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はてなキーワード: 現代史とは

2022-06-28

anond:20220627192940

言ってるだろ、増田高卒中卒のバカ中年が偉そうにしてるキモい場所だって

氷河期以前の世代知識格差が大きく、彼らの世界はIQ60程度の土人世界であり彼らの常識はIQ60レベル土人常識

日本氷河期世代が死に絶えてからがやっと現代史の始まりとなる

救いはない

anond:20220628130013

言ってるだろ、増田高卒中卒のバカ中年が偉そうにしてるキモい場所だって

氷河期以前の世代知識格差が大きく、彼らの世界はIQ60程度の土人世界であり彼らの常識はIQ60レベル土人常識

日本氷河期世代が死に絶えてからがやっと現代史の始まりとなる

救いはない

2022-06-15

anond:20220613094136

LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚批判する議論はありますぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます

まずゲイ男性同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的交流交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定相手との排他的関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターン自分たちが創り上げた独自ライフスタイルゲイライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。

もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代ヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています

もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアンフェミニスト的な立場人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たち模倣するなんて…という抵抗感もありました。

そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですからさらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。

こういう流れを一変させたのが、80年代AIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVAIDSは、発症抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地ひとつとなった米国ゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市コミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまりパートナー医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。

結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもありますAIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験想像ゲイレズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピック海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由享楽的ゲイライフ」という夢の先にある、生活者としての現実シリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが自分後者だと思います

AIDSパニック以後、ゲイレズビアンアクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護ニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者法曹支援者同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージチョーンシーの『同性婚 ゲイ権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。




というわけで、実は元増田意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアンゲイコミュニティでの典型的同性婚批判ロジックとしっかり符合してるからです。

自分同性愛者だったら絶対結婚とか目指さんけどな

だって結婚って異性であることを前提とした文化制度法律じゃん

そんなもん同性パートナーとのルールとして採用したくないわ


これは上でも書いた「異性愛前提の制度模倣従属すべきでない」という声。

それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい

それが多様性だろ


これは「既存結婚制度に縛られない、よりフラット意味合い法律関係シビルユニオンPACSパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります

よく話聞いてると同性婚目指してる人たちって、結婚恋愛のゴールだと思ってる節あるんだよな

から同性愛者にも恋愛のゴールとして結婚させろと言ってるみたいでアホっぽい


恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義ロマンティック・ラブ・イデオロギー模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイ歴史学者で「自分同性婚法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認象徴なんですよね。その関係行政公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います

元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアンゲイコミュニティだと思います

2022-03-24

ゼレンスキー大統領国会演説すごく日本人精神性に寄り添ってた

いやはやなんとも、肩透かしと言うか何と言うか、海外国会のゼレンスキー大統領演説を見ていると日本へも強い支援をお願いしてくるのかと思ったら戦争環境負荷を主軸に置いた演説だとは一体誰が予想したのだろうか?

正直言って、日本右派左派海外のそれと比較しても平和志向が強い。左派の人たちは(警鐘意味も籠もっているだろうけど)右派平和志向だなんてとんでも無いと言うかも知れないが、海外報道見たら海外右派のヤバさは日本右派の比じゃないだろうことはよく理解できるはず。

そんな平和志向の強い日本大衆へ対してゼレンスキー大統領(のスピーチライター)がやったのは日本現代史を踏まえての、放射能汚染薬品汚染環境負荷を引き合いに出し、それらを戦争へ絡めるという右派だろうが左派だろうが認めざる得ない方向性で語りかけてきた。

ゼレンスキー大統領が強く軍事支援を求めてくるという想定はあったけれど、平和志向の強い日本では「ほんのり右派」な人たちであっても強く軍事支援を求められたらドン引きする可能性が高いんだ。

それこそ防衛のため北海道東側陸上自衛隊第7師団(日本で唯一の戦車を中心とした機甲科がある師団)を並べたほうが良いみたいな発言をしてしまったら炎上必至だっただろう。これでは日本大衆ウクライナ支持をしにくくなってしまう。

それをよく理解してゼレンスキー大統領(とスピーチライター)は「アジアリーダーシップを取ってほしい」としか言わないんだ。具体的なお願いは既に発動しているロシアへの経済制裁継続してくれだけ。これには驚きを隠せなかった人も多いだろう。

これを読むレフトに質問しよう。ゼレンスキー大統領演説を観て読んで「アジアリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタアジアへどういうアプローチを取る?
次はこれを読むライト質問しよう。ゼレンスキー大統領演説を観て読んで「アジアリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタアジアへどういうアプローチを取る?

