はてなキーワード: 大学とは
それこそ戦後の労働運動の1つの原点なんだよね。「女子供を養う」あるいは「子供を大学に行かせる」だけの賃金という所謂家族賃金思想の要求は結果的に、「労使の合意のもと」に年功序列、終身雇用に繋がっていった
実労働力のインフレによる工員差別の撤廃というのも状況が似てると言えば似てるし、もしかしたら同一労働同一賃金辺りの運動から先祖返りするかもしれない
ネットを見る限り日本人の性根がそんなに変わってるように思えないので、1回起きたことがもう1度起きないとは限らないと思うけどね。まあ自分もそんなに信じてないので陰謀論だと思ってもらっていいけど
弊社は従業員が数万人単位の企業だが数年前から全社員に副業許可が出ている
一方で副業をやっている人はそんなに多くない
なぜなら副業をできるような能力がなく、ただただ自社独自の文化に詳しい人として企業に飼われているだけだからだ
特殊な規約を知っているかどうかやExcel調書の書き方のお作法を知っていても他の企業では役に立たない
一方で雇用体系は組合との協議で決まるために高い報酬は払えず、市場価値より安い報酬で雇用している
そのため転職による流出も防ぐ方法として副業が効果的に機能している
そもそもこれらの分野の仕事は定常的な業務ではなく、期間限定で高い出力を求められることが多いので
他の期間はやることがなく、副業もしやすいし仕事を用意しなくて良いので管理職も楽なんだと思う
彼らはハイレベルな大学出身なので知人にスタートアップで起業するような人も多く
その繋がりでお手伝いをしていることが多いように見える
また起業してる人も珍しくない
ソフトウェア開発はオフショア開発が多く、ほぼほぼ個人事業主のフリーランスとして活動している
この分野が一番副業としては多い
Figmaでソフトウェアのデザインをすることもあればチラシのデザインをすることもあるが
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
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『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
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黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
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そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
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『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
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東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
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実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
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「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
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という論旨なのであるが
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いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
東京越谷インターナショナルフロンティアスピリッツ大学インターナショナルフロンティア情報学部ソーシャル・コンピュータ・ファイナンス・サイエンス学科
最寄駅は草加
これからの時代を生きる上で必須のスキルを一つの学科で全て網羅している。
俺の会社は人手不足だから仕方なく高卒を取り始めてるけど早くも挫折しかけてるぞ
なぜかというと昔は大学に行ける奴がいろいろな事情で高卒として就職していたが
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000352769.html
とりあえず、先生の名前と研究室でしらべたところ、東北大学の寄付講座とのこと。
寄付講座は企業や団体などがお金を出すから、大学の施設と名前を貸してねという講座。
そこの業績の欄に、歯科の商業雑誌への論文があり、手元にあったので、読んでみた。
装置の概要は、歯石を取るときに使う、超音波スケーラー(ピーッという音がして、金属で歯石を割りながら剥がす機械)の改良版。
論文には出てくる光の殺菌作用()と、特別な害がないこと(これは重要)が書いてあった。
結論として、これで歯周病が治るわけではない。あくまでも、歯石や歯垢をを取りながら、光で薬品を活性化させて殺菌をする装置。これまでも、水ではなく薬品を出しながら歯石歯垢を取る機器は多数あるので、それの類と考えて良い。
光はあくまでも補助的な部分と思われるので、その光と薬品に害がなければ、医療機器の認証が出るのも納得できる。(歯石、歯垢をとることは歯周病治療にとても有効。)
光で殺菌という考えも新しいわけではないが、効果が限定的なのもわかっている。バイオフィルムという細菌が作る塊の性状がその理由だが、簡単に書くと、うんこの内部を光と振動で殺菌することはできないということと同じだ。
口腔内では最近の餌と必要な温度と湿度は常に与えられるので、住みやすい環境(深い歯周ポケット、歯石、歯根の形態)があれば、少し残った細菌がすぐに増えて、元のようになる。
だから、この治療が普及すれば、歯周病から解放されるとか、そういうモノではなさそう。でも、マユツバな治療機器ではないから、少しでも治療が進歩するといいと思う。
redditのアフガンカテゴリーでのぶっちゃけ話を総合すると日本の報道とは全然違って驚いたので備忘録として残す
Q.メディアで目にするものは本当でしょうか?女性は本当に車の運転が禁止されているのでしょうか?女性はブルカの着用を強制され、仕事や学校に行くことを禁じられているのでしょうか?
車の中で音楽を聴くことは許可されていますか?音楽を聴いているところを見つかったらどうなるのでしょうか?アフガニスタンは良くなると思いますか?
