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2024-03-02

三角関数いらないだと!?古文漢文不要だと!?」と憤っている奴、「勝利至上主義スポーツ体育会系はいらない!」と思ってる説

割と当たってると思うけど、どう?


スポーツ語源は『気晴らし』であって…」とか言い出して否定してくると思うわ

2023-12-30

部活動活動費、広告収入でねん出

そもそも学生自体受験弱肉強食に放り込まれ世界なのに

スポンサーの参入で部活動が『勝利至上主義』に繋がる恐れあるとか頭ハッピーセットすぎる。こういう大人にはならないでくれよ。

あとボランティア指導がヤバすぎる。責任者決めて指導しないと絶対ダメ

2023-11-24

対戦ゲームが国を滅ぼすって本気で思ってるよ

対戦ゲーム勝利至上主義って新自由主義が掲げる自己責任のものからね。

対戦ゲームをなんとなく受容していくうちに、人々は自己責任価値観内面化していくんだよ。

弱いのはお前が悪い。正しい努力をしなかったお前が悪い。

勝ちにこだわって練習しない方が悪い。ってね。

対戦ゲームってさ、基本的に報われる立場は限られてるわけ。

報われるのは勝者だけ。

建前上は楽しんだもん勝ちとか、グッドルーザーとか、いろいろ言うけどね。

結局注目を集めて賛辞を浴びて気持ち良くなれるのは勝者だけなんて、SNSを眺めてりゃ誰だってわかる。

しかも、それは社会の営みとは違って再分配なんてないからね。

勝者だけが、賛辞も快感も独り占めです。

厳しいねえ。厳しいよ。でも対戦ゲームはそれを良しとしてるわけだからね。

対戦ゲームが人々を自己責任自縄自縛に追い込み、孤立を深めていくんだよ。

じきにこれが大真面目にヤバいことだってかると思うよ。わかった時には手遅れだろうけどね。

2023-08-20

甲子園ベスト450%がnot 坊主な件よりもこちらの方が地味に凄い

花巻東監督「親のような気持ち」で20人全員に出場機会 夏の甲子園

https://mainichi.jp/articles/20230819/k00/00m/050/173000c

昨日の甲子園の第4戦、まさか仙台育英がここまで圧倒するとは思っていなかったが、花巻東側が8回9回に選手全員に出場機会与えたのが結構印象的だった。これまでの甲子園だと「最後まで諦めるな!!!」「みんな応援している!!!」「みんなはるばるバスに乗ってきた!!!」みたいな感じだったと思う。「子供同級生の親の気持ち」という設定(と「2人のメジャーリーガー輩出実績」)がなければ難しかったのでは。個人的には、その9回裏に4点取った攻撃は素晴らしいと思った。また、選手監督を消耗させるような「勝利至上主義」の背景も考えざるを得なかった。

2022-09-04

自民党だかJCだか知らんが「葬儀に反対するなら黙ってろ」とは何様のつもりなのか。自民党様か。自民に非ずんば人にあらずか。その「自分達こそが国の中心でありルールである」という思い上がりが、票を集めることさえできれば他はどうにでもなるというビジョンなき勝利至上主義が、カルトや悪質スピリチュアル詐欺師政治に呼び込む。

2022-08-20

結局選手酷使しないほうが結果的には勝てるじゃんということで完投させたりしなくなった結果

そんなデータ活用勝利至上主義教育の場にふさわしくないか高校野球ではやめろとか言われるの本末転倒で草なんだよな

完投負けして感動を呼ぶほうが高校生らしいって考えの人は実際に多いんだろうけど組体操的な発想でなんかなあって

2022-08-19

[]相次ぐ監督解任も、クラブワースト10試合勝利オレオレFCは何故、監督続投を決断たか

 J2自動降格圏の19位に低迷するガンバ大阪17日、16日付で片野坂知宏監督との契約解除を発表した。成績不振による事実上の解任で、同じく最下位に低迷するジュビロ磐田も14日に同じ理由で、伊藤彰監督の解任を発表した。その一方で暫定14位のオレオレFC相田満監督を続投した。クラブワースト更新する10試合勝利と低迷が続き、J1残留争いに巻き込まれたが、何故クラブ監督続投を決断したのか?

