はてなキーワード: 馬肉とは
明日は期日前投票日になる。急な解散総選挙が行われることになって、誰もが戸惑い思い悩んでいることだと思う。次の選挙ではどこに投票すべきだろうか。現状維持の自民か?それとも希望か?結果的にリベラル結集となった立憲民主か?それとも共産か?
しかし我々が投票するべきはそのどれでもない。我々は支持政党なしに投票し、現状の民主主義を次の段階に進めるべきだ。
今まで我々が行ってきた投票行動はどんなものだろう。選ぶべき政党や政治家がいないだとか、他よりましだとか、各論は反対だけれど総論としては支持せざるを得ないだとか言って、そうして選んできた候補は自らの政治意志とは似ても似つかないようなものばかりだ。リベラルを名乗る某が自民憎しで希望への投票を呼びかける様などその極みだろう。
そうしたずれから逃げ込むように、人々はアメリカのトランプやかつての小泉のような独裁的なポピュリストに自らを同一化させるようになるが、それもすぐに理想と現実のギャップを見せつけられて失望し騙されたと騒ぎ立てる。しかしまた別のポピュリストがやってくれば、同じように信者となって騒ぎ立てる。
そうした独裁的なポピュリズムに対抗するには、よりラディカルなポピュリズムである直接民主制に向かうべきだ。
直接民主制が浸透すれば大衆に迎合するような政治家は存在意義を失っていく。自分達で政策選択をすればいいのだからわざわざそういう人間と付き合う必要がないのだ。
支持政党なしのような部分的な直接民主制のシステムがあれば、政治家は政治家である必要すらない。自動的に国民の選択手続きを代行する公務員のような存在であればいい。
本当の政治家が生き残ろうとするならば、より専門的な知識を身に着け、大衆の政治選択に対して間違いを指摘することが出来るような存在になるしかない。自分よりもこういう専門家に任せたほうがいいと思えるような、そうした政治家だけが生き残るだろう。
現行の政治体制で直接民主制を部分的にだが稼働させる支持政党なしの試みは、今までの選挙でそこそこの得票を得たけれども、評価は未だ低いものだ。
しかし今後百年を考えれば、この仕組が部分的に導入し代議制民主主義を次の段階へと進めるべきだと思う。代議制民主制が本当の意味での民主主義でないことはわざわざルソーを持ってこずとも、現状の政治状況を見ればわかることだ。
我々は投票用紙に書き込む時だけ政治参加しているような顔をして、それが終われば呑気に座って、自分の買った馬券の行方を野次を飛ばしながらただ眺めているだけだ。馬が転べば馬肉にして次の馬を用意して、何故転んだかもどうすれば転ばないかの判断も競馬新聞に任せてしまう。
どれだけ失政を重ねてもそれは政治家の責任で自らの判断の問題ではないという。この時我々は政策を決定する権利だけでなく、政治判断した後の責任までも政治家に奪われているのだ。かつての戦争を軍部や政治家や知識人達のせいにしたように、我々はどれだけ大きな失政を犯しても責任を感じることが出来ない。責任を感じなければ、どんなに失敗をしたとしても学ぶことはなく、また同じことを繰り返すだろう。
本来政治は、例え間違った、国益に反するような選択だったとしても、あくまで自分の意志によって選び取り、その失敗を自分の失敗として受け入れなければならないのだ。
人々はこの失敗を恐れる。自らの経験不足によって取り返しのつかない失政を犯すのではないかと考えるのだ。しかしその経験の蓄積という意味で今の支持政党なしの状況は悪くないものだと思う。
票数を徐々に伸ばしているとはいえ支持政党なしは精々一議席取れるか取れないだろうなという状況で、この状況はまだ暫くかかるだろう。
一議席でも取ったとすれば、国民の直接的な政策選択が国会上に現れるということで、議員に対するプレッシャーは強くなるだろうが、それも間接的なもので、国会への影響力はそれほど大きくはない。
結果として部分的な直接民主制の浸透は漸進的に進行するだろう。
だが逆に言えば国民は、まだ影響力の少ないうちからこのシステム上で自らの選択を試行する機会を持つということだ。
自分の選択が即座に取り返しのつかない失敗に終わることはない。
