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2021-04-27

anond:20210426200111

私は東西が苦手です。

いつも西ドイツ東ドイツ地図を思い浮かべて、北に向かって左が西だなと判断します。大変効率悪いです。

山手線は、二重円を思い浮かべて左の線路がどっちかを見れば、「外」がどっちで「内」がどっちかすぐ分かります

2021-03-29

anond:20210329191816

米国からは本当に日本価値観を共有出来ていると信じられているのだろうか。

向こうからするとCJKなんて皆一緒にしか見えないのではないか

米国からすると日本はどこにあるかなんて気に留めないだろうし、

少し日本に興味がある人が勉強すると中国から文化的影響を大いに受けていると感じるはずだ。

西ドイツ東ドイツの例があるからその辺は違うと思うけどな

2021-03-19

西日暮里って西本願寺西ドイツみたいでかっこいい

日暮里はかつては交通の要所で新宿銀座と並ぶ大繁華街だったが、周囲が連合を結び不当に貶められ分割された後は東西で互いに憎しみ合うようになり、かつての力が戻ることはなかった

2021-02-23

実存主義

いまこそ実存主義を再起用するべきだと思うんだよな.(哲学に詳しくないため間違いがあったら遠慮なく指摘してもらえると助かります.)

時代遅れな考え方かもしれないし,そもそも哲学は実際の社会に影響を与えないと言われている感じもある.

だけども閉塞感や虚無感に耐え切れず社会自身が「昔はよかった」と回帰するような社会は決して防がなくてはならないだろうから,その際には特効薬候補になると感じる.

かにサルトルは乗り越えられた」なんて言われて,構造主義へと重心が移り,実存主義はそれこそ歴史の中に閉ざされてしまったわけだ.

構造主義がより正しく思えるのは,フィールドワークを基にした裏付けが取れていること,思想根底にある偏りを見透かすことができたことだと思う.

この点については,自身西洋とは異なる文化背景にある日本で過ごしてきたからこそ納得感がある気がする.

しか時代背景が大きな要因の一つになったと思えて仕方がない.

サルトルがもてはやされ始めたのは戦後の混乱期(平穏が訪れるまでの過渡期)だった.

少年期に戦争経験して,これまでの規範とは異なった生活,のらりくらりと暮らしていた若者が『実存主義者』だとオトナ達に揶揄された時代である

そんな中でサルトルは「実存主義ヒューマニズムである」という講演をきっかけとして有名になった.(もっともそれ以前のサルトル実存主義自称したがらなかったようだが)

他方,レヴィ=ストロースが「野生の思考」を携えて登場したのは1960年代である

このときにはWW2から既に十数年経過し,ドイツが明確に西ドイツ東ドイツに分断され,朝鮮半島も同じく南北に分割されていた.

このときにはもう冷戦構造が成立しており,生きる目的規範と言われるようなもの国家もしくは共同体によって掲示されているようなものであった.

それはざっくりと表現すれば,西側諸国では「東側らしくない振舞いをせよ」,東側諸国では「西側らしくない振舞いをせよ」といった具合に.

そんなような状況下になっていったわけだから構造主義がより理解されやすく,より勢力をましていったのだと私自身は思う.

別に実存主義に分類される哲学者や思想家はサルトルだけではなく,他の著名な人物にはニーチェヤスパースハイデガーなどがいる.

キルケゴールも忘れてはいけないだろう.場合によってはパスカル実存主義に分類するそうだ.

この実存主義と呼ばれる思想に一貫しているのは過渡期をきっかけとした点にあると言える.

例えば,目の前の状況に対して挫折するだとか,死へと進み続けることを自覚するだとか,大戦によってこれまでの規範が形骸に近くなってしまっていたりだとか.

そういった既存規範(あるいは構造世界観)に綻びが生じた状況において,次の新たな規範が構築されるまでの過渡の段階で実存主義的な発想が生じてくると考えられる.

あいにく今現在私たちの状況を鑑みるに,私たちの考え方の根底は再び綻びを見せてきている.

新型コロナウイルスもその一つだろうし,資本主義を盾にした新自由主義挙動もその一つだろう.

この繁栄を盲信することのできない過渡期に生まれたことを悔いても仕方がない.

人間自分自身時代を選ぶことはできないわけで,その中でうまくやっていくしかないわけである

強いてこの生を受け入れるのであれば,この生を選び取ったと言えるような生き方体現するべきではないだろうか.

