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2024-02-12

中国海軍歴史 略史(1/4)

anond:20240211235134

夜明け前(~1949年 中華人民共和国成立)

中国近代造船所が建設される
海軍不在の時代
1840年

アヘン戦争 イギリス軍の汽走砲艦が清軍のジャンク兵船を圧倒

1856年

アロー戦争 英仏連合軍大敗、清には対抗できる艦隊存在せず海戦は起こらなかった

1865年

洋務運動の一環として清朝官僚の曽国藩、李鴻章によって江南機械製造局(現在江南造船所)が上海建設される

1898年

ロシアによって中東鉄路公司輪船修理工場(現在大連造船所)が大連建設される

1908年

日露戦争後、川崎造船所(現在川崎重工業)が大連造船所と旅順造船所を運営

1945年までに3度にわたり拡張され、中国最大の造船所になる

1912年

清朝滅亡

中華民国臨時政府樹立

1916年

中国近代海軍の父、劉華清(刘华清)誕生

1928年

イギリス実業家Nils Mollerが上海に"Mollers' Shipbuilding & Engineering Works"(現在の滬東中華造船)を設立

1938年

日本軍江南造船所を占領朝日工作上海工場改名三菱重工運営する

1941年

日本軍が"Mollers' Shipbuilding & Engineering Works"を占領三井造船所と改名三井造船運営する

黎明期(1949年1966年 文化大革命開始)

海軍の礎が築かれる
教育研究機関設立
ソ連から技術援助
1949年

中華人民共和国が成立

中国人民解放軍海軍設立される

中国人民解放軍海軍工学大学設立される

中国人民解放軍海軍医科大学設立される

中国人民解放軍大連海軍士官学校設立される

古寧頭戦役/金門戦役 中国人民解放軍海軍は大量の漁船徴用金門島占領しようとしたが大敗、これによって台湾侵攻を断念

戦争歴史から、二度と繰り返してはならない、という思いを抱くのは日本だけではありません。中国もそうです。しかし、どんな教訓を得るかは、国によって異なります

(略)

毛沢東は,1949年中国民政治協商会読第1回全体会議における開幕の演説

「......どのような帝国主義者にも再び我々の国土侵略させてはならない......我々は強大な空軍海軍保有しなければならない(......不允許任何帝国主義者再来我們的国土.....而且有一個強大的空軍和一個強大的海軍)」と指摘し,

1953年には

「わが国の海岸線長大であり,帝国主義中国海軍がないことを侮り,百年以上にわたり帝国主義我が国侵略してきた。その多くは海上から来たものである(我們国家海岸線視長,帝国主義就是欺負我僧没有海軍,一百多年免帝国主義侵略我臥大都是従海上乗的)」と軍艦の上で演説しました。

(略)

共通のできごとから「二度と繰り返すまい」と決意したとしても、国によって得た教訓は異なります

いじめた側といじめられた側では、同じ出来事もずいぶん違った記憶になる道理です。侵略をして反省した側は「二度とあんなことはすまい」と消極的になり、侵略された側は「二度とあんなことはされまい」と積極的になるわけです。

そのために、国際政治歴史の中では、あるときは羊のように餌食にされた国が、後には一変して狼のように振る舞い、そのことがかえって敵を増やしたりします。その逆だってあり得るでしょう。

出典: ネバーアゲイン・レゾルーション(二度と繰り返さない決意) - リアリズム防衛を学ぶ

https://www.riabou.net/entry/2015/08/16/140156

1950年

人民解放軍海軍航空大学設立される

海南島中華人民共和国占領される

朝鮮戦争勃発

10月19日 中華人民共和国参戦

1952年

中国人民解放軍海軍指揮大学設立される

中国人民解放軍海軍工学大学設立される

中国人民解放軍海軍士官学校設立される

1953年

中国人民解放軍海軍潜水艦士官学校設立される

1954年

劉華清 ソ連レニングラードクズネツォフ海軍大学校に留学セルゲイ・ゴルシコフに師事

第一台湾海峡危機 江山島、大陳島を中華人民共和国占領される

★6607型駆逐艦(鞍山級駆逐艦/7型駆逐艦/グネフヌイ級駆逐艦)がソ連から供与される

 中国人民解放軍海軍にとって最初駆逐艦になる

 1930年代イタリアから技術導入をしてソ連が建造した艦で時代的には吹雪型駆逐艦と同時期

1957年

50型警備艦(リガフリゲート)がソ連から供与され、6601型(成都級)としてノックダウン生産される

1958年

二次台湾海峡危機 金門砲戦 中華民国側が防衛成功、以降中華民国と中華人民共和国の間に大規模な戦闘は発生していない

大躍進政策の開始 1500万人以上の餓死者を出し失敗

1961年

劉華清 中華人民共和国国防部第七研究院所長に任命

第七研究院(中国艦船研究院)

