はてなキーワード: 理系とは
お前ら親の金とか借金とか無駄に使ってるヒマあったらさっさと大学やめるか文転しろ
2年生でPDFとかdocxとかxlsxとかの識別がつかないとか馬鹿なんか?
やっぱりクズだね。理系が教養だけで卒研まで行くとか許されないから。
お前らが卒研に行ったら絶対人の足を引っ張るどころか研究室がめちゃくちゃになるし、日本の大学の格がゴミ以下になる。
正直こんなやつらに日本の将来を任せたくもないし、こんなやつらが月に10万も20万も30万も他の有能の稼ぎから盗んでいっていい理由がさっぱりわからない。
こいつらは文系官僚がお似合いと言いそうになった。あぶねえ。こんなものにさせたらそれこそ日本が滅ぶ。もう外国送りでいいよ。
正直、理系からみると文系ってジェネラリストで人当たりのよいコミュ充として社会の潤滑油になってくれてないとおかしいよなとは思うんだ
いわゆる感情労働ってやつ
文系男性と高卒女性はおそらく技術力よりも目に見えにくいせいで感情労働スキルを買いたたかれてるんだろうけど、
定量化してとらえられずぼんやりと「自分にも才能があればな」と思うだけだし、ひどいと体を売ればコミュ充になれるとおもってそう
じゃあもう生ポ受けて子供をまともな人間(含:理系)に育てるという最大の感情労働に専念すりゃいいのにな
なぜなら理系の素養が子供にあっても感情労働しか労働を知らない文系親は子供の適応性を早いうちに英語スクールとかで使いつぶそうとするから
文系発信者としてのスキルも新聞記者くらいの事実レポート力がみがかれてればものになるんだろうけど新聞自体オワコンだし
知性終わってる
だが社会学やフェミニズムや評論系はこれまで社会のほぼ全ての場所で「何が正しいのか」散々掻き回してきたのに
ここ数年急に「我々が絶対的に正しい」「我々以外の全てが馬鹿」というツラを現在進行形でし始めた
そこだけでもう全然受け入れられない
まずそもそも野球にしろサッカーにしろルールには明確に線引きができるものとそうでないものがある
野球ならアウト・セーフは明確に線引きできるがストライク・ボールはそうではない
ストライクゾーンの定義は、左右はホームベース上という形で明確になっているが、上下は打者の体型によって変わるのでそれほど明確ではない
きちんと打者の姿勢を測定すれば明確に定義できるだろうが、そもそもストライクゾーンの意味から言ってそうではない
ストライクゾーンはあくまでも「今のは打てた(Strike)はずの球」なので、かなり主観的な基準になる
なのでストライクゾーンの球が打者に当たってもデッドボールになる(打てたはずなのに当たっただけだから)
そういう意味で審判によってストライクゾーンが変わる、というのは別に間違いでは無く、審判に合わせて試合運びをする、というのも選手・監督達の重要な技術の一つである
野球というのはこういう審判の不確定要素も織り込むからこそ試合展開が読めない面白さというのがある
サッカーにしても同じで
のであればなるべく接触を減らしてプレッシャーをかけるし、逆に攻めるときはドリブル主体になったりする
このように他の競技でも同様だが審判はゲームを構成する一部であることを理解しないといけない
例えば風とか雨とか気温とか湿度とか人工芝か天然芝かとかグランドの状態とかそういうのも全部同じだ
環境を全て同じにした上でどっちが強いかを決める、というような理系脳にありがちな考えは捨てなければならない
ただ、例えばドーム球場のように雨とか気温とか風とかが影響しないようなことが行われるようになってきている
これはただ単に「興行的にその方が儲かるから」というだけに過ぎない
人間の審判員よりもAIによる審判の方が興行的に儲かるのであれば導入されるだろう
ということで興行的に導入されているに過ぎないし、他も同様だと思う
勉強というものをロクにしてこなかったし、理系とほとんど縁がなかったんだけど、ずっと「車輪」について疑問に思っていることがあった。
疑問といっても、本気で気になっていたわけではなくて、暇なときにあれこれ考えを巡らせたときに、これどうなってるんだろうなと行き着くぐらいの感じ。
車軸と車輪があるうち、地面を摩擦なく転がるのは車輪で、軸の全周は車輪よりも短いから、全周を地面と摩擦させるより軸を穴で摩擦させたほうが距離が圧倒的に短いので負荷が少ない。おおこれはよくできた仕組みだなあ!考えたひとスゲー!なんて思ってた。
それに至ったすぐあと、それでも結局軸と穴の摩擦はあるから、いずれすり減ってダメになるんじゃね?さすがになんか対策とか工夫で解決されてるんだろうけど、どうなってんだろうなとも考えてた。
それで今日、すごく暇でたまたま思い出したのもあって長年のプチ疑問だったこの内容をググった。あまりにもプチすぎて今までググったことなかった。
Wikipediaで「車輪」のページを読んでいたら「構造と機能」にまあまあ自分が思ってた通りの原理があった。
そしたら「摩擦面の摩擦を低減するのに軸受が使われる」とあり、これまさに俺が思ってた対策とか工夫じゃん!と思って意気揚々と「車軸」のリンクをクリックした。ボールベアリングのgifを見て衝撃を受けた。
ベアリングというやたらスムーズに回るなにか(それこそハンドスピナーとか)が存在していることは知っていたし、こういうボールで回る物体の存在も知っていたが、そのふたつが自分の中で結びついていなかった。あまりに完璧にプチ疑問の答えになってて衝撃を受けた。
ものを開発する人ってスゲーなと思った。自分の知識の中に答えはあったのに、それを導き出せない自分はやはり凡人なのだなとも思った。