 結果が全てのプロ世界。J1も残り12試合というタイミングで、自動降格圏に低迷するジュビロ磐田ガンバ大阪監督交代に踏み切った。一時期最下位に沈んだヴィッセル神戸清水エスパルス監督交代に踏み切っている。一方、前節、クラブワースト更新する10試合勝利でJ1残留が危うくなったオレオレFCは13日の神戸戦後、観戦に訪れた中津真吾社長メディアを通して、現状を謝罪した上で、相田監督の続投を明言し、ノエビアスタジアム神戸に駆けつけたサポーターにも自ら経緯を説明した。

 15日には中津社長の図らいで、サポーター代表選手監督との緊急会談を実現。現状の課題相田監督の去就について話し合い、各側の意見方向性確認。最終的に選手サポーターから監督への不満の声はなく、残り試合相田監督サポートすることで一致した。

 中津社長によると、これらの背景には昨年までの反省があると言う。2019年にJ1に昇格して以降、オレオレFC2020年を除き、全てのシーズン監督の途中交代を経験。昨年も5月に3連敗を喫し、当時の中林監督を成績不振で解任した。当時はフロント主導で、サポーターの声すら聞かずに結果ありきで決断していた。矢狭間GM暫定的に指揮したのち、後任の野牧憲広監督(現ヘッドコーチ)は最終戦まで指揮したが、結果的には17位と最後まで残留争いに巻き込まれた。

 そうした反省を踏まえ、今季から就任した中津社長は「今、学生スポーツにおいて勝利至上主義が問題となっているのと一緒で、プロアップデートしないといけない。これからフロント主導では厳しい、サポーターファーストにならないと」とフロントだけでなく、サポーターらの意見も取り入れる方針に切り替えた。

 勿論、「現状に満足はしていない」と中津社長。それでも「プロは結果が全て。だけど、それありきで解任するのは僕は良いとは思わない。甘いと言われるだろうけど、僕も相田監督選手もチームも生き物。日々成長していかないといけない」。最終成績は分からない。だが、3年在籍し、未だに築き上げていないオレオレFCサッカーを築くため、未来のために継続と成長を決断した。

 監督続投となった相田監督は「ああいう場を設けて頂いて、サポーターの声や選手達の声を聞けて嬉しかった。だからこそ、より一層、結果を出し続けないといけない」と決意を新たにしMF山本も「自分達が招いた現状。サポーターに何度も悔しい思いをさせている。(清水戦は)前回、負けて悔しい思いをしているので、勝って喜びを分かち合いたい」と強い覚悟を示した。もう迷いはない。起死回生を誓って、20日アウェイ清水エスパルスからの残り12試合に挑む。

2022-06-09

帰宅部だった自分が言うのもあれだけどブラック部活っていうか何か全国大会がある部活って揃いも揃って勝利至上主義かつ根性論的な考えしかできないんだろうね。そりゃキチガイみたいなやり方したら時々化け物が生まれてくるのは分かるけど、分かりやすいところだとPL学園とかね

部活とは別にスポーツ等をするけど全国大会目指しませんよみたいな同好会っていうもの別に作れたりあるいは同好会しかない学校を作れたりできないのかとも思ったけど少子化だったりだとか金がないとかでできないんだろうね多分

自分強制部活(※加えてド田舎だったので男が文化部に入ることすら冷たい視線がくるような学校さえあった)が嫌で強制部活のない学校に入ったので助かったからいいようなもののこの部活ノリがブラック企業の社風の要因の一部になっているのかなと思うと部活文化ってめんどくさいなぁと思ったり

2022-04-22

anond:20220422195033

女子バレー生理でも練習を休ませない鬼コーチにボロクソにされながら東洋の魔女なんてもてはやされて金メダルとったわけだしね

パワハラ全開チームの方が強くなるって点は認めるしかなくて、その勝利至上主義価値観からいかに脱却して令和ではアウトですよってところをやっていくかですよね

2022-03-19

柔道人口は年々減ってるみたいだけど、大会みたいな盛り上がるお祭りをやめたのはなぜ?