中国初のミサイル駆逐艦、初の原子力潜水艦、初の1万トン超艦船設計を担う

中国海軍艦船設計の中心となった

後に中国船舶重工集団(中国船舶重工集团, CSIC)の傘下となった

1962年

633型潜水艦(ロミオ級) 1番艦 ? 就役

 ソ連から提供されたノックダウンキットを国内で組み立てたもの

 その後中ソ対立によってソ連から技術援助が打ち切られたため中国潜水艦国産化を迫られることとなった

1964年

トンキン湾事件アメリカベトナム戦争へ本格介入

中国海軍歴史 略史 2/4 https://anond.hatelabo.jp/20240212015211

2023-12-03

東京一極集中世界一位をキープだ、広州に負けるな

医科大学はすべて東京にもってこい

附属病院地方に置いていていいか

2023-11-12

anond:20231111204806

氷河期人類「言うほど都合いいか?」

93万年前の人類気候変動で滅びかかっとるんやが」

「我々は人類歴史について何か大きなことを発見したと気づいた」この論文の著者で、ニューヨークマウントサイナイ医科大学計算生物学者であるワンジー・フー(Wangjie Hu)は、ニューヨーク・タイムズ(NYT)にこう語っている。この研究による予測の1つは、約93万年前に約9万8000人の生殖可能個体が1280人にまで減少し、集団ボトルネックが生じたことを示唆している。その後、個体数が回復するまで11万7000年かかったという。https://www.businessinsider.jp/post-274753

万年前の人類せやな

スタンフォード大学研究者による個別研究が推測したところによると、人類は7万年前には世界わずか2000人にまで激減、消滅しかけていたことがわかってきたそうです。https://gigazine.net/news/20080425_extinction_70000_years/

2023-10-19

anond:20231018225709

睡眠研究はもちろん大学でやってるよ。日本にも世界的な研究者がいる。だけど、そういう一分野だけの研究教育のための大学なんて作るわけないだろ。総合大学とか医科大学の中でやってるんだよ。その他の分野もね。性科学とか消化器内科とか

2023-07-25

anond:20230725162612

あれ?

大学入試男女差別って完全解消されたんでしたっけ?特に医科大学

学歴差別女性差別、二重苦ですから根深問題ですよね~~

2023-06-21

大学無償化の年齢差別ヤバい マジでやばい

今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。

具体的に言うと北海道大学医学部医学である

俺は昔から医者になりたかった。中学生ときにはもう医者になろうと思っていた。

しか現実非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。

そこで北海道祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。

必然的高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。

これが10年ぐらい前の話だ。

とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。

祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。

しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。

20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。

俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。

さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。

北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナから自然医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学札幌医科大学旭川医科大学の3つだ。

これが首都圏だったならば私立医科大学という選択肢視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。

とはいえ文句を言っていても仕方がない。

俺は北海道大学医学部医学科を焦点を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。

当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構借金をして入ることとなった。

さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。

これは比較最近まれもので、生活の苦しい学生学費給付するという制度だ。

さらに、「給付学生」になると国公立ならば大学授業料無料(!)になるというおまけ付きだ。

なんという良い制度であろうか。

俺は早速申し込んだが、却下された。

理由は「年齢」である

というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである

俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金絶対的に出ないのである

「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。

なぜならば「給付学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである

それならば給付奨学金が無い時代授業料免除はどうなっていたのか?それは大学独自学生収入を元に授業料免除できていたのだ。

その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。

しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用借金をしなければいけなくなったのだ。

俺は愕然とした。

というのも、ほとんど俺と同じ待遇医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。

その先輩は給付奨学金制度がない時代20代後半で大学に入り、大学独自授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。

これはひどい。いや、ヤバい不公平感が半端ない

国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である

謎の線引き、謎の境界線

まるでヨーロッパ人勝手国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。

追記:

給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?

経済的困窮者は高校卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。

そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。

国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定は無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度人生を大きく左右されるのはキツイ

追記2:

【これまでの授業料減免制度

大学収入を報告する

大学学生の年齢など関係なく困窮具合を判断

授業料減免

【今の授業料減免制度

日本学生支援機構給付学生として採用される

20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由不明

給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる

2023-06-02

医学部浪人してい女性は点数差別ではない

医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待

家出を試みるも、探偵を雇った母に連れ戻される

https://toyokeizai.net/articles/-/659824?page=2

あかり小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかり医師にしたいと考え、それも国公立大学医学部入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。

あかりは二〇〇五年に県内キリスト教進学校卒業し、母の希望通り医学部を目指して受験を繰り返したが果たせず、二〇一四年に医科大学看護学科に進学した。その間、なんと九年もの浪人生活を送っていたことも明らかになった。

母が娘に医学部受験強要し、9年間も浪人させた。その事実は異常な学歴信仰や、いびつな親子関係想像させる。近年、親が子どもに過度な期待をかけて勉強させ、成績が上がらないと暴言暴力を加える「教育虐待」という言葉が知られるようになったが、あかりの母の厳しさは熾烈だった。

