はてなキーワード: 札幌とは
日本プロ野球のポストシーズンが、クライマックスシリーズ→日本シリーズ、ということになって、今年で12年目である。一回りだ。CSの功罪については各所で議論されているので、ここでいちいち語り直すことはしないが、興行的に大成功なのはもう間違いない事実なので、いまさらやめるわけにもいかないだろう。
そこで、ちょっとだけかたちを変えて出来ないかな、と考えるのが、この稿の主旨である。
ご存知のように、メジャーリーグでは30球団が2つのリーグ(アメリカン/ナショナル)に分かれ、さらに5チームずつ3つの地区(西/中/東)に分けられている。シーズン中は同リーグ同地区のチームとの対戦が最も多く組まれ、ときどき同一リーグの他地区のチームと戦う「遠征」(たとえばエンゼルスとヤンキースの対戦)が行われたり、さらに少ない回数だが、別リーグの同地区チームと戦う「インターリーグ」(たとえばヤンキースとメッツの対戦)が行われたりする(別リーグ別地区のチームとの対戦は、ポストシーズン以外には無い)。
で、リーグ本戦が終わると、各リーグ各地区で優勝したチームがディヴィジョン(地区)シリーズに進出する。同時に、各地区二位以下のチームで、リーグ内で勝率上位2つのチームが、一回勝負のワイルドカードゲームをして、この勝者もディヴィジョンシリーズに進出できるわけである。地区優勝チーム3、プラス、ワイルドカード勝者、の4チームでトーナメントをして、リーグ優勝チームを決める。両リーグの優勝チームが戦うのが、ワールドシリーズである。
地区優勝、というシステムの良いところは、普段応援してる地元チームがポストシーズンに出れなくても、なんとなく同地区のチームの応援にスライドできるところである。いつも対戦してる同地区の敵を応援するくらいなら、別地区・別リーグのチームを応援する、という考え方もあるわけだけど、そういうのはわりにシリアスなファンの考え方であって、ポストシーズンの盛り上がりにつられて野球を見るようなにわかファンにとっては、拡大された「地元チーム」を応援するほうが自然なんじゃないかと思う。短期決戦の興行面での盛り上がりは、にわかファンが支える部分である。
これを日本でも出来ないか、と考える。ここからは、各チームの本拠地が書き入れられた地図を見ながら読んでほしい。
日本のプロ野球リーグの不思議なところは、2つのリーグの所属チームを東西で分けるのでなく、中心部(広島〜東京)に集まったセントラル・リーグと、周縁部(福岡〜札幌)まで広がったパシフィック・リーグに分けているところである。そのせいでなんとなく、地元チーム(例えば日ハム)が敗退したあとに、同リーグのCS突破チーム(例えばソフトバンク)を、拡大された地元チームとして応援する気になるかというと、ならない。したがって、日本シリーズの最後まで十分楽しみきれない、という感じがする。これはもったいないことである。日ハムとソフトバンクというのが、例として極端すぎる気もするけど。
かといって、いまさら東西に分けてリーグ再編するのも、歴史的経緯から言って不可能だろう。「阪神対巨人」が交流戦か日本シリーズでしか見られない、みたいなことになったら、それこそ暴動という気がする。
そこでどうするか。リーグとは関係ない「地区」を新たに設けて、その中で最高勝率のチームが戦うトーナメントの初戦を「地区シリーズ」、優勝決定戦を「日本シリーズ」ということにしてしまうのである。リーグ優勝チームとリーグ2位(CS突破)チームの戦いを「日本シリーズ」と呼ぶより、よほど合ってるような気がしませんか? みんな、なるべく地元の(に近い)チームのほうが、応援する気になるでしょ? 甲子園だって、自分とこの県代表が敗退したら、なるべく近いとこに乗り換えるでしょ? というわけで、どういうふうに地区を割るかというと、例えば(カッコ内は今年の順位と勝率)
<東地区>
日ハム(パ・3位 .529)
楽天(パ・6位 .414)
ロッテ(パ・5位 .421)
<首都圏>
西武(パ・優勝 .624)
巨人(セ・3位 .486)
ヤクルト(セ・2位 .532)
<中地区>
DeNA(セ・4位 .475)
中日(セ・5位 .447)
