はてなキーワード: 境界例とは
2,3年前までは、ネットで鬱や自傷、各種障害の話を見て「へー。」と思う程度でしたが、
実際、相当数精神的な問題を抱えている大学生がいるのだなぁと思いました。
サークルクラッシャー地雷での四面楚歌による鬱症状や境界例等々。
集まること集まること。
こんなにも精神的病を抱えている学生がいるのかと正直驚きました。
しかし、実際厄介なのは精神病ぶってる学生も一定数いるということです。
ボーダーや鬱を周囲に言いふらしている子がやはりいると思われるのです。
両者とも、俗に言う「メンヘラ」という存在は昔から相当数存在したのでしょうか?
それとも、近年「弱い子」が増えてきただけなのでしょうか?
いやあ、もうまさしくそれこそが非モテの特徴だと思うよ。イケメンとブサメンにしてもそうだし、処女は貞淑だけど非処女はビッチとか、相手に100%の好意を示してもらえないのなら全否定されたも同じとか。
これ(http://b.hatena.ne.jp/entry/9816184)なんかも、「非モテ批判は矛盾してるじゃねーか!」という内容の記事に、「極端から極端に行くからダメなんだろ」ってブコメが沢山ついてるし。
実は、「努力しなくていい」「皆俺に気を使え」「実は物凄い才能がある」っていう思考回路は、皆境界例人格障害や自己愛製人格障害によく見られる特徴なんだよ。あと、モテと非モテ・理想の処女像と肉便器の非処女像といった極端な二極化思考をする『分裂』や、好きな女が自分の思い通りにならなかったら、今度はその女を激しく貶める『理想化と脱価値化』や、一番モテないことを格好悪いと思っているのは他ならぬ自分自身だが、それを直視したくないので、世間が自分のことをモテないことで罵っているのだと思い込み、その世間に対して反発するといった『投影』なども、その種のパーソナリティ障害によく見られる特徴だよ。
これも境界例の特徴の一つなのですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。白か黒かのどちらかの世界しかなくて、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。そして、すべてか無かという、二つの選択肢しか持ち合わせていないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20081014005347
ところでアスペルガーと自己愛性人格障害入った境界例人格障害って併発するものなのかね?
どうでもいいことだが。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/
に誤診を受けるケースと併発してるのではないかというケースについて報告があります。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/2006/11/post_b692.html
また、
「意味不明な人々??発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」(ご本人自身がADHDなお医者さま)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
では、ほとんどはジャイアンと受動型ASではないかとまでおっしゃられてます。もちろん、諸説あるとは思いますが。
「精神疾患に見える発達障害シリーズ??」(上記ブログ内記事)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20070922/1
心療内科の3年間の臨床経験では、少なくとも自分で「AC」とか「境界例」とか「自己愛」と言って正直に受診する人はほとんど結果としてADHDだった。
きちんと発達障害を除外する作業を進めたとすると、もしかすると「自己愛」や「境界例」はほとんどがジャイアンと受動型ASだったということになるのではないかという実感がある。
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080305/1
受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている。そしてジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。
私見では、
1.アスペ特有の「他人の痛みが想像しにくい」「他人には理解しにくいこだわりや執着を持つ」などの特徴が、人格障害と誤解されやすい
