はてなキーワード: 境界例とは
病気だという自覚があり、治したいと思う気持ちがあるなら、まじめに病院に通い、カウンセリングを受け、薬を決められた分だけ決められたように飲むんだよ。
他人に迷惑かける行動をしないように薬で精神の起伏を抑えるんじゃないかなぁ。
今まで見てきたボーダーの人たちは、境界例って診断を受けると病院かわってた。
躁鬱(今で言う双極性障害)とか、統合失調症とか、うつ病とか、そういういわゆるメジャーな病名ほしがってる人が多かったな。
ボーダーって、「生まれつき性格が捻じ曲がってますね」ってことでしょ。
病気なら治療が必要、なんらかの対処ができるのにしていないなら、やっぱり害悪だよ。
てか、見知らぬ人間にいきなり殴られても、その人が病気だったら許すの?
傷害事件でしょ。
追い詰めたら命を絶つかもしれない? 絶てばいいじゃん、そのかわり家族以外の他人の迷惑にならないように死んでね、としか思わないわ。
距離を置き触らないのがいい? 境界例の人と接したことないでしょ。最初はごく普通の人の顔をして近づいてくるんだよ。で、突然豹変するの。それ以降は向こうからぐいぐい近づいてきてどうしようもない。離れようとすれば死ぬ死ぬ詐欺。
こうなったら、死ぬ死ぬ詐欺のたびに警察に連絡するなりして対処するしかない。そのうち警察や消防(救急)にも相手にされなくなるけどね。
深夜アニメのヒロイン的な美少女がある日を境に精神疾患になっていく。それに気づいた家族は無理やり精神科に連れていき、治療が始まる。最後はちゃんと寛解してハッピーエンドになる。
ほら、「あんたは私を犯そうとしているのよ!!!」って妄想を弟に爆発させる美少女アニメって見てみたくない?
思い出したんだけど
http://www.katawa-shoujo.com/?c=ja
こんなのも見たい。
おおお、コメントがたくさんついていたので目についたものを返信してみます。全部読んでます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/takashiski
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/honeybe
姉ログ調べたら、これ、ヤバすぎでしょ。
ああなるほど、世間には糖質姉に萌というジャンルがあると知りました。ありがとー。ほんとありがとー。
それだ!! SHIROBAKOはアニメ業界の本格的な闇には触れないで、美化のたくさん入った美少女のお仕事達成物語な訳なんで、精神科病棟のお仕事(激しく美化)を見たいぞおおおお
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/cleome088
精神疾患の美少女って鬱とかだとひどい時には失禁するし境界例だと周りに狂って美少女台無しだし統合失調症も目つきがおかしくて美少女どころではないんですがフィクションとはいえ耐え切れるんですかね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/aoi_tomoyuki
増田が望んでるのは病んだ美少女が出てくるアニメじゃなくてガチの闘病アニメでしょ。そんな見てるだけで辛そうなものをエンターテイメントに仕上がられる人間がいるのだろうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/ophites
弟に襲われると思い込んでた姉が正常になっていき、最後は弟に「今までごめん、あんたはそんな子じゃないよね」と謝ってめでたしめでたし…と見せかけて、実は弟なんて最初から存在せず壁に向けて謝ってる展開を想像
それは、BAD ENDでは?
がっこうぐらしは結構精神の闇みたいのも描写があるのか、しらなかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/deep_one
リアル描写を心がけると「見るのが苦行」というものになるので、見たくない。/↓「実際は治らないので治るところを見て癒やされたい」という感じのコメントに、その方向性があったか、と思った。
そういえばSHIROBAKOは仕事がうまく行っていないときには視聴キツかったな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/isaisstillalive
とりあえず製薬会社あたりがCM代わりにアニメ作ってくんねーかなってことです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273793884/comment/vndn
主人公「お前がいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。」
境界例とはなにか
http://homepage1.nifty.com/eggs/borderline.html
とくに「原因とそのメカニズム」の部分
ちょっと古い記事だから今はもっと解釈が進んでるかもしれないけど、自分が出会ったのがこのサイトだったので。
親が子どもを手なづけたいときに、叱るだけではなく「褒める」を効果的に使う時があるという話。
「○○くんは☓☓ができるからおりこうだね」というのは、暗に☓☓ができないとおりこうではないという殺し文句になっている。
褒めると見放すをうまくつかって子どもを親に依存させるということなんだけど、親も気づかないうちにそうしている場合が多いし、その親もそうされてた場合が多いっていうのがこの問題の難しいところ。
要するにそのサイクルから逃れるためには、ひとでなしと言われようがまずは親と距離を置くということ。
親は時に狡猾に自分の身の回りを巻き込んでまでひとでなし扱いしてくることもあるけど、それは怪談とかによくある妖怪からの耐え忍ぶ言葉みたくとにかく耳をふさいでしまえばいい。
かくいう自分もそうで、幸い30歳くらいの時にこの事に気づいたから親と距離をおいて自分の幸せを追い求めることのプライオリティを高くすることが出来た。
最初のうちは親から呪詛のように「お前には無理だ」とか「外で親に迷惑をかけるな」とかの言葉が投げかけられ続けたけど(時に本当に呪いのような言葉もあった)、一切無視し続けて結婚して子ども連れて帰ったらそれこそ憑き物が落ちたように嬉しそうに孫ばかり相手をするようになった。
孫を手にするというそれまで想像もできなかった幸せを得ることができたから、こどもの愛情を受け続けるということに依存することから解き放たれたのだと思う。
親に愛されないこどもは不幸か?親に愛され続けているこどもは幸せか?
