に、松井氏のツイートやハピエレの謝罪など一連の対応において重要な内容についてですら事実と異なる発言が独り歩きしているのですから。
私も自分の好きなコンテンツが荒らされたらつらいですし、それがファンを公言している人の不注意によるものであればなおさら「どうして?」と思ってしまいます。
星街すいせいと戌亥とこの新曲「OUT OF FRAME」が炎上している事件について、変な方向に炎上してしまったせいで何故炎上したのか、何が悪いのか、本質が隠されてしまっていて残念に思ったので、個人的に改めて事実を整理して考察してみる。
あらぬ誤解を受けないように(Vアンチの工作だとか言われないように)、予め筆者の属性を示しておく。
上記の通り、どちらかと言えばあんスタ擁護側の立場と言える。あんスタ自体にそこまで特別な思い入れは無いが、今回の炎上を見ていてあまりにもいたたまれなくなったので、第三者を気取ってまとめてみようと思った次第である。
今回記事を書く上でなるべく公平に見ようと心がけてはいるが、基本的にはVを批判的に見てしまっているとは思う。
この事を念頭にしながら記事を読んで、本当に誰が・何が悪かったのかは読み手自身で考えて欲しいと思う。
あと「Breakthrough the frame」と『世界線が違うお話』はこの中の歌詞の意味の枠からも超えてる意味もありまして…別の世界線の大きく精神的な部分を繋げようかと…今回の作家陣やジャケットの絵から察してる人もいるかもですが…めためたメタですが…
3.1.2. 自分の推しに勝手に近づかれたかのように感じた妬み
筆者は法律の専門家ではないが、今回の事であんスタ運営側が規約違反や権利侵害として訴えることは難しいように思える。
3.2.1 著作権侵害に当たるのか
今回の件はいわゆる「パクリ」というよりは「パロディ・オマージュ」の類だと思われる。
ジャケットイラストはあんスタキャラのデザインを直接トレースなどした訳ではなく、あくまでモチーフレベルで模倣を行ったに過ぎない。「絵柄が似ている」という指摘については、そもそも絵柄や作風には著作権は存在しないとされているらしいので、この主張も通らないことになる。
パロディやオマージュの類を著作権侵害として扱うかどうかは難しく、専門家でも意見が分かれるらしいので、少なくとも簡単に権利を侵害していると言える物では無さそうである。
今回の件について、公式のコンテンツ利用ガイドラインの以下の部分に違反しているのではないかと指摘している人が居る。
HappyElements コンテンツ利用ガイドライン https://www.happyelements.co.jp/contents-guideline/ より引用
① 二次創作について
~中略~
~中略~
・当社もしくは当社ゲームの公式や公認と詐称しての活動、またはそのように誤認するおそれのある表示、外観、状況を利用しているもの
しかし、「公式と誤認する恐れがある」という主張はかなり無理があるように思える。
そもそも今回の件で本当に公式と誤認している人はほとんど居ないと思うし、ましてやあんスタ公式を騙っている訳でもない。VTuber側や作曲陣もあくまであんスタとの関連を匂わせているだけで、一言もあんスタと直接関係があるといったような旨の発言は行っていない。分別のある人間であれば、これが公式や公認のものでないことは目に見えて明らかだろう。
そもそも、上記のガイドラインはあくまで二次創作に対してのものだが、今回の件が二次創作と言えるのかどうかも議論の余地がある。当該の楽曲についてはあんスタのキャラクターや世界観そのものが利用されている訳ではなく、あくまであんスタの中の一部分のモチーフレベルの相似に留まっている。
二次創作の定義自体が曖昧ではあるが、これが一般的な二次創作と呼ばれるような範疇のものでは無いことは確かである。このような作品についても上記のガイドラインを適用することができるのか自体が不明である。
4.1.1. 作曲陣について
今回の炎上の直接のきっかけとなったのは、作詞家による匂わせツイートである。恐らく、件のツイートが無ければここまで炎上はしなかったと思われる。直接炎上の原因になったという点では、作詞家が最も悪かったと言えるだろう。
しかし、本件以外にも炎上の火種はいくつかあったことから、仮にツイートが無かったとしても遅かれ早かれ何らかのきっかけで炎上していたことは考えられる。
そもそも、他社のコンテンツ制作においてあんスタ公式の断り無くあんスタと関連させるような事を行うのは、かなりプロ意識が欠如しているように感じる。
それが作曲陣から出たアイデアなのか、VTuber側からのオーダーだったのかは不確かだが、何れにせよ公式に確認を取らず独断でそのような事を行ってしまうのは問題があるように感じる。
しかし、事の是非や制作過程がどうだったかはともかくとして、作曲陣はあくまでクライアント(VTuber)側からの依頼を受けて楽曲を制作している立場である。
作曲陣をいくら批判した所で、「今回の楽曲について問題がありました」と作曲陣側がクライアントに無断で勝手に謝罪することは難しいと思われる。
4.1.2. VTuber側について
今回の騒動の元となった楽曲だが、そもそもあんスタと関連付ける必要性はあったのか?という疑問がある。3.1.でも論じたとおり、当該VTuberのファン層とあんスタのファン層は恐らくほとんどと言っていいほど被っていない。
