生理的に受け付けないものを、肯定しなくとも理解することは出来る。
凶悪犯罪者を弁護する弁護士だとか、境界例を慰める精神科医だとか、そういうカルマ的弱者を救済する職業人には必須なんじゃないかと思う。
理解の努力を放棄しないことが肝要なので、「共感はできないが理解できる」の方が修辞法としては正しいが、しかし、そういう「優しい俺様」的な発想はしんどいので、より実践が容易な「理解はできるが共感出来ない」を採用。
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