それこそまさにアンガジェするという言葉の通りに.

2021-02-13

anond:20210212225220

ナチス多数派ドイツ人にとっては良い政策してただろう。公共事業失業対策とか。

世界恐慌失業して絶望的な状況だったのが、ナチスのおかげで仕事が見つかって、結婚できて、ユダヤ人が追い出された後の家を安く手に入れて、子供も生まれて、戦争で運良く戦死空襲被害も受けずに、戦後のうのうと幸せ中流家庭を築いたという人も多いのでは?

西ドイツでは戦後まれ世代戦前まれの親を批判するようになるまでナチス批判は低調だったというのも、そういう良い目を見た共犯者自覚がある国民が多かったからではないかな?

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-08-06

anond:20200806103142

でも、その後のアメリカを見ていても戦争に勝ったら勝ったで、国民は苦しみ続けると思うんだよね。

朝鮮戦争ベトナム戦争の泥沼化、自国経済犠牲にしてでも日本西ドイツ支援しなければならなかったとか。

2020-06-25

anond:20200625084532

戦勝国も当然のように悲惨さを経験しているけど、立場上そのことを言いづらいというのはあると思う。

アメリカ戦勝国で、硫黄島ノルマンディー上陸作戦などの悲惨さも経験している。

しか第二次世界大戦が終わっても、アメリカ西側世界リーダーとしてソ連対立しなければならない立場であり、同盟国に対して弱気は見せられない。

日本西ドイツ自分達の味方に引き込みたいし、戦争に負けて茫然自失状態となっている日本人やドイツ人に対して「お前たちの面倒は俺が見る」という姿勢を見せなければならない。

自分達は勝ったけど、本当は苦しかったんだよ」とは言えない雰囲気だよね。

戦後日本人はアメリカを頼もしいと尊敬していたけど、戦勝国アメリカも(表には見せなかっただけで)ボロボロだったと思う。

2020-05-12

コロナ渦における宗教

PCR検査

PCR検査しろ」「韓国は沢山検査している」「検査すれば自粛必要はない」「日本PCR検査の数が少ない」「全国民PCR検査必要だ」「政府は、岡田玉川意見を聞け」

二週間後教

「二週間後には武漢になる」「二週間後にはイタリアになる」「二週間後にはニューヨークになる」「二週間後にはブラジルになる」「二週間後にはロシアになる」

海外

韓国は○○している」「台湾は○○している」「ドイツは○○している」

産業困っている教

和牛券が必要」「芸術製造業とは違うのです」「旅行クーポンを配ります

自粛

STAY HOME」「パチンコゆるせない」「他県ナンバー許せない、実力行使必要だ」「営業している店許せない、実力行使必要だ」「ピピーー。密です。密です。」

経済

コロナより経済死ぬ人が多い」「緊急事態宣言はいらなかった」「コロナ収束した」「老人を隔離して現役世代経済を回そう」「永江ブログを読め」

BCG

BCG日本を救った」「東ドイツ西ドイツの死亡者が違う」「感染者数は関係ない。BCG摂取国の死亡率が少ない。100万人辺りの死亡者を見ろ」

ベガ

「アベが・・・安倍が悪い。」「マスクが小さい。マスク洗濯機で洗ったら小さくなった。」

2020-03-27

anond:20200326231229

ここにリンクのあるwikipediaには、

BCG、Vaccine、Soviet Union

という単語一言も書いていないようですが?

covid19にBCG関係している話題

西ドイツ側と東ドイツ側ではっきりと感染者数に違いがあるみたい

ワクチンの内容が違ったとのこと

日本ソ連式で感染者数が少ない方のワクチンなんだとか

https://en.m.wikipedia.org/wiki/2020_coronavirus_pandemic_in_Germany#

ドイツ地域感染者数)

ぐぐっても出てこないのですが、どこに一次情報源があるのですか?