しかし自分の政策選択が確実に国会上に現れる状況が続けば、自分の選択の意味を考え、自らの責任の重さを知り、間違いがないか積極的に学んでいくだろう。
やがてその動きは大きなものとなっていき、結果としてこの国を変えていくことになる。その時がこの国に本当の民主主義の訪れる日だ。
ただ唯一欠点があるとすればこの支持政党なしがすごくうさんくさい団体で、そのイメージは前回の選挙から全く変わっていないということだ。変えようとした努力も見えない。
支持政党なしはこれから国民の信頼を得るためにあらゆる努力をするべきなのだ。出来る限り情報を透明化して、例えば交付金とかどう運用されるのかとか。なんでもいいから少しはイメージよくしてほしい。
まあ最終的にこいつらはどうしようもないということで彼らが降ろされたとしても、とにかく政治家たちに「直接民主制には票田がある」ということを示さなければならない。そうすれば他にも手をあげるところは出てくるだろう。
大事なのは一議席だけでもわりこませて、国会上に直接民主主義のシステムを立ち上げることなのだ。そうすれば今後百年の政治風景は大きく変わってくる。その日がやってくるまで、我々の投票先は直接民主主義を志向する党だけだ。
手っ取り早く性欲を満たしたい人には
その時は、決して下心を出さないようにする。
可愛い子とだけ話す、おばさん、ブスを邪険に扱うなど
下心を出したら100%終わる。
2)仲良くなった人たちと飯に行く
何回か一緒のクラスとかで話したりしてると
仲良くなるので、飲みに誘う。
やたらと重宝される。
3)さらに仲良くなったら突発で飯を誘う
そういうの繰り返してるうちに、
特に気の合う子ができてくるので、
「今晩予定がぽこっと空いたんだけど、飯行かない?」
・この前、話してたセンベロいこうぜ
みたいな提案を誘う前に考えておくこと。
予定が空いてさえいれば、大概はいいですねーと乗って来てくれる。
4回以上断る子は完全に脈なしだから辞めておこう。
ちなみに7:3〜8:2くらいでお金は多く払うのが基本。
二人で1万円のお店だったら2000円貰うくらいが妥当な配分。
完全に奢るより、少し貰ったほうが次に繋がりやすくなる。
それより少し安い程度の徴収が好ましい。
4)飯食ったら解散を繰り返す。
ここでセックス持ち込もうと思わずに、基本的にはリリースを繰り返す。
こういう突発に飯に付き合ってくれる女子を何人も作っていくと、
そのうち一人くらいやたらと話があって、予定もあって、
気づいたら週2とかで会う子ができる。
遠出(日帰り温泉とか)を誘って一緒の行動範囲を広げていこう。
昼デートを2〜3回できるようになったら、そろそろ次のステップ。
5)告白せずに、丁寧に間合いを詰める
まぁ、ぼちぼち大丈夫でしょと思ったら、
頭が良い、会話がセンスが良い、手が綺麗、横顔が美しい、
などなど、「付き合ってください」以外のセリフなら何言ってもいい。
好きな子だったら、いくらでも褒められると思うので、思う存分褒めまくろう。
まんざらでもなさそうになったら、
手相でも見せてもらうなり、見てもらうなり
スキンシップを増やしていこう。
6)手をつなげるようになったら告白しよう
手をつなげるようになったら、告白してOK。
ストレートに「俺は○○さんのことが大好きだ」と言おう。
遠回しなのはステップ5で言ってるから、どストレートでいう方がいい。
ーー
たぶん、クソ面倒くさいわ!
みたいなコメントつきそうだけど、
こういうの丁寧にやれば年下の美人な嫁はんくらい捕まえられますよ。
って話を書いてみた。
父は還暦近いが思春期の少年少女並みに夢見がちで、情緒不安定な性質である。加えて頑固で寂しがりときた。要するに現代社会では大変生きにくい。
常は酒に飲まれたり、風呂トイレで中島みゆきのファイトや吉田拓郎の今日までそして明日からを熱唱したり、あるいは衣装ケースの奥底に二重底で隠してある女教師もののAVを眺めては心の均衡を保っているものの、ストレスがある一定のラインを越えるとSOS信号よろしく私の携帯のメールアドレスへ謎の散文を送ってくる。実家にいる母や妹には一度も送ったことがないという。「うちの妻は芸術を理解しない。」知るかよ!
