はてなキーワード: 放射性物質とは
現在のところ、放射性物質による施設の外部への影響は確認されておりません。したがって、対象区域内の居住者、滞在者は現時点では直ちに特別な行動を起こす必要はありません。あわてて避難を始めることなく、それぞれの自宅や現在の居場所で待機し、防災行政無線、テレビ、ラジオ等で最新の情報を得るようにしてください。繰り返しますが、放射能が現に施設の外に漏れている状態ではありません。
「五重の壁があるから即座に放射性物質が飛び散るわけではありません」とか、
専門家がマスコミに出た時には、壁が既に壊れている、又は今後壊れる可能性がある状況だったため、
「五重の壁があるから何が起ころうと安全です」は出る言葉ではない。
そもそも容器が壁の一つって事分かってる?
「五重の壁があるから即座に放射性物質が飛び散るわけではありません」とか、
「容器の破損は未確認なので現時点でそういう情報があればデマです」とかでなく、
それは知らなかったな。
そんなこと言う以前じゃないか。お前さんは。
ニュースも読めないのか?
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、汚染水や大気中からの降下分も含めて、海に流出した放射性物質の総量を1万5000テラ・ベクレル(テラは1兆倍)とする試算を、日本原子力研究開発機構の小林卓也研究副主幹らがまとめた。 東電が推定した値の3倍以上になっている。19日から北九州市で始まる日本原子力学会で発表する。 東電は高濃度汚染水の流出を4月1~6日に限定しており、その間の放射性物質(ヨウ素131、セシウム134、137)の量を4700テラ・ベクレルと推定していた。 小林副主幹らは、原発の取水口付近での放射性物質の濃度をもとに、海で放射性物質が初めて検出された3月21日から4月30日までの流出量を逆算した。推計値をもとに海洋への拡散を模擬計算したところ、原発の周辺海域での観測値に合っていることも確かめた。試算ではセシウム134を含めていないため、総量はより多くなる。 (2011年9月9日07時56分 読売新聞)
東電の推定値は4/1~4/6の5日間の値で、JAEAの値は3/21~4/30までの42日間の値。
それで、値が3倍って言われてもな。
別に東電が4/1~4/6しか流出させて無いとは言ってないんだし、そもそも比較できる値じゃないんだよ。
そりゃ、新聞記事もまともに読めないようでは嘲笑われるだろ。
誰かを誘ってというと誘いにくい。自己責任の範疇を超えてしまうからだ。
太平洋から100km離れている街でさえもマスクをつけた人がたくさんいた。
別にさ、食べて直ちに害があるとは思えないんだけど、「食べて」とすすめにくい。
この気持ちのもやもや感が、この事故への対処に感じる不信感なんだろう。
県境を越えてかつて水俣病の被害が出た川沿いの町にもいった。水俣病の原因となった工場はかろうじて操業しているように見えた。
当時の資料に目を通すと複雑な気持ちになった。
そのときの被害の広がり方やその被害がどれくらいの年月がかかって風化されたのかを考えるとまだ慎重に行動するしかないのかもしれない。
四大公害病を経て成立した大気汚染や水質汚濁に関する法律が役に立っていないのが腹立たしい。
放射線を出さないタイプの汚染物質を大気中や水中に出すと罰則で会社が傾く。傾くから抑止がかかる。
過去の過ちから学習することができないのか。日本が擁するエリートはその程度なのか。ほんとうにくやしい。
そろそろおのれの命と引き換えに国や人を守る人が出てくるのかもしれない。
そんな淡い期待は捨てたほうがいいのか。
「あ」
これだけでも「大丈夫?」と言われたり、「頭大丈夫?」と言われたりする人。
もしくは、(あいつ何書いてんのやろ)って思われたりする人。
それか、無視される人。
世界という系を切り取ってみても、結局は、世界のミニチュアにすぎない。
小学校の教室という系も、地球という系も、マクロな視点では同じ。
教室内で楽しく談笑するグループ、アニメで盛り上がるグループ。
そして、机に伏せて寝そべっていたり、壁に向かって話続けていたりする人。