2020-03-26

covid19にBCG関係している話題

西ドイツ側と東ドイツ側ではっきりと感染者数に違いがあるみたい

ワクチンの内容が違ったとのこと

日本ソ連式で感染者数が少ない方のワクチンなんだとか

https://en.m.wikipedia.org/wiki/2020_coronavirus_pandemic_in_Germany#

ドイツ地域感染者数)

2020-02-08

anond:20200208012354

標準語ハノーファー

ハンブルクベルリンもそんなに訛ってないけど、生粋ベルリンっ子がバリバリ方言で喋ったら自分は聞き取るの結構難しい

バイエルン人が方言丸出しで喋ってたらたぶん全く分からないと思う

西ドイツの人が北ドイツ人に「何言ってるか分からないwww」ってかなりバカにされてるの見て、ちょっといたことがあった

オーストリアドイツ語相手標準語喋ってくれてても聞き取りにくかった思い出…

2019-11-15

anond:20191115122148

ミュンヘンオリンピック事件は、1972年9月5日西ドイツミュンヘンパレスチナ武装組織「黒い九月」により行われたテロ事件

実行グループ名前から「黒い九月事件」とも呼ばれる。

ミュンヘンオリンピック開催中に発生し、イスラエルアスリート11名が殺害された事件として知られる。

この事件に対し、イスラエル政府は報復として空軍PLO基地10カ所の空爆を命じた。これにより、65名から200名が死亡した。

イスラエル空爆に続いて、さらなる報復および同様のテロの再発を防ぐことを名目に、黒い九月メンバー暗殺計画

最初暗殺されたのはアラファト議長のいとこで翻訳家のワエル・ズワイテルであった。

黒い九月も反撃を開始し、モサド工作員、協力者などを殺害している。

その後も暗殺は続けられ、1973年6月28日には黒い九月の欧州責任者ハメド・ブーディアパリで車に仕掛けられた爆弾により死亡している。

ノルウェーリレハンメル1973年7月21日モサドミュンヘンオリンピック事件黒幕とされるアリ・ハッサン・サラメらしき男性バス停にいるところを射殺したが、この男性は全く無関係モロッコ人であった。

その後、モサドベイルートにサラメがいることを突き止めると、イギリス国籍を持つ女性工作員エリカチャンバースをベイルート派遣する。チャンバースは難民支援する慈善活動家を名乗ってベイルート活動し、サラメの行動確認を行った。1979年1月22日暗殺部隊チャンバースは彼の車が通る場所に車爆弾を仕掛け、通過した際に彼を車ごと爆破して殺害した。チャンバースは暗殺後すぐに出国して姿を消し、サラメ殺害により作戦終結したとされる。

2019-07-27

ナチスというのは蔑称・・・

通称の「ナチ(独: Nazi (ナーツィ))」は Nationalsozialist の初め2音節を同音異字につづり変えた物で、「ナチス(Nazis)」はNaziの複数形である。元来は当時の対抗勢力ナチ党員および国家社会主義者に付けた蔑称で、敵対するドイツ社会民主党員および社会主義者も同様に Sozialist を短縮して「ゾチ(Sozi (ゾーツィ))」と蔑称されていた。したがって、映画などの創作ナチ党員が「ナチス」と言うのは本来は誤りであり、自分たちナチおよびナチスという呼称を用いる事は無かった。党員自身は党名のイニシャルを略して「NSDAP (エンエスデーアーペー)」、「NS (エンエス)」或いは「Partei (パルタイ)」と呼び、党員同士は「PG (ペーゲー)」(Parteigenosse 、党同志の略)、「Kamerad (カメラート)」などと呼び合った。しかし、ナチスという呼称は広まっており、ドイツ以外の全世界では通称となっている。日本でもナチおよびナチスの呼称が当時から使用されている[注釈 4]。現在は他の非ドイツ語圏でもナチス・ドイツなどの呼称が広く使用されており、ドイツ語にも同様の Nazi-Deutschland などの用語もあるが、分断時代西ドイツにおいても「NSDAP」などの呼び方一般的であり、ナチスの名称ほとんど用いられなかった。