A1.多くの州では女性は車を運転しませんが、一部の州では運転しています。公立学校は12歳以上の女子は閉鎖されています。しかし、お金があれば私立の学校に通うことができます。仕事が見つかれば働くことができます。
車の中で音楽を聴くこともできます。ほとんどの人は検問所で音楽をオフにします。または、オフにしない人もいます。昨年は女性はタクシーの前の席に乗れませんでした。今年は乗れるようになりました。ブルカは義務付けられていません。
私はアバヤとヒジャブを着用しました。より保守的な地域ではニカブやフェイスマスクを着用しますが、他の地域では必要ありません。美容院は閉鎖されており、今では人々の家で行われています。
今後は良くなると思います。1年前からすでにかなり変わっていました。人々が体制に慣れてきたからなのか、それとも何か他の理由があるのかはわかりませんが、今年は検問所が以前ほど多くなく、それほど緊張しているようには見えませんでした。
A2.そんなことはない。まず、タリバン以前の多くの家庭では、女性は家族から離れて車を運転することは許されていませんでした。また、国のどこの出身かによっても異なります。一部の都市や村では、常に厳しい規制が敷かれています。
女性に運転を許可している家庭では、女性に運転を許可しています。女性は運転でき、音楽を聴くことができ、結婚式などで好きな服を着ることができます。もし捕まったらどうなるのでしょうか?
まあ、彼らは無視するか、コーランやナシードを聞く方が良いと言うかもしれません。
学校について 学校が閉鎖されているのは事実ですが、いくつかの学校は開校しています。医科大学や保育園はまだ開校しています。私立学校、大学、コースはまだ開講しています。女性も働くことができ、奨励されています。
男性中心の職場にいた女性は、給料をもらって働くことが許可されています。私のいとこは2年間働いていて、給料をもらっています。バランスの取れた職場にいる人は、そのまま残っています。
ブルカはチャデリのことですか?義務ですか?いいえ、義務ではありません。ヒジャブを着用することは義務です。報告する場合は、解除されるまでフェイスマスクを着用する必要があります。髪の毛の20%ではなく、80%程度を覆う必要があります。
好きな服を着てもいいですか? いいえ、体を覆う必要があり、タイトな服は許可されていません。メイクをしますか? はい、軽いメイクは許可されていますが、大胆な真っ赤な唇や華やかなメイクはプライベートなイベントでのみ許可されています。
その結果、どんな良いことがありましたか?ハラスメント、ルチャクバジ・キャットコール、通りすがりの男性に触られることが減った。捕まった人はボコボコにされる。
道路が整備され、より安全になった。以前は、警備がいない限り、女性と一緒の長距離運転はできなかった。誘拐や強盗が非常に多かったからだ。
そうなんだよね。
誠実な人も多いからね。誠実な人の家庭環境は恵まれているから大学にも進学しやすいという話なんだろうけど。逆もしかり。高卒とか低学歴はやっぱりどこかしら不誠実で不誠実なのを開き直ったりしてる節ある。
タイピングは必修にしてほしい
あとは適当にエタイと名前忘れたけどランキングがあるフリーソフトで一日10分数ヶ月やれば
そこそこの速さになるけどな
最低でもKPM400くらいは欲しい
これ半年前くらいのエントリだがガチの政策関係の仕事やってる人が書いてる雰囲気があるな。
大学の放漫経営とか言ってるのがなんか財務省関係者なんか?みたいな想像が働くが、まあ地方で予算案作ったりする場合でも原理的に限られた予算の中で策定しないといけないのでこういうコストカット意識強めの思想になりそうだが。
「自分を守るためには法律も世間体もないんです、やるしかない。そう心に決めたならいつでもやれるんです。だから今は落ち着きましょう」
みたいなこと言ってるの読んでハッとなった。
思えばいつでも俺はあいつをやれる。
高校は文芸部で、大学は理系だけど研究室が論文の誤字脱字に厳しいところだったので、まともな教育を受けた人間は校正に厳しいのが当たり前だと思ってる。
旧ツイッターなどは書いたら訂正できないシステムなので、ギリギリまで一文字一文字を見直すけど、それでもミスったら仕方ないと諦めていた。
だけど、増田みたいに何度でも訂正できるところで、「てにをは」レベルの、少し読みなおせば違和感を持つようなところをいくつも間違えたまま放置している奴は、それだけでバカに見えるし、いい加減でやる気がないのが伝わってくるからそもそも読もうとも思わない。
たまに仕事でもそのレベルの文書を恥ずかしげもなく出してくる奴がいると、ヤバいのに当たったなという気持ちで混乱する。
日本の(特に理系の)教育はまったく文章を書かせないので、官公庁クラスの書類でもこんなのありかと思うような酷いものが存在する。
自分はたまたま論文力を鍛えてくれる研究室で「どこまで細かくなるべきか」を身体で覚えさせて貰ったけど、日本の技術者は計算や図面が完璧でも、ドキュメントの日本語になると「てにをは」はおろか酷い誤変換やタイポを放置しまくるような人もいて、こんなことやってると信用を失くすぞと心配になってくる。
文章の粗さは知識の抜けや態度の不安定さと同じくらい他人の信用を損なう問題だということを、少なくとも自分がちゃんとした教育を受けたと証明したいならもうちょっと意識した方が良いよという話。
(※ちなみにこの文章だと、読みなおして「馬鹿」と「バカ」の表記の揺らぎが気になるくらいの躾け方をされた。今回はあえて気づいた上で放置しておくけど。)
ぐんぴいだってよく見るとなんか小綺麗だろ?