私の周囲には人を信用できないという人が何人かいる。そういう人に限って人脈に恵まれているし、信用できないと言いながら人と一緒にいることが多い。恋人や友人(彼らは大体知り合いと言うが)もいる。
彼らは親を恨んでいたり嫌っていたりする。だが話を聞いてみると大したことはされていない。そりゃあ理不尽に殴られているとか、理不尽な暴言を浴びせるとか、それならわかる。
しかし、そうではない。一般的な教育ママじゃない? と言う程度の親なのに何故か親のせいだと信じ込んでいたり、親に縛られ続けていたりする。
そりゃあ私は話を聞いただけだし、実際に体験していないから事実はもっと過酷で悲惨なものだったのかもしれないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らのもう一つの共通点はいじめ被害者という過去である。
いじめられたことを引きずるのは不思議なことではない、ただ私が疑問に思う点は彼らは社会的に見て勝ち組に近い存在なのにどうして執拗に過去を振り返るのだろうということ。
正直私もいじめ被害者側の人間だけど、それは過去のことと割り切っているしもうどうでもよいことだ。その価値観を押し付けるつもりは微塵もないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らは心療内科に受診してもろくな診断を得られないようだ。
統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、発達障害、双極性障害など様々な症状を持っている。
薬を服用しても回復することなくむしろ悪化したり、ジスキネジアなどが発生するようだ。私の周りはそんな人が同一人物なのではないかというほど同じような状態に陥っている。
ネットではいわゆる境界例人格障害のような振る舞いをするので、よく喧嘩になっているのを見かける。
でも、実際に境界例人格障害かと言うと疑問に思える点がいくつもあるし、恐らく境界例ではないのだろうと思う。私は医者ではないからはっきりとしたことは言えない。
そんな彼らは不幸なことに沢山の薬を服用し続けている。薬を飲んでも調子が良くならないのに薬を服用し続けるなんて不毛だと私は思うし、セカンドオピニオンを勧めるのだが
大体彼らは良質な医者の元へたどり着くことができない。
薬を大量に服用し、依存している彼らが一か月以上待たなければ受診できない病院を選ぶはずがないのだ。
正直、どうしようもない。
私も彼らの「知り合い」ではあるが、どうすることもできない。
個人的な予想だが、彼らは発達障害なのではないかと考えている。発達障害の二次障害ではないかと。
発達障害の二次障害なら統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、双極性障害と誤診されるのにも納得がいくし、薬で症状が悪化する理屈も理解できる(発達障害者は薬に対して過敏に反応してしまう)。
だが、もしも発達障害とわかったところでどうすることができるのだろうか。
減薬の離脱症状に耐えられるのだろうか、というより適切な減薬をできる医者にたどり着くことが可能なのだろうか。
減薬したところで彼らは薬物療法だけでは改善しないだろう、ではカウンセリングを受けるようになるだろうが、それが続くのだろうか。
そもそも人を信用していないと言い切ってしまう彼らが、カウンセラーに心の内を打ち明けられるのだろうか、高い金額を払ってカウンセリングに通い続けられるのだろうか。
では精神科病棟に入院して改善するか、そんなはずはないだろう。
どうしようもないのだ。
そんなどうしようもない人たちは一人くらいだと思っていたけど、案外少なくないことをしって唖然とした。
彼らがいつか報われる日が訪れるのだろうか。
私は彼らの「知り合い」として心配に思う。
それどこ情報よ…だいたいボダじゃねぇし。境界例は人格障害のひとつなうえに行動療法で寛解してたら薬は不要な場合もある。
ちょっと背が低かったり目が悪かったりするみたいに、精神安定に欠けてるところがあるなら薬で補うこともあるが、なくても生活できるように訓練することは低年齢で気づけば可能なのにな。
自分は合併症?で気分障害が出てきたのでこの三年くらいはリーマス飲んでるが。
どんだけボダに恨みがあるのか知らないけれど、もしあなたが人格障害でないのなら単に嫌なやつだし、人格障害なら治療してひとさまに迷惑をかけないようにしなさい。