ナチ自身ナチスを名乗ってなかったんや・・・

2019-07-18

東ドイツのなんとかかんとかとかその辺の歴史

映画鑑賞趣味なのですが、歴史知識が大変に貧困です

ベルリンの壁物理的に壊されたのはわかっているんですが、東ドイツ西ドイツシュタージワルシャワがなに???という体たらくです

卑弥呼とか縄文土器とか大森貝塚はわかる。新選組はわからない

anond:20190718202002

まさにドイツは、ナチス断罪すればOKという具合に

自分たち責任について切断操作成功した。

当時のドイツでは、しかし、障碍者抹殺計画(T4)のように、

極めて非人道的だけど、実はナチスが主導していない事例もあった。

T4計画は、当時のドイツ学会の考え方のメインストリームに乗っただけだ。

冷戦時代西ドイツ東ドイツも片側陣営のせいにすることが簡単だった。

しばしば韓国世論ドイツ謝罪の事例を持ち出すけれど、

じつは責任転嫁がたくみだったという実態も知っておくべきだと思うけどね。

2018-11-12

anond:20181112133400

奇跡バーゲンセールだぜ。

経済奇跡(Wirtschaftswunder) - 第二次世界大戦から1970年代にかけての西ドイツオーストリア経済成長

栄光の30年間(Trente Glorieuses) -第二次世界大戦から1973年までのフランス経済成長

メキシコ奇跡(Mexican miracle) - 1940年代から1970年代にかけてのメキシコ経済成長

ギリシャ奇跡(Greek economic miracle) - 1950年から1973年にかけてのギリシャ経済成長

イタリア奇跡 - 1950年代後半から1960年代にかけてのイタリア経済成長

スペイン奇跡(Spanish miracle) - 1959年から1973年にかけてのスペイン経済成長

台湾奇跡 - 1960年代後半から1970年代にかけての台湾経済成長

漢江奇跡 - 1960年代後半から1970年代にかけての韓国経済成長

イボワールの奇跡 - 1960年代から1970年代にかけてのコートジボワール経済成長

ブラジル奇跡(Milagre econômico) - 1968年後半から1973年にかけてのブラジル経済成長

2018-03-11

松本育夫トーンじゃだめですね」@1990年イタリアワールドカップ

松本育夫とは日本サッカー黎明期を支えた人物であるメキシコ五輪銅メダルをとった日本代表メンバーであり、引退後はユースの日本代表監督などを歴任した。なかなかの熱血漢ググるとその種のエピソードがけっこうでてくる。1990年ワールドカップ、彼はテレビ放送解説陣の一人をつとめていた。

とある試合西ドイツオラフトー選手ミドルシュートを外したプレイに対して、解説松本育夫が「トーンじゃだめですね」と言い放った。

僕は前にも後にも、ミドルシュートを打つことをこんなふうに否定する解説を聞いたことがなくて衝撃的だった。しかワールドカップが夢のまた夢の時代日本人が、ワールドカップで優勝した西ドイツ選手に対して。実際にトーンがミドルシュートが下手だということはなかったと思う。技術のあるいい選手だった。

ここで松本育夫を貶めたいわけではない。むしろこういうことを平然と言ってのける自信のようなものに羨望がある。この出来事ネット上に残したくて、はてな匿名ダイアリー に記した。

2017-03-09

バブル冷戦、そしてネコ

バブル芸人

 バブル芸人とやらが人気である。80年生まれの私は、当時のことを懐かしむ思いを感じつつも、微妙な気分で眺めている。何故?バブル経済は悪だったかである。続く「失われた20年」生み出した元凶。(ちなみに「失われた20年」は英語で”lost two decade”であり、「負けた」という意味もある。)彼女なんかはあの時代を茶化してやってるんだろうからいい。でも、ここのところ、なんか素晴らしい時代だったかのような受け取られ方をされてる雰囲気を感じてしまって、イヤなのだ

 そんな雰囲気を感じてるんだろう、金融関連ではバブル史本の出版ラッシュである。どうせ当時の銀行員か何かが自己正当化文言を並べてて、こんなことが今後あってはならない、みたいなまとめられ方をしてるんだろう。読んでないから分からないけど。

 バブル経済後遺症が長引いた原因は、バブル崩壊当時、窮地に立たされた銀行を国が救ってしまったことにある。バブル期に後先考えず融資した金が焦げ付き、国全体の金の流れを止めた。いわゆる不良債権問題である。あの時、銀行をじゃんじゃん潰してしまって、焼け野原からスタートした方が良かった。20年を失ってしまったあとでは、そう思える。ちなみに私が大学卒業したのが2003年就職率がワーストを記録した年であるバブル崩壊から10年以上過ぎた当時ですら、不良債権問題はくすぶっていた。