このエネルギーが点数差別というありもしないものを生み出した。

この意味でも弁護士マスコミにも学者にも女性はいらない。ばかで無責任

2022-10-18

美瑛町ドラマPICU」への抗議は適切だったか

結論から言うと、やや勇み足だったのではと思う。お前誰だよって話だが、ただのしがない一町民である

美瑛町によると、実際は町の病院を経ずにドクターヘリ旭川病院に直接搬送することがあるという。放送後、町議フジテレビに「実態と異なる」と電話で指摘したところ、12日に番組関係者が来町。角和浩幸町長が「フィクションとはいえ医療過疎、住みにくいという印象を与えて残念だ」と抗議したという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/52f840229039f3f4f4caff46e37bef41e950a2e7

そんなに適当なもんを作ったんか、まああってもおかしくねえよなフジだし(偏見)と思って、試しに一話を見てみた。

指摘部分に係わる話の流れはこう。美瑛ロケ地で体調を崩した子役女の子救急車を呼ぶか迷うも、最寄りの病院までは一時間距離救急車が来るにも時間がかかるということもあり、女の子とその母親スタッフ(?)の運転で町の病院美瑛記念病院モデル美瑛町病院だろうか?)に車で向かっていたが、その途中で嘔吐さらには吐血と容態が悪化した。焦った母親は町の病院電話をしたが、母親は気が動転していて情報を伝えられず、電話を受けた若い医師も、母親を落ち着かせるような話術の訓練が足りていなかった。一旦は町の病院に運ばれ状況をみたが、大きい病院に運んだほうがよいという判断がなされ、道北医科大学病院(おそらくモデル旭川医大だろう)に搬送され救急が行われるが、小児専門の外科医がいないために根本的な治療は行えなかった。ドクターヘリ北海総合大学病院搬送されるも、そこのPICU救急を受け入れられず、残念ながら女の子は亡くなってしまう……。これが数年前の話。

美瑛旅行中に車中で苦しむ女の子を偶然目撃していた主人公は、小児科医師として働いていたが、突然の辞令で丘珠に新設されるPICUに配属になり……という風にお話に関わってくるのだが、そこは割愛

まず指摘からいくと、美瑛町から町の病院まで1時間というのは、ロケ現場がかなり奥地だったとしても、ちょっと盛っている。北海道の車で一時間はだいたい道のりで50kmぐらいである。美瑛町内だとほとんどの場合ぶっとばして30分以内だと思う。が、まあフィクション範疇で済むかなと思う。(追記あり

ただ、それを別にすれば、別に話として破綻はしていないと思った。たしかに、初手から救急車を呼べていればドクターヘリを現地まで呼ぶなり別の対策があったかもしれないが、当初は救急車を呼ぶかどうか迷っていた程度の容態だし、救急車を呼ぶのに躊躇した理由についても「救急車を呼ぶと結局倍時間がかかる」と言及があり、(それが本当であれば)車で送ることを選んだ理由になっている。町の病院に運ばれるまで大きい病院に送る判断ができなかったのも、母親医師とのコミュニケーションがうまくいっていなかったことで説明つくし(ここで原因を医師の腕のせいにせず、情報の伝達がうまくいっていなかったとするのも巧いなと思う)、そもそも全てが上手く行っていたとしても、道内救急を受け入れるPICUはなかったのだから、結果が大きく変わらなかった可能性は高い。登場人物全員が全員なりに良いと思う選択肢を取ったが、それでも救えなかった、という理由けがかなり丁寧になされていると思う。

町の病院まで一時間は盛っていると思うが、そこから旭川病院まで20分というのはかなり正確な数字で、ちゃん北海道の地理を調べて設定を作っていることが伺える。美瑛からちょっと車で走ったら函館に着いたどこぞの映画とは大違いである。

なので、"町の病院を経ずにドクターヘリ旭川病院に直接搬送することがある"という町議の指摘は、この話への指摘としては不適当だと俺は思った。そういう選択肢があったとしても、この事例では結果として使うことができなかったのだ、という理由がしっかり説明されていると思うし、見ている人にも伝わると思う。実際の地名使っておいていい度胸してんじゃねーかと見る前は思ったが、見終わったあとではべつにそういう感想は出なかった。つーか普通に良いドラマだ。みんなフジ月9だと思って毛嫌いしないで見た方がいい。安田顕がかっこいい。

まあ、でも、コレを見て、「美瑛って旭川の隣なのにクソ田舎でろくに病院も無いんだな」と思われる可能性は大なので、そういう意味で「医療過疎で住みにくいという印象を与え」という町長の言はまぁわかる。実際俺もこれが地元だったか違和感を覚えただけで、アメリカの話だったら「アメリカってそうなんやー」って思うもんな。まあフジテレビも「住みにくいと思われるだろ」と言われても困るだろうが。

あとこれは余談だが、美瑛は意外と医大日赤も近く、それでなくても旭川の隣なので、道内でも医療へのアクセスはかなり恵まれているほうではある、という事情があるし想起できるところなので、女の子の一件の舞台(兼、主人公旅行先)として美瑛を選んだのは単純によくわからない。知床とか、それこそ離島あたりにしとけばツッコミ余地もなく最寄りの救急病院までも遠い、という状況は作れた思うが。それだと最初からドクターヘリ出動に考えが及ぶから逆にリアリティに欠けるとか、単純に映える景色が欲しかたかロケが楽だったとか、そういう事情なのかな(旭川空港に近く、羽田からアクセスが良い)。