オリックス(パ・5位 ,471)
<西地区>
阪神(セ・6位 .440)
広島(セ・優勝 .582)
ソフトバンク(パ・2位 .577)
3勝先取(最大5連戦)が行われたあとに、4勝先取(最大7連戦)の日本シリーズが行われる……ということになる。
………………セ4位とパ3位の日本シリーズはキツいね…………………………………………………………………………………………………………。
同人活動を始めて10年が過ぎ、初めてサークル参加した時のことをふと1年ぶりくらいに思い出した。
同人イベントといっても、コミケのような大規模なものではなく、札幌つどーむで開催された小さなイベントだった。
生まれて初めて作った同人誌は、コンビニでいそいそと刷り上げたコピー本だった。
学生でお金も無くペンタブやイラスト制作ソフトは持っていなかったため、アナログで描き上げた拙い漫画本。
発行部数は10部、イベントで買ってくれた人は誰もいなかったが、1部だけ頒布できた。
隣の方は、私と同じ小さなジャンル内でも大手の方で、地方イベントにも関わらず多くの人がスペースに立ち寄っていた。
イベント当日まで、その方の隣だというプレッシャーでずっと腹が痛かった。
個人サイトが盛り上がっていた時代だったから、その方のサイトにも日参していたし、優しい人なのだろうとは思っていたけれど、とても年上の方だと知っていたし、学生としてはなんだか怖かった。
でも、その方は本当に優しい方だった。
おはようございます、と挨拶を交わした瞬間に、私の無駄な緊張はほどけていった。
よろしければどうぞ、とその方は新刊をくださった。表紙フルカラーのオフ本を。
なるほど、これが新刊交換の文化か、とサークル初参加の私は感慨深かったけれど、同時に、こちらが手渡せるコピー本がみすぼらしく見えて恥ずかしかった。
こんな本ですみませんが、と私はおずおずとそのコピー本をお渡しした。
その方は、ありがとうございます、と優しく笑って受け取ってくださった。
イベントも昼過ぎには閑散としており、隣の方はおもむろに私のコピー本を手に取って読み始めた。
私も、その方の御本を読んだ。素晴らしかった。手が震えたくらい、神本だった。
すぐに感想をお伝えしたいと思っても、自分コピー本のヘタレっぷりに恐れをなして、声を掛けても良いものか悩んだ。
すると、稚拙なコピー本を読み終えたその方が、明るく話しかけてくださった。
可愛らしくてほのぼのするお話でした、素敵な本を作ってくださってありがとう。その方は、そう言ってくださった。
涙が出そうだった。絵も話も線もへたくそなコピー本だけれど、一生懸命に描いたものだったから。その気持ちが報われた気がして、とても嬉しかった。
何度もお礼を言って、その方の御本の感想もお伝えした。幸せな時間だった。
私の本を買ってくれた人はいなかったけれど、1冊だけ受け取ってくれたその方の優しさに救われて、私のサークル初参加は良い思い出となった。
あれからその方は同人活動を引退され、私も活動ジャンルが数回変わった。
今はコミケや他の関東・関西のイベントにも参加し、毎回新刊を楽しみにしてくださっている読み手の方もついてくださっている。
本稿では、下記ブログで軽妙に紹介される釧路市の停滞について歴史的経緯から振り返ってみようと思う。
https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
近世期には、釧路は「クスリ場所」という漁場が設定され、松前藩から委託された業者がそこからの利益を独占していた。
そこでは鮭や昆布、鰊などの海産物のほか、内陸やその他獣の毛皮が収集されていた。
釧路には港がある。というか、大きな港を構築できた。これが大きかった。
函館から太平洋側に航路をとると、日高の小さな諸港を数えるばかりで、大きな築港ができない地形が続く。
例えば十勝国は広尾港の小港を除けばずっと遠浅の地形が続く。内陸に続く十勝川河口も例外ではなく、ついに十勝では大規模な漁港を構築しえないまま現在に至っている。
苫小牧港は、実は昭和の初めから計画されたもので、陸地を魔改造した港。自然にできたものではない。
釧路は道東の地域に程良く近い。厚岸にもいけるし、白糠にも近いし、内陸を通って今の北見国にも通ずる。
