はてなキーワード: えことは
そもそもの話として、小児性愛者であろうとも真っ当に育っていれば良心や良識は存在する。その上で自分の性愛が社会的に受け入れられない、実行してはならない、何よりも相手の尊厳を台無しにする行為にしかならない、と言うのは百も分かってる話。だからこそ良心や良識が機能している小児性愛者は自身の性愛に葛藤し苦悩する。なぜなら自身の性愛が児童の人生を踏みにじる代物でしかないから。真っ当に生きてきて真っ当に生活してるなら、そう言う考えにいずれたどり着く。
そして、そう言う前提があった上で「小児性愛者は見つけ次第処せ!」みたいな扱いを受けている、と言うのが小児性愛者への差別。図式としてはトランス女性への差別と同根で「(その人間の)存在自体が社会への脅威!だから見つけ次第追放しろ!始末しろ!」と有無を言わさず排除する対象としてしか見なされていない。そして「小児性愛」が持つ「児童への重大な加害性」と言う構造から、「小児性愛者」と「みなされた」だけで追放し迫害するのが当然の存在として扱われている。一部の人はこの構図に気がついて排除的な言動は諫めているけど、大多数はこの構図を当たり前として支持し、それを維持することを是としている。これが「小児性愛者」への差別の正体。
無論、小児性愛者の中にも性犯罪に手を染めるやつはいる。実際に児童性虐待記録物が存在する以上、そう言う行為が行なわれている事実は当然ある(とは言えこれは実親や義親、親族などの身内からの物もあると聞く)。ただし、そう言った行為が性犯罪であり、特に児童への重大な脅威となる、と言う事は「小児性愛者」であっても真っ当な環境に居れば共有できている。でなければ、COMIC LOの「YES!ロリータNO!タッチ」みたいなフレーズは生まれるはずがないし、生れようもない。またこれを是とする考えは「小児性愛」が子供を持つ親・社会から脅威として見られている事を理解している証左でもある。
ではこう言う前提があった上で「小児性愛者」への警戒を止めるのが「差別」を止めることか?と問われると、恐らくそれは違う。親であれば子を守ろうとするのは本能だろうし、社会として児童への性加害と言う危機に対策を打つのは当然のこと。これは「小児性愛者」が存在しようとしまいと別に変わらないし、変える必要もない。子供を守り育てる、と言う事は、親が子供を守る、と言う事も意味するし、逆に(虐待などで)児童への脅威となってしまった親から子供たちを守る、と言う面も当然ある。
では何を以ってすれば「小児性愛者」への差別とならないか、と言えば「小児性愛者だから危険だ」と言う考え方を捨てること。児童にとって脅威なのは子供たちへ加害しようとするすべての存在であり、「小児性愛者」だけが「子供達への脅威」ではない、と理解すること。それが「小児性愛者」に対する差別へ荷担しない唯一の方法だと私は考えています。
ピュアオーディオ界ではブラインドテストとか口にしたら殺されるらしい。
と思う気持ちがおれにも無いわけではないけれど、とは言えどうせ違いなんか分かりゃしねーだろ、試してやろうぜ!みたいなのは単に悪趣味でしかないよなって思う。性悪説というか、露悪的に割り切った考えこそが世の中の真理だと思い始めるような中学生じみてるというか。
まあそんなしょぼい環境で音楽聴いててかわいそ……とか、そんなんで満足出来て羨ましいわwとか偉そうに言われたら、ほなアンタは本当に違いの分かる男なんでっかいなと言いたくもなるとは思うけれど。
違いが分かるという事と、その違いによって満足度までもが変わる事はまた別だしね。
ABC版のスタンスミスと金文字版の違いなんて知ってりゃバカでも見分けがつくけど、その違いに5000円近く払ってでもこだわりたいと思うかはまた別の話。
違いが分かってなければ話にならないけど、音を聴き分けられた所で別にどっちでも良いってんならそれもまた意味のない事に金を使ってるって事になるし。そこの違いに価値を感じてるかどうかまでは外部からは確かめようがない。
なんでオーディオに金かけてるかって言ったら多分音楽を通じて満足や充足を得たいからで。それが自分の求める音によって達成されるかのか、高い機材を使って良質な音を聴いている気になる事で満たされるのか。過程は違えど目的は果たされているんだからどっちでもええやんって思う。
ラーメンハゲの「情報を食ってる」っていう擦られまくったアレだな。
作中で「情報を食べること」へどういった言及がされてるかは知らんけど、ラーメン発見伝は真理の書ではなくただのマンガで、作中の台詞はラーメンのプロフェッショナルではなく漫画家が考えたものに過ぎない。まあ本当にラーメンのプロフェッショナルが言った所で変わらないけど。
メタ情報に惑わされる事が良いとか悪いとか、別にそういう事ではないと思う。
でもそれを言ったら全ての過程をすっ飛ばして、薬打って脳みそに直接幸福を届けるのでもいいじゃんねって話になってくる気がする。おれはそれは嫌だと思う。
あまりにも邪道が過ぎるというか、そこまでラディカルにはなれない。
結果的に満足出来れば別に良いじゃんとは思いつつ、かといって近道のしすぎをするのもイヤだというのも不思議な所だと思う。唯物論と感性の神秘の間で揺れ動いていたい気がする。
そんな風に考えることが出来る人は、失われた30年でもそれほど失ってなかったんじゃないかな?