VTuberのファンからはあんスタのファンだということは認識されているが、あんスタのファンからは特別にあんスタのファンだというように認められてはいなかったと思われる。また、VTuberのファンは恐らくあんスタ自体には興味は無いだろう。
そうした状況であんスタをオマージュした曲を勝手に作ってしまうのは、あんスタのファンからは「自己満足」だという風に見られてしまっても仕方がないだろう。
例えば、当該VTuberが地道なあんスタのファン活動を行っていて、あんスタのファンの多くからも認められるような人物だったら話も多少変わっていただろうが、残念ながらそういった声はほとんど見られない。
自身があんスタのファンでありながら、女性向けコンテンツ界隈、とりわけあんスタ界隈におけるファンの繊細な事情を顧みず、自身の立場の認識を誤った結果今回の炎上に繋がったという点で、VTuber側には一定の非があると考える。
また、COVER、ANYCOLORの対応についても疑問が挙げられる。
前述の通り、両社は本件についての問い合わせでは「当該の楽曲は特定の作品を想起させる事を意図したものではないが、不安を感じさせてしまい申し訳ない」という旨の返答が行われているとの事だが、作詞家のツイートを考えると「特定の作品を想起させる事を意図していない」という言い分はかなり苦しい物だと思われる。
また、ツイート内容だけではVTuber側が関知していたかは定かではないが、仮に関知していなかったとしても発注側には一定の責任はあるだろうと思う。
そしてなにより、意図したかどうかはともかくとして、現実問題としてあんスタのファンや、ひいてはあんスタ運営であるHappyElementsという企業に対して明確に損害を与えている(具体的に言うと、炎上によるコンテンツのイメージダウンや、問い合わせが殺到することによる対応コストの増大などが考えられる)という事実がある。
まともな企業であれば、こういった事態になれば普通何らかの声明や謝罪を行うのではないだろうか?
問い合わせの返答の通り、「特定の作品を想起させる事を意図した事実は無い」というのであればそれを公に発表すれば良いと思うのだが、それをしないということは、発表することで自社が炎上することを避けているという事に他ならないのではないだろうか。
前述の通り、あんスタのファンとVTuberのファンはほとんど被っていないので、今回の件でVTuber側があんスタのファンを切り捨てるような対応を行ったとしても、VTuber側には恐らく大した損害は無いのだろう。しかし、このような横暴が許されて良いのだろうか?
星街すいせい及び戌亥とこは、今後も何事も無かったかのように、ただあんスタに関する言及や活動だけは避けて活動を続けるつもりなのだろうか?
今回の件について、あんスタ運営の対応を批判する声もあるが、3.2.で論じたとおり、今回の件であんスタ運営側が何らかの措置を行うことは難しいと思われる。公式Twitterにクレームを行った人物をブロックしたというのは状況的には悪手だったと思うが、とはいえこれについては規約に定められている通りの対応を行ったに過ぎないため、批判するほどの事では無いだろう。
3.1.3.でも論じたが、今回の件について、一部の過激なあんスタファンがVTuberをどうしても悪者にしたいが為に、規約違反などをこじつけるような動きが見られた。
3.2.で論じたとおり、今回の件について明確に規約違反などに問う事は難しく、無理にこじつける事で論理の破綻が起きている状態だった。また、怒り心頭のあまり文章も乱雑になっており、却って騒動をよく知らない人達に対してあんスタ界隈への悪印象を植え付けてしまう事態となっていた。
また、VTuberの配信のチャット欄にまで突撃していたという話もある。そこまで行くと言うまでもなくただの荒らしと化してしまっており、許される事ではない。
こういった行動によって「一部のファンが意味の分からないこじつけをして騒いでいるだけ」というように思われ、今回の騒動の本質が隠れてしまい、炎上がよく分からない方向へ向かっていってしまった原因になったと思われる。この人達も結果的にあんスタ運営側に被害を与えてしまっている存在だと言える。
随分と長くなってしまったが、今回筆者が思ったことは以上である。
改めて簡潔に結論をまとめる。
今回の炎上の一番の教訓としては、「男オタク界隈と女オタク界隈、混ぜるな危険」と言った所では無いだろうか。価値観の異なる者同士、最初から関わり合わないのが本来一番幸せなはずである。そこを不用意に繋げてしまった事が今回の炎上の反省点ではないだろうか。
えっと、先日から何やら炎上してるらしいってのがVtuberの方にも火の粉がきてるようなんで俺の方からちょっと纏めとく
ちなみに、少しはあんスタも男性としても良いゲームとして嗜んでるし、あんスタ推しの女性?で色々と騒ぐ人もいるが
だが、これも1ユーザーとしての意見だから、そこは勘違いのないように
まず、最初に
今は削除されてるが、作詞家の松井さんの「とこまち」新曲に関しての”世界観”説明のツイート
しばらく様子見てたらまあ騒いだのはほんの一握りとは思うけど
彼の作詞にかける情熱をずっと見かけてたんで、今から書こうと思うけど、いいかな?