勝利至上主義牽制したってことは、勝てないなら柔道やらない、って人が多くなったという判断なのかな

2021-07-21

オリンピック国民犠牲の上になりたってる前提

オリンピックをどのように解釈しているかは知らないが、慈善事業じゃないんだよ。

FIFAしかり、オリンピックしかり、儲けるためにメガスポーツイベントは開催されてんの。(国体は別として)

だって資本主義だもん。

からオリンピックについては歴史とか、ジェンダーとか、勝利至上主義とか、商業主義とか色々あるけど

国民犠牲になってやってるのに。どう国民還元されるんだよカス」って解釈がしっくりくる。

コストカットしまくったオリンピックが開催しようが、失敗しようが、もうどうでもいいんだけど、株主である国民に国は説明責任があると思うわ。

なーにがオリンピックだよ、国威発揚どころか恥部全開じゃねっーか。失敗しちゃえ、叩かれて自民党全員全裸土下座しろ

2021-06-10

anond:20210610154537

共産国レベルスポーツ勝利至上主義のせい

勝つために時間と金犠牲を強いる

楽しむなんてもってのほか

上の命令絶対

軍隊と同様の組織になりプレイ人口は減る一方。

見る方も勝つことしか楽しめず、敗者を叩くことの常習化が酷く、飽きにつながる。

国民スポーツの捉え方が酷いからどうしようもないよ

2020-02-17

仮病のためのライフハック見つけた

 6日前、慢性化している扁桃炎を半年ぶりに発症し、いつものように40℃まで熱が上がった。扁桃炎とは、喉にある扁桃腺という組織病原体によって腫れ上がり、様々な症状が引き起こされる病気だ。そもそも免疫役割を担う部位なので、その症状は正しい反応ではあるが、僕のそれは大きすぎて、過敏に反応してしまうらしい。

 扁桃炎を初めて発症したのは大学2年生の夏頃で、それから2年半が経つ。合計で6回ぐらいは発症しているだろうか。今までの発症時期から推測すると、台風が近づく等の理由で気圧が変化したときと、気が抜けたとき発症するらしく、今回はおそらく後者だ。大学最後テストが終わり、バイト先の塾で担当していた生徒の受験が終わったことは、今までの緊張を一気に和らげたのだろう。

 そんなわけで発症した扁桃炎だが、これがめちゃくちゃつらい。基本的に40℃前後の熱が3日ほど続いて、そのあと2、3日かけて徐々に熱が下がっていく。その間、なんの生産活動知的活動もできないのでストレスは溜まるし、何より体力的に厳しい。今回も5日目まではこのルートを辿っていったのだが、6日目の今日、初めてそこから逸れた出来事が起こった。

 体温が40℃になっていた。「あれ?」と思って再度測り直しても同じ体温を示す。全く意味がわからなかった。いまだに体調は優れないものの、明らかに症状は軽くなっている。もしかしたら、高熱に対して自分感覚がマヒしてるのかもしれない。とりあえず長期戦に備え、後輩に買い物を頼む。冷蔵庫おかゆポカリでいっぱいだ。新型コロナも疑った。厚労省相談窓口に電話すると、「3つの条件のうち1つでも当てはまったら各自治体の相談センターに連絡しろ」とのことだった。全く当てはまらなかったので、相談対象者ではないらしい。

 やることがなくなり、落ち着きを取り戻してきたので、一旦ゆっくり考えてみる。なぜ体温計は体調に見合わない高熱を示すのか。体温計の故障をまず疑ったが、実際に脇を触るとめちゃくちゃ熱い。というか、脇だけがやけに熱を発しているようだ。「なんか変なことしたかな…?」と思い今日1日の行動を振り返ると、一つだけ心当たりがあった。

 朝、脇にデオナチュレを塗ったのだ。恥ずかしながら私はワキガ体質で、ワキガ用の手術はしたものの、今でも臭いが少し残っている。デオナチュレはミョウバンを主原料とした消臭剤で、良く効くので愛用していた。「ミョウバンって発熱反応なかったっけ?」と思い、調べてみると、水を加えると発熱するらしい。そこで左脇を丹念に洗い、水気を良く拭き取り、再度体温を測ってみる。

 ビンゴだった。体温計は37.8℃を示し、それは今の症状の度合いとちょうど釣り合っていた。4日後の旅行に行ける安堵感と、たくさんの買い物をさせてしまった後輩に対する若干の罪悪感を覚えながら、こんなことを思いついた。