と、ここまで書いて、こんな記事も見つけた。

こうした声を、美瑛町はどのように受け止めているのか。あらためて美瑛町役場総務課に聞くと、フジテレビ職員との話し合いがあったことは認めたが「報道では抗議という表現されているが、フジテレビ様のほうから、うちのほうにご来庁されて、その話(ドラマの内容について)の説明があった」と、報じられているほどの苛烈声明ではなかったという旨の返答があった。

https://smart-flash.jp/entame/205590/1

道新とsmartflashどっちを信じるかは難しい問題だが、これが事実なら、町議がやや暴走しただけで、フジの人はわざわざ説明に来てくれた誠実な人で、町長は建前上否定的コメントを出しただけで、道新がそれを恣意的美瑛がキレてるかのように記事を書いただけの可能性が高いな……。フジを叩くつもりでこの記事を書き始めたが、道新の株が下がる結果となったとさ。ちゃんちゃん

追記

日刊ゲンダイからこんな記事が出てた。

 美瑛町役場広報担当者はこう話す。

美瑛町の1次救急体制として、救急車が到着するまでに2時間もかかるということはあり得ません。さらに、救急医療に関しては、ドクターヘリ運用も含めて、旭川市とも連携しており、美瑛町内の病院を経ずに、旭川病院救急搬送する体制がありますフィクションとはいえ子育て世代などの移住定住政策推し進めている中で、実態とは違う表現で、美瑛町の小児医療体制が整っていないかのように描かれ、マイナスイメージを持たれてしまたことは残念です」

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e4a71eefb3d01a78af41868147aea1bce2f2427

記事内にもあらすじの説明があり、前半はまっとうな指摘であると思う(ただ、救急車が到着するまでに2時間というのは不正確な表現で、劇中での説明は、片道一時間から救急車が来て病院患者を運ぶまでに往復で2時間、ということだろう。救急車一般の車の半分の速度で走るわけがない。ただ、どちらにしろ1時間かかることもまずあり得ない)。コメントにもあったが、俺はフィクションで済むと判断した部分だったが、誤った印象を与えるとして、町として抗議したのだと思う。

後半の指摘については的はずれだと思う。どれだけ体制が整っていても、母親スタッフ救急車を呼ぶという判断をしなかったのだから病院にできることはない。そして、片道一時間という設定を受け入れてしまえば、大人たちが救急車を呼ばなかった理由にも一応の理屈は立っているのだからあくま理屈が立つというだけであって、正確には容態が急変した時点で車を止めてでも119して指示を仰ぐのが正しい判断だろうと思うが)

が、翌日、同じ日刊ゲンダイからこんな記事が出てた。

ドラマにおける町の描写医療過疎、住みにくいという誤った印象を与えかねず、現実乖離しているため、遺憾の意フジテレビ側にお伝えしました。町から隣の旭川市の病院までは車で30分まで移動ができ、1時間以上かかることはありません。町としても医療体制救急搬送には力を入れていますドラマであった患者たらい回しみたいな事は起きておりません」

https://news.yahoo.co.jp/articles/0edd3e9afa7f989125e0eac6303a312fecf5ee9e

こっちの記事はひどい。

旭川市の病院までは車で30分」については、上で言及した通り、「美瑛記念病院から道北医科大学病院まで20分」とあるのでむしろ正確である

患者たらい回し」についても、女の子の症状は最初体調不良かと思われたのだが、どんどん容態が悪くなりPICU必要があることがわかってきた、という筋書きであって、たらい回しにされたわけではない。

なんで2日続けてこんな内容の違う記事が出るんだ。担当者コメントの内容がまるで違うので、同じ人物が書いた記事ではありえなく、どっちかは(あるいはどっちも)ろくに取材もしないで書いたんだろうと思う。たぶん記事ペラから見て下のほうなんだろうなあ。一応ソースもあたってみたが、記者名は当然書いてなかった。日刊ゲンダイも信用できねーなぁ。

あとは余談だけど、この記事で(おそらくただのいちゃもんとして)あがってる、稚内医者訪問するとき普通列車で行くか?という指摘。西稚内駅は架空の駅なので、稚内まで飛行機で行ってから駅弁買って宗谷本線(的な架空路線)に乗ったという理屈は、まあ普通に立つ。こういうところを見るに、ちゃん架空地名を作る配慮が無いわけではないんだよなあ。なんで美瑛は伏せなかったんやろ……?それで全部丸く収まったのに……

