某所でヒィヒィ言いながら数稼ぎしてたのが馬鹿らしく感じる。
しかも、何が良いって、どいつもこいつも「動画再生しながら煽りコメント投げる」でしょ。
だから個々人のタイピング速度によって、時間差で不快なコメントが行き交う。
一瞬表示されるなら我慢出来る人でも、
延々そんなコメントが飛び交ってるとイライラが抑えられなくなって、
本当うまくいってるよ、あのシステム。
「付き合わない」という選択肢は、ない。いいか?「付き合わない」という選択肢はない。
この国際化の時代に付き合わないなんて選択肢はないの。それこそファンタジー、妄想、夢想のレベルでありえないの。
まずそこを理解しよう。
次に、「武器」はどっちももってるの。しかも「武器に、より金をかけているのはこちら」なの。それでお互い相手のもってる武器にケチをつけてるの。どっちがどうと言える話ではないの。
それから、「お前のものは俺のもの」について言えば、どちらかと言えば「それを『した』のはこちら」なの。
有史以来数千年間のスパンで考えれば、大陸→列島への侵攻は、鎌倉時代の一度(まあ2回と計算しても良いけどさ)。一方、列島→半島・大陸への進出を図っての出兵は、百済の件、秀吉の件、そして明治時代には一時的に成功して国までぶっ建てたの。百歩譲っても「お互いさま」と言われれば感謝されるレベル。むしろ、「蒙古系(元)のやったことへの文句はモンゴルに言え。オレらは有史以来一度も列島へ侵攻なんかしたことねえ」って中国と半島の人々に言われても何も言えないの。
まあ対馬に関しては「何言ってんだこの○○○○」と俺も思いはしたけどさー。でも、ちょっと調べてみると、対馬を代々支配してた連中も結構怪しいぜ? 連中、密貿易を私物化して儲けるために日本列島と半島の間でうまく双方の権力者に顔を使い分けながらコウモリかヌエ的な感じでいろいろ小細工してるんだよね。それ考えると、せいぜい、この前ニュースに出ていた「日本は元宗主国として台湾の独立に力を貸す義務があるのでは?」とかいう、台湾の独立派の与太程度には聞き流せる話だと思う。
一応、論理的思考力はあるようだから、この辺を手掛かりに、再度結論を組み立て直してみてはどうかね。そうしたら少しはその人の言うことも分かるんではないかな。
まあね。君が中国大陸・朝鮮半島の国やその人々に対して「何考えてんのか分かんねえ。信用なんてできるわけねー」ってのは分かるよ。でも、それは向こうも同じ。日本が安全な国なのか? 日本人は何考えてんのか、なんて、向こうにだって分かるわけないわな。違う文化に生きてる違う人間なんだし、そもそも日本が侵攻を企てているかいないかなんて、本当のところオレにも分かんねえもん。なんであれだけの事故があっても原発がなくならないか。半ば公然と「いずれ核開発するためだ」なんてことを、真顔で公人が言ったりする国なんだぜ? 国際的に見て、日本人がおおむね安穏でノンポリで馬鹿でエロくて、でもって愛すべき文化をもつ人間だということは重々オレも実感しているけれども、かといって日本という国が周囲の国にとって公正で平和的で安全な国と言えるかどうかは、オレには分かんねえ。新聞とかTVにさーっと煽られたら、あっという間にこの国はまた正義なき戦争であっても突き進むんじゃないかという不安は常に抱えてる。どこの国も、そんなもんじゃないか?