俺がこの質問をした時点で、この質問意図がわかった人は驚愕しただろう。俺もこれに気付いたときは本当に驚愕した。

アジアリーダーシップを取る」ということの意味右派左派で変わるんだよ。右派周辺国から軍事的圧力に屈しないことと思うだろうし、左派アジア圏へ反戦思想を広めることと思うんだ。

意見対立をするのは日本右派vsウクライナや、日本左派vsウクライナではなく、日本右派vs日本左派となり、結果的に今回のゼレンスキー大統領演説は両陣営から肯定せざる得ないものになってるんだ。戦争環境負荷否定するか?無理だろ!戦争には環境負荷が付き物なんだから

ゼレンスキー大統領は、ウクライナは今回日本へ分断を持ち込もうとしたのではなく、何としてでも日本が敵に回らないように考えて演説したんだよ。それがたまたま日本へ分断を生むとしてもだ。

どんだけ日本大衆最適化された演説なのが逆におそろしさを禁じ得ない。

日本の政治論壇を観てみろ、非難しあっているのはウクライナへより大きな支援しろという右派と、憲法違反する懸念があると打ち返す左派だぞ!対立者の姿としてそこにウクライナは居ないんだ!マジでスゴイぞ!

2022-03-08

anond:20220308104013

増田はもともと知らないから余計に興味がわかない、というのがでかいんじゃあないか

 

ミリオタが一番わかりやすいが、他にも例えば学生の頃に現代史選択してる、大学外交理論系の授業をやった、仕事貿易関係、などなど。単純にそういう知識があると興味もわく。

日本史の授業を受けるまえのガキ時代に、歴史発見ヒストリアを見ても、全く面白くないようなもんだ。

 

増田新聞の1面を見るのを続けたり、関連の新書の何冊かでも読んだり、そういうことしてるうちに、ある日「このコメンテーター何言ってんだアホかよ」が気になってきて、ある日盛り上がってる自分に気づいたりすると思う。

