はてなキーワード: 生存権とは
PS5の転売について少し考えてみた。
前提として、市場の私的独占は問題。独占禁止法に引っかかる。これは転売っていうより、私的独占の問題。
また、サンデルが紹介するようなハリケーン襲撃後の生活必需品の転売もPS5の転売とはズレる。個人的には、生活必需品を確保することは国の役割だと思うので(憲法第25条:生存権)、生活必需品の転売には国家権力を介入させてしまえばいいと思う。
1. そもそものメーカー側の価格設定が適正とは限らない。「適正な価格」は市場が決める。
2. 転売屋間での競争があると価格が適正な価格に落ち着く。カルテルはもちろん独占禁止法違反。
3. 転売屋も商品が売れるとは限らずリスクがある。リスクを冒して購入することも価格の決定の一環。
4. 1 ~ 3は資本主義社会の一般的な話。資本主義社会では、商品が「質に見合った価格で買える」という恩恵を私たちは受けていて、その恩恵を無視して転売だけ槍玉に上げるのは変な話。
日本は最も成功した社会主義国家なんて揶揄されるけど、建前は資本主義国家なはず。
健全で公正な転売屋の競争は認めてもいいと思う。もし何か問題があるとすれば、それは転売じゃなくて、健全で公正な競争が行われていないことによる問題。転売屋にもきちんと競争をさせよう。
社会主義者や共産主義者とか、PS5が水ぐらいの生活必需品という人が転売に反対するのは理解できる。
他に反対する理由ある?
そう、公共の福祉については意外と知られてないんだよな。
先日増田で、萌えラッピングバスが上手くいかない、って話を聞いたので調査していた。
実は千葉市では、クルマに付ける広告は厳しく制限されているみたいだ。
このような、いわゆる屋外広告物規制条例は、日本のあちこちで制定されているらしい。
当然、表現の自由との摩擦で燃えて、かなり昔に、最高裁判所が判断を下した過去がある。
結局、大阪市屋外広告物規制条例は憲法違反ではない、という結果になった。
…ビラの内容が営利と関係ない物でも、都市の美観、風致を害するものとして規制されている。国民の文化的生活の向上を掲げた憲法のもとでは都市の美観、風致を維持することは公共の福祉を保つことになるので、この程度の規制は合理的な制限である」
判決文に明示されていないが文面から、公共の福祉で表現の自由の対抗になったのは、おそらく「生存権」だと思う。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
投票券なんか送ってこないで欲しい。生きているのが恥ずかしくなる。
そもそも、「日本国民様に活かして頂いている寄生虫」な訳よ、俺らは。日本の国民じゃないのよ。それ以前に人じゃない。ムシケラ、ゴミクズ、ゴキブリ。
学もない、労働も納税も次世代への貢献もなにもしてない。ただ日本と言う素晴らしい国の資源を食いつぶしてるだけ。
そんなゴミクズが、何を間違えて「日本国民様」と同じ権利を与えられてるんだよ。選挙制度が狂ってるんだよ。
なんで生活保護から参政権を取り上げ生存権を制限しろって「日本国民様」が言わないんだよ。
政治家にやらせろ。それが参政権を持っている人間様の義務だろ。
頼むから、お情けでゴミクズを「人のように」扱ってくれるな。ゴミクズはゴミクズらしく黙って言われるがままに生きていればいいんだよ。
中絶が合法化されてる胎児と中絶禁止週数を過ぎた胎児と生まれた赤ん坊の何が違うかって、あえて線を引くなら「胎児の生存が母親の人権とコンフリクトするか否か」が最大の違いなんじゃないの。
だから中絶を部分的に禁止している国や自治体でも、適切な医療措置さえ施されていれば胎児の単独生存が可能な週数(本邦では22週)を過ぎていれば中絶を犯罪とするし、週数を問わず禁止としている国でも、妊娠の継続が母体の生命や人権を脅かす場合(妊娠継続により母体に健康上の死の危険がある、性犯罪被害によって起きた妊娠であるなど)だけは例外として認められるのが一般的になっている。現在アメリカの保守州で次々通ってる禁止法はこの例外条項すら認めず、妊娠したのが子供だろうが性犯罪被害者だろうが一律に禁止して裁くような条文になってるから大きな非難を受けているわけだが。
人工子宮など、望まない妊娠をした女の胎内から医者がいつでも胎児を取り出して育てることができる技術がもし実現すれば、中絶も産まれた赤子を遺棄したり、中絶可能週数を過ぎた胎児を中絶?/死産?したのと同じだけの罪に問われるような法改正が行われる可能性はある。