2022-09-27

anond:20220927075442

差別は便利。

便利なものは無くならない。

男性医師の不足が問題になってる時は、女子医科大学入学制限差別しておけば、男性医師が増えて便利。

黒人犯罪率が高い時は、黒人入国制限しておけば、治安が維持できて快適。

トイレの使い方を知らない中国人が多ければ、中国人を泊めないように宿泊拒否しておけば、トイレは汚れない。

2022-08-01

果物身体に悪いらしい

結局、果物って一見身体によさそうなイメージだけど本当は食べちゃ駄目って事でいいのかな

美味しいから食べないのは辛いけど……


https://gigazine.net/news/20220724-fruits-bad-effect-to-nafld/

果物野菜にはビタミンミネラル豊富であり、野菜に含まれる一部のビタミン活性化合物は抗酸化作用や抗炎症作用を発揮するので、NAFLDにプラス効果をもたらすことが示されているとのこと。しかし、2017年に発表された研究では、「野菜の消費はNAFLDの有病率と逆相関していることはわかったが、果物の消費は逆にNAFLDの有病率と正の相関があった」と論じています。つまり果物はNAFLDを悪化させている可能性が示されたというわけです。

そこで、ウルミア医科大学研究チームはイラン大学病院でNAFLDと診断された18歳以上の患者66人を2グループに分け、一方のグループ(FRD群)には1日当たり少なくとも4食分以上の果物摂取させ、もう一方のグループ(対照群)は1日当たり2食分以下の果物しか与えられませんでした。実験2020年10月から2021年3月まで行われ、実験前後に行われた血液検査でチェックを行いました。

その結果、BMIウェスト周囲(WC)・ALTALP・AST・γGTPLDLコレステロールインスリン抵抗性血糖値において、FRD群は対照群と比べて有意に高い数値を示したとのこと。このことから研究チームは果物中心の食事はNAFLD患者脂肪肝と血糖コントロール悪化させることが示されたと述べています

2022-04-25

anond:20220424115617

男性男女平等であればそれで構わないので。わけのわからない謎理論で、女を優遇することが無ければ、そこにあるのはただの競争社会なので、競争社会が駄目ならばまた違ったレイヤーの主張になる。

簡単に言えば、女は「男女雇用機会均等法」による調整済みの状況を男女平等と捉えているが、男は本来男女平等は、そういう調整の無い、自然の需給法則が働く状況を指している。この認識の差が、どちらがゲタを履かされているのか、の認識差になっている。

何の規制も無い男女平等社会ならば、男が圧倒的に有利であるので、男はそれを自然状態デフォルト状態と捉えている。女の不利は「能力の欠落」だ。女はそれを「男がゲタをはかされている」と言うが、それは実際にはかなり無理がある。法制度的な優遇があるわけではないし、慣習的な優遇もそれは男性の優位性の結果であって、原因ではないからだ。ありとあらゆる歴史、国において結果的には男性優位社会帰結していったと言うのは、それが恣意的作用によるものではない根拠の一例だろう。

例えば社会女性医師ではなく男性医師が欲しいと言う状況に関しても、医師国家試験に、体力(耐久力)、持続可能性を能力としてカウントする要素があればおのずと収斂するはずだが、そうならないのは、座学でのお勉強だけを「」付きの能力とすると言う、女性側の操作が入るためである。それだけではなく、女性医科大学などの制度的な優遇措置もあり、このゆがめられた状況下で、女性がゲタを履かされていないと言う見方はかなり難しい。

要はデマンドサイドの理屈に沿って、市場原理に従って処理すれば、能力の結果によっておのずと女性排除されてゆくので、男性にとって男性優遇措置は必要ない。「優遇措置全般」を排除すればいいのであって、スタートライン男性女性が同等であると見なすこと自体、それは女性傲慢であり、いか女性優遇されているのかを無視する鈍感である

2021-12-06

同人日記

大学いってないか大学ネタやれない」って悲しんでる人あつまれ!オレが大学ネタおしえてやるから一緒に書こうぜ!

・年度と年齢

通常の大学卒業に4年かかるので1年生(19歳)~4年生(22歳)が混じって生活している。関西では1~4回生とも呼ぶが、関東では1回生学校立直後の入学生をいうぞ。

短大は2年(20歳まで)、医科大学は6年(24歳まで)。卒業後に大学院にいけば修士2年(24歳まで)、博士修士+4年(28歳まで)。その後も大学にいられるのは助手助教授教授採用されつづけて進めれば最短あたまよさげコースだが、職にあぶれて学生っぽい「ポスドク」になって大学に居残るひともいる。30歳くらいだな。

理系文系

算数理科を専門でやろうとしてるのが理系学部医学部とか理学部とか工学部とか情報学部とか。それぞれ医者とか工場とかITとかで働くぞ。男が多く女との出会いは少ないぞ(数少ない理系女子特別リケジョとよんでほめたりする)

例外的に、栄養学とかは理系でも女性が多いぞ。

国語英語社会が中心になってるのが文系学部普通にサラリーマンかいろんなとこで働くぞ。女性が得意な分野も多いぞ。図書館学とかもあるぞ。

他にもどっちにもわけられない芸術大学とか、体育大学とか、音楽大学とかもある。さがせばたいていの好きな科目を専攻できる学部日本のどこかにはある。残念ながら地方大学にはすくないので単身上京してバイトしながら好きなことをやる若者もいるぞ。

