連れを「君の名は。」に連れて行った。
11月4日に金曜ロードSHOW!で「となりのトトロ」を見せたが、
前半は「話が進まない、眠い」とこぼしていた。
後半はそれなりに見てはいたが……。
ただ、RADWINPSの曲は好きだという。
そして、映画を見ないままオーケストラ編曲を聞いたこともきっかけになり、
なんとか「君の名は。」に連れて行った。
だが、連れの方を見ると、表情がよろしくない。
「絵は確かにきれいだったし、曲も場面にあっていた。
ストーリーがまったく把握できなくなって、場面場面の連続になった。
あれは何?どちらかが空想?だったら私には無理。疲れた。1000円損した。」
そんなことを言った。
不満をなだめていたときに、引っかかったポイントがいくつかあったので、書き留めてみる。
→飛騨地方までははっきり表現しているが、その後は知らない、おそらく架空と思う、と答えた。
・瀧、三葉はどうやって連絡をとっていたのか?メールしていたのか?
→お互いがアプリや日記、顔を使って記録を残していたことを説明すると、一応納得したようだった。
・どちらかは空想なの?空想ならちゃんと「ここは空想」のように表現してほしい。
→これに答えるのは難しかった。
「どちらかが“空想”というわけではないんだ」
「2016年東京を生きる瀧の世界では、2013年に糸守村は壊滅したことになっていたが、
実は以前の上京した三葉と瀧の間につながりができていて(※)、
その後、2013年の糸守・三葉と2016年の東京・瀧が入れ替わるようになったが、
「それでも、違う時間を生きる人間同士が出会える、一瞬の黄昏に二人は再会し、
三葉が死んでしまう世界と生き残る世界の2つがあるのかは映画からはわからない」
実際にはもっとつっかえつっかえ話したこともあり、納得はしていないようだった。
(※)どの時点の三葉がどの時点の瀧に会ったのか、あえて検索せずにずっと考えているが、私にも分からない。
そもそも「体の入れ替わり」という表現自体を受け入れない、というほど頑なではないようだが、
「時空を超えた平行世界」的なお話、考え方に一度も触れたことがなかったりすると、
逆に、観客の多くはそれなりに理解できたのだろうか。
雰囲気で感動しているのだろうか。
たとえば、マンガを読むときのルールに「吹き出しの形で台詞とモノローグを区別するし、背景に稲妻が走っても本当に天候が悪いわけではない」というのがある。
http://ddnavi.com/news/215595/a/
「君の名は。」を鑑賞するには、どういったルールの理解が必要だったのだろうか。
今連れは「中国でもヒット?信じられん。ホントに分かって見てるの?」と言っている。
子供のときにドラエモンとかバックツーザフューチャーとかで訓練してないとダメだな。