ただ今のところはそれが技術的に不可能なので、コンフリクトした人権のうち既に生きている母体の人権を優先する運用がやむなくとられているだけと自分は解釈している。
この先超少子高齢化で子供が生まれず年寄りだらけになって日本が滅ぶのがわかりきっているとしても、今いる年寄りを全員ある一定の年齢で殺処分したり、年金を打ち切って年寄りを見殺しにし、社会保障費を減らすわけにいかないのと同じだ。今いる年寄りの生存権を守る為に社会保障費を爆増させ、その結果若者が経済的困窮で子供を作れなくなっても(いうなれば国に強要された社会的堕胎の犠牲者となっても)誰も罪に問われることがないのと同じだ。
あまりにも男男男男男男男男男女女女女女女女女女女女女ってやってるから
視界に入った際にでつい見てしまった
足の小指をぶつけた時のような感情になった。もちろん誰も悪くない、見た自分が悪い
一瞬、彼女の言うことに頷いて○○○○はアカンのでは?🤔とも思ったが、
よく考えるまでもなく、別にそんなことねーなとなった
真の経済的自立の達成をしていない人間が何を言っても不毛などんぐりだからだ
しかもそれを口にしている彼女自身がそもそも自力で得ていないので不毛の極みである
でも1億円通帳に振り込んで欲しい。別に100億円でもいい
意識の高い系の人が魂がどうたらとか言いがちなのでスピリチュアルなことを考えてみる
母ちゃんは哲学とかには興味はないがスピリチュアルは家系的に親和性が高かった
自分が小学校4年くらいの時に神様っていると思うかと尋ねると、
『特定の宗教は信仰しておらず、強いて言えば先祖崇拝だが、生かされていると感じることがあるので神はいると思う。
年を重ねれば重ねるほど生かされていると感じることが多くなっている』と言っていた
その時は生かされているの意味がよくわからなかったが、母ちゃんの言葉の通り、
年を重ねれば重ねるほど、『死んでも不思議じゃなかったのによく生きてたな』とか『自分はラッキーだったんだな』とか
生かされているなぁと感じることが多くなった
生かされているだと妙にヒロイックというか厨二なので『たまたま生きてるんだなぁ』と置き換えてもいい*1
あと、たまたまから漏れてしまった人の代わりに、他人に親切するとか、助けるとか、役に立つものを作るとか、身近な人を大事にするとか、
環境がどうたらというのにコミットした方がええんか・・・?とは割と思う。どれも出来ていないのでぼんやり罪悪感もある
でもやっぱり1億円通帳に振り込んで欲しい。別に100億円でもいいと思う
最低でも100年は生きたい。なんなら1000年でも生きたいので
*1 ただ、たまたま生きているのだから、たまたま死んでもいいよね〜?・・・みたいな感情には微塵もならない。あらゆるものを出し切って勝ち得た生存権ではないが絶対に返却しない。最低でも100年は生きたい。なんなら1000年でも生きたい。しぶとく生き汚くいきたい
個人の記憶と思い込みの話だけど、当時の一青年として少なくともそう感じていたってことで聞いてくれ。
育児をしない男は父親じゃないってアレもだけど、有給なんて取る前提はなかったし、
残業転勤当たり前、家庭も家族も企業の前では考慮するに値しない奴隷となるのが社会人だと思ってたよ。
昔はブラックしかないし、ブラックが当然だったから、そんな言葉自体なかったんだよ。
まぁ新卒に即戦力を求めて落伍者は切り捨てるのが横行して、氷河期の後に生まれた概念じゃないかな。
古代ローマの奴隷の方が平成の新卒より人として尊重されてるとか知らなかったよ。
浮浪者になって死ぬか、一生バイトで惨めに死ぬか、ブラック労働で死ぬか、好きなのを選べ。
さもなくば氏ね。
10年かけて磨いた学歴の竹槍を持たされて「現代の戦場では通用しないけど後はヨロシクー」って学徒動員されるんですわ。
社会保障?いやいや生まれたての「子どもの人権」も適用されずに育った世代ですよ?(日本は1994年に批准)
元から人権なしで育ってるんですわ。自分にも他人にも、人権なんて認める余裕のあるヤツの娯楽でしょう。
男は生計を立てられないのなら生きる価値もない。生存権は認めても良いが、生きる価値は認めないから氏ね。
女は生計を立てられなくても社会的に認められるのに、社会進出で職を取り合ってイヤだなっていうのが正直な感想だった。
すごい世界観だよね。