そういうものは、どんな年代が集まっても、どんな広い場所に居ても、変わらない。
そういう人はどこに行っても目の上のたんこぶでしかない。
本質を隠しても、何かしらで露呈する。
そうなれば、人は壁を作り、次第に疎遠になる。
何処の系にあってもそれは変わりなく。
そして、あぶれた人は、変わらない挙動を見せる。
かといって、もとからグループに属する能力がある人は、そんな挙動が無い。
低い確率で、その様な挙動を見せる可能性はあるが、グループからの追放でしかない。
昔なら、どこかで野垂れ死にするだけだった、何者か。
それが今では、家の中にひきこもっていれば食料もある。
家の中にひきこもっていてもネットで擬似的に誰かと繋がることが出来る。
この場合には、現実からもネットからも、二重の白紙化が起こる。
かといって、全てが許容されて透過するわけでもない。
都合の悪い言動は、全てが増幅される。
あぶれ者のあぶれ者。
切り取る系に何らかの外力が働く。
それによって、最下層民は更なる迫害を受けることとなる。
その外力は、親からの言葉、社会からの逃避概念、いらだち、嫉妬。
上位層はその様なことは考えず、ただ互いに互いを助けあう。
最下層は互いに互いを罵り合う。
富むものはより富む。
最下層は行き場の無い不平を、上に押し付けずに下へと与える。
結果、圧迫された最下層は、行動することすら出来ない。
細野原発事故担当大臣が福島県内に最終処分場を作ることはしないと言ったりしているわけですが (ただし、中間貯蔵施設は作ろうとしようとはしている様子)
しかし、福島に放射性廃棄物の最終処分場を作るのが合理的な選択だとは誰しも分かっているはずだと私は思う
これからというか今、除染をしていくにあたって、土砂の入れ替えなど埋められるものは埋めても
汚染されたガレキが出ることは避けられないことだろう (ひまわりを植えたってどこか埋めないといけないわけで)
それに、県外のどこがに受け入れるというのかと
お金を積んだらモンゴルなりインディアン居住区なりに持ってけるのかもしれないけど、
それにしたって、低線量のだけで高線量のものは運べないだろう (他に運べるようになるまで中間貯蔵施設で保管するのだろうか、十年単位の話だろうか)
また、県外の放射性汚泥などの問題はどこへ向かうのか興味深い
福島かどこかに最終処分場ができたら、そこへ持って行けるだろうけど、現状ないのでさてどうする
因果的には福島原発からのものだとはどこからどう見ても明らかではあるが、放射性物質が急に湧きだしたとも言えなくもない
福島に運ぶにはお金がかかるし、いろいろと越えなければならない問題もあるだろう
それに放射線的にはコンクリ詰めして埋めればそこそこ大丈夫だとは言えるだろうということで、各々が処理するのが現実路線なのか
かくしてみんなで痛みを分かち合う。誰も責任を取らない幸せなやり方である。ことなかれ主義万歳
というか、福島に最終処分場を作るなんて言ったら、福島県民の県民感情を逆撫でして、そんな発言しただけでも政治家生命が終わる気がする
(2、3ヶ月前に福島に最終処分場をどうたらを官僚が発言してて記事になってた気が)
しかし、これは民主主義の勝利なのだろうか。ヒステリックな感情論からくる安易なポピュリズムに流されているのではないか
それが汚染されて他に使いようのない土地を有効活用し、原発を受け入れるということの代償である
事故を起きたからといって足抜けしたうえ、被害者面してこれからも廃炉までたからせてはならない
菅首相は25日、自らの退陣のめどとして「今年度第2次補正予算案の成立」など3条件を掲げていることについて、さらに「原発から放出されたプルトニウムの放射能半減を見届けたい」と周辺に話していることが明らかになった。この発言に対し与野党双方から「政権の延命を図る露骨な後付け」との批判が噴出しており、今後さらに首相への退陣圧力が強まりそうだ。
25日夜、首相は都内の料亭で自らに近い議員数人と会食。その中で「『退陣3条件』と言ったな。あれは嘘だ」と話すとともに、「一国の主(あるじ)として、原発事故を終息まで見届ける義務がある」として、3条件成立後の続投に意欲を見せた。また、「終息」の定義については、「放射性物質の中でもひと際毒性の強いプルトニウム239の放射線量半減が一つのめど」と語ったという。