定義が話す人で違えばそりゃ議論できないわけだ。
そもそも、右翼も左翼も定義は人それぞれだからね。「ネット」の有無以前の問題。
実際、左右は「政治」と「経済」の二種類があることすら大半の人は分かってない。
個人的には、「政治は左、経済は右」が理想だとずっと思ってるが、日本の場合、国会議員ですら「経済が右なら政治も右」「経済が左なら政治も左」こんなのばかりだから上手くいかないんだよ。
ちなみに経済的には自民党が正解、政治的には民主党が正解。双方の良いとこ取りが出来る政治家が日本に現れると良いなぁ。リバタリアニズムが日本に根づくと登場するかもだけど、日本の場合、「新自由主義」なのに政治も経済も右にしたがる小泉みたいなのしか現れなかったよなwww
わからない、というか。
自分はもうアラフォーなので、一応冷戦時代の記憶があるので「脅威」というとまずソビエト(ロシア、ではなく)を連想する。
そして、正直冷戦時代に感じてた脅威感、恐怖感からすると今の中国や北朝鮮、韓国なんて脅威にも恐怖にも感じない。
北のミサイル? ソビエトなんか数百発単位で日本に核ミサイル向けていつでも発射できるようにしてたじゃないか。
中国の領空侵犯が増えて脅威? ソビエトなんか毎日のように領空侵犯仕掛けてきて毎日のように航空自衛隊がスクランブルしてたじゃないか。
あの「もしかして今日いきなり核戦争が始まって世界が滅んだりするのかな…」と思いながら毎日暮らしてた世界からしたら、今なんか平和もいいところだ。
どこに「脅威」があるんだよ。
正直そういうふうにしか思えない。
・
勿論、今10~20代くらいの人が中国や北朝鮮を脅威に感じるのは、そりゃそうだろなと思う。
ソビエトが健在だった頃には生まれてもいないわけだし。
でも今30代後半から以上の人がなんかやたらと中国や北朝鮮、それに韓国の軍事力を脅威に感じる理由がわからない。
「冷静に分析すれば、あれらの軍事力はかなりのものだ」とかではなく、明日にも攻めてくるんじゃないかみたいな脅威の感じ方を
してるってのが…。
冷戦の時代を生きた人間にとって、この程度の脅威なんて気にするにも値しないだろ。
自衛隊だって、冷戦時代に比べたら飛躍的に装備の質も組織の質も向上してるのに。
それとも、自分以外の人間はみんな冷戦時代を「平和だ」と思って生きてたの?
そうだとはちょっと思えないんだけどなぁ。
132 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/05/01(水) 19:47:40 ID:WXaJPTnk
北朝鮮は対話を求めてるぜ?
「原発を保有して稼働させて放射能垂れ流している国が北朝鮮に原発を持つな!稼働させるな!軽水炉を作れ!」
「核ミサイルを山程保有している国が北朝鮮に核ミサイルを保有するな!」
「世界を一周出来るミサイルを保有している国が北朝鮮に長距離ミサイルを保有するな!」
「軍事衛生を打ち上げまくり沢山保有している国が北朝鮮に軍事衛生を打ち上げるな!保有するな!」
「北朝鮮の国境付近で軍事演習しまくりの国が北朝鮮に国境付近で軍事演習をするな!」
↑要求している側が違反して暴れまわっていたなんか夢にも思わんだろ?w
もう滅茶苦茶・・
この事実をマスコミを信じてるB層は知らないの・・懐疑はどうなんだろうねw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1365862741/l50
「全くできない」のレベルにもよるけど(日常的な意思疎通くらいはできるのだろうけど、それでも)留学に対する準備がなさ過ぎだと思う。常識的に。
あなたの(日本の)大学に、「日本語が怪しいレベルの留学生で、なんか怪しげな宗教サークル入ってる」って人がいたらどう思う? 「あー。日本語よく分からないからひっかかっちゃったかなー。かわいそうになー。でも積極的に救って懐かれても困るしなー。なんか痛そうな奴だしなー。ほっとこうか仕方ないよなー。自業自得だしねー^^。」とか。そんな感じでは?
