はてなキーワード: 本土人とは
追記した
https://anond.hatelabo.jp/20221008164406
【基地について】
・騒音がうるさい
・なんか危ないイメージはある
・多分昔よりも基地問題はマシにはなってる
【政治的側面について】
・しかし、本土の人間の認識も変わらないか、なんなら無関心になったり、SNSでネトウヨみたいなのが増えてて悪化してる。
・本土人との間で基地問題を話題にすることすら、かなりハードルが高い。
・このままでは本当に良くない。
【反対運動について】
・高齢者が多い。実際暇じゃないと参加できない。
【この騒動について】
・数年ぶりに基地問題が関心を集めた。関心はないよりマシ。
・ただ、ひろゆきの「表現が不正確だから信用されない」そこじゃないだろ、と思う。
・なんで数年間こちらを見向きもしなかった人間のために、ずーっと「誤解のない、正確な表現」に気をつけなきゃ行けないのか。
・少なくとも、当事者(抗議団体と工事施行者)は座り込みの時間帯や抗議日数の「事実」をよく了解してる。
・「事実」を誤解したのは、急にやってきた非当事者だけ。部外者が「正確な事実を共有しろ」と要求する。迷惑行為だよね。
・いきなり定例会議に顔を出して「そんな説明資料じゃ分からん!」ってキレる社長みたいな理不尽さ、かな。そりゃお前向けに作ってないもん。お前は普段いないから。
とりあえず、
「一般の人が見たら誤解すると思いまーす!」って都合いいなとは思うね。
「保育園おちた」発言で世の中かわったありがとうという記事もなんか今ホッテントリしてるけど、助かった自分がいたのと自分との直接的な関係性はその記事からうかがえるというのはわかるが、直接的に恩恵をうけたのは市政のはず
この文章意味不明なんだけど、「直接的に恩恵を与えてくれたのは市政のはず」という解釈でいいか?
率先して働くべきなのに一市民が声を挙げるまで怠惰をむさぼっていたのだからむしろ批判されてしかるべき
詭弁にしてもやばすぎるな
社会の欠陥に声を挙げた一市民と犯罪者を同列にするための印象操作?
日本人は自力で戦争を止められなかったうえに、民主化もできなかった
無茶な軍備拡張のせいでな
この数日、変に癖の強い文体を残す増田を見かけた。個人的にジャップくんと呼んでいる。
2021.3.18
騒がれているので
詳細見てみたら
謎掛けで、アイヌと「あ、犬」
掛けて炎上しているのかよ
ただの言葉遊びに
過剰に反応してる方が
失礼というか
あるように感じるのだが、
そこら辺どうなの?
過剰反応している現状が
逆に失礼だと
主張してるんだよ
犬という言葉が使われていると
叩くのは過剰反応で逆に失礼だ
って話な?
他所者には厳しいだろう
黒人差別と同列に捉えて
言葉狩りをするのは
不適切だろう
思っているぞ
”差別” はあったと言わざるを得ないが)
自分ではなんの根拠も出さずにとりあえず相手に知識を求めつづける
完璧とは思っていないが
不足があるとも思っていない
お前が思う不足を書いてくれよ
ここで、逃げる奴が9割だが
お前はどうかな?
お前では無いか?それに対して俺は
不足は無いと反論した訳だ
なら、詳細の不足している事項を
証拠として挙げるのがお前の
責務では無いか?
それが出来ないならお前は
俺の不足を立証出来ないぞ?
お前は、不足の立証が出来ずに
敗走したのだぞ?それは事実だろ?
俺は考えている
言われているものは
この主張を否定したいのなら
同じく当事者でないお前も、
これは差別では無いだろう
お前の定義だと、
差別になるぞ?