「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」の意味を故意に狭い意味として解釈し、例えばパンは食べたにもかかわらず、「ご飯(白米)は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、論点をずらし回答をはぐらかす手法である。
いわれてみれば確かに。
理系はいるじゃない。9歳で大学数学やってたりとかさ。文系ではあんまりそういう話聞かないよなーって思って。たとえば9歳で伊勢物語を大学レベルで討論できる子っていないのかな。
ニュースを見ても、SNSを見ても、「女性はこんなに差別されている!!」という意見ばっかりだ。
だから、女性がそれに同調してないってだけで、俺の中では評価が爆上がりする。
例えばだけど、女性が
「女に生まれて大変だったこともあるけど、男より色々と得してきた部分もある」
「今日では機会平等が達成されたのだから、アファーマティブ・アクションはあまり必要ない」
「女が社会進出できないのは、女自身が決めてきた選択の結果だ。女たちは夫が外で働いて稼いできてくれることに甘えている」
「女子が理系に行きたがらないのは、抑圧・差別というより、数学・物理を嫌いな子が多いからだろう」
「たわわ広告は許容範囲だ。職場のポスター掲示とは違って、あれは新聞広告なんだから閉じれば見なくてすむ」
みたいなことを言っているだけで、まともな人だなと思ってしまう。
私はとある大学の修士課程に所属していた。もうすでに過去形なのはつい先ほど修了証書を授与し、卒業したからだ。
思えば私の6年間はうぬぼれの塊であった。高校ではそこそこ勉強のできる部類であったと自分で勝手に勘違いしていたが、大学に入って同じ学科の仲間を見たとき、高校の成績なんて
そこからは課題を自分の頭で考えることをいつの間にか諦めていた。大学まではおおよそ2時間ほどかかるが、不真面目な生活態度を貫いている私には苦痛でしかなく大学における人との交流はほぼゼロとなった。
それでも家にはお金がないため留年なんてのは論外である。とりあえず卒業できる程度には単位を取るためにそこそこ頑張った。
ところで私の所属している学科は理系であり、半数以上は院へと進学する。例に漏れず私も院に進むことにした。正直就活するのも面倒だったし、本当に先のことを何も考えたくなかった。この癖はいまだに治ってない。
しかし、この研究室配属が私に、いまでも思い出すだけで無意識のうちに奥歯を嚙み締めてしまう苦い経験になる。先に言っておくがすべて私の研究に対する甘すぎる意識がその原因ではあるが......
就活することが億劫な私が入ろうって思う研究室なんてのはコアタイムもないようなゆるーいところであった。事前情報では。しかし、情報収集を怠っていた私は、実はその研究室に5年ほど前から来た新しい教授がいることを知らなかった。
言うてもなんとかなるやろと高を括った私は配属後の最初のミーティングで絶望した。
学部生時代にいかに不真面目であっても、自分なりに勉強はしてきたつもりだった。しかし、研究室の先輩たちの発表する研究内容がまるで意味が分からなかった。最初は宇宙言葉だと思った。本気で。
それは私の同期も同じだったようで、ミーティングの後、それぞれの研究テーマを決めなければならないがどれも意味不明すぎておなじに見えたため、私は、教授の説明によるとまったく新しい試みの研究らしいテーマを選択した。これが第一の失敗だった。
理系の院生、研究活動には明確な答えは存在しない問題に取り組まなければならないというのは、まあまあ知られている話だと思うが、私のテーマはその手法も手探り、教授もよくわかんないけどなんかやってみて、といった態度で私はまるでやる気が湧かなかった。自分が
なにをしているのか意味不明なまま、結局学部4年生を卒業した。
そこから修士1年生となり、テーマを変更することになった。正確には学部生時代のテーマはあまりにも先が見えないため、テーマを変えたいなーと思ってはいたが、教授と相談するのも面倒、研究もしたくない、そんなことを考えながらバイトをする日々だった。我ながら
なぜ院に進んだのか昔の自分をぶん殴ってでも止めたほうがよかった。
そんな感じで結局大学にはほぼいかず、研究もしない日々が続き、世間ではコロナが大流行し始めた。そして私も感染した。ついでに胃腸炎になって入院もした。研究室の方々には大きな迷惑をかけた。大学にはなおさら行かなくなった。この時すでに、2年生になろうといったところだった。
書くのがめんどくなったので大幅に端折るが、最終的に私は修論を挟んで教授と犬猿の仲になった......というのが周りから見た私と教授の関係性らしい。いやでもね、力関係を考えてよ、いち学生と教授が戦いになるわけないでしょ、僕はいつもぼこぼこにされてましたよ。
修論かかなきゃ→実験してないからデータがない→でもとりあえず何か書かないと卒業させてもらえない→でもそもそも書くことがないのになにを書く?→でも書かないと卒業できない→....
と思考がループして、躁鬱状態を繰り返しタバコとコーヒーを常に加えてないと不安で頭がおかしくなりそうだった。てかおかしくなってた。
修士なんか所詮2年しかないんだからさっさと教授に泣き寝入りしてなんとかしてもらったほうがいいです。自分がクズであることを自覚した私は怒られることが怖い自分に嫌気がさしていたがなんとか口を開き事情を説明した。
君はいつも報告が遅いんだよ、と小言を言われたが研究してない学生を助けてくれる教授ほど心の広い人はいない。これは皮肉ではない。