それがあなたの9か月間。
文才があるなー。続きが気になるよ。
ただ、その「制度」の概要分からないと、この先の展開が分からんと思う。
「どういう課題に対処するための制度なのか、あるいは何を目的とした制度なのか」
「予算規模はどのくらいか(あるいは、同じ制度の利用者はどんな人で、どのくらいの数がいるのか)」
「事業はどのくらい継続・発展する見込みなのか(一時的・実験的なのか、今後百年を見込んだ措置なのか)」
「智子と聖闘が選ばれたのは偶然なのか必然なのか」
その辺掘り下げた設定があるなら聞いてみたいな。
うまい評論家はそう思わせない文章テクニックだったり、肩書きを持ってるよね。
文才の問題だと思うわ。
それは「才能」ではなく、そこまで積み重ねた「努力」の総量の問題だと思うよ。
気軽にいっとけいっとけ。
失礼な態度さえ取らなきゃ別にかしこまったり無理に思いやろうとしたりしなくていいよ。
お金落としにいくかーでいいんだよ。
見たいとこ見ろ。感じたいように感じろ。
だが、被害の跡を見物しに行くというのは失礼なんじゃないかと今ふと思った。
つまり慰問とか、手を合わせて祈りに行くという態度じゃないと、面白半分なひやかしが含まれて、失礼だ、と。
私の中に、被災の跡がどうだったか、それが2年経ってどうなったか好奇心で見物に行こうとする気持ちがある。もちろん私とて「スゲーこんなところまで津波きたのかよ、ヒャハハ」みたいな態度を取るつもりはない。
もちろんこれは旅行なのだから行った先の景色や人、モノに期待する楽しげな気分があってもいいとは思うが。
想像して、手を合わせようと思った。
とてつもなくうれしい。
英語もそこそこ好きだった。
行く前には、サークルの友達とかが盛大に送り出してくれてうれしかったな。
けど、だめだった。
英語は読み書きはできるけど、英会話が全くできない私は、現地の国際交流のサークルに入ってみた。
国際交流のサークルだったらいろんな国の人とも出会えるし、そんなに英語がうまくなくてもやっていけるかなと思って。
正直一緒の大学から派遣されてきた日本人の子達とあんまり仲良くなりたくなかったから、個人で乗り込んでみた。
キリスト教系のサークルで表だっては、誰でもウェルカムみたいな感じだった。
週一回やっているミーティングに顔だしてみると、
2時間のウチ前半はゲーム(トランプとかボードゲームとか中学生みたいなゲーム)、
後半はディスカッションで。
ゲームも糞ダサいし、ディスカッションもなんか宗教的なものばっかりでちょっと引いちゃった。
でも、これも経験だと思ったし、英語が喋れるからいいかなとか思って一カ月ぐらい毎週いってた。
このサークルの母体となるキリスト教の大人版の国際交流団体みたいのが主催する月一でのホームパーティーがあった。
個人宅で開かれたパーティーに行ってみてびっくり。
「日本はかわいそうだ。キリスト教じゃないからみんな地獄に行くんだ。」
そこで出会った人達も同世代の男達はマリファナばっかやってて。
大麻とかだけはやりたくなかったから折角できた友達から自分から離れていった。
日本でよく留学行ってた人が大麻持って帰ってきてつかまるじゃん。
なんかそれがいまじゃよくわかる。
そういう事とかあって、完全に孤立しちゃった。
残りの9か月は、たまに日本人の友達とスカイプするぐらいでほとんど声を出さない生活だった。
日本の大学では毎日楽しくて、彼女はいなかったけどそれなりに友達もいた。
それが一転。
人と会わない生活。
留学なんて行かなきゃよかった。
あれの言動を理解することになんの意味があるのかと
高校のとき、いいなと思っていた女の子に告白されたが、「若いときは恋愛にうつつを抜かさず勉強すべし」と信じていたのでお断りしてしまった。
顧客と仲良くする
↓
↓
仕事のすすめかたがわかるようになる
↓
↓
会社の上司は、顧客と仲良くなった元増田のことを雑に扱わなくなる
↓
(゚д゚)ウマー
公的施設(介護老人福祉説)が混んでいるのはおっしゃるとおり。でも民間の施設が高くて入れないということはない。有料老人ホームは確かに入居一時金1000万円ってとこもあるけど高齢者専用住宅とから生活保護受給者対応の家賃でやっているから年金だけでなんとかなるよ。
数年ぶりに恋をした。
でも、恋を「する」側になった状態で、どうやって相手を愛していったらいいのかがわからない。