もう数年前のことになるが、私も高校生の時に同じような恋人と高校時代に約1年強付き合った。私の場合は学校の同級生であったということで、出会いこそ違えど、その後はほとんどこの文章どおりに展開した。彼女が私にとって初の恋人だったという点も寸分違いない。強いて異なるところがあるとすれば「父が相手の家へ直談判を申し込み、息子(私)に今後一切かかわらない旨の誓約書を書かせて関係が終わった」ということくらいなものである。
正式に付き合い始めて数日後、イギリスに(たった1週間ではあるが)滞在することになったとき、さみしがる彼女をなだめるのに何時間もかけた覚えがある。それでも初めての恋人ということもあってか、鬱陶しいなどといった負の感情は一切わかず、むしろ「これが女の子というものか。さみしがり屋の甘えん坊で、かわいらしいものだ」などと思ったくらいである。彼女が境界性パーソナリティ障害であったとするならば、これは「自分を愛してくれそうな人を惹きつける」行為だったのだろうか。
付き合い始めて1か月足らずであったか、彼女から「父からDVを受けている」「母は父のせいでうつ病に罹り、現在では克服しているが、父から逃げるように浮気をしている」「心の底から本当に友達だと言える人がいない」などといった告白をされた。これは私を「試す」行為であったのだろうか。
その告白に全く動揺しなかったといえば嘘になる。しかし間髪いれず初めての恋人であったということもあってか、「彼女がこれまで幸せになれなかった分、僕がなるべくカバーしよう」と決意し、「そっか、そんなことがあったんやな。僕も人間やからできることは限られてるけども、それでも一生懸命がんばるし、一緒に幸せになろうな」と告げた。彼女もそれに対して「あなたが運命の人に違いない」などと答え、私は舞い上がった。私もまだいまよりも若く未熟であったために、ものの見事に術中に陥ったというべきか。
その後の展開は元記事そのままといっても差し支えないだろう。メールに対する返信が5分遅れようものならブログ(といっても私にしか見えないのだが)に『私は誰からも愛されていない』『天涯孤独』『死にたい』などなど。また、私は進学塾に通っていたのだが、「授業終了後は彼女が私を迎えに来て、私が彼女を家まで送る」といった少し(?)変わったルールがあったのだが、そこで授業が長引いたりすると『私なんて塾以下の存在』などといった書き込みもよくされていた。
仔細にわたって書き上げていくときりがないのでその他の具体例は元記事を参照していただくとするが、こういった書き込みや態度(泣く・拗ねる・怒る)は、まだ年端も行かぬ私にとっては、正直なところ、相当な負担であった。
半年が経ったころ、そのストレスは周囲に目にも明らかになるほど顕在化していたらしい。私は「彼女と付き合っていることでストレスを感じている」という事実を自分の中でも認めたくなかった。リストカットやODをしていたが、それは彼女と痛苦を分かち合うための手段であると信じ込んでいた(あるいはストレス発散も兼ねていたことは認めていたが、先に述べた大義名分によって容赦された)。
恋愛(と呼べるかどうかは怪しいが)を語る上で避けて通れないのが性の話題であろう。ここではあえて直接的な表現をしないが、当時は「彼女を満足させることが何よりも優先させてなすべき第一の仕事である」と考えていた(いまとなっては「性奴隷」と呼んでも差支えがないように思える)。
ここまでつらつらと彼女に対する文句を垂れてきたが、これはすべて私自身が選んだ道であり、責任は私にあるという考えはいまでも変わらない。ただ、その道を選ぶこととなったきっかけは少なからず彼女にあったはずであるし、彼女がそのように誘導した原因として「境界性パーソナリティ障害」は十分に考えられるのではないか。
他者を思いやり、理解しようと努力する姿勢は人間として生きていく上で必要なことであろう。しかし、それは「自分を守れる」ということが前提でなくてはならないと私は考える。「この記事の筆者は元カノを境界例であると認定することで心の安寧を図っているから間違っている」というが、それならば他に彼が彼自身の心を守ることができるすべを提案できるのか。