 「これ仮病に使えるやん!」

最高の名案だと思った。ネットを調べてもこのライフハックを知る人はいない。この度が過ぎた情報社会で、こんな有用ライフハック自分が発案したという事実に震えた。ただ、よく考えてみると「高熱を示す体温計を提示することによって、休むことが認められる」という状況は実は少ないのかもしれない。社会人が会社を休むとき、わざわざ体温計を見せるのだろうか?色々と考えた結果、上記の状況が確実に成立するのは、「小中学生時代において学校習い事等を休むとき」だと考えた。

 そしてそれを考えついたとき自分中学校時代が頭に浮かんで離れなくなった。あのときに使えたなあ…と考えだすと止まらなくなってしまった。


 私の生まれ育った町は、地理的孤立しており、独自に発展を遂げたタイプ田舎だった。いわゆるムラ社会だったので、うまく周りと同調する必要があり、地理的特性故に逃げ道が全く見えない環境だった。

 小学校とき、少しいじめられた。いじめっ子に同調した言動に変えることでいじめはなくなった。3年生から野球を始めた。理由ひとつ上の兄がやっていたからという一点。家系的に代々運動神経は良かった。私だけ少し悪く、特に足は遅かったが、世間の平均と比べれば明らかに上だった。実際、高校の体育の成績は3年間続けて10点満点だった。ただ、レギュラーには一度もなれなかった。ミスが多発する少年野球性質的に、足が速くてかき回せる選手が好まれからだ。一度レギュラーの一人が怪我離脱したとき代理で2週間ファーストを務めた。めちゃくちゃ活躍した。打率は5割を超えてたと思う。でもその子怪我が治った途端、すぐベンチに座らされて、たまに代打で出る程度に戻った。ここまで層の厚いチームはめずらしいと言われたが、どうすることもできず、ただ悔しいだけだった。

 地元公立中に進んだ。Fランではない大学に進んだ人が200人中20人くらいの、いわゆる低学歴の世界だった。続けて当然、という雰囲気に合わせて野球部に入部した。同級生がグレ始めるだけでなく、既にグレている先輩との付き合いも始まった。部活顧問勝利至上主義者だった。教育的な観点は全く持っておらず、ただ自分の願望を叶えるためにやっていたような人だった。そのために、最初の段階で完全にレギュラーを固定し、補欠には何の機会も与えない。公式戦はおろか、練習試合にもまともに出さない。出すとしても2軍試合のような形だったので、相手がかなり弱く、活躍しても何の評価もされない。ただ恥をかかされているだけだった。平日全てに朝練と午後練があるだけでなく、土日も休み基本的に無いため、疲労はかなり溜まっていた。当然、授業は睡眠時間となる。

 公式戦には1秒たりとも出させてくれなかった。練習試合でも、他の上手いメンバーと一緒にプレーをしたり強い相手と対戦することはなかった。一生懸命に見える、という理由で明らかに自分より下手な奴の出場機会が多かった。片道4時間をかけて泊まりがけで遠征したとき、たくさんの練習試合が組まれていたにも関わらず、自分だけ出場機会がなかった。チームは結局、最後大会で全国まで進んだが、ずっと「早く負けろ」と思っていた。最後全国大会背番号さえもらえず、観客席に放り込まれた。やる気がないように見えるからと言われた。全国大会なので色んな人が見に来ていた。チームメイト保護者はもちろん、先生同級生も来ていた。ベンチにも入れなかったことを悟られないよう1番前の席に陣取り、一切振り向かないようにした。

 

 ずっと辞めたかった。でも辞められなかった。裏切り者烙印を押されたくなかった。唯一の社会であった学校が、自分の居てはいけない場所になってしまう。

 月に1日だけでいいから、憂鬱気持ちを抱かなくていい日が欲しかった。周りを納得させられる、部活から逃げる術が欲しかった。

 たまにズル休みをするだけなら、根本的には何も解決されてないかもしれない。現代感覚から言えば、さっさと部活をやめて他のコミュニティ持て、という解決策になると思う。でも、やっぱり中学生当時の自分にそれは難しい。あのとき、目の前で高熱を示す体温計を見せることができたら、どれだけ気分が楽になっただろうか。

 

2019-08-20

anond:20190820091253

いやだから、現状の体育会系というのがそもそも非民主的上意下達や歪んだ勝利至上主義原則としているわけで、

そこから脱却するんならわざわざ優遇する理由もないじゃん?