もともと臆病なくせにプライドが高いたちなので、人や自分に興味のないふりをしながら、さみしさをじっとかみしめて生きてきた。自分から他人に何かをはたらきかけることは多くないし、するにしても、相手の顔色をうかがって、自分が傷つかないという確信が得られてからにしようとする。普段の人間関係からしてそうなのだから、恋心を自分から表に出したことなんてほとんどない。
これまで数年間つきあっていた恋人は強気な人で、あちらから愛を告白され、別れを切り出され、そして捨てられた。楽しかった分だけ傷ついたこともあったけれど、恋を「される」側になるのは、私のこれまでの行動原則と拮抗しないので、わりと簡単なことだった。
しかし、今度は私が恋を「する」側になってしまった。恋愛においては、恋してしまった側が圧倒的に不利になる。私には、臆病さとプライドをなだめすかしながら、精神的にも身体的にも相手に近づいていく必要が生じた。
話をする、手をつなぐ、キスをする、心を通わせる、…。相手に会うたびに、臆病さとプライドが邪魔をして、そうしたことを思うようにできない自分に幻滅し嘆息し、悶々とした夜を過ごすことになる。そうして、そんな自分を客観視して、私は相手を好きなんだろうか、相手から好かれている自分を感じたいだけなのだろうか、とまたまた悩むことになる。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心でガチガチにかたまった私は、どのように人を愛していけばいいのだろう。相手は、まだ今のところは、そんな私を生温かく見守ってくれているように思うのだけれど、でも結局は人の気持ちなんてわからない。こんなことに悩むのなんて、本当は10年前の思春期に済ませておくべきだったのかもしれないけれど。
世の中には計画倒れを繰り返している人と計画が頻繁にうまくいっている人がいる。その違いは何なのか?
とかく人間は上の人任せにする傾向があり、自分自身の計画は他人が敷いたレールを歩いて行けば良いと思いがちだ。
しかし、自分が人を導く立場になったときそれでいいのか?ならないとしても、自分自身を自分の思い描くとおりにコントロールしたいという欲望はないのか?
将棋というのはゲーム理論では二人零和有限確定完全情報ゲームに位置づけられる。
棋士は過去の経験に裏付けられた感覚で将棋を指す。最初にひらめいた手、次に候補となる手などいろんな手を読み、それぞれの手がもたらす未来の局面や形勢を評価する。
経験に裏付けられた感覚なんてあまりに主観的なんじゃないかと思うかもしれない。しかしこんな例もある。
手書き文字の認識。なぜこの字は「あ」なのか?論理的に説明できるだろうか?画像認識の分野では手書き文字を認識するプログラムが開発されている。
3DSの漢字ソフトをやったことある人なら分かるだろうが、漢字すらかなりの精度で読み取ることが可能だ。しかし、そのアルゴリズムは機械学習に基づくものであって、
「なぜ」を明快に説明するものではない。つまり、「あ」という手書き文字が「あ」である理由は未だに誰にも分からないし、おそらく明快な説明など不可能なのだ。
つまり、ヒトは何故か「あ」が「あ」だと分かる。その力をパターン認識と言う。コンピューターにもパターン認識は可能であるが、ヒトのほうが優れたタスクは数多い。
例えば、人の顔がなぜその人であると分かるのか?なぜ表情やしぐさから気持ちが読み取れるのか?それらはヒトの卓越したパターン認識によるシロモノだ。
先見性もパターン認識によって支えられている。
将棋ではまず直感でいくつかの有望そうな手が浮かぶのだった。それと同様で、ありえそうな未来をいくつか想像する。
そしてそれらを詳しく読んでいく。すなわち、それぞれの未来を具体的にどのようであるかを論理的に導き、それぞれの未来になる確率を評価する。
例えば、君が10年後までに肺気腫で苦しむ確率はいくらなのか?
日本人はそういったことを考えるのが大の苦手である。日本人特有のことなかれ主義は、1つには言霊信仰(言葉にすると本当にそうなってしまうという信仰)、もう1つには和を重んじる風潮から来ている。
だからこそ、そういう発想を持ち込んで、こんな未来になるよりこっちの未来のほうがいいでしょと力強く発言できる人間は頼もしいのだ。
それはそうと、未来の確率なんてどうやって計算するのか?医学の世界では死亡率や手術の成功率といったデータがあるが、そんなデータのない所でどうやって確率を評価するのか?
