はてなキーワード: ヤンキーとは
中高生の時は社会規範から外れたことをするがカッコイイと思ってた。
ヤンキーに憧れたけどヤンキーにはなれず、周りと同じように勉強して並の高校に進学して並の大学に進学した。
本当に平々凡々な中高生活だったと思う。
その頃他人の容姿をバカにしてはいけないという社会規範に背くことでなんちゃってヤンキー気分を味わっていた。
その頃は周りの人間もやってたしこれくらいは皆やると思ってた。
今思えば最低最悪のやつだ。
自分だってゴリラみたいな顔してる癖に他人の顔をブスと批評するとか厚顔無恥にも程がある。
さすがに対面でバカにしたことはないと思うが、もしかしたら聞こえていたかもしれない。
自分の発言で自身の容姿に自信をなくして人生がめちゃくちゃになった人がいるかもしれない。
自分は過去に他人を容姿で差別したという十字架を背負って生きていく。
社会規範というのは長い間かけて社会が上手く回るように形成されたルールだ。
社会規範を破って悦に入るのはいいが他人がそれで傷つくかもしれない。
当時のクラスメイトの皆さんごめんなさい。
現場の誘導員に工事現場の仕事させようとして誘導員の事務所と揉めたり(これが一番多い)、専門用語を連発して新人に怒鳴り散らかしたり。新人も訳解んないから「なんのことですか?」と聞き返すんだけど、怒鳴るわけ。例えばユンボって通称がある。これはショベルカーのことなんだけどこういう専門用語を意味不明レベルで連発すんのよあの人達。俺はもうその頃関わってなかったけど、当時の家の窓から見るとバイトのひょろいにーちゃんがガンガン怒られてんのね。それも例外なく旗振りの誘導員。やっぱり部外者に仕事やらせようとしてんのアイツら。といっても20年も前の話なのでいまどうなのか知らないけど。
あの連中はリテラシーとかそういうのはまるでないので。一昔前は喧嘩になるとスコップで腹を付いていたらしいからね。相手は病院送りが日常茶飯事。そういう現場です。
これが持てない人間は絶対に子どもを作ってはいけません。あたおか
繰り返すけど絶対に作ってはいけません。メンヘラ毒親の負のループは止めよう
完璧に育てなきゃいけないとか
あとは、この増田(anond:20201002100355)にほぼ同意
> あと、こと生活についていえば、ガキを優秀にしようとか、完璧な人生を与えようとか、間違いのない教育を施そうとか考えるから「育てるのが大変」っていう話になる。
> 都会出身で自称中流実質高等な家庭に育った人間はここを勘違いしている。
> 生きてりゃ丸儲け。最終的にそこらへんの職人のオッサンとかになるとしても悪人にはならない。幸福であれば大金持ちである必要ない……ぐらいの気持ちでいけば、
> この日本それぐらいのことは可能な福祉はある。具体的にはガキの食費ぐらいは自治体の支援で賄えるし、大学行きたいといいだしたら常人なら教育ローンぐらい組める。
> 別に塾行けなくて高校生のときヤンキーくずれの学校に行っても親がちゃんとしてりゃ犯罪者になったりしないよ。
> 親のキャリアについても同じで、なんかオリンピックでも目指しているならキャリアにだけ集中すればいいが、
> 大抵の人間のキャリアなんてものは少々子供に労力を割いたからって変わったりしない。完璧を目指すから不安になる。
ただ子どもに誠実に向き合え、愛し方は学べは同感なんだけど、
まず「子供を愛する」とかいう精神論について考えているのが間違い。
子供に必要なのは愛じゃなくて、愛されている実感によって醸成される自信とかだ。
そして子供に実感を与えたりするには、むしろメソッドが大事だったりするんだよな。
お前はせいぜい、誠心誠意お客様に接しましょう、程度の愛と子供相手の接客知識をもっていればよくて。そういうのって本心からの愛があればそりゃあ自然と出てくるんだけど、別に自然である必要はない。勉強して身に着ければいいたけどのこと。
お前が考えるべきは、自分に勉強してメソッドを身に着ける能力があるかどうかだ。
あと、こと生活についていえば、ガキを優秀にしようとか、完璧な人生を与えようとか、間違いのない教育を施そうとか考えるから「育てるのが大変」っていう話になる。都会出身で自称中流実質高等な家庭に育った人間はここを勘違いしている。
生きてりゃ丸儲け。最終的にそこらへんの職人のオッサンとかになるとしても悪人にはならない。幸福であれば大金持ちである必要ない……ぐらいの気持ちでいけば、この日本それぐらいのことは可能な福祉はある。具体的にはガキの食費ぐらいは自治体の支援で賄えるし、大学行きたいといいだしたら常人なら教育ローンぐらい組める。別に塾行けなくて高校生のときヤンキーくずれの学校に行っても親がちゃんとしてりゃ犯罪者になったりしないよ。
親のキャリアについても同じで、なんかオリンピックでも目指しているならキャリアにだけ集中すればいいが、大抵の人間のキャリアなんてものは少々子供に労力を割いたからって変わったりしない。完璧を目指すから不安になる。
男同士の支え合いはできないって苦しみを吐く増田が時々現れるけど、大体その苦悩自体を否定されるんだよな。
元増田みたいに、そんな苦しみは、オラついてていかにも男臭いヤンキーめいた奴らや体育会系とかの限られた状態に限った話でしょ、自分や自分と親しい文化的な男性は違う、ってね。
仲のいい男同士であれば楽しいことを共有したり、得意な物を見せ合ったり、悩みを笑いにして強がることはできるけど、吐露して慰め合うのに向かないってのは、はてなでも散発的に語られてるんだよね。
だが、世の中がその苦しみを否定するから、援助がもらえないどころか余計に行き場のない気持ちになり、男たちは追い詰められ、それが高い犯罪者率や自殺率に繋がるのだろう。