すきな進学先を探したら大学じゃなくて専門学校しかない場合入学はしやすいが卒業後の就職先が少なくて狭き門だったりするから、よほど地元でその特殊な業種が流行ってるのでないかぎり、少子化ではみな大学のほうを選びがちだぞ。

文化系体育会系

サークルという部活動みたいなのがあって、体動かすのが体育会系インドア文化系だぞ。グラウンドにいるのが体育会系で、文化系サークル会館とかにいるのが文化系サークルだぞ。現代視覚文化研究会アニメ漫研)が大人気だとおもうだろうがそうでもない(癖がつよい)

コマ・限

90分1コマで午前2コマ(1限と2限)、午後が3コマ(3~5限)だ。

もし5限の授業を選択せずあいてたら4限まででたあと帰ってバイトにでもいくか、サークルの部室にでもしけこんで漫画読んでる。

2限・3限の空き時間があると食堂でだべってたりするが、先生もその時間帯に授業を開くのが好きなので、意外と人数が少ない、というか留年して去年2~3限だけとりおわってるやつとかがメインだったりする。

理系は空きコマ自体が少ないぞ。理系に多い実習単位単位数が少ないので集めるのにせっせと働かなきゃいけないのだ。

医学生が昼間から遊んでる描写があると嘘くさいぞ。

学費

高いぞ。国立大比較的安いが私大は遠慮なしに高いぞ。奨学金はもらいっぱなしでいいのと、借金として返さなきゃいけないのがある。就職先によって借金が返さなくてよくなるタイプのもあるが、それの一つが教職なので、「でもしか教師しょうがなくやってて子供を導く意欲がない)」が多くなるんじゃないかとオレは思う。国によっては大学全員全額無料にしてる国もあるから留学したほうが却って安い場合があるぞ。

以上!あとはぐぐってくれ

2021-09-22

我が子が乳児期の全身麻酔により高次脳機能障害になった話

我が子は難病指定の症状で誕生した。

生後4ヶ月に、全身麻酔での手術が必要になった。

手術はなんとか終えたが、執刀痕があまりにも汚すぎて、10年近く経った今でも痛々しい跡がくっきり残っている。

あの時、この医科大学附属病院ではなく、もう一つの大学病院選択していたらこんなことにはならなかった。

我が子は、記憶が飛ぶ。

様々な事が覚えられず、字も汚いし、他人とうまく関われない。精神年齢は3歳程度である

執刀回数の経歴欲しさに、この医大附属病院で手術されてしまった。

生後4ヶ月だから、もちろん喋れないし、全身麻酔前との違いが私も医師も分かるわけがない。

ただ、明らかにおかしいし、信用できない行為の多い病院だった。

後悔しても手遅れだ。

乳児の手術には、必ずセカンドオピニオンをした方がいい。一生取り返しのつかないことになる。

2021-08-17

anond:20210817123649

エリザベスブラックウェルがジェネヴァ医科大学から学位を授与されたのは1849年

楠本イネ東京築地産科医として開業したのが1871年

イネちゃんのほうが後じゃね?

そもそもエリザベスちゃんのほうは「学位を授与されて医師資格を得た」というのがポイントのようだし。

民間療法レベル医療従事する女性がいた、ってのとはまた別の話なんじゃね。

それこそ古代女性シャーマンとかが「世界最初女医」かっていうとちょっと違うじゃん。

2021-08-05

アメリカ医学生も投入

リカ場合は、感染拡大が厳しい状況になると、あらゆる専門の医師だけでなく、医科大学院の学生外国医師免許保有者まで現場に投入しました。また、余裕のある州から臨時に要員を融通することもしました。

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2021/08/post-1239.php

アメリカって医者徴兵されるんだな

2021-06-26

国内医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出

https://www.sanspo.com/article/20210624-IOQJULJCVRMBXMZXIDJG6SDUHA/

個人的には、ワクチンを打たない自由はあるべき(疾患や体質、また症例から打つことへの不安もつことは悪いことではない)とは思う。

しかも、記事本文に下記のことがあると、説得力がなんとなくある気がしてしまう…!

嘆願書同意したのは国内医師390人と地方議員60人

気になるので調べたよ。

発起人

高橋

ウィスコンシン医科大学名誉教授統合医療クリニック徳院長。関西病院で消化器外科を専攻した後、渡米。ミシガン大学助手デューク大学教授ウィスコンシン医科大学教授を経て、ウィスコンシン医科大学名誉教授。2016年名古屋市に『統合医療クリニック徳』をオープン

病院サイトを見にいったが、何を治すために伺えばいいのかさっぱりわからなかった。

漢方での対処療法とか…そういうときかな…。

プロフィールから、渡米した結果、何を学んだのかよくわからなかった。

そもそも、消化器外科先生なんだよね…?