冷戦キッズ

 今となってはバブル期という一面的な捉え方しかされないが、私が幼少の頃を過ごした80年代は、冷戦時代でもあった。幼心に最初に覚えている政治家は、中曽根レーガン、そしてゴルバチョフだ。まだ、ロシアソ連と呼ばれていた時代スポーツ国際大会なんかでは「西ドイツ代表が良く出てたのを思い出す。なんてったって核兵器の量がハンパじゃない。その当時は40何億人くらいだったと思うけど、全人類を殺しても余るくらいの核兵器があった。いわゆるオーバーキルというやつ。

 その頃、こういった状況を反映して、人類滅亡後の世界を描くようなマンガ映画が作られていた。私がいちばん思い出すのは、「北斗の拳」と「ターミネーター」だ。「ターミネーター」の方は、スカイネットというコンピューター暴走して世界を壊滅させてしまうって設定だったと思うが、今、キューバ危機なんかのことも合わせて考えてると、もの凄くリアルだ。ちょっとしたボタンの掛け違いで、全面核戦争突入してしま危険性があったのだ。

 「北斗の拳」の方は表面的には、格闘技マンガで、私もそのように楽しんでいた部分もある。しかし設定が怖かった。なんといっても「199X年」である現実に起こりうる未来世界が滅亡してしまうかもしれない未来。今となっては笑いものではあるが、こんな設定が、時代の中でリアリティーを持ったのである。そして幼い私は、そんな小さな恐怖を受け取ってしまったのである

90年代に起こったこと

 80年代から90年代にかけて、バブル経済崩壊、またソ連崩壊して冷戦終結した。この2つの重大な出来事が同時期に起きてしまったことが、日本人にとっては不幸なことだったと思う。冷戦が終わり全面核戦争危機は去ったにも関わらず、経済的な壊滅状態がやってきてしまい、安心を感じれなかった。「世界は滅亡しない」という安心を。

 そんな不安感の中、オウム真理教が登場し、信者を集め、凶行に走った。彼らが持ってた終末思想は麻原個人によるものも大きいが、多くの日本人が心のどこかで持っていた疑念共振していた。世界は何か別の形で滅亡してしまうんじゃないだろうか?と。阪神大震災ダメ押しになったのも無理はない。95年だ。

 ちょっと違うかもしれないけど、90年代末に登場したエヴァンゲリオンにも触れておきたい。エヴァンゲリオンのメインのテーマは親子関係であるとか、成長であるとか、そういったことになるのかも知れない。しかし、設定として「サードインパクト」なる壊滅的な何かが起こった後の世界舞台となっている。ここでも世界が滅ばない訳では無いのである。いずれにせよ、私達に「世界は滅ばない」と安心させてくれるものではなかった。

新たな終わりの予感、そして福音

 そして、21世紀現在、新たな「終わり」を予感させる出来事が次々と起こっている。それはやはり、2016年イギリスEU離脱、そしてトランプ大統領誕生である世界が大きく動いている。何かこれまでとは違ったことが、起きているし、これからも起きるだろう。もしかしてこれは、「終わりの始まり」なのか・・・書店に行った。「たとえ世界が終わっても」という新書が並んでいた。

 そんな中、話題の「けものフレンズ」を見た。なんでも、「疲れたオッサンを癒やしてくれる」らしい。私も36のいいオッサンで、程よく疲れている。癒やされるか。そして見てみたところ、なかなか楽しくはあるが、いまいちピンと来ない。「すごーい」や「たのしーい」で微笑ませてくれるんじゃないのか。それとも自分には合わないだけなのか。

 でも、ふとした時に気がついた。あの世界、「ジャパリパーク」は冷戦終結と、バブルの崩壊の2つを同時に表現していると。バブル期日本では、アミューズメントパークが雨後の筍の如く建設され、そしてバブル崩壊と同時に多くが破綻し、そして廃墟化していった。「ジャパリパーク」はそんな廃墟化したアミューズメントパークそのものだ。人間が出てこないし、話題になっているように人類滅亡後の世界に思えなくもないが、アミューズメントパークが倒産しただけだ。冷戦は終わった。世界は終わらない。そう思うと涙が出てきた。

 確かにオッサンを癒やす作品だ。でも、私の場合はそのほのぼのとした雰囲気にそのまま癒やされるのでは無かった。自分が幼い頃から育んできてしまった小さな恐怖、心に刺さってしまっていた小さなトゲを、取り去ってくれるという形で、癒やされた。すごーい!