苦しんでいるのは境界性パーソナリティ障害(と思しき人)のみではない。その恋人もれっきとした被害者である。「それでは加害者は誰であるか」という問題が持ち上がるが、それは「境界例の素質を植え付けた親」だと言う人もいれば、「社会の風潮」だと言う人もいるだろう(医学的にはいまだ明らかにはされていないという)。その中苦しみを自分に与えた張本人「恋人」を加害者とする見方ももっともである。今後一切かかわることがないであろう人なのだから、そこへ原因を押しつけたとしても、それで救われる心があるのであれば、「人間として」「道徳的に」「常識として」「一般的に」間違ってはいないのではないか。
今月で境界例の女性との生活が終わり、自分の元にかつての平穏な生活が戻ってきた。
そして境界例の呪縛から解かれて余裕が生まれたせいか、彼女がとった理解不能な行動をもう一度改めて思い出し、
絡まった糸をほどくように一つ一つ「なぜ彼女がそう思ったか」「なぜ彼女がそういう行動をとったか」をゆっくりと考えるようになった。
その話をカウンセラーにしたら「なぜそんなに彼女の行動が気になるんです?」と聞かれた。
「今そういうことをしても何もプラスにはならないと思いますよ」だからやめた方がいい。それがカウンセラーの言い分だった。
とりあえず「ジェットコースターのような刺激的な生活が終わり極端に暇になったから」と答えようとしたけど求められている答えとは違う気がした。
でもいくら考えてもいい答えが思い浮かばなかったので、なんとなく「推理小説が好きだから」と答えてみた。
「推理小説って最後に探偵役が犯人がどういう動機でどういう行動をとったか、全部解説するじゃないですか。
逆に犯人の動機も犯行の手順もわからないまま「犯人の心理は最後までわからなかった。もう忘れよう」で終わる推理小説なんてあったら嫌じゃないですか。
それと同じだと思うんですけど」
カウンセラーは黙ってカルテに何か書き込んでて返事をしなかったので話を続けた。
「あと、彼女に限らず友達であれ同僚であれ、自分の理解の範疇を超える行動をとった時はなぜそうしたのか興味を持ちます。
それは私が知らないだけで、たぶんその人にとってはとても合理的な思考に基づいた合理的な行動だと思うんです。
だとしたらその人が考える合理性とはなんなのか知りたい。知って「なるほどな」と思いたい」
「じゃあワイドショーなんかで見る事件や芸能人のスキャンダルでも同じことを思いますか?」
「それは思わないです。友達や同僚なら考察するためのバックボーンをある程度持っているからそれを元に考えることができるけど、
ワイドショーの事件や芸能人のスキャンダルにはそれがないですから」
それを聞くとカウンセラーはまたカルテに何か書き始めた。
いったい何を書いてたんだろう・・・
気になる・・・
知りたい・・・
http://anond.hatelabo.jp/20111017024535
はて、どう応えたらいいものやら、と一晩考えておりました。
現実にある問題に直面しており、その根本となっている「自己肯定感」の乏しさについて書きました。
具体的な問題について語るつもりはありません。特定されたくないですしww
ここ数ヶ月、ほぼ初対面の方に「自信なさそうだね」と言われることが数回あったので、
頭の片隅にずっと、考えるべき命題としてありました。私が感じる「生きづらさ」の原因でもあります。
私は、自分のことをメンヘラだとか、境界例だとかの、診断基準にちっとも満たないと思います。
ただ、現在凹んでいる自分を支えてくれている大きな柱が、恋人であることに気付き、
依存してしまったら彼に申し訳ないし、不健全な関係になってしまうなあ、と気をつけようとしています。
「冴えない」と書いたのは、「うちの愚妻が…」といった風な謙遜の意味です。今の恋人は、私にとって大切な尊敬できる人です。
ただ、今までの恋愛遍歴は、人に自慢できるようなものではありませんでした。依存、共依存はろくなもんじゃないです。
恋人がいる、友人がいる、という状況を以って、はてな民の皆様からは反感を買っているようです。
予想はしていましたが、嘘を書くつもりもないので、正直に書きました。
でも、程度問題に還元されたくはありません。最も苦しみ、弱い立場に置かれた人にしか、発言権はないのでしょうか。
私には私の感じる、固有の困難さがあります。分かち合える人、そうでない人、様々にいて当然だと思います。
恋人、友人、家族、趣味の世界…様々な他者からOKをもらえたとしても、
自分で自分にOKを出してあげる、その穴だけは埋めがたい人もいるのです。