2021-07-10

菅総理本当の狙いは、悪魔として歴史に名を残すことなんじゃないか

最近挙動見てそんな気がしてた。

オリンピックを開催しても、彼に負けはない、そう考えているんじゃないかと。

このまま開催すると、だいたい以下の3パターンが考えられる

奇跡的に感染が(現在の状況から考えて)広がらない

もちろん勝ち。

無観客にした時点で負けだろとか、緊急事態宣言出しといて負けだろ、はいまぁそうなんですが

この状況でもしこうなったら自分政治的手柄だと主張することは間違いない

感染が概ね予想どおりくらいに広がるが、壊滅的なことにはならない

勝ち。

8割おじさんあたりが懸念してるくらいの自体になること。

最も可能性が高いパターン

感染者数は最大を更新するだろうが、超過死亡は他国よりマシだった、というくらいの、去年同様のパターンに落ち着くケース。

いやワクチンあるだから去年より抑えられてなきゃおかしいんだけど。

しかしこれは後出しで結局抑え込んだ、だって死んでないじゃん、だから勝ち。となると思う。


懸念されているワクチン効果が低下するような五輪株が生まれ世界拡散し、破滅的状況を作り出すこと

勝利

今回考えたのはこれ。

実は彼の望みは「世界破滅被害をもたらした五輪株を作った男」「近代五輪を終わらせた男」になることなんじゃないかと思い至った。

これを達成すれば、菅総理世界歴史に名が残るだろう。

ネガティブものになるが、自分でなにか画期的な成果を出さなくてもよく、現状をズルズルと続けるだけで歴史に名が残る可能性がある。

そして、だからといって殺されることは多分ない。何の罪にも問われない。

嫌われるだろうが、それは今でもそうだ。

「スガ株」の名は現代史に刻まれるだろう。


私はどちらかと言うと自民支持寄りの思考してるし、

Twitterリベラルがよくやってるような、自民党を頭の中で悪魔化して陰謀論じみた事を言い出すのとは違った文脈だと思っている。

考えてみて欲しい。

もし自分が、前任者が逃げるように辞めて、気付いたら被害担当艦みたいな総理大臣になっていて、、、

しか総理大臣になったのだからある意味上り詰めはして、次の目標必要だ。

政治家として絶対にやりたい課題とかは特になく、

就任当時から国民からは期待されておらず、愛される総理、みたいなものになれる見込みはなく

となったら、自分しかできないでかいイベントを起こして世界自分の名を知らせてやろう、と考えてもおかしくないのではないか、、、そう思った。

どう思う?

2021-06-28

anond:20210628075114

ざっと読ませてもらったけど、正しい感想だと思う。

個人的にはこれが学問なのかどうかよくわっかんねーけど

本当にその通りで、政治的もの、とくに同時代現代史につながっているものについては

学問から外れて真に政治的議論になるため、もはやそれは学問とはいえないと感じている。

真に政治的議論ってなに?という疑問には、あくま個人的感想だが、「利害論争」であると思っている。

うちの庭のほうが広い、相手の家の木がじゃまだ、とかそういう話。

近代史以前の、同時代性のない議論であれば利害が直接に関係ないため、それは学問になりうる。

まりナチス共産主義国家は現在進行形であるため学問になりえないが、

マキャベリズムモンゴル帝国については現代と切り離されているので学問になりえる。

この人は京都大学を出ていながら、30年間もの間、同時代性のある現代史を追究した結果、

知らないうちに利害論争に巻き込まれツイッター不特定匿名レスバトルするに成り下がったのだろう。

いかに優秀な人でもそのようになってしまう、分野の選択を誤るとおそろしいものである

2021-06-05

anond:20210605070458

なんか任期が短い人もいるから、大体の人が忘れている総理も確実にいると思う。

日本史でも現代史って高校までの歴史では比較飛ばしポイントっていうか、要点かいつまんでおけよって扱いな気がするし。

2021-04-27

anond:20210427132624

池上さんはもう何一つ取材してないから、いままでの蓄積で喋れる、現代史の授業で習う範囲のことしか言えない。

 

しか歴史から一歩でもはみ出ると、所詮は伝えるのが役割ジャーナリストであり、専門家などではないので、まあまあ頓珍漢なこという。

2020-09-01

anond:20200901121919

これは社会通念によるものが大きい。

井上章一パンツが見える。 羞恥心現代史」の一読をお勧めする。

2020-07-27

ドイツ人ブルマーソ連人のブルマーとなりのトトロパンツ(3)

前回:anond:20200727074508

結果(3) その他の国

http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm

https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)

ショーツブルマー確認

http://yofuiaegb.blogspot.com/2016/06/yo-fui-egb-recuerdos-de-los-60-y-70-colegio-material-escolar.html

やや短パンっぽい。

https://www.theholocaustexplained.org/life-in-nazi-occupied-europe/controlling-everyday-life/controlling-education/

かなり現代ショーツブルマーに近い。

中国台湾韓国と、翻訳にかけて体操着検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。

意外なことに、英連邦共産圏以外にもショーツブルマー存在していた。

議論

調査により提灯ブルマー及びショーツブルマー日本のみならず、ヨーロッパオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツブルマーナチス時代にまでさかのぼることが分かった。

まり規律集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマー存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。

女性身体自由に見せる権利の広まりとともに、レオタード水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。

今後の研究

今回、私はショーツブルマー世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマー使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。

それに、ブルマー採用全国的強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマー採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。

また、ブルマーのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからショーツブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。