港を基点に色々なところに行ける。
近世末~近代初期にかけて、釧路では石炭が取れることがわかってきた。
そもそも北海道の鉄道の濫觴は、採炭メインで三笠市に小樽市とを接続したもの(ファンが多い分野だからあえてここでは雑に触れる)。
っつーことで、明治34年に釧路駅ができる。そこから十勝方面に鉄路が伸びて、日高山脈と言うでかい山脈越えるのが明治40年。
これで札幌・小樽・函館・本州方面に鉄路でモノを送れるようになる。
明治40年にここまで行けたのは結構重要。結果的に、大正3年~の第一次世界大戦の好景気に間に合う形になり、色々な階層を潤わせた。
となりの十勝の連中は昔から今まで農畜産物を本州に輸送し続けてやがる。
北海道は森林資源が豊富だが、でっかいどう過ぎて、山奥から運べないし、そもそも北海道から運べない。
鉄道ができたことで、山奥から何とか駅まで運べば何とかなることになった。
製紙業が発展するのが大正時代。第一次世界大戦の好景気後に「なんだ? 釧路に工場作って船や鉄道で運べば産業になるじゃん」と本州資本が本腰入れ始めるわけだ。
王子製紙、富士製紙なんかの巨大企業が木材の切り出しから工場生産まで取り仕切るようになる。つまり、カネを投下してゴリゴリ生産し始める。まぁ切出しは下請けに任せるんだが。
また、水産加工業もまた、この時期にこうした大規模化がはかられる。ビートやでんぷんの工場も本格化する。
昭和の初めになると、全国的に観光ブームになる。すごいね、JTB(の前身)。
そうなると、阿寒ですよ。成熟した鉄道路線の観光利用が始まる。
こうした中で、食品の釧路ブランド化の萌芽が見られる。最近のB級グルメブームまで尾を引いている。
さて、読んでいてわかる通り、釧路を支えてきた要因が全て転換期を迎えている。あるいは既に転換してしまっている。
魚は食が多様化してしまったし、石炭は使わねえし、紙はIT化で打撃を受けた。阿寒に行きたい? ちょっと一回くらい行きたいかなぁーーーくらいでしょう?
唯一の望みは工場敷設。釧路には、近隣の農水産物を加工する工場があるわけだが、そこも絶対的に振るっているかというとそうでもない。
輸送技術や輸送ルートも多様化して、釧路の固有性が薄れてしまった。この辺りは正直詳しくない。
最近、日本製紙の釧路工場が規模縮小するというニュースがあった。また人口が減るねえ。
https://www.fukeiki.com/2018/05/nippon-paper-stop-production.html
これみて思い出したけど、
個包装のチョコレートやキャンディが数十種類くらい飾って盛られてて
好きなものを選んで袋詰めして買うゆっくり回転する円形の什器、あれ今でも現役なのかな
かつて札幌エスタにあったと思うけどっていうか今でもあるのか? いつも通ってるはずのに思い出せない
とにかくこれは懐かしいものの象徴って気がする 自分の子供時代は平成だけど昭和の頃からあったのかな
小さい頃2、3回くらい、しかも少量しか買ってもらえた記憶がないけれど、なんだか妙にときめくところがある
あの回転台が消える前に大人買いを実行してみるべきだったな…と考え始めてしまって止まらない
実際やってみるとこんなものかとも思うだろうしそんなにおいしくもないとも思うかもしれないけど、
明日審査通って動かしても起動にだいたい30日ちょい、調整運転に4週間はかかるから送電開始は11月半ばすぎ、もう北海道は初雪もとっくに過ぎてるころなんだよ(札幌の初雪が平年で10月の終わり頃)
現実的には防潮堤出来ないと審査通らないし(https://mainichi.jp/articles/20161028/k00/00m/040/037000c https://mainichi.jp/articles/20171014/ddl/k01/040/177000c)そこを特例で見過ごしてもらっても今からでは間に合わない(動かすだけ無駄というわけではないけど)というのが議論の大前提
なんか苫東思ったよりなんとかなりそうだけど、無駄な凍死者がでないことを祈る
脈ありとか脈無しとか、皆好き勝手に言ってるけど、そんなのやってみなきゃわからんよね?