散文の形式は多様である。相田みつを調、ラーメン屋の格言風、難解な言い回しをしたかと思えばストレートにI LOVE YOU。冷蔵庫で真っ茶色になった馬肉を見つけた寂しさから黄昏流星群を読んで死にたくなった切なさまで、表現豊かに語られる父の詩的世界をはじめの頃は読んですぐ消していたが、ある時「これ寝かせてみたら面白いんじゃねえの、ちょっと取っておいてみっか」と何の気なしに溜め始めた。
保存用フォルダの名前は「くそぽえむ」。今や一冊詩集をつくれる程度にはメールがたまっている。
そして今夜もくそぽえむが送られてきた。この時期は毎年ぽえむの量が増える。昔よりも落ち着いたとはいうが、やはり春闘は辛いらしい。
『ぷぽぽぺん ぱふぱふ』
送られてきてから三時間経つが、どういう意味かさっぱりわからない。しかし情緒がやられているのは確実なので、電話を掛けるのも躊躇われる。
どうしようもない事に、派遣会社のピンハネと同じで角川などのアニメ会社の元締めっていうのは一番仕事をしないのに
一番美味しい所を根こそぎ奪ってはアニメーターの質を常に憂う二枚舌さが何ともいけない。
ハングル表記がアニメ作品にちらほら出てきたのに何ら関心を示さず拝金主義を迎合する角川などのアニメ会社の元締め達は
決して下を見向きもしない。
BDで修正すればよいという考え方自体がズレていて、アニメーターの待遇が最低限以下に置き続けておいて
あたかもアニメーターの質が低下していると嘆く立場に合っているのだから滑稽だ。
また、牛頭馬肉あるいは羊頭狗肉というが、この一連の行動が上にあるために何時まで経ってもハングル表記がアニメ作品中に増え続けるんだ。
親の乳で子の肉を煮てはいけない、という規律があるのは知ってる。
しかし、たとえば鳥肉や鹿肉、羊肉を使ったバーガーに、牛乳から作ったチーズを乗せるのはどうなのか。
あとクリームシチュー牛肉で作る人いなくね、と思って調べてみた。
どうやら、ラビが教義を拡大解釈した影響で「肉」と「ミルク」を分けなければならないらしい。
たぶん、ベーグルに卵やミルクが使われないのも、肉と合わせて食べる場合を想定してのことだろう。
ちなみに、卵と鶏肉の組み合わせは避けたほうが良いと分かったが、外の肉と卵(駄目な可能性が高い)、ミルクと卵が駄目なのかはわからなかった。
一方キリスト教、カトリックとプロテスタントを見て見ると、食の戒律が厳しいのは一部の宗派のみだ。
一時期馬肉食が禁じられたり(カトリック)、金曜には肉を食べずに魚を食べる、程度。
あと鯨を食べることを禁じる戒律も無いっぽい。食文化としては成立して無いけど。(たぶん牛肉輸出とかへの影響がある&ユダヤが力持ってるから抗議してるのかな)
スイスではネコとかイヌとかの伝統料理があって、どうも宗教的には禁じられてないようです。(犬猫食への抗議は倫理面が大きいね)
うん、割とフリーダム。
イヌって韓国はじめとしたアジア料理のイメージがあって、辛いの苦手だから食べる機会無いと思ってたけど、スイス料理のイヌなら食べられるかも。ソーセージとかハムにするらしい。ネコは不味そうだからいいや。
ちょっと前のこの記事なんだけど、これも今回の日本ユニセフの記事と似たパターンなんだよな。
「日本ユニセフが透明化へ」が「日本ユニセフの資金が不透明なことへの風刺」でしかないのと同様に、
社主は「豚肉だからセーフ」とかマジで思ってるのかもしれないけどさ。
でもさ、競走馬を馬肉にするのって、安易に批判できることじゃないじゃん。
馬は牧場に置いておくだけでも金がかかる。
できるかぎり繁殖に上げたり乗馬にしたりで殺さないようにしているが、
賛成もできないけど、反対だってできない。
少なくとも笑えるネタにできるような簡単な問題じゃないわけだ。
あと、社主はそれこそWikipediaを見ただけだから知らないんだろうけど、
ハルウララってさ、現役のときからさんざんトラブルに巻き込まれて、
最近になってようやく安らかな余生を送れるようになったんだよ。
それを「いまごろ馬肉になってるだろうな」みたいな書き方をしてさ。
どうなんだよそれは。
ただの侮辱だろ。
もし自分のユーモアセンスに自信があるんなら、懸命にハルウララを助けようとした関係者に、
「ハルウララっていう名前のソーセージを売り出したら面白くないですか?」とでも言ってみればいい。
結局、社主は馬産業界のこともハルウララのことも何にも考えてないんだよ。
もちろん慈善事業のことも日本ユニセフのことだって考えていない。
ただ「世の中で批判的に見られていることに乗っかってネタにしよう」ってだけだよ。
その批判の内容を自分で考える気もなければ、それをネタにすることで批判対象にどういう影響が及ぶかを考える気もない。
いいかげんに「虚構」を盾にして逃げるのはやめてほしい。
記事が事実だろうが虚構だろうが、おまえの真意が変わるわけじゃないだろ。