2.遺伝傾向が強く親にも発達障害があることが多いため、生育環境に問題を生じやすく、人格障害(かそれに近い思考)になってしまうことがある(見捨てられ不安、低い自己評価から来る二次障害)
が混在しているのではないかと思っています。
ああ、なるほど。言いたいことは分かるけど、こちらの言いたいことも汲んでください。
ちなみに私は元増田さんではなく、http://anond.hatelabo.jp/20080828191612 から入ってる横増田です(……という話なんじゃないの?という言い方で横増田アピールをしたつもりでしたが、伝わりにくかったようなので。)
1現地を眺めてる
2現地データを処理する
:::::::::::::::::↑他人事の壁/自分事の枠内↓:::::::::::::::::
3現地との取引を企画する
4現地に行く予定を立てる
:::::::::::::::::↑ここまで外(国外)/ここから内(国内)↓:::::::::::::::::
5現地に到着する
6現地に3日滞在する
:::::::::::::::::↑観光レベル/暮らすレベル↓:::::::::::::::::
7現地で半年暮らす
8現地に骨を埋める
1から8まででも厳密に言えば立場が違い視点も違うでしょう。あなたの言語感覚だと「1、2が外(他人事)、3以降は内(自分事)」なのかと思うけど、私がイメージしていたのは4と5の境界線であり、更に言えば「外から見る/内で暮らす」という言い方をしたのは、境界例になりかねない3から6は脇へおいて「1,2と7,8の違い」を取り上げることで視点の違いによって情報の意味は異なるという主張を際だたせようとしたということです。1,2の人にとって平均値が役に立つことは誰も否定していないと思います。
元増田さんが引っかかっているのは、今回のような事件において、現地の危険度予測やそれに基づくボランティアの責任度合いを1,2のレベルで云々されることであって、これは最初から『そういう用途では平均値は使えないと思うんですよ』という話だと思うんです。その話の正当性は認めますか? で、それを踏まえて私は、お二人の間に立って「視点が違えば情報の価値も違う(から話が噛み合ってないんじゃないですか)」と指摘したわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20080528020715
このネタをしつこく引っ張ってすみません。。。元記事書いたものです。
はてブ、トラックバック、いろいろと反応をいただき、ありがとうございます。
うまく前置きで書けてなかったから伝わらなかったかな、と思ったのが、
元記事を書いた理由でした。
川田亜子さんが亡くなられ、その報道を受けての反応はだいたい以下2つが大きかったと思います。
『なぜ彼女が出したSOSを受信して救えなかったのか。』
『彼女のSOSの出し方は適切じゃなかったのでは。』
彼女が亡くなられて、きっと周りの方が衝撃を受けているだろう、と思いました。
お母様はそれこそ胸を痛めて張り裂けんばかりだろうし、鳥越俊太郎さんも悔しく悲しく思っているという報道を見ました。
川田亜子さんも、周りの人も不幸になってしまった。
じゃぁ、どうしたら今後、そんな悲しい思いをする人を減らすことができるだろうか、と思いました。
よりよいSOSの発信の仕方を考えてみればいいのでは。
よりよいSOSの受信の仕方を考えてみればいいのでは。
川田亜子さんと似た振る舞いをして心当たりがある私は、自分の経験と思ったことを書いてみよう、と思いました。
それには、自分のブログよりもよほどアクセス数が多い、はてなの匿名ダイアリーのほうがいいだろう、と思いました。
はてなの住人の人たちはたくさん考えてくれる人が多いし、反応を返してくれる人が多いから、
きっと書いたことはブラッシュアップされるだろう。
それが少しでも誰かの目に心にとまり参考になれば、今後、悲しむ人が少しでも減るきっかけになるのではないだろうか、と切実に願ってました。
今日一日は落ち着かない一日でした。
記事をあげたあとは、仕事が手につかず、ブクマを気にし、トラックバックを気にし、
いただいた反応を受けて、考えて考えて……そんな日でした。
心が弱った人間に寄り添うのは本当にしんどいことだと思います。
たぶん、できないです。私は本当に大切な人でなければ、やはり寄り添いきれないです。
「そんなのできないよ。」「できなかったよ。」は、当然の反応だよな、と思ってました。
できなかった方はご自分を責めないでくださいね。すごく、それも難しいことだと思いますが……