2016-05-23

マスターキートン2-5. レッドムーン

マスターキートンの中でもかなり異色な会となっている

異常なしを遂げた人物の保険金調査で訪れたマスターキートン

スペインイタリアアイルランド体そして英国西ドイツフランス世界各国の死亡保険データをみたところ今挙げた国々に1人ずつ同じような美を遂げた時差描いたしかも全員加入2年未満児死亡多額の保険金が支払われている。

元は軽い風邪のような症状そして幻覚症状やがて全身が麻痺して死亡するどの女性死ぬ前に狼のような声を発し目撃者皆賢門のに疲れたようだと語っていた。

人狼伝説と言うのは森屋野山放浪したスラブ民族の恐怖心からまれた。ロイズ伝説他の民族にもある。

薬物や神経障害の原因を探ってみたところろう痕跡はなし。

最終的に死亡した患者の脳細胞顕微鏡で調べたところ人間の脳から弾丸方のウィルス集合体発見した。

この病期のキャリアはまだ生きていた。仁郎と言われていたのは女性でこの病気は神経組織に異常が起こり闇を好みわずかな光家も嫌う満月の光すら痛みを覚えるその靴のためにさまよい歩くまさに神狼伝説のものといった体でした。

狂犬病が正体。

狂犬病8分したら絶対治療困難。いか現代が谷仕事も助からない。正しい狂犬病は犬や猫家畜野生動物から発生し人間を観戦するなこれは動物に噛まれ場合のみ。にもかかわらず今回は人間から先に発症したためにこの発見が遅れた。

この病気は未だに不明な点が多い。ウィルスは新入部員96時間まれそれから神経繊維をつたって脳に侵入するかしその間ウィルスは同色したりもせず移動するだけ奴の私に何の変化も現れない。したがって医学的なウルスコードはこの時点では追跡できない以前使用発病したら死んでしまう。

コワルスキー犯行動機女性に対する異常なまでの復讐

母親は殺さないくせに母上に似た女は絶対に許さないと言うよくわからん男。

ハロルドどこいったんだいハロルド月があんなに銀色でとてもきれいだよ

マスターキートン2-2. 狩人の季節→獲物の季節→収穫の季節

太一師匠であるプロフェッサーの話。

あと実はマスターキートンマスターと言うのはこのエピソードから来ている。

やめておけ。拳銃の方がないフリ早いと思っているんだろう長健二はデリケートな道具出玉が出ないかもしれないし思い通り的に当たるとは限らないおまけに健二は抜き構引き金を引く前に3動作いるその点ナイフはワンアクションで終わるこの距離なら絶対に俺が勝どうするそれでもやってみるかね?

やめておけ。拳銃の方がないフリ早いと思っているんだろう流健二はデリケートな道具出玉が出ないかもしれないし思い通り的に当たるとは限らないおまけに健二は抜き構引き金を引く前に3動作いるその点ナイフはワンアクションで終わるこの距離なら絶対に俺が勝どうするそれでもやってみるかね?

ウサギはすばしっこいくせにいきなり半田頭に入ってくるとすくんで動けなくなる。おれも詐欺と同じだいずれ駆られる。

お前は助かりたいのかほんとに助かりたいのか?だったら助けてやる。俺がこの町で最後仕事を済ませたら無事に連れ出してやる。嫁だけ言っておく。自分をしてるだと思ってそこから早かろうとするヤツほしきらとは言わない。それは人間だ。

これに似たようなセリフをまゆで聞いたことがあると思うんですけれどもまゆと違って良い方がかっこいいですよね。というかもう勇猛もしかしてここからインスピレーションを得てたのかもしんないね

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太一さんは、SNS時代ファイティング様神と言う2つ名をもらってたらしいちょっと恥ずかしい。

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スワンに捕らえられた女を助け出してやらなければならない初めての狩りの時のあの答えが出そうなんだよ。

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私顔詐欺だとユニークな発想だ君は実にユニークな男だユニークすぎるプロフェッサーにはなれないな戦闘プロとしては甘過ぎるせいぜいマスターまりだ。

実はこれがマスターキートンマスター意味の1つ。

ウサギは哀れな生き物ですよ1番駆られやすい。いえそんなことわないは先だって追い詰められると勇敢に戦うのよ。

2015-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20150126120521

良くも悪くも「日本」という国が特殊すぎたんだよね。ヨーロッパヨーロッパで「西ドイツ」という国の民主化成功体験が忘れられないみたいだけど。

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