そしたら一日中FPSで撃ち合ってる連中とせいぜい体力の違いしかなくなる

2018-10-22

anond:20181022123653

スポーツというか、勝利至上主義がね

かといって勝って名前が売れないとスポーツに金出す意味なんかねえだろと言われそうだが

2018-06-01

anond:20180601155544

まあ大学スポーツなんて言っても75%ぐらい看板に偽りありなんだよね

最大限穿った見方をしちゃうと、学生とは名ばかりのスポ薦と称する傭兵が朝から晩まで部活して、母校の名を売るべく代理戦争を繰り広げているに過ぎない

から勝利至上主義宣伝至上主義・その他全部軽視になるし、勝利のためならしごき区別のつかない指導トップダウン組織運営も平気でやる

そして厳しく、時に理不尽からこそ、それに耐えた学生がその後の就活でも優遇される

でもそれ、別に日大に限ったことじゃなくて、ああもうるさい関学もたぶんそうだし、そもそもどこの私大も大体はそうじゃない?

宣伝の役に立たなかったら、どこが金かけて寮建ててグラウンド整備して、おまけにスカウトだのセレクションだのまでやるんだよ

全部宣伝のためだろうが

かに、今回の件はそういうシステムの悪い面が一度に出て、結果こういう事件になってしまったわけだけども、

からって今更どこの部活勝利至上主義を捨てられるかって言ったら無理だし、今あるシステムから抜け出すつもりはどこの誰にもない

みんな理事長監督コーチの首を取れるか取れないかしか興味ない

所詮ヤクザヤクザの抗争でしかないんだよ

2018-05-24

勝利至上主義体育会系は過ちを認められないのか?

文系であれ、理系であれ、アカデミック議論になれた人ならば

自分の考えが間違っていたことを認めて、より真理に近づくことは

自分の成長としてポジティブに受け止められるはず。

しかし、勝利至上主義体育会系思考においては

負けたらそこで終わりであり、一位でなければ意味がないから、

決して自分の過ちを認められない。

結果、惨憺たる危機管理になる。

体育会系であっても敗北から真摯問題点を読み取って

戦術を向上させていくなどの体験があれば、そうはならないはずなのだが、

勝利至上主義はよりよい存在になりたいという人間本来意識から外れた方向に

人を導いてしまいかねないのではないか

2018-05-23

anond:20180523123013

でも実際そうだろ

スポーツ系の学生社会で重宝されたのってそういう上意下達滅私奉公勝利至上主義理由であって、別に日大に限った話でもない

古い世界だなーとは思うけどまだ力は十分にあるわけ

彼ら、日大出身者の中で言ったら、日芸の大当たりした芸能人と、医学部ぼっちゃまの次ぐらいにはエリートでしょ

2018-02-20

anond:20180220160241

ゴルフと同じスノッブ紳士女系スポーツなので、非礼行為が厳禁。

でも、例によって中国韓国選手は、そこらへんのマナーがわかっておらず勝利至上主義

に走るためよくモメている。

応援もブーイングとかそういうのがない。

2017-07-01

人間は楽しくないことでも続けてしま

自分は楽しんでいる。楽しいから続けているんだ」。これは自分趣味活動継続する上で容易に手を伸ばせる結論だ。しかゲーム制作という分野でエンターテイメントシステムとして捉え続けてきた自分に言わせれば、続くのは楽しいから、というのは大間いである。身も蓋もない言い方をするなら、続くのは『続けさせるようになっているから』でしかない。楽しいかどうかは続けさせるための一因でしかないのである