それが直感である。はっきりしたことは分からないけど分からないなりに出来る限り判断しようとする。
将棋の局面や形勢の判断も同じ。普段から判断しようとしているから、だんだんとその精度があがっていく。
たしかにプロ棋士どうしでも形勢判断の見解はさまざまであるが、それでも素人よりはずっと正確に判断できるのである。
よりたしかなパターン認識が成立するには2つのものが必要で、1つ目が今言った常日頃からこれはどういうパターンなのかと判断しようとすること、そしてもう1つが答え合わせをすること。
先見性に関しては、意識さえしていれば簡単に答え合わせが可能なところが素晴らしい。
例えば、明日は晴れと予測したとする。ほんとに晴れかどうかは、明日になれば分かることだ。必要なのは、明日になっても予測したことを覚えていることだけ。
このように先見というのは、先見したことをその時まで覚えていれば、その時になれば答え合わせができる。
しかし1年後や10年後の未来となると答え合わせまで長い年月を待つ必要がある。そういうのは歴史や過去のデータからも学んだほうが効率的である。
歴史は繰り返すという言葉があるが、『ローマ帝国衰亡史』を読めば古代ローマと今で何も変わるところがなく、われわれ人類は同じことを繰り返しているのだと言っても過言ではないことがよくわかる。
激動の時代とよく言われるが、昔と共通する点も多いことに気付けば、そこから細部の予測へと推論を進めることもできる。
そういう意味では経営者や政治家といったリーダーにとって歴史学は必須科目だ。高い視点から未来を予測できない人間にリーダーは務まらない。
歴史書を読み解くときも、頻繁な予測は欠かしてはならない。こまめなパターン判断とこまめな答え合わせこそが、パターン認識力=ものごとの判断力を高める唯一の方法である。
ちなみに小説や漫画ならば、予測をしながら読み進める人は多いだろう。しかし、リアル世界となると予測をしない人が多い。
フィクションは現実のパーツを切り取って再構成したものであるから、現実のパーツを学ぶのには一定の有効性があるけれども、パーツの繋がりから現実を学ぶことはできない。
作品の構成上そのようなストーリーになっているのであって、現実に小説や漫画のような展開が起きることは少ない。現実の予測力を高めるには小説や漫画ではダメなのだ。現実に対して予測しないと。
株式投資にしても前兆に敏感な人とそうでない人がいる。業界に新たな局面が訪れる前ぶれ、世界が動き出す兆候、そういったものに敏感であらねばならない。
そのためには当然ながら鋭い観察力が不可欠である。自分の欲やメディアの情報に振り回される人間には鋭い観察はできない。些事に流されるような人間は、フラットな視点に立つことができない。濁った目なのだ。
濁った目のまま予測を重ねても予測力は身につかない。例えば、「ソースは2ch」な人間はそのままでは結局2chの情報からしか予測を立てる力がつかない。
現実のさまざまな一次情報から予測する力はつかない上に、そもそも2chの情報から予測なんてムリな話である。つまり、観察力の低いままでは予測力なんてまるでつかない。このことはしっかり押さえておきたい。
観察力に関連して要約力や記憶力も重要である。観察したものを要約して整理しないとしかるべき時に情報を取り出せない。また、記憶力がなくても必要な情報を取り出せなくなってしまう。
情報を取り出せないと比較したり総合したりして結論を導くことはできまい。
記憶力については、超人的な記憶力は不要だが、普段から覚えようとすること思い出そうとすることは不可欠である。記銘と想起ともいう。
とはいえ、常日頃から先見しようとしていれば、記銘と想起は日々フルに酷使され鍛えられるからさほど心配は要らない。私は世の中の一部の人々のすごい記憶力の大半が先見の習慣によって身についたものだと思っているほどだ。
最後に、世の中の人(特に日本人)の圧倒的大多数は高い視点から人生や世の中を見る時間をほとんど持たない。また、見たとしたもそれを答え合わせしようという意識がない。
要するに、登録した奉仕ポイント分だけ知らん人をスパム報告するリスクを背負う代わりに、同じだけ気に入らない人をスパム報告できるみたいな感じ。
スパム報告は一つのアカウントにつき一回しか出来ないはずなのだけど、これなら嫌いな人に対して50スパム報告とかできちゃう。