名前見てるだけで嫌、とか見えたので、そのあたりの誤解を解いておきたい
「世界線をつないで」の件
あれは調べたらわかることだけど
前にも歌ってみたっていうのを二人で出してはいるけど、事務所が違うと色々とあるかなという事で
(🌈と▶︎という別所属なんだ)
なので今回二人として歌を出すのに、大変だろうな…という気持ちで
「二つの異なる事務所」の世界線をつないで…という表現だったと思うんだ
⬆︎勿論これが本当なの?って思うのも仕方ないし俺も松井さんがそう思ったよね?ってのを確認できないから正解って言えないんだけどな
そして、物議を醸した「愛の共鳴」
これに関しては、素直に ”二人があんスタ好きだからその気持ちを持って歌って共鳴する” 解釈になると思うんだ
勿論これも「あくまで想像」、俺は松井さんじゃないからね、そこは勘弁して
で、こんなの読みたくない!言い訳がましい!って思うかもだけど
彼は本当に偉ぶってないんだ、座ってる間も常にスマホで連絡や気になったキャッチーなフレーズ…
どんどん書き溜めていく
そして、基本「作詞は英語で」浮かぶと言う、そこから訳して日本語にするのが多い
あとはそのキャッチーなフレーズと、その歌い手さんの好きな言語、好きな物、そう言うのをちりばめていく
そうしてその「歌」を「本人の掛け替えのない物」にしていく
ご存知かもしれないが「歌い手さんと共作」する事もある、まさに「プロ」なのだ
そして他にも仕事を抱えてるから、作成したら次から次に作詞、時には作曲をする
個人の活動の他にもユニットであるTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの仕事もあり、何かと色々抱えている
想像できないかもだが彼は「世界基準」なので海外での仕事もあるんだ
そして人がいい、だから出来るだけ、ながらも胸の内はあかせない企業秘密なのも多く
SNSにて説明してみると意外に反響が大きかったため、そちらにシフトしていった…
時間も年単位なため、内容を説明する時に彼もメモを見ながらツイートをするようにした
(以前はそんな事をしてこなかったと言うのもある…)
出演するのかしないのか
または欠席されるのでは?
先日も月スタの時、荒らしに対して視聴者の皆さんは煽る人のをNG設定に自主的にしたりして番組を楽しんでたよな?
だから何?とか厳しい意見が多い中、本当は心の底から楽しみたいよな?
皆が言うVヲタ側からの誹謗中傷も把握してる、そしてV側ファンの真摯な意見も自分なりに汲み取っている
なので土曜の配信も待ちつつ、言い訳がましいかもしれないが、彼のとある一面を感じる事が出来たら…と切に願う
先日からあんスタは記念コラボ等、拡大して色々知ってもらおうと努力をしている
勿論アイドル(中の人含む)も男性側からしての個人的なものは内に秘めてる事だろう
許してもらおうとか(本人じゃないから)一欠片も思ってない
引っ掻き回すつもりは全くない
少しでも作詞家松井さんについて少しでもわかって欲しくて書いた日記なので
何かしら伝わればいいなと思う
長文で申し訳ない、以上
中の人とか2.5関係で燃えてるのって大変だなと思っていました。
もちろんコンテンツ自体が燃えることもありますが、キャラクター自体は燃えないから無問題、だった
そんな元増田のボヤキです。
「すみません、」から始まる謝罪の文章で、軽い気持ちで何についての謝罪なのかなとその人のツイートを見に行きました。
そこで見たものは、
推しのコンテンツに限りなく絵柄を寄せた見知らぬキャラクターのイラストでした。
その時点では似てるイラストレーターなのかな、もしかしてちょっとしたタイアップかな、そのぐらいでした。
(正式なコラボの線を最初から考えていなかったのは単に自身で情報を追えている自負があり、さほどRTもまわっていなかったので公式コラボという考えは最初からなかった)
いろいろスクロールをすると
・曲についているジャケットの絵柄は推しのコンテンツにそっくりだった
・その新曲の制作陣(作曲・作詞・編曲)は増田の推しの曲を作っている制作陣だった
「別の世界線をつなげようかと」「制作陣やジャケットの絵から察せている人もいるかもですが」「メタですが」(メタ発言、すなわちその世界外への言及)「愛の共鳴」
というものがあった。
推し基本的には二次元なのですが、3DCGになってライブもやってるんですよね。
その時のライブメンバーさんたちもその新曲のクレジットになっている。
まぁ楽曲は全て外注だし、たまたま同じ制作陣になってしまったのかな?