限定された期間でしか得られない報酬を短周期で繰り返すソーシャルゲームは、ユーザ継続強要させるためのシステムとして分かりやすい例だろう。自覚が無さそうところで言えば、体育会系部活動にも同様の傾向がある。子供たちは、いつでも自分意思で「楽しくないから辞めます」と言える心理状態にあると言えるだろうか。否、体育会系コミュニティ自虐的な鍛錬の継続を美化する指向性を持っているのは明らかだ。転部や兼部は新たな楽しみの発見のためには合理的なはずだが、ひとつ部活動に一途に取り組むのに比べてイメージが悪い。他の選択肢を試すことすらなく、青春の大半を辛い練習に費やし、時には試合レギュラーにすらなれないまま過ごしながら、その日々を合理化している、というのはおそらくそう珍しい事態ではあるまい。

コンプリート願望やコレクター願望、勝利至上主義、達成感、ストレスから解放不利益を被ることを美化する価値観、など、楽しくないもの継続させるためのシステム境界こそ曖昧だが多岐に渡る。しかし、これらのシステムには概ね一貫したひとつ性質がある。それは、「参加者システムに従わないことでそのシステム上での価値を失う」ということだ。「時期限定アイテムを取り逃せば、そのゲームで将来に渡って不利になる」「部活を辞めればスポーツマンとして価値が失墜し根性無しの烙印まで押されてしまう」などがこれある。こうしたシステム強迫的にプレイヤー継続要求する。システムへの参加が自由意志であり、得られるものシステムの上の価値しかなくても、システムから脱するという決断を困難にしてしまうのだ。

言うまでもなく、楽しくないことを続けてしまうとしたらそれは不幸である。そして継続を誘発するようにデザインされた趣味はこの商業主義社会において決して少なくない。人は自分幸福を守るために自分が本当に楽しんでいるかを常に感じ取れるようでなければならないと言えるだろう。

(当然のことではあるが予防線として言っておくと、ソーシャルゲームしろスポーツしろ、その楽しみを全面的否定する意図は勿論ない。ここで言及したいのはシステムが持つ指向性によって楽しくないものを続けてしまリスクについてのみである。本当に楽しんでいるなら何の問題も無い)

2016-09-22

じゃあ部活に何の意味が?

しろ別にプロ目指すわけでもないたか趣味の集いに、しかも「その趣味プロ」ではなく日給1万で雇っている「教育プロ」を実質ボランティア休日つぶして参加させ、買ったの負けたの学校名誉だの教育とは程遠い問題で振り回す「部活動」というものに何の意味が? と聞きたい。せめてそこに「教育的意義」くらい見出したいと思うだろう、教育プロなら。

教育観点から部活の意義を考えるときよくあるのは、大会コンテストでの勝利入賞を目指して勝ち取り達成感を味わわせることで努力や協力の尊さ大切さを実感させるというものがある。だがこれは、一面で勝つことや承認されることだけが目的化し、とにかく勝てばいいとか勝てなければ努力無意味だとかいった「勝利至上主義」を植え付けるとして近年批判対象となっているところである。また、大会のためにしか努力しない「コンテスト主義」が、日本学生純粋スポーツの喜びやジャンルのものの楽しさを味わうことをむしろ阻害しているという批判である

そもそも、地域文化活動社会体育が日本において十分でなく学校部活動がその代わりを担ってきたのは、単純に日本が貧しかった時代の名残だ。現状でこれを維持する意味ほとんどない。そのうえ、いたずらに生徒と教員疲弊学業にまで差し支えがでるのなら、部活動自体は今や「基本的には無意味活動」であり、その意義はせいぜい「みんなで一緒に努力する楽しさ」を味わわせることくらいにしかないと言って差し支えないのではあるまいか。たとえば学校における「校外学習」がいまや「学習」の意味を失い、行き場所にはほとんど意味のない単なるレクリエーション活動となっているように。

そう考えると「折り鶴」というこれ以上ないくらい明白に無意味な、しか特別の訓練も才能もいらず、「絶対やりたくない」といえる程の明白な反対理由を見出すのも難しい活動強制的やらせるその教員は、現在部活動本質を的確に見抜き、かつ勝利至上主義大会主義の弊に陥ることなく、費用もそれほどかけずけがなどの危険もなく、しかも指先を使ううことで脳を活性化させ学生本業たる勉強にまで役立たせている…しかも、大会で勝ったか負けたかに関わらず、全員で折った千羽鶴は確実に形となって残るため、これを見るたびに部員たちは、全員で協力して努力して何かを達成したことを思い出せるのだ! 大会至上主義に陥っている現今の部活動の在り方への批判意識も含め、「千羽鶴折り」活動はここでは「最適解」の一つとも言える。

