はてなキーワード: クイーンとは
超有名なビートルズだって音楽の授業でやらなきゃ忘れられていくだろ。そんなビートルズやクイーンといった伝説的なのを除けば、その時代を生きた奴らだけが知ってる曲ばっかりじゃねえのか。
エミネムとかビョークとかシンディローパーとかマドンナとか、人の名前は知ってるよ。でもどんな曲があったかはまるで知らん。わざわざ調べなければ一生聞かないままだろう。
最近は女が死ぬことが売りの映画ばかり? 女はどうやって死ぬの? 年齢は? 性別は?
気になったので、日比谷のTOHOに現在かかっている映画で調べてみました!
○……確実に女が死ぬ
△……女が死ぬっぽいけど断言はできない。あるいは過去に死んだ描写が入る。
✗……女が死なない。
「七つの会議」✗ 予告観るかぎりおっさんしか出てこないので、死んだところでせいぜい香川照之だろう。
「メリー・ポピンズ・リターンズ」✗ 女が空から降ってくるけど超人なので死なない。
「フロントランナー」✗ むしろ女で男性政治家の政治生命が死ぬ。
「雪の華」○ 観てないけど余命宣告された女のラブストーリーなので死なないわけがない。
「マスカレード・ホテル」○ 連続殺人なので女が二名ほど死ぬ。
「ボヘミアン・ラプソディ」✗ クイーンが死ぬ。
「十二人の死にたい子どもたち」△ 観てないから知らんけど、十二人も死にたい子どもがいれば一人は死ぬ女も出てくるはず!
「サスペリア」○ 女が死にまくる。
「クリード 炎の宿敵」△ エイドリアンの墓参りをするシーンがある。
「がっこうぐらし!」○ ゾンビなので男女区別なく死ぬ メインキャラはどうだかしらん。
「シュガーラッシュ:オンライン」✗ 死んだところでゲームのキャラだしな
「TAXi ダイヤモンド・ミッション」✗ よう知らんけど多分死なないやろ
多めに見積もって現在シネコンにかかっている映画の半数で女が死んでいます
クイーン最高でしたよね!ってことかな。
キラッとプリチャンへのヘイトが爆発しそうなのでここにぶつけさせてください。もう無理。殴り書きです。プリチャンが好きな人は見ないでください。
ミラクルキラッツにどんどんヘイトを溜めてしまうのが本当に嫌だ。
ミラクルキラッツのどこに実力や才能や努力の跡があるのか、壁を乗り越えたのかみたいなのが全くないままトッププリチャンアイドルなりそうなのが怖い。
プリパラもプリリズも、プリズムスターやアイドルたちはあんなに練習してて才能があってもさらにそれを磨いて困難にぶつかって乗り越えてそれをパフォーマンスに昇華させてる。練習描写もない、困難にぶつかってもないキラッツのパフォーマンスに感動を覚えることができない。
全くそう言った積み重ねがない上にえもちゃんはカメラの前で平気で相手を煽るような配信者としての意識に欠ける子なのにデビューしてそのまま紆余曲折もなくトッププリチャンアイドルになりそうなのが本当に嫌だ。
個人的な感覚だけどえ、こんなことやっちゃあかんやろ!ってキラッツがやっても全然お咎めなしなのがヘイトに火を注ぐ(パーティー回でマナー講座やっといてのアレとか)。おしゃまトリックスは不正をしたらちゃんと失格になってるのになんでキラッツには誰も言わないんだ。
メルスタはあんなが暴走してもさらめるが抑えてくれるしダメだよ、って注意してくれる。そしてあんなも何だかんだプリチャンアイドルとしての努力は惜しまないしプロ意識がすごいのに、キラッツはえもちゃんの暴走はスルーだし3人揃ってプロ意識の前に配信者としそれどうなの?って感じるところがあるのが本当に無理。
そんなメルスタがプロ意識もなければチームとしての積み重ねもない、3人のチームの絆も感じられないキラッツのライバルポジなのが、は??????って感じ。デビューしたばかりのキラッツがいきなり対等なツラしてしかも絶対ストーリーの進行上メルティックスターに勝つって透けて見えるのが最高〜に地雷です!!!!!メルスタはキラッツの引き立て役じゃねえ!!!!