そのぐらいの気持ちでした。
ここまでは。
『新曲を歌っている二人組の方の一人の方のソロ曲に、元増田推しの名前が縦読みではいっている』
・・・?
推しはコンテンツがあってその中のひとりのキャラクターですけど・・・?
一番左側の文字をなぞってく
ない
ない
ここだった。
まじで?
いやオタクの早とちりかもしれない。
ツイッターをあさる。
衝撃的な画像があった。
「勘のいいリスナーがいたようですね」との回答
"伏線を先読みされたり不都合な事実を暴かれそうな時"につかう定型文のネタなのである。
歌っている人を確認する。
この時点で黒だと思った。
有名になって、お金も力もある。
だから好きなコンテンツの制作陣に、自分の曲をつくってもらったんだ。純粋にすごいと思う。
(ソロ曲の方は絵柄自体は似ていないけどジャケットの構図と文字デザインが非常に似ている)
せっかく自分自身のオリジナル曲をつくってもらえる立場にいてそれでいいの?
つまるところ
・自分の絵柄ではなくあえて似せたイラストを提供した"イラストレーター"
・コラボでもなんでもないのに似せた曲を作ろうとした"発注者(法人または歌い手)"
という今回の登場人物になる。
全員成人した大人か?誰も疑問に思わなかったのかよ
ちなみにコンテンツの利権をもっている会社(公式)の人は上記にいない。
「関与していない」
ってきた。そりゃそうだ
公式が外注で頼んだいたそのままの人を使って曲を個人的つくった、それだけのことだ。
その個人は法人の会社に所属して曲も有償で販売していたわけだけど。
※個人としては今回の件、ニコ動にあがっているような「歌ってみた」動画として”個人”の人が”無償”であげて何の利益もあげずに純粋にファンなんですよ〜って盛り上げてくれたら、
こんな派手なお金の使い方する同担がいるんだ!すごい!となったかもしれない。かもしれないだけだけど。
オマージュというには敬意がないし、パロディと言うにはオチも笑いもない。
上記の大人たち、真似された方のコンテンツのファンの気持は1ミリも考えなかったのかな?
まぁ考えてたらこんなことになってないよね。
もうすぐ7周年を迎えるし、女性向けならずっとアプリのセルラン上位常連のコンテンツなんですよ。
なんならコラボをしなくてもいいぐらい今年の売上は悪くない。
なんていうか、まぁ、むなしい。
推しは何もしていない。
なぜなら推しは絵でしかないし、感情に動かされることも、忖度されることもすることもない。
もしかしたら今後も作曲や作詞の人は推しのことが好きな人に依頼されたら
そういう曲を提供するのかもしれない。
コンテンツのファンのことは考えない、コンプライアンスがゆるい制作陣だから。
推しを推し続ける限り、その感情がまとわりつくことを覚悟しなければいけなくなった。
ただ推しを好きだっただけなのにどうしてこんな思いをしなければいけなくなったのか。
ちなみに夢女子ではない。
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
お前がヤマタツが云々前述した!って騒いでるのって
もちろん、80年代90年代のアニメソングっていうのは作曲家・作詞家・アイドルやアーティストとのタイアップを通して(昭和)歌謡とも密接に関わってるわけだけど
これのこと言ってんのか?w
vaporwaveやフューチャーファンクみたいなのに山下達郎が影響を与えたって話はしてるけど、これについては山下達郎のこと(あるいはシティポップのこと)なんか言ってねーんだわw
むしろお前があげた小室哲哉だったり、または織田哲郎、後はアイドル歌手みたいなマスにも人気があった売れっ子の話をしてる
あるいは馬飼野康二や萩田光雄みたいな歌謡曲の作曲家が劇伴を作ったりしてたということを念頭に置いてるだけなのよ
歌謡曲の業界全般の話をしてるだけであって、間違っても山下達郎や林哲司や角松敏生の作ったシティポップの話ではない
そんなことも理解できない(あるいは想像するだけの知識がない)状態で立ててる荒唐無稽な妄想(可能性などとは呼べないレベルの陰謀論)が意味を持つと思い込んでるのはマジで滑稽だよな
後音楽面(vaporwave方面)で詳しい人間がお前が想定してる可能性とやらについても否定してくれているから読んだ方がいいぞ