増田がアタックして玉砕するデメリットがなさすぎるので、自分が増田だったら、何らかしらのアプローチをとると思う。
というか、ストリートナンパ師だって5割も落とせてないのに、なぜ躊躇する必要があるのか。
どうせ後悔するなら、何かやって後悔したら?
実際にその場にいた当事者じゃないので、どの方法がベストかわからんけど、自分の感触である程度いけそうだったら、ケータイ番号教えてもらうんじゃなくて、こっちから教える。
ただ、何の必然性もなくその子がかけてくるとは思えないので、増田が東京の人なら、その子が何かの用事で東京来ることがあったらご馳走するとか約束して。
どっちにしろ、翌朝から仕事があるのに、その晩に何かできるとは思えないから、長期戦に持ち込んでおけばいいし、そういう種をあちこちでまいておけば、10個のうち1個くらい実現するもの。
(関係ないけど自分は札幌のクラブで東京から来たと言ったら、店の子に東京に行ったときに泊まりたいから、番号教えてと言われたことがある(既婚なので断ったがw)。)
どうしてもその日のうちに何とかしたいなら、「もしシュークリームが売り切れてたら電話かけて!自分がキープしておくから!」と言う。
そんでシュークリームがあったら、買え!
1 つ 残 ら ず だ !
当然彼女は買えないから、増田とフィーリングが合ってたら、電話をくれるかもしれない。
もしかかってこないようだったら、その時点でシュークリームを抱えてコンビニに走ればいい。
「他のやつが買うかもしれないから、念のために買っておいたよ!」と言って。
(時間があったら、ちゃんと1つは食べておいて「ありがとう、美味しかったよ!」と言う)
ただ、自分だったら、そこで彼女にシュークリームをあげてそのまま帰ると思う。
少なくとも電話してまで欲しいと思ってたわけじゃないし、増田がそこまで気に入ってたわけじゃないだろうから。
もちろん、その後飲み直す可能性がないとはいえないが、その場で誘うか否かは増田が判断しろ。
(ここで色気を出さないことに好感触を持つ女性もいれば、そうでない女性もいるので、誘わないで「あとで『誘ってくれてもよかったのに』」と言われたら申し訳ない。)
ただし、その晩まっすぐに帰ったら、翌朝当然パン屋には行け!
ホントに来てくれて、嬉しくないわけはないし、口説くわけでもないのに来てくれた増田に彼女は好印象を持つだろう。
単に売上を増やしたかったのかもしれない。
だ が そ れ が ど う し た ?
そこでパンを買いに行かないヤツに続きがあると思うか?
たとえ彼女が増田の住む町に来なかったとしても、また増田が同じ地方都市に行って、そのガールズバーかパン屋に行く機会があったら、その時パンを買っておいた方が、続きがあると思わないか?
これが何十万もする壺買うとか、何万もする宝飾品や服を買うなら躊躇するのは分かる。
でもたかがパン、しかも相手から「来て」と言われて店の情報までもらっておいて行かない理由が分からない。
そこまでやって何もなくても、それならそれで別にいいじゃん。
こうやって増田書いてうじうじ後悔するよりも、いつか起こるかもしれないラッキーにあまり期待せずに思いを巡らせる方が、健全だと思う。