課題は他にもある。今回、ブルマー存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。

加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放シンボルであったのか、フェティシズムノスタルジー対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコ動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーユーモアというニュアンスが感じ取れる。

https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM

また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。

https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k

長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。

おまけ

それにしても、どうして下着同然のショーツブルマー採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。

例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女パンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台博多から東京に移ってから昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか

そして、もしもショーツブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後ことのはずだ。つまり、この戦後まれ大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツはいているのだからショーツブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。

一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心世代ごとの差が、ショーツブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。

若い世代常識感覚をどうやって上の世代に伝えていくか、これは今の教育界にも通じる問題であろう。

2020-07-02

自分で考え続けなくちゃダメだよ」を中学生に伝えるにはなんて言っ



2020年6月30日にまたここで会おう』は、瀧本哲史さんが2012年6月30日東京大学で講演された内容を1冊の本にまとめたもの。これが期間限定で全文無料公開されたので読んだ。

勉強になるし、考えさせられる面白い文章だったのでぜひ一読をおすすめします。


瀧本さんは20代とかの若者に向けて話していて、いろんなメッセージがあるんだけれど重要だと思う前半からいくつか引用

>> ・次の日本を支える世代である若者自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたい。

・外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいる。「自分で考えてない人は、人じゃない」

・「正解」なんてものはない。 自分人生は、自分で考えて、自分で決める。

・そのための「思考の枠組み」として、リベラルアーツがある。 自分自身を拠りどころとするために、学ぶ。

・まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルール空気を変えていくことが可能

パラダイムシフトとは、「世代交代」である

・ 君と君たちが正しい選択をし続ければ、いつか必ず世界は変わる。<<

以後も大事な考え方を教えてくれます

歴史的なことを散りばめて語られるから、すごく説得力があるなと思った。現代史も含め、歴史事実に近いことだから、知っていることはものすごく大事だよな。パラダイムシフトについてなんか眼から鱗でした。


で、これを読んで私が考えたこと。


これを「賢い」と言われる人たちに話す意味はすごく大きい。賢い人が世界を動かしていく(はず)だから。だけど、私はそれだけじゃ足りないんじゃないかと思う。

ある程度理解する力がないと、自分の中に噛み砕けなくて受け入れられないのは確かだけど、「賢くない」人の方が多いんだよ、世界

しかも今は発言権拡散力)はみんなが持っているし、賢くない人は、数の多い「仲間」=大衆に受けやすい。

けど、賢くない人ほど、こうした話は聞きたくないし、聞けない。受け入れられない(たくない?)。

じゃあどうするかって、もっと早くにこういう考え方をわかりやすく、広く、教えなくちゃじゃない?って思う。中学高校、それも地方を含めた公立とか、「普通」なところで教えていくべきなんじゃないかと。やっぱり教育って大事と思う。



中学生って大人が思うより、考えられるよ。いろんな空気を読みながら生活してるし、いろんなことに影響されて学んで生きてると思う。だからこそ、そこで思想は固定されてしまいがちなんだよ。どれだけ勉強ができていい大学にいけた人だって、育った場所(家庭・小学中学高校)でできた思想ってなかなか変えられない。むしろガチガチな人も多いんじゃないかって思う。

そういうことでいうと、中学生って無垢ではないけど、まだまだ足りなくて、考えがかっちり固定されてないと思うんだ。(まだ変えられる、というか。)

でも既に、変に諦めてる子とか、頑張るのバカじゃん、どうせ自分バカだし、みたいな子も多いだろうと思うんだよね。そのまま行っちゃうと、世の中の、その地域での「普通」の道を辿ることに疑問をもたないまま進んでしまうことになるわけ。これって今の時代の「再生産」的な人間じゃん。




からさ、できれば中学生とかの内に、せめて高校生のときに、こういう話を聞いて、自分可能性とかを自分で考えてほしいなと思うわけ。

じゃないと多分、「パラダイムシフト」は起こんないよ。世代交代は必然的に起こるけど、次の世代もおんなじ考えの人が再生産されてたら意味ないんだよ。


パラダイムシフトを起こすためには、賢い・意欲のある20代に話しているだけじゃ足りない。

人の考え方は基本変わらない。歳を取ればとるだけ、変化は期待できない。

から固定される前の中学生とかに伝えたくない?