ウインタースペシャル大会の再予選のクイズ大会、やる意味あった?そもそもユーチューバーみたいな番組配信をやるプリチャンでなんでバラエティ番組みたいなことをやってるの?
キラッツはほとんどりんかちゃんがクイズを答えてるし。そしてえもちゃんは邪魔しかしてないのを二人はスルー、無視を決め込んで引きずってるし。チームの結束力とか、そういうのを見て競うべきじゃない?そんなんでどうしてトッププリチャンアイドルに相応しいのはどのチーム、って決められるの?
そしてクイズ女王が勝ち上がってデザイナーズ7の質問への回答にトッププリチャンアイドルは栄光のゴールです、って答えて落とされて。プリパラでもプリリズでも神アイドルやプリズムクイーンを目指してやってきたのにプリチャンはその答えではだめならさらにすごい回答があるんだろうと思って。
でもキラッツの回答はトッププリチャンアイドルのことはわからない、でもやってみなくちゃわからないからなってみたい!って…確かにニュアンスは変わるけど…そんな答えしか用意してないのになんでキラッツは合格なの???
いや、百歩譲ってキラッツの回答は合格だとしても、棚ぼた的にキラッツに回答権が移るのがわからない。なんでキラッツはクイズに負けたのに成り行きで回答してしかもキラッツの決勝進出が決まるの???キラッツ何もしてないじゃん。ただデザイナーズ7の質問に対して答えただけじゃん。そしてその回答権すら勝ち取ってないじゃん。その質問が重要なら再予選で脱落したチームにも同じ質問してよ。全員に同じ質問をして、その上でキラッツの答えが一番ふさわしい、ならともかく。おおよそアイドルを評価するのにふさわしくない項目で争われるは都合よくキラッツが回答するわ、ぜーんぶキラッツが決勝進出するために制作陣が逆算してるのが透けて見える。だから運アイドル、コネアイドルって言われるんだよ!
ウインタースペシャル、最初から最後まで訳の分からさとヘイト溜めることしかなかった…不正したおしゃまもトイレ掃除で済んでたり自分たちが不正を行ったことに反省どころかメルスタを逆恨みしてるし。
あとキラッツはいい加減えもちゃんが相手を煽るようなことをしたらダメだよとか注意して。スルーして無視無関心で今日も頑張ろうね!とかどんだけチームの絆が薄っぺらいの。あかんことしてたら注意し合うのも友達でしょ。それもないの?カメラが回ってるんだよ。カメラが回っててその煽りしてて放置する?そしてそれが炎上しない世界?どうなってんのキラ宿の世界。
そしてアニメ制作陣、何より子供が見てるアニメなんだよ。実際にプリチャン見た子供が動画配信したときにえもちゃんみたいな煽りを真似したらどうするの。自分の子供がそんな真似したら嫌だわ子供に見せたくないわ。
りんかちゃん、すごくプリチャンに詳しくて二人の行動にダメ出しするくせに、えもちゃんのそういうところはキラッツのイメージダウンに繋がるからNGよ!って言わないのもすっごく違和感だわ。
プリチャン、曲単体はいいと思うしコーデもかわいいし、プリティーライブのプリチャンチームのパフォーマンスが本当にすごくて応援したいと思ってるのにアニメスタッフのプリチャンのキャラの描き方、そしてストーリーの進行がことごとく自分の地雷を踏み抜いててつらい。しんどい。
監督のインタビューを読んでもさらに地雷を踏み抜かれるばかり。
いつかプリパラの亡霊をやめなきゃって思ってたのにとうとう亡霊のまま年を越しそうだよ。どうするの。どうしたらプリチャンを愛せるの。
愛憎は紙一重だっていうけどどうしたらこの憎しみをプリチャンへの愛に変えることができますか。
どなたかプリチャンのここはこういうポジティブな解釈ができるんじゃないか、みたいなのを授けてください…お願い…楽しいプリチャンライフを送りたい…
https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/11/18/235929
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00010000-dmenueiga-movi&p=2
ビートルズやクイーンが日本に来た当初女性から熱狂的に支持されその結果アイドルのレッテルを貼られ、あんなものは女が聞くつまらない音楽だとくさされていた。
今でも何かを叩く時に女だけが好むとしたがる風潮はある、何でだろうな。
↓
先日、音楽業界S先輩と『ボヘミアン・ラプソディ』の話をしていたのだが、彼は大学生の時に友達と1975年のクイーン初来日公演に行き、「こんなに女の子ばっかりなのか!」と驚き、「もういいや」と思ってしまったそうだ。
『ボヘミアン・ラプソディ』が日本人の心をこんなにも揺さぶる理由
『ボヘミアン・ラプソディ』 (c)2018 Twentieth Century FOX
そういう男子は多かったようで、その後、仕事でクイーンに関わるようになったS先輩はさておき、隠れファンを決め込んだ男子──いや隠れているだけならいいが、カモフラージュのためなのか「男のくせにキラキラ、ひらひらした衣装なんか着て」だの「あんなもんはロックじゃない」だの「フレディ、気持ち悪い」だの、クイーンを貶めるような発言をしていた男子が『ボヘミアン・ラプソディ』を観たとたん、「クイーン最高」とか「昔から好きだった」と偉そうに言うのをいまいましい思いで見ている女性ファンも少なくない。