「リア充」というのは、世間で認められたある種の「望ましさ」です。価値観のひとつです。
そういう価値観に染まらないぞ、と断言できる自分のことは好きです。
誰かのご指摘の通り、そういう自分に恍惚とすることもあります。
ただし、対人関係構築の不器用さから、すべてのコミュニティでうまくやっていけてるわけではありません。
自分への理想も要求水準も、すごく高いです。世間の価値や、自分への要求をすべて満たせない自分にも苛立ちます。自信が持てません。
これらは、「表面」⇔「深層」といった関係ではありません。それこそ分裂しちゃうよ。
私からすると、すべて私を構成する面です。私は、アイデンティティを多面体として捉えています。
好きな面も、嫌いな面もあります。もっと、好きな面を増やしていけたらいいのにな、というくらいの話です。
SNSで臆面もなく、恋人とのイチャイチャ写真をうpできるくらい、自信の皮が厚ければ
さぞかし生きやすいだろうな、と思います。そうなりたい、というわけではありません。そんなん恥ずかしいしww
秋の夜長に、ちょっとキャッチーに書きすぎたことを反省しつつ、
現実に起こっている問題に対処することでしか、自己肯定感は復活しないぞ!と、自分を戒めたいと思います。
「持つ者と、持たざる者」なんてキャッチーに書いたけど、ホントは多かれ少なかれ、みんな持ってるんだと思います。
自己肯定感ゼロの人は、それこそ死に至る病なので、死んでしまうか、その寸前かと思います。
私にも、自己肯定感が高い時期もあれば、低い時期もあります。今はどん底ですが。
「きっと何者にもなれない」私の人生で、自己のプライドと、どう折り合いをつけていくか、正念場です。
それと、皆さんが私について書いてくださったことは、あくまで「仮説」です。
エビデンスもなしに、私という人間を100%理解したつもりになってる方、断定的な口調で物を言う方、
自分の理解できる範疇・型に当てはめてくる方・・・には苦言をいいたい気分にもなりました。
最後に、極端な人のみが、悩みを持っているわけではありません。
あなたの文章読んでてまず思い出したのが「境界例(ボーダー)被害者』脱出記録」の人のブログ。
その市峰って人がボーダーだとかそういうことが言いたいわけではなく、
あなたがそのブログの人のように、腰をすえた治療と、自己の解放の必要な状態にあるのでは、という印象を受けたって意味で。
仕事や日常生活に支障をきたすレベルっていうのは本当に何とかしたほうがいいですよ。
ふんばりながら、とか結果的に無理を重ねたり、早く立ち直らなきゃと焦ると逆に状態が悪化して長引くから、
まずはともかく自分を労わることが大事。
吐き出す、っていう意味で増田に書くのも勿論いいと思う(書いただけでいくらかすっきりするんじゃないかと)
ただ、増田は思わぬ攻撃的を受けることもあるので気をつけて。悪意ある他人に何かを吐きかけられたら避けること。
どんな攻撃的でどんなに迷惑でも、その本人だって苦しんでいる。
「私が許せない」?
私が許せないのはそうやって人の苦しみを「偽りの病」だと言って断罪する元増田の偽りの正義感。
なるほどブクマでも攻撃的なのは境界例ではないか、という意見が多いけど境界例だって症状としては「うつ病」と診断される。
うつ病と診断された患者は「うつ病患者」ではないと暴論を吐くの?
「精神病を患った者の大半は他者に対して、優しい。」のに、そのやさしさはその攻撃性で自ら苦しむ人には向かないんだ?
今すぐ削除しろ
もう一度言う、今すぐ削除しろ
君のやっている事は少なくとも、うつ病と診断されながら自分の攻撃性に苦しみ、病と闘っている私の家族への、これ以上ない侮辱なのだぞ
ちなみに境界例とか、名前がつく精神疾患は患ってないです。医者と確認済み。
壊す過程で、強ストレス状態になった。 重度の抑うつ状態だった。
エネルギーがいつも漏れている感じで、なんだか四六時中腹部胸部に鈍くて熱い痛みが疼いてた。
今は健全な人格がある程度安定して運用できるようになったけど、どうやら人格を壊す途中で、「死」に対する違和感を全く失ってしまったみたい。
人格を「壊す」ってのはある意味「殺す」みたいなものなんだけど・・・それが予行練習になって、切羽詰ったら誰にも迷惑かけずに死んじゃっても全く問題ないし、完璧だし合理的だなあなんて思うようになった。われながらキモい・・・と感じるべきところなんだろうけど・・ はあorz