求人サイトから職員構成が見れた。

スタッフ構成

院長 1名

医師非常勤)2名

看護師非常勤: 精神科ショートデイケア専任)1名

ヨーガレイントラクター非常勤)2名

ロマセラピスト非常勤)1名

スピリチュアルヒーラー非常勤)3名

気功師鍼灸師非常勤)1名

気功療法師(非常勤)1名

鍼灸師非常勤)2名

カウンセラー非常勤)1名

瞑想指導非常勤)1名

整体師(非常勤)1名

スピ…?めいそうしどう…??

署名に参加したのはどんなメンバーなんだろと調べてみる

気を取り直して、参加者を調べよう…!

参加される方のブログみっけ。

https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/06/21/624は『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書提/

クリニック徳 高橋徳院長が中心になって作成された『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書に対し医師約180名、歯科医約150名、議員約50名の同意が集まり同意者の名簿を添えて6/24厚労省に提出する事になり

えっ、お医者さんの約45%は歯医者さんなの…?!

歯医者さんは医師だけど。尊敬してますが、なんとなく、趣旨違わない…??

6/14現在での発表で新型コロナウイルスで亡くなった方は14132人ですが、60歳未満は450人足らずしか居ませんので働き盛りの60歳未満は無症状であればマスク不要自粛せずに仕事をして、どんどん外食もして経済を支えてもらえば良いですし当然、ワクチンなんて不要です。

??感染を広げようみたいなこと言ってて怖くなったのでブログをそっとじ。

(ここで力尽きたサラダ🥗)

2021-04-11

フェミさんは「弱者男性を救わなくていい」という議論が「じゃあ女性別に救わなくていいな」という意見になって返ってくることを想像できないほどの知性しかないの?

あいわかった。

そうやって優先順位をつけるなら、層が広い女性を救うのは後回しだ。当然だよなあ?

まずは入国管理局に捕らわれている人たちを助けなければいけない。

次に障害者リソースをつぎ込もう。

まずしいシングルマザーを助けよう。AV被害者を助けよう。

弱者男性よりはるかに恵まれ立場で何をぜいたくなこと言ってんだ。

なに?医科大学女性差別?そんなん後回しに決まってんだろバカか。

女性管理職の数が知らない?

うるさい。

まずはシングルマザー貧困を全て解決してからだ。

だって、お前らがいったんだぞ。

それほどかわいそうじゃない人間や、自業自得人間を救うのは後回しでいいと。

言葉責任を取れよ。

結婚している女性が家庭で旦那の態度が悪い?DV被害を受けてないだけましだな。却下

今後はそういう贅沢な悩みを述べてる女性

1回ツイートするごとにDV被害避難している女性支援する団体に1000円寄付しろ

2021-03-22

孤独

当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングオフィスを持つ貿易商合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。

 二十一から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。

 ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったかである木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮うそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。

 内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事共通ものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィス彼女入社して来たことすらが、誠に不思議めぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである

 その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セル仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。

HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……

 見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。

 私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、

樋口さん」

 と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、

「なあに?」

 と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである彼女樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。

あなた樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」

 すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである

「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」

「じゃあ、樋口っていうのは?」

 あなたのラヴ? と云いかけて、びっくりして口をつぐんだ。

「何なんでもないのよ。……」

 そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。

 私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたかである

 この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車停留所までと、電車にのってから彼女巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。

 私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学卒業して、そこの研究室である奇妙な実験従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである

 彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。

 それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末ホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。

「君、怖いの?」

 私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。

 それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど時間もの間、黙っていたのである

「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」

 彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。

「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。

「話して下さい。君の身の上話を」

 彼女身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかば子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである

 私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である

「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」

 彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである

「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」

 彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、

「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」

ちょっとちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」

「そう、じゃあもっと詳しく話しましょうか」

 そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである

「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」

 初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。

「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」

 私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットしまいながら云った。

 初代は、それから又、彼女物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。

2021-01-11

私だけの英雄

いつだったか、「人生は長いよ」と祖父が言いました。

人生ってきっとあっという間だよね」と言った私に返した言葉です。

祖父東京医科大学卒業して医学の道を歩みましたが、その生涯のうちに幾度となく入院生活余儀なくされた身体の弱い、でも辛くても喚かずに黙って耐えているような人でした。

「授業を抜けて、何処そこを通ってレコード屋に行きクラシックを聴いた。そこはお茶も飲めて…」数年前、病室で聞いた祖父大学時代の話は、まるで陽に焼けた冊子の中に旧漢字で綴られた、場所時間も遠い物語のようでした。その頃私は訳あって、大学に行くなんて思ってもいなかったから。

でも私の大学時代もいま思い返せば、ふらっとコーヒーショップに入ったり、たまに授業サボったり、思いついたようにCDを見てみたりしていた。好きなレコード屋を見つけ、授業をサボってレコード聴いてた祖父の話はもはや旧漢字物語には思えない。