"個人的に思っていること”に対して歴史的な史実を基に反論せよ、というかなりな厨二発言をかましている。おそらくこのあたりがターニングポイント。以降は各方面から差別と村八分の違いやら、アイヌが村八分で差別ではなかった事実を述べよと追求されるも、増田は全てスルーしている。
議論で勝つことを重んじるよりも、ひたすら指摘と問題提起を繰り返すだけで、それだけで差別発言を控える社会は来るのにな
アイヌ以外の反差別運動は論破なんてしてないし、為政者やネトウヨが議論したがるのは無駄な討論会で時間や気力を浪費させるため
恐ろしいのはこれが5日くらい前から続いているということ。長いのでツリーも偉く深くなっていた。だから探すのにメチャクチャ苦労する。自分の中ではこの増田を「ジャップくん」と呼んでいる。
昭和天皇の写真を燃やした作品について左翼はヘイトではないとか不敬ではないとか適当な屁理屈を並べ立ててこれを擁護した。
そういった写真を映像であれ何であれ繰り返し行うことは、その対象に敬意がないばかりか、感情を持たないからこそできることだ。
例えば包丁を持った人間が誰かを刺し殺そうとしているとしよう。
まともな人間であれば殺意があったとして踏みとどまる善良な心があるものである。一線を越えてしまうというのは心がある故に歯止めがかからなかったからこそ意味を持つのである。
これが左翼であれば一線というものはない。良心の呵責に苛まれることなく淡々と人を刺し、悪意や罪の意識なく対象を殺したと認識するまで包丁で刺し続けるだろう。
よくよく考えてみればああいった人間と対話をして分かり合おうという発想そのものが誤りだったのかもしれない。彼らの言う対話とは一方的且つ上からの教育ないし指導ないし説法を言うのであり相互理解とは無縁のものだ。ただひとつの正解があり、教育や指導をすれば必ず正解に導かれる、悪(とみなしたもの)も改心する、そういう洗脳を対話とするわけだ。知恵者は弁舌で相手をマウントする。マウントされたものはそれに従う。なるほどトップダウンである。余談だがYoutuberのヒカルはそういう素質がある。頭角を現すに足る能力だろう。
かつては原爆が広島長崎に落とされ、多くの同胞が命を落とした。記録映像は言うまでもない凄惨なものであり、見るものに強い拒否感を齎すものだ。児童が見たくない、親が見せたくないというのも頷ける。それは我々には心があるからであり、心があるからこその反応だ。
同じことは東日本大震災にも言える。東日本を襲った津波は世界中の人々を悲しませた。当時の映像は311が近づくに連れレコメンドに現れる。その動画を見るものは恐怖を覚えるだろう。少なくとも、その神の怒りとも喩えうる現象を間近で感じた我々にとっては、思い出すために忘れたいというほどのものだったはずだ。
首里城が燃え落ちたことで多くの沖縄県民は依って立つ土台を改めて奪われたのであり、その悲しみは本土人の私には理解の及ばぬ深さであるはず。また建て直そうなどと軽々薄々なことは言えない。建て直したところでそこにあるのはかつての首里城ではないのだ。少し話を逸らすが、本土では全く流通しない2000円札を森喜朗が余計なことをしたとか言う人をたまに見るが、あれほど沖縄県民に無理解な意見もないよなと思う。沖縄県で多く流通している2000円札、しかし本土では出回らないそれを便益だけで説明できるとは思わない。そこの温度差は常に意識しなければならない。
さてその首里城が火災に遭ったことで、多くの左翼が悲しみを表明している。表現の自由戦士もだ。しかしは私は疑問に思うのだ。コイツらは悲しみを表明する資格が果たしてあるのだろうか、と。
「たかが再建したレプリカじゃん」「燃えてはじめて完成するアートってあるよね。映像に映っている人たちの悲しみはまさにアートに突き動かされた人の気持ちそのものだよ」とか思っているのではないだろうか。私には彼らの模範生じみた意見を見るたび「内心そうは思っていないだろホラ吹き」と思ってしまうのである。
だからこそ問いたい。お前らは本当に悲しい気持ちになっているのか?
心あるならば意見を表明してみろ。
両方のブコメで一貫した主張をしている人は立派。
店による客の選別(差別)容認/反対どちらの立場だったとしても。
ダブスタやってる人は、だいたいが外国人(マイノリティ)の排除は差別だが日本人(マジョリティ)の排除は差別ではないという理由なのだろうけど、
そもそもその基準が正義に叶うのかという論点とは別に、この石垣島のラーメン店の件で排除されているのは果たしてマジョリティだけなのかという論点も考えていただきたい。
名古屋から来た本土人(日本国内のマジョリティ)の店主が、商売の利益または個人的な好き嫌いのために、本土からの観光客(日本国内のマジョリティ)だけでなく地元住民(日本国内のマイノリティである沖縄人ないし石垣島民)ももろともに排除している件でもあるよね?
思考実験的な話だけど、仮に朝鮮や台湾が現在も日本の植民地だったして、朝鮮や台湾で商売をしている本土人(日本列島出身者)が「日本人(含む国籍は日本である地元の朝鮮人・台湾人)は金を落とさずマナーが悪いので排除して、外国人(アメリカ人・中国人・その他)だけ相手に商売します」とやってるのと変わらないよね?
本土人が地元(石垣島・朝鮮・台湾)の観光資源を利用して商売しながらも、地元民(石垣島民・朝鮮人・台湾人)の利用を排除してるという構図は、マジョリティによるマイノリティに属する資源の収奪にもマイノリティ差別にも当たらないと言うのかい?
本土の人間として、引退した安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄が生み出した文化は大好きだし今でも尊敬している。
しかしその一方で、普天間基地の辺野古移転をゴネる沖縄人に対しては「しょうもねえヤツらだ」という思いも持っている。
日本とアメリカの国家同士の契約を簡単にひっくりかえせるわけがないだろう。
そこまでゴネるなら琉球共和国として独立して中国共産党に併合されれば? 日本から出ていけば? という思いである。
この二つの思いは二律相反するように見えて、実はコインの表裏のような関係なのである。
本土人から見れば、唯一本土戦のあった沖縄に対して後ろめたい気持ちはあるし、安室奈美恵は音楽を通じて本土と沖縄をつなぐ架け橋みたいなものだった。
1990年代以降に、沖縄が本土人から見て魅力的な観光地になったのも、安室奈美恵の存在は大きかっただろう。
その一方で、辺野古移転問題の沖縄人を見ていると、いつまで被害者ヅラしているんだとも言いたくなる。