ってことです。(この考えにつっつポイントもあると思うが)


で、じゃあ中学生(賢くない)にどうやってこの話を伝えたらいいんだろう?って考えた。

メッセージの大ポイントは「自分で考えることをやめるな」ってことだと思うんだけど…

>>大人自分考えるのをやめたダメ!」

中学生「なんで?」<<



ってなるじゃん。これ、なんて答えたらいいんだろう……というのがいま見つからない。

だって中学生はまだ社会を知らない。今の社会のなにが未来にとってよくない考え方なのか、その考えがどれほどスタンダードなのか……絶望感を知らないと、「今のままじゃダメだ!自分たちの世代が変えるんだ!」なんて思えないんじゃないかなって。



この「なんで?」に対する答えをちゃんと伝えられる大人になりたい。

誰か手伝って!なんて答えたらいいと思う?

2020-06-19

anond:20200619162926

クリーンかどうかの次元を超え始めてるねん。現代史教科書想像して、今の時代が後でどのように振り替えられるだろうかということを考えると「度重なる政治腐敗、汚職により、国民政治への関心は薄れ、それがさらに国の衰退を加速させた。」みたいなフェーズに入ってる感じがするねん。どこかでストップがかからないと「この当時に選挙権持って暮らしてたんだよね。何やってたの?こんな状況で何もしようとしなかったの?」って孫辺りに無邪気に聞かれてしまいそうで、それが恐ろしいねん。

2020-02-04

本当にスマフォPCで成績上がるの?

禁止しても成績上がるわけではないだろうけど、

積極的に使っても成績って上がるわけではなくない?


歴史教科書でわからないキーワードを調べると色々出てくるから助教材には良さそう。

現代史思想によって意見うから逆に悪影響では。


地理は、Google Mapsでは地図記号からないし。

どこにいったら目的統計が手に入るか探すのにメンター必要そう。


化学は、構造式描くだけで大変だし。

数学も数式書くのが大変。


それより読むのに前知識足りているかとか、わからなかったときにどこを参照したらいいかとか、

体系だっていから、時間ばかり過ぎるのでは。

2019-09-20

日本史 現代史2010年代

って後の時代にどんな風に描かれるの

サマって教えて

2019-07-24

情報の消費スピードが早すぎて目眩がする

日本現代史上最悪の大量殺人事件からまだ1週間しか経ってないんだぜ、なんだこの風化っぷりは。

君達は好きなアニメ会社効率よくお布施ができるとか言って無邪気に喜んでるが。

全てが流れる情報洪水の中で消費されてゆく。

本当にこんな世界でいいのか。

2019-03-14

anond:20190314211707

とりあえず、"アメリカ 奴隷制映画"で検索してみよう。この3作品が腐るほど出てくる。どれも面白いから、そりゃまとめられちゃうよ。でもこれじゃ増田で聞く意味がないよねえ。

てなわけでアメリカ奴隷制度に限定せず、プランテーションという視点で考えてみた。

アメリカ奴隷制から着想を得て、この二つに行き着くまとめはあまりないと思う。

2019-02-09

anond:20190209194634

実用的な現代史だけで十分と思ってる。

以前は○○だったが、××な問題が起きたので■■になった。

みたいな、現在に直結する社会制度歴史みたいなやつ。

2018-12-13

anond:20181213180359

全面的同意するが、一点だけ現実認識あまいぜ。

 

高校レベル世界史」の知識など、持っている奴は少数派に決まってる。

 

大学行かないやつもいる。日本史地理をとるやつもいる。現代史までやらない学校もある。授業でずっと寝てるやつもいる。

 

そこいくと民主主義がイイヨネ!っていうプロパガンダ思想は、小学生レベルなんだなあ。

 

増田が見た者は現代日本では当然の状態よ。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

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