なぜあんなに楽しそうに当時の話をしたのかが分かる。たまに新宿に来て医科大学病院を見る度に、今の私と同じぐらいの20代然とした白黒写真祖父を思い出す。

生前、泣いて祖父になだめて貰った記憶は思い出せないのだけれど、夜のわずかに街灯が点いている薄暗い街を眺めながら安っぽく流れる涙に対して、例えそれが世間一般と比べてどんなにくだらなく思える理由だったとしても、大丈夫だよと勇気づけられたような気になる時、ああ、祖父がいたんだなと思うのです。

祖父最期とき、弱り切った肉体で命を燃やす姿を今も思い出します。

苦しみながら、与えられたものを全部使い切る、そんな感じでした。

与えられた長い人生に対する誠意に見えました。

立派な人生を送りたい。

あの世で、もしも会えた時は誇れるように。

私のスーパースターとも言える。

2020-12-11

"差別"とは何なのかとそれへの私見

追記意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)

 私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能属性による区別の話は憲法規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。

日本国憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。

 そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能属性に基づく差別第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれから少しでも選択余地のある問題に関しては差別禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。

 加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間バイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性客観的なようでその人の価値判断目的などに左右されるきわめて主観的ものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的ものなのである。ただ、社会的意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサス形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。

追記ここまで

中学受験に関しての増田を端に発した議論はてな界隈で盛んになっている。

大方ブクマカダブルスタンダード批判したものであるが、そもそも差別はてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態区別を明示し、その日本社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別肯定するものではない差別とは何かを考える指標としていただきたい。

1. 日本国憲法第14条に定める属性および性的志向による区別

 これははてなーはもちろん、現在社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例存在する。ここでは憲法議論意図したものではないのでこれ以上は触れない。

2. 病気による区別

 これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由解雇した事件についてはその解雇無効であるとした判例存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。

3. 年齢による区別

 このあたりから判断が難しい。現在社会的定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。

4. 学歴学校による区別

 これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルター存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しか厚生労働省ガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。

5. 嗜好(性的志向はふくまない)による区別

 いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロ視点に立つならそもそも区別存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人ミクロ視点にたつならそういった嗜好を理由ハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメント問題とされるのではなく、そのハラスメント自体問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的問題視はあまりいであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性もつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。

 と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別定義は「絶対選択不可能属性事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択自由意志に基づくものである経済的事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別問題として扱うのではなく、公的機関から財政支援などによる学習の機会均等や学習環境改善問題還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。

 また、学歴問題は、生来変更不可能ものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。

 ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である公立中学問題に関してもそれを差別であるから議論提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来理想状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないかである偏見差別現在の不完全から生まれる。差別問題センセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたこである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正きっかけとなればうれしく思う。

anond:20201210074954

2020-10-23

anond:20201009212147

東大民主的

笑っちゃうね。

少なくとも、人事に関して東京大学日本でも最低の組織だよ。

現在藤田医科大学教授職にある宮川先生公募選考過程

最終的に人事委員長からあなたに決まった」と言われ、

着任後の授業やら研究室に関して具体的かつ細かいことを打ち合わせていたのに、

突然内定白紙に戻されたらしいよ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59985

2020-10-07

クソな私立医に行くと直面する問題について

クソな私立医科大学に行くと、教員たちが「一夜漬けはだめだぞ!」っていうのを真に受けて、ちゃんとした参考書や本を購入しちゃうのだ。それは実は間違いなんだ。

教員たちも能力がないので、ちゃんとした能力がないので、この大学にいる可能性が高いのだ。そのせいで、まともな試験問題を作れないのだよ。そんでもって、その教育の失敗を、学生押し付けるという手法学費をゲットするのだ。で、学生は「自分不勉強だったから落ちた」なんて思わせることで、翌年もさっさと高い学費を払わせるゲス集団がこの世にはいるのだ。

必要なことは、過去問をゲットして丸暗記して、国試の前に全部ロストして、国試直前に予備校手法を身につけるということなんだよ。間違っても「うちの大学先生に実力がある」なんて思って、国試対策だけをして卒業対策をしないなんて馬鹿な真似をしちゃいけない。

卒業試験なんてゴミです。ゴミゴミゴミされて、本当のゴミになり果てるなんて馬鹿のすることです。私達のやらされていることは、ただの「数年分の過去問」を再現するという作業です。たかゴミ大学試験です。こんなもの評価されてイキるのは無能証明です。ボーダーを超えたら、ゴミ生成器の呪縛から開放されるのです。

我々は留年するために医学部に入ったのか。違うだろ。医者になるために、医学部に来たはずだ。医者になるには、医師国家試験を受けるまで自分を持っていかなきゃならないはずだ。全ては、ここに至る過程を重視しろ

ps・CBT上位陣が卒業試験留年する大学は、やっぱり何かがおかしいですよ。自分たちの能力を過信しすぎです。卒業試験を難しくして応対しても、国試の成績は上がりません。あまり変なことをすると、誰も研修医として残らなくなるからな。誰も受験してくれなくなるぞ。真面目に実習する学生留年させる医科大学なんて、誰がいこうと思うのか。気をつけろよ。

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