なんかとにかくスマートな人間でなければ居場所がないって感じ。
漫研くそつまんなかったな、みんなあんま漫画読んでなくて。描くまでいかない。先輩遡っても作家なんかいない。
サークルの同学年は男子が10人いるのに女子はMさんしかおらず、彼女はあまり活動熱心ではなかったので必然的に男子とつるむことが多かった。
2年目の終わり頃、Mさんが先輩女性連とともに私を呼び出し、泣きながら2時間くらい私をなじった。「ないがしろにされてる!」とかよくわからない理由で。
それ以降、連絡スルーされたり陰口言われたりで疲弊し、身体症状も出てしまったのでサークルを辞めたが症状は長引いた。男女どちらのホモソーシャルにも恐怖を覚え今に至る。同じ集団に長く所属するのが怖い。
今ではみんな知っている。
どんな難しい問題も、ゆかたんの手にかかれば解決され、みんなが頼りにしていた。体育祭では、ゆかたんが指揮を取るとチームが一丸となり、どんな競技も楽勝だった。
そしてとても可愛かった。彼女が大雑把に結んだ髪を揺らして廊下を歩けば、誰もが振り向かずにはいられなかった。中学2年の頃には、その可愛さは美しさへと変化していた。
ゆかたんは常にみんなの中心にいた。彼女がいるだけで、その場が楽しくなる。彼女はカバンの中にお菓子をたくさん持ち歩いていて、何かあるとすぐにお菓子を人に与えた。
遅れてごめんね、この前は行けなくてごめんね、今度その人を紹介してね、遊びに行くのを楽しみにしているよ、彼女がそう言いながらお菓子を渡せば、すべての問題は解決した。
しっかりと結ばれた髪は、目元の強い意志と合わさり、ある種の風格を感じさせた。
鮮やかな浴衣が彼女の明るさをさらに引き立て、誰もが目を奪われた。みんなが「ゆかたん、きれいだね!」と褒めた。わたしはその時、少しだけ妬ましかった。少し遠くでその人の輪を見守った。
夏祭りの夜、ゆかたんと一緒に花火を見た。花火が夜空に咲くたびに、ゆかたんは笑顔で「きれいだね」と言った。その笑顔を見ていると、わたしの妬みはどこかへ消えていった。ゆかたんは本当にみんなを幸せにする力を持っていたのだ。
中学校を卒業してから、わたしたちは別々の道を歩むことになった。ゆかたんは地元の高校に進学し、わたしは少し遠くの学校に通うことになった。連絡は取り合っていたが、次第に疎遠になっていった。わたしは大学に進学し、忙しい毎日に追われるようになった。
わたしが大学2年生の夏、ゆかたんから突然電話がかかってきた。一緒に海外旅行へ行かないかと、弾んだ声で聞かれた。その頃わたしは仕送りも少なくて、バイトを掛け持ちしながら夏の集中講義にも出ているような状態で、ゆかたんの話がとても能天気なものに聞こえた。
だからすぐに断った。ゆかたんは少し驚いたようだった。彼女の頼みを断ったのは、これが初めてだったかもしれない。「次はもっと楽しいことに誘うね」と言って、ゆかたんは電話を切った。
その1年くらいあと、ゆかたんは海外へ留学したと別の友達から聞いた。海外で行方不明なったとも。
美しく成長した彼女は、羽織った浴衣をはためかせ、ユカタン半島旗を掲げて、革命の最前線に立っていた。
なぜそうなったのかは知らない。ニュースを呆然と見ていたが、次第に納得するような気持ちになっていった。
旗揚げをした場所が、ユカタン半島だったというだけの話なのだ。
彼女のことを思い出すと、最後の電話のことを考える。あの時、もし断っていなかったら、わたしも革命に加わっていただろうか。彼女の隣で、飴やなんかを貰いながら、彼女のために尽くし、命を賭けて戦う人生もあっただろうか。
考えてみるとそれも悪くない。彼女の笑顔は全てを許し、わたしは全てを許されるのだ。
あの時はごめんね、ゆかたん。わたしの嫉妬心が少しでも君を傷つけていたなら、心から謝るよ。またいつか一緒に遊びたいね。あの夏祭りの夜のように、笑いながら。
レクサスLS乗ってて、運転不慣れな妻の買い物用コンパクトカー(FIAT500とかminiとか)もあって、
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001389727.pdf
リンク先を見た上での話なんだけど
それって、ただ単に時間とお金の面で貧乏だからでしょ?国がこういうデータ出してるのに国民が一極化するのはぶっちゃけ国民が馬鹿だと思うんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。