以下の増田とかな。
女が言う「結婚しない老後でも、心許せる女友達がいれば楽しく孤独じゃなく生きていける」みたいなの、男には無理。結婚相手かどうかはともかく、女性パートナーが必要。
身近な知り合いが男同士でも楽しそうで屈託なく遊んでるよ、という人。
その屈託なさそうに見えることこそが、「上手な男らしい強がり」である可能性を考えた方がいい。
男同士が遊ぶことに楽しさがないわけじゃない。
ただ安心して弱さを見せ合い、ベッタリともたれ合うことはできない。
いわばスポーツや対戦ゲームみたいなもんで、調子のいい時、面白いとき、人生が恵まれている時にお互いのいいところを出し合うぶんには男同士が楽しいが、具合が悪くて辛くて悲しくて貧しくてグズグズな時にそのグズグズを男同士で絡ませ合うのは気持ち悪くて大体の人には無理だ。
https://anond.hatelabo.jp/20190617221819
【追記】
https://anond.hatelabo.jp/20190617223930
バ美肉は、シスヘテロ男性でも多かれ少なかれ持ってるゲイ素養を目覚めさせることで、「シスヘテロは男同士では孤独を埋められないなら、ゲイになっちゃうことで男同士でも救いあえる」という効果がある。
だがそれでも、元々持ってるゲイ素養がある程度以上でないと適合できない。
また、VRCやネット上だけでの付き合いではOKで交際すらしていたが、実際にオフで会ったらやっぱ無理……と別れるパターンがかなりあるのも厳しい。
簡単な話で、女側からの理由は、性犯罪しないような「誰にでも優しい男」は生存競争上有利じゃないから。
「自分だけにやさしく、ほかの女は見下す男」が生存競争上有利だから。
頭も悪くて大して運動ができるわけでもない下っ端ヒョロヒョロヤンキーに彼女がいたりするでしょ?
そして男側の理由から言えば、モテる男のほうが「イヤイヤ言ってる女」と性行為をする機会が多いからさ。
そういう女性をリードするのが「甲斐性、いい男」だと思ってるからね。
いままでは「嫌よ嫌よも好きのうち」だった。それで幸せな日々を過ごしてきた。そういう経験が何人も何人も重なる。
それと同じように、またある日も「イヤイヤ言ってる女」と性行為をする。
その女は本気で嫌だった。そして犯罪者になった。
中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分は学生時代恵まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。
小学校から中学校までは地元の公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。
成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。
友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーやギャルが多かったから積極的にいじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。
勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験も問題なく志望校に合格した。
楽しかった。
公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソな世界を垣間見ることができた。
色々自由にやらせてくれる校風だったので、部活にイベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。
授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学を勉強したいことベースで選べたのは特に恵まれているなと感じる。
地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。
自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベルは進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標の大学に入れた。
楽しかった。
学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。
友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ。
高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分の世界が地理的に広がった。
公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。
楽しかった。
人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。
こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境が人生を豊かにしてくれているようだ。
昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。
私立中学に行ってたら、地元の高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。
でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。