「病院につきそう」ことについてブラッシュアップさせてくれたのも、ありがたかったです。
心療内科や精神科という場所が、自分が患者として足を初めて踏み入れるとき、
どれだけ敷居が高い場所だったかを忘れてました。
私は初めてのときはひとりで行きましたが、怖かったです。
偏見が消しきれずあったので……ヤバい患者にからまれたらどうしよう、とか、
っていうか、そんなヤバい人の仲間入りをするんだ、私は……とか思ってました。
通いだすとそんな怖いところでもないんですけどね。
病院を訪れて頼るのも、ひとつの大きなハードルだと補足できてよかったです。
ブログにしかSOSを出せないのは、やはり問題がありますよね……
もっと確実な周囲を頼るべき。
「周囲の人がいる前提」で記事を書いたのは、
『川田亜子さんの周囲の人は何をやってたんだ』という論調を受けてでしたが、
そういう周囲に恵まれてない人はどうするんだ、という問題もありますよね。
これも確かに考えてみれば、私も経験があったことでした。
追い詰められた心境の人は『自分はひとりだ、助けてくれる人は誰もいない』と思ってますよね。
私もそういう心境で「死」を思ったことが何度もあります。
枕を涙で濡らして、「死にたい」「でも生きたい」と葛藤した夜は数知れずあります。
こんな思いは誰も持たないだろう、だから理解できないだろう、私は変だ、と思ってました。
でもそんなことはないんですよね。
実はけっこう、気にされてないようで、気にされているのですよ。
大丈夫かな?と心配してくれている人はいます。
もし本当にいない、と思ったら、作ればいい。
今すぐ、そばにいる人誰でもいいから、赤の他人でもいいからすがりついて、泣いて助けを求めればいい。
恥をかくだろう。迷惑をかけるだろう。でも死ぬよりましなはず。
(なるべく助けてくれそうな人を選ぶのがいいです。
おススメは交番、おまわりさん。
できれば、病院。)
「いのちの電話」もあるし、自殺の名所には自殺を考え直すよう、連絡先を示す看板も立っている。
誰のどんなSOSも、いつでも受信するよ、と言ってくれている人たちは、よくよく見るといるんですよね。
追い詰められると目に入らなくなるけど。忘れちゃうけど。確かにいる。
「頼る人は誰もいない。周りには誰もいない。」というのは、自分がそう仕向けているだけのことが多かったです。私の場合。
自分の思い込みがそうさせてたり、プライドが変に高すぎるか、低すぎるかだったりするんじゃないかと思います。
だらだら書き続けてすみません。。。
最後に。
私の心の心配をしてくださった方々、ありがとうございます。
id:hrkt0115311さんには重ね重ね、お礼を申し上げたいです。
救える。毒を出してない人などいない。半分にするのでなく中和する方法を探れ。人によって毒の成分は異なる。読んでる限り境界例でも鬱でもない。それらの文章と全然違う。薬で気持ちは消えない。誰かと話すしかない
中和は、私にとって新しい視点です。。。もうちょっと自分の中で考えを練ってみます。
私はそもそも病気ではない……も、そうかもしれません。
病気ではなく、生きづらさを多少、人より多く感じやすくて、身体的にも症状がよく出るだけ、とか……
とりあえず、「誰かと話す」が有効なのは確かだ、と頷きました。
届かなくても諦めずに一生懸命話す根性をつけようと思います。
疲れたら、どっかのチラシの裏にでもぐちります。
少しでも多く、大切に1日1日を生きる。
それを忘れずにいこうと思います。
いろいろとありがとうございました。
いまキーワードたどって両方とも読んでみた。
優しい子だと思ってたのに人を簡単に傷つけることができるんだと知ったらちょっと冷めてしまった。
忍耐がないのかも知れないけど、終わらせてみようかな…。
私の力じゃ治してあげられそうもないし。
カウンセラーから「機能不全家族」「アダルトチルドレン」というキーワードを投げられた俺はありったけのアダチルに関する知識を掘り起こしたわけだ。
これまで鬱病だとか、不安障害だとか、いろいろ言われたけどさあ、思い切ってこじ開けてみたら家庭での心的トラウマの宝庫よ。
機能不全家族って言葉を初めて知った。教育学勉強してるくせに。
アダチルも思ってたイメージとは違ってた(家帰ってウィキペった)。
児童心理学で勉強した「ヤングアダルト」が思い浮かんで「アダルトチルドレン」とごっちゃになってやがんの。
おいおい人格障害の一種かよ。症例がほぼマッチングよ。まいっちんぐマスダ先生よ。
いかれた家庭のいかれたエピソードを延々と話すカウンセリングの60分。
家族病理だと!?俺はあんな家族と関わりたくないんだ!あ、それがだめなのか!