一般にプルトニウム239の半減期は約2万4000年とされており、首相の発言通りなら、菅政権は今後さらに2万4000年間続くことになる。
この発言が報道されると、まもなく与野党の双方から不満が噴出。ある与党議員は「日本国民がどこまで首相に我慢できるかというストレステストのつもりでやってるのではないか」と話した。また野党幹部も「プルトニウムが半減される頃、菅氏は2万4065歳。どこの閣下だよ」と憤りを見せている。
首相の発言を受け、与野党幹部は同日深夜、非公式に接触。「ここまでしぶとく政権にしがみつく首相は、わが国の憲政史上最も醜態をさらしている」との認識で一致した。また今後の政治日程として、退陣3条件の成立後さらに首相が続投の意思を見せた場合、「そもそも菅政権はなかったことにする」として、首相を土に埋めて中国式に在任の証拠を隠ぺいする予定だ。
埋める場所については、首相官邸の庭園にあるソメイヨシノの根元が有力。官邸筋によると、ここにはすでに鳩山由紀夫前首相と名乗る人物が埋まっているとのことだが、この人物の詳細について前述の官邸筋は「この人もなかったことになっているのでよく知らない」と話した。
by虚構新聞
聞いた話で申し訳ないけど、福島の人たちは、毎日、放射線量の数値の高さを気にしている。
でも、自然界の放射線量を超えることは無い。なのに、テレビなどの牛の全頭検査の是非を問う報道や、野菜の出荷制限、原発の一向に良くならないニュースにうんざりしている。
すでに出て行った人を嫉むわけではないけど、口からは愚痴に近い文句しか出てこない節がある。
県外から訪問者が来ると暖かく向かえて、ほとんどあきらめに近い感情を吐露してくるという。
外部の人間はわかってあげられることはできても、物資が不足しているわけでも無く、マンパワーが足りないわけでも無いこの土地に、具体的に何もしてあげられない、そういうもどかしさを感じるという。
福島の人たちは、復興は進んでいるけども、本心ではどこかへ逃げたい、福島から離れたいと思っているのではないか。
一方、農家の方は、具体的な対策を講じて、食べ物の流通の安全品質を命がけで守っている。
具体的な対策とは、実がなると枝がしなって地面に着くので、支柱を多めに設置して地面に着かないようにしたり、果実が落ちないように早めに収穫したり、自分が歩く地面にブルーシートを敷いて地面から放射性物質の付着を防いだり。
ダムだって環境破壊するし、生態系をごっそり変える可能性があるし、決壊の恐怖がある。
火力発電だって、化石燃料の採掘や消費が世界に及ぼす影響について、いまだ完全な調査がなされていないし、事故による周囲を巻き込んだ爆散も予想できる。
風力に至っては、風に干渉することにより、世界気象に影響を与える可能性だって捨てきれない。
(雨を降らす技術そのものはあるが、積極的にそれが使用されないのは、気象への影響が懸念されるから)
どんなのもにもリスクはあるが、それでも放射性物質を巻き散らかすよりはマシって議論でしょ。
安全無害な完全無欠のエネルギー、なんて誰も喧伝してないでしょ。
放射性物質が何らかの理由で飛び散ったとする
原発からごくごく近くにいる人は急性の放射線障害により死に至る
チェルノブイリではこれが原因で4000人近くが死んだ
原発からある一定距離離れた人は急性障害が起こらないので、死に至ることはない
だが、原発から飛び散った放射性物質は動植物に取り込まれ、それらを摂取した人間にがんの増加という影響をもたらす
癌が増えると、それを治療しないわけにはいかないので、その分健康保険組合の財政を圧迫してしまう
それを防ぐには土壌の入れ替えや強制移住、人間が摂取する動植物の検査をするしかないが、それにもお金がかかる
http://www.maff.go.jp/j/council/sizai/siryou/29/pdf/110527_8.pdf
http://www.miki-group.co.jp/feed201104.html
農水省が出来たであろう行動は次の2つ。
