2011-07-19

セシウムわらとかわいそうな牛たちの「おとぎ話

放射性セシウムに汚染された稲わらを与えた牛が全国に流通していることが明らかになった

一連の報道を見ながら何かずうっと心に釈然としない部分があったのだけど、少しずつ見えてきたのでここにまとめる

釈然としなかったのは「農家はなぜ露天に晒された稲わらを牛に餌として与えたのか」ってことだ

もちろん「ずうっと露天にあった稲わらをなぜ畜産農家に売ったのか」でも構わない

政府農水省)が自治体通達を出したけどそれが農家まで伝わらなかった」から

ちょっと待って欲しい

震災発生から4ヶ月、事故数日のあの日(3.15)の様相もテレビ報道でだいぶ明らかになっている

その間、首都圏でも下水処理場汚泥ゴミ処分場の灰やらに放射性物質が検出され大騒ぎになったり、遠く静岡お茶でも検出されたりしている。

スーパーなどの店頭で見る限り、首都圏では今でも飲用に水道水を控えて水を買って飲んだり料理に使っている家庭は少なくないのではないか

“現地”福島だって、親御さんが子供学校給食を残させたり、校庭に出て遊ばせなかったりしている。

で、牛を大事にしている畜産農家の人はなぜ野外にあった稲わらを与えたのか?

もう少し踏み込む

一般的な畜産農家ってのは基本的に“自営業”であってリスク管理というのは勤め人よりもしっかりしているのではないかと思っている

いわゆるat one's own riskだよね

ましてや天候に直接左右されることの多いのだから蓋然性に関するリスク工業サービス業その他産業の比ではない。

まり事故からこの方、皆がリスク意識している中、農家だけそうしたリスク農協やら自治体やら国に転化している現象がどうしても理解できないというのが「釈然としないもの」の正体だ。

しかしたら……

農家の人たちってのは今までずうっとそうしてきたのかな?

リスクは「あの人たち」がなんとかしてくれるって。「私たちはだまって作物を育て牛や豚を育てているだけで難しいことは「あの人たち」に聞いてくれ」って。

そんなことはないと信じたいけど、もしそうだとしたらあの事故の評価としてほぼ固まっている“人災”の様相も一変する。

ここで話は変わるけどテレビ新聞などのメディアってのはわかりやすい構図ってのを重視する

ストーリーを作りやすい「キャラづけ」と言っても良い。たとえば

別におとぎ話の話でもなく現代の話といちおう言っておく。

こうした「キャラづけ」がより多くの人に何かを伝える理解してもらうのが都合が良いってことだ

登場人物のキャラけが固定していれば話をするのが早い

テレビ新聞中の人に悪意があるとかそういうことではなく楽チンかそうでないかの問題。

今、僕らはこうしたわかりやすいストーリーに乗っかり過ぎているのではないかと思う

「未曾有の災害」とか「想定外の事態」いうもの不安になって却って安定した物語構造を求めちゃうのも人の性(さが)かもしれないけど。

それで本来見えるものが見えなくなっているのではないか?とこういう次第

話を戻すと、この一連の食肉汚染騒ぎの中で「なぜもっと早く気づけなかったのか」というところで畜産農家の人たちも考えて欲しいし

テレビ新聞の人は彼らを過剰に被害者として扱い過ぎないでほしいということ。これを結論にしておく。

いちおう言っておくと、別に畜産農家糾弾しているわけではないよ。

ただ、もちろんこんなストーリーをつくることもできる

日本には米国軍産複合体にも匹敵する農業複合体があって、その意に沿わないストーリーは徹底的に黙殺される」とかね。

  • 農水省が何も対応しなかったのが原因じゃないの? 3/19の通達で、自作粗資料は使用不可。 http://www.maff.go.jp/j/council/sizai/siryou/29/pdf/110527_8.pdf 同時に震災の影響で粗飼料の国内流通が吹...

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