抑うつ状態から急に快活になった。霧が晴れ始めたんだと思う。
自分の状態が掴めるってなんと素晴らしきかな。
なーんだ、だから少しの失敗でびっくりするほど気分が鬱屈するのね。
ほんでもって、対人不安が人一倍高いのも納得だわ。
はははははははは。俺はアダルトチルドレン。今日もお薬飲みましょう。
ごっくんごっくんごっくんと。
そうそう、境界例の人が他者を攻撃するのは「見捨てられる恐怖への防衛」が理由だそうです。
相手に好意を持っているけれど自分のような者ははきっといつか嫌われ見捨てられるのだ、
という恐れが「将来そうなるのなら、今、自分から進んで壊してしまおう」となってしまう。
私は典型的な鬱病を患っていたので、負の感情を思うさま誰かにぶつけることが出来る人を
羨ましく思う事が時々あります。でも境界例の人は、それをすることでさらに苦しみ、辛くなる。
悲しいことだと思います(周囲にいないから呑気なことが言えるのかも知れませんが)。
世界で一番不幸な人間だと自分で言うのがおこがましいのと同様に、他人に対してあなたは一番不幸な人間ではないと言うのも何様って気がするよ。
誰の苦しみも、他人にはわからない。
苦しいという感情は他人とはどうしたって比べようもなく、ゆえに絶対的なものでしょう。
彼女が一番不幸かどうかはともかく、彼女が「自分が一番不幸だと思ってしまうほど苦しい」ことは間違いないと思う。
「不幸自慢」と断じてしまう気もわかる。あなたには他愛もなく感じられることに苦しんでみせているだけ、また彼女は努力して無いだけだとも思うだろう。他人の苦しみを無理に想像してまで分かち合うなんて面倒だってこともあるかもしれない。
非難をあびるだろうな、と思ったら、やっぱり非難ごうごうでした。
そういうふうに書いたのだから、当たり前ですが。
世間では、そういうのを「煽り」と言うんですね。
今、気づきました。
申し訳ありません、私は煽ってました。
病気の種類も違う、重度も違う、個人差もある病気を、メンヘルの一言で片付けたのは、
いちいち書くのがめんどくさかった、というより、そこまで頭が回らなかったからですね。
私はうつ病しか知らないし、統失とか境界例とかは想定していませんでした。
回復期にある、または、回復に向けて治療をしている人にあててのことだというのは、
言わなきゃ分からないですよね。
言いたかったことは、せっかく回復に向けて医者に通って治療しているのに、
もっとがんばらなきゃいけないと自分で自分を追い詰めるのはなんか違うんじゃないかと。
なんのための治療なんだと、思うわけです。
医者に診断書書いてもらって、休職願い出すとか、休職したらしたで仕事のことから頭を切り離すとか。
休職したくてもできない、家事を休むことはできない、そういう休むための選択肢がない人も大勢いるのは分かってます。
そして、そういう状況だからうつになってしまうのだ、ということも分かってます。
そういう状況は、ここで私がいくら吼えたところで、変わるわけはないのです。
ただ、休むための方法なり選択肢があるのに、それをしようとせずにあえて自分を辛い立場に置こうとする人もいるのです。
きっと、まじめで責任感がものすごく強いのです。(想像です。しょせんはネットつながりなので)
私のようなめんどくさがりで怠け者でも、ブレーキをかけないと、あれもこれもと欲張ってしまうのです。
そういうふうに言っても伝わらないのです。
そういうまじめな人は、自分で自分が許せないのです。
がんばっていない自分が許せないから、がんばらないための選択肢があっても、それを見ようとしない。
だから、挑発的な書き方をしました。
もともとどんな能力を持っているのかは知りません。
でも、病気になってがんばれる能力が落ちているのは、多分間違いないと思います。
病気によって能力が落ちているのに気づこうとしない、あるいは、気づいても見ない振りをしている。
そうじゃないと、自分で自分を許せないから。
だから、自分を叱咤激励して、がんばろうとする。たとえ空回りしても。
というか、私が空回りしているのです。
半年ぐらい前に薬が増量になって、やっと抗うつ剤の効果が実感できて、仕事らしい仕事がやれた気がすると。
でも、その仕事はなかなか定着しなくて、少し気を緩めると元に戻って、それで気づいたのです。
自分は「がんばってる振り」をしていただけなんだな、と。
申し訳ありません。
自分もまあ間違いなく世間一般からすればメンヘラに分類されるであろう時期があった人間だが、そんなんそれこそ十人十色だべしゃ。神経症、境界例、鬱病、統合失調症あたりをひとくくりにしても傾向なんて読めるわけねえし。とあるメンヘラAさんと、別のメンヘラBさんの違いが非メンヘラCさんとメンヘラAさんとの違いよりはるかに大きいなんて場合も腐るほどある。
神経症なんかだとうつ症状が出てる奴はけっこう多いけど、それ即ちうつ病ということではない。
自身メンヘラだというのにメンヘラを軽蔑してるような奴とかメンヘラこそ人間らしい人間だとか言う奴とか、根本的にメンヘルを理解してねーやつとか。
メンヘラのことをメンヘラ自身に語らせると、たいていその人自身のことをメンヘラに普遍的な特徴であるかのように答える。僕のメンヘラ像だって、自分自身のそれだ。