・粗飼料の国費での買いつけをし、被災地優先で販売。国内の流通の安定を待つ。
・現在放射性物質で汚染されている稲藁を除染出来るかの確認。出来る場合は除染方法の通達。
これらを怠ったから、放射性物質で汚染された稲藁を食わせる事態になる。
市井の殆どが放射線に関しては無知なんだから、通達出したならきちんと通達が実行されてるか確認しないといかんだろ。
とくに、今回見たいな非常事態なら尚更。
放射性セシウムに汚染された稲わらを与えた牛が全国に流通していることが明らかになった
一連の報道を見ながら何かずうっと心に釈然としない部分があったのだけど、少しずつ見えてきたのでここにまとめる
釈然としなかったのは「農家はなぜ露天に晒された稲わらを牛に餌として与えたのか」ってことだ
もちろん「ずうっと露天にあった稲わらをなぜ畜産農家に売ったのか」でも構わない
「政府(農水省)が自治体通達を出したけどそれが農家まで伝わらなかった」から
ちょっと待って欲しい
震災発生から4ヶ月、事故数日のあの日(3.15)の様相もテレビや報道でだいぶ明らかになっている
その間、首都圏でも下水処理場の汚泥やゴミ処分場の灰やらに放射性物質が検出され大騒ぎになったり、遠く静岡のお茶でも検出されたりしている。
スーパーなどの店頭で見る限り、首都圏では今でも飲用に水道水を控えて水を買って飲んだり料理に使っている家庭は少なくないのではないか?
“現地”福島だって、親御さんが子供の学校給食を残させたり、校庭に出て遊ばせなかったりしている。
で、牛を大事にしている畜産農家の人はなぜ野外にあった稲わらを与えたのか?
もう少し踏み込むと
一般的な畜産農家ってのは基本的に“自営業”であってリスク管理というのは勤め人よりもしっかりしているのではないかと思っている
ましてや天候に直接左右されることの多いのだから蓋然性に関するリスクは工業サービス業その他産業の比ではない。
つまり“事故”からこの方、皆がリスクを意識している中、農家だけそうしたリスクを農協やら自治体やら国に転化している現象がどうしても理解できないというのが「釈然としないもの」の正体だ。
もしかしたら……
農家の人たちってのは今までずうっとそうしてきたのかな?
リスクは「あの人たち」がなんとかしてくれるって。「私たちはだまって作物を育て牛や豚を育てているだけで難しいことは「あの人たち」に聞いてくれ」って。
そんなことはないと信じたいけど、もしそうだとしたらあの事故の評価としてほぼ固まっている“人災”の様相も一変する。
ここで話は変わるけどテレビや新聞などのメディアってのはわかりやすい構図ってのを重視する
ストーリーを作りやすい「キャラづけ」と言っても良い。たとえば
こうした「キャラづけ」がより多くの人に何かを伝える理解してもらうのが都合が良いってことだ
テレビや新聞の中の人に悪意があるとかそういうことではなく楽チンかそうでないかの問題。
今、僕らはこうしたわかりやすいストーリーに乗っかり過ぎているのではないかと思う
「未曾有の災害」とか「想定外の事態」いうものに不安になって却って安定した物語構造を求めちゃうのも人の性(さが)かもしれないけど。
それで本来見えるものが見えなくなっているのではないか?とこういう次第
話を戻すと、この一連の食肉汚染騒ぎの中で「なぜもっと早く気づけなかったのか」というところで畜産農家の人たちも考えて欲しいし
テレビや新聞の人は彼らを過剰に被害者として扱い過ぎないでほしいということ。これを結論にしておく。
いちおう言っておくと、別に畜産農家を糾弾しているわけではないよ。
ただ、もちろんこんなストーリーをつくることもできる
100mSvが基準値なんだ。しかも閾値あり派ですね。それならただちに逃げる必要はないですね。
文系のオレからするとあれは、落第点ですね。あの時の政府発表はとにかくウソくさかった。
ウソでも真実味があるように伝えるのが文系のテクニックですよ。それを真実をウソくさく言ってどうするんですか。
「直ちに影響はない」という表現は、説明としての表現としては最悪ですよ。今でもそう思っています。
受け手の恣意的解釈によるブレ幅が大きすぎて、言わない方がマシなレベルです。