音楽業界外の集まりでも、そんなお姉様方の怒りに触れた私は、『ボヘミアン・ラプソディ』のヒットには、かつて男子に大好きなクイーンを揶揄された女性ファンの怨念も加担しているのではないか、と思ったほどだ。
http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_
こちらのブログは結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。
特に『この映画がよくないのは、それらの価値観を現代の視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。
この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?
といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影したからである。
腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。
かつて栗本薫が中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説の主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。
つまり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由も割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所だけが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛でしかなかった。
……しかし、1991年には大勢の腐女子の賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。
今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢の賛同を集める。ただの性癖だから、現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年にだっていたのだろうとは思う。
思い出すのはねほりんはほりんで腐女子がテーマだった時だ。BLは現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。
そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実な人間だっているんですよと言いたくなる。
話を映画に戻そう。
だからもし、クイーンのメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画はゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。
しかしメンバーはこの映画に好意的だ。それはブライアン・メイのツイートからも感じられる。
私がそうであるように。
私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見に現代の価値観 ─── 腐女子は性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。
お断りだ。
ステレオタイプが真実の人だっている。それを、そうではない幸福な人間に否定されたくない。
ちなみに。
私は映画を見て彼の孤独に自分を重ねて泣いたけれど、エイズで可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。
あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。
私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。
ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。
それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。
フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画が批判されていると聞いたとき、てっきりスターの孤独をステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。
出産予定日まであと2ヶ月。
車内も段々混んできて、杖をついた50台〜60代ぐらいのお婆さんが乗ってきた。
目の前に立つおじさんが私の肩をポンポンと叩いて「譲ってあげなさいよ」と言った。
咄嗟のことで上手く声が出ず、私はあぁともうぅとも聞こえる返事を小さくし席を譲った。
お婆さんは「どうも」と少し申し訳なさそうな顔で私に言った。
なんだろうこのモヤモヤ感は。
おそらく自分から進んで譲れなかった自分に若干の恥ずかしさを感じているんだなと思った。
結果として人に親切ができたのだからこれでいいと前向きに考えることにした。
今の私はトランプの大富豪でいうとジャックぐらいのもので、お爺ちゃんお婆ちゃんはクイーン、キング、杖をついてたらエースだろうなあと思ったりした。
多分これからもっと高齢化社会になっていくとお婆ちゃんがさらに年上のお婆ちゃんに席を譲る場面がたくさん生まれて来るんだろう。