俺はたとえこれからどのような過酷な環境が来ても、失われた30年よりかはマシなんじゃないかと感じている。
結局、何が失われていたのか?ということだと思う。
俺が失われた30年の間に失っていたものは、人間としての尊厳だ。
クソみたいな環境で、クソみたいな条件、クソみたいな仕事を、本気で、一生懸命、汗水垂らして、不眠不休で、肉体を使って、無い頭を絞って働いても、
「お前みたいな無能いつ辞めてもらってもいいんだぞ。」
なぜなら
そーゆー人は給料が高いがそれ以上に
俺は逆に男らしくなろうと思った。
友人に愚痴とか弱音を吐くと、いつもニヤニヤされる。
学校生活の辛さを話すたび、嬉しそうにされるんだよ。
「お前は小せえことで悩んでていいな」と。
握力が30キロなくて、女友だちにも運動どころかゲームでさえ勝ったことない。
バイタリティの時点で敵わない、思考のスピードのレベルが違う気がする。
テストの点数とかで勝ってる知り合いもいない。
吉田くんのことは男性として見れない、と先んじて言われて、告白は未遂に終わった。
勇気を持ち合わせてるのかも結局証明できてないし、だから恋人って架空だ。
みんな友人カテゴリには入れてくれてるらしいが、誰にでもどこか舐められてる。
「胸板薄っすw」とか背中叩きながら言われて笑いものにされる。ケラケラと。
気安いスキンシップはいいけどさ。持って生まれた骨格じゃw って返すけど。
実は傷付いてるからな。
俺は男らしくなりたい。
自慰行為…、相手がいないから代わりに自分で自分を、慰める毎日から成長したい。
だけど男らしさなんて、時代に逆行した、間違った考え方に思えてる。
輪郭がボヤけて。
何を、すればいいのかな。
子供の時から真面目だったが運動はいまいち、勉強はそこそこで陰キャであり続けた結果、40近くになっても結婚できる気配がない。
なにかおかしい。今まで真面目にやってきたのに..??
それはあなたが低年収だったりかっこいい職業についていないからではない。常に扱いやすい「よいこ」でいた結果なのだ。たとえここから投資に全資産をつっこみ(そんなことはできやしまいが)億り人になろうが、弱者男性からは這い上がることはできない。以下はあなたのすることのリストだ。
まずは小さなリーダシップを身に着けろ。身の回りの人間を誘い、飲みに行くでもいい、山や海に行くでもいい。誘われるのを待つのでなく、自ら動け。あなたに誘われて嫌な人間はいない。Lineしろ。DMしろ。電話しろ。
年下にはおごれ。特に同性には。あなたの頭は経済的合理性でカッチコチになっている。奢りは人的投資だ。舎弟をつくるつもりで接しろ。
「〇〇だと思います。」誰もあなたの感想なんか聞いてない。可能性の話も不要だ。
断言しろ。間違いを恐れるな。
断られても簡単に諦めるな。
社内の命令、各窓口の対応、飲食店での対応、全て交渉の余地がある。
ゴネろ。ネゴれ。押せ。脅せ。
チョコザップではない。細マッチョがいいなんてのは、強者男性の趣味趣向だ。
大声を出して伝えろ。聞こえてない相手には目の前で大声を出せ。脳みそに響かせろ。
どうしようもなくなればしょうがない。馬鹿にする人間には殴られる程度は覚悟してもらわないとな。
こういったことがあなたの「アルファ」感が醸成し、自信のある人物に見え、更にそのうち自己肯定感も上がっているだろう。隣には巨乳美女が間違いなくいるはずだ。血に染まった拳をもつあなたを、誰も弱者男性と思うまい。
まず好きな時間に好きなことしにくい
それに実家に住んでたら、親からいろんな小言やプレッシャーがあるじゃない
将来どうすんだ
この家にずっといるのか
我が家の墓を守って行く気はあるのか
守って行く気があるなら結婚はしないのか
みたいなめんどくせえこと言われるわけじゃん
そういうの言われながらずっと実家にい続けられるメンタルがすげぇ
日々老いていく親を見て、介護とか、介護せんでも施設云々の手続やら諸々のことを嫌でも想像させられるし
なんかその手の、いつかはくるんだけども、見たくない現実見せつけられ続けるじゃん
それでも実家帰る度いろいろ言われるから転職して県外にまで逃げた
子ども部屋おじさんがどこまで考えてるのか
その親がどこまで言ってくるのかはわからんけど