「最悪の事態が生じても東京に住んでいる人は逃げる必要は全くありません」とハッキリそう言いきるべきだった。
だって事実はあなたが言うとおりそうなんだから。そうでしょ。なぜそう言わなかったのか。要するに説明下手です。
見ていて、やたら数値を低く低くみせようと必死だった。普通逆でしょう。
数値は大目にとって、同時に、それでも大丈夫というところきちんとロジカルに説明しないと安心できません。
リンクした記事もそういう意味で「大本営発表」ということです。ウソとホントかは関係なく「ウソくさい」という意味で。
あの記事にもタイトルに「数値にウソはないかも」と書いたとおりです。
(1)福島第一原発-日立間は、100Km離れていることを言えばよかった。
(2)3/15に大量に放射性物質が放出された影響で高い数値がでているが、他の日は全然なので、これは一時的なものだと言えばよかった。
(3)全部の野菜が同等程度に汚染されていた場合、これこれの数値になるが、全く問題ないと言えばよかった。
あと、最悪のケースについて語らなかったのがいけない。
いつまでたっても、最悪の座標が決まらないから、最良と最悪の間がとれなかった。
いちど発表した内容も、コミットメントされないのではないかという印象がきわめて強くなった。
私が危惧していたのはそんなことではなく、3号機・4号機の使用済み核燃料が本当に露出して全部溶融したら東京も壊滅じゃないかと思ったわけです。
これも、政府が最悪の事態とその影響度をきちんと説明していたら、そうはならなかったわけでしょう。
私が逃げたいと思った理由は、ひたすらウソくさい政府発表とメディア報道にこりゃだめだと思ったから。
危険が身体感覚で理解できないものをあえて使わなきゃいけいないものと素朴な感想を抱くんだけどね。
ま、素朴な感想なんてもんが反知性主義なのは承知の上だ。その上でなお、そう感じる。
自動車で突っ込んだら、自動車が突っ込んで来たら、電車が脱線したら、飛行機が墜ちたら、どれほど危険か。これは誰に教えてもらわなくても自分で危険性をそれなりの身体感覚を伴って判断できる。
その点放射性物質は飛んできても自分でまるっきり分からない。教えてもらわないと分かることができない。で、その「教えてくれる人」がなぜか測定用計器が壊れたり数値公表の必要を認めなかったり取材したら逮捕させようとしたりいろいろした結果として信頼を失ってる、という問題なのだぜ?
鉄道の脱線事故なんて何回も起こってるけど、鉄道を取り外せという主張は受け入れられなかった
自動車事故で何万人も死んでるけど、自動車を廃止しようというのは余りに少数派だ
全日空123便が墜落したけど、平成に入ってからも空港は日本各地にどんどん作られた
それなのに、当面の生活に絶対必要な原子力発電所は廃止するような論調が盛んだ
放射線も放射性物質も眼に見えないから。今そこにあるかもしれないから
多くの人間にとってこの世の事故のほとんどが無関係なものだったけど、眼に見えないものが漏れたという話で大パニックになっている
自分がその被害に合うかもしれない、自分のところに飛んで来るかもしれない、と
確かに子供のことを考えると、放射性物質が漏れるのはとってもよくないことなんだけれども、今廃止してすぐにそれを阻止できるものでもない
仮に福島第一原子力発電所が震災時すでに廃止されていたものだとしても、結局放射性物質の漏れはあっただろう
また、廃止されていなくても、ちゃんとディーゼルが動いていれば問題なかったわけだ
ディーゼルが動いていれば、今原発廃止を唱えている市民の大半が(元から廃止を唱えていた政治家や識者は別にして)、原発の存在に疑問を持たなかっただろう
相手が広範囲で見えないというだけで、勝手に怯えて廃止論に走っているだけの人はとっても自分勝手だと思う
チェルノブイリやスリーマイル島のときにすでに何かあったときの危険性は知られていたはずだ
それらを踏まえて、原子力発電所に常に反対していたんじゃなくて、自分の身に迫った現実を見て勝手にキレている
今までどんな危険なことがあっても「自分だけは大丈夫」と思って反対してこなかった人が、いざ危険な目に遭うと必死にキレている
安全意識がそもそも足りていなさ過ぎる