この顧問、決してバカでないどころか、極めて優秀な教員であるかもしれない。部外者には測り知れないところだが、実際、常にそこは紙一重なのである(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20160921231051

2016-06-15

JFAグラスルーツ。4種の末端から見える景色

http://www.jfa.jp/football_family/grassroots/gr_play/

JFAグラスルーツ『補欠ゼロ賛同パートナーHP

思った通り、地域でもスタッフの数や体制が整った「強豪チーム」の名前ほとんど。そりゃそうだ、コーチの人数も、練習場所試合の会場も相手運営ノウハウもしっかりしてる。複数カテゴリで同等の相手を見つけられる選手層の厚さを持ってる。こういう取り組みも、早くからアンテナ張ってたりあるいは地区協会からあらかじめ粉かかってる。

本当にサポートして欲しいのは地元小学校で細々続いてきた少年クラスなのにな。セレクション最終選考クラスから、軽度の発達障害を疑うレベルまで居て、ようやく8人ギリギリで在籍していて、コーチ複数学年掛け持ちで相手にしてくれるチームの選択肢が近隣小学校少年団くらいしかなく年1回の市大会や県大会ボッコボコにされちゃう楽しいのかなんなのか。

そんなチームが、いちばん最初ボールを触る、グラスルーツなのに。チームの運営指導の骨幹、選手の育成メニュー課題が山積しているのは、上記に挙げられたチームより下のチームなのにな。残念。

地元の小さな少年団は合併、縮小する一方。ここに長年取り組んできた地元大人たちへのリスペクトは無いんだよね。なんかモヤモヤするんだよ。いろんな弊害もあったろうけど...。新しい、地域クラブチームの皆さんは本当に良い指導をされていると思うし、尊敬します。結果も出てるしね。目指せ全国!!海外!!

何か疲れるわー。この勝利至上主義大会遠征引率も疲れるわー。ウチそんなテンションサッカーしてないもん普段。「真剣じゃない」とか叱られるんだろうけど。大会エントリーしなきゃ良いんだよなぁ。この辺がチームグダグダになってるとこでもある。ほら、迷走してるでしょ?さぁ、協会の偉い人、一緒に考えてくれる?

少子化の進行とともに4種の再編は加速度的に進むんだろな。昔ながらのお父さんコーチや近所のサッカー好きオヤジの屍を踏んで。

2015-06-22

欧米右傾化してるのに、日本右傾化ネトウヨ批判意味ない

以下引用

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150522/p2


・・・たぶんWW2以降の世界的な社会民主主義の流れで、冷戦、対共産主義のために資本主義自由主義陣営側が、再分配を強化していく流れがあったと思うのです。なんで、弱者による圧政専制みたいな感じで、人権などのロジックを使って、これまで虐げられてきたり抑圧されていた層が権益を獲得していく時代だったと思うんです。


けれども、アメリカのアファーマティヴアクションが経た流れと同じで、これを進め過ぎた結果、逆差別が起こってくるようになってきたんですね。


弱者というロジックを使って既得権益の化け物と化して、リソースフリーライドする方法社会蔓延る様になってきた。


また、それでも高度成長などの社会パイが極端に倍々ゲームで増えていく時期には、それでも問題が多い隠されたので特に問題はなかったんです。けれども、成長がマイナスか、現状維持になって、かつ人口マイナスに転じてくる時点で、リソースの配分は、正しくフェアでなければいけないという風になってきたんですね。


わかると思いますが、アファーマティブアクションは明確なる逆差別なので、そもそもフェアではありません。アメリカにおける黒人差別を例にとるとわかりやすいのですが、歴史の長きにわたって黒人差別されたので、現在黒人優遇しようということです。けれど、そうすると、黒人以外の層、、、現代白人特にプアホワイトなどといわれる貧困層は、逆差別を受けるわけです。


その人たちからするとひどい話で、過去のご先祖様のやったことを、現代の人が責任を取らされているわけです。これ、自分がその立場になったら、やり切れないですよね?。仮に、歴史的に考えれば、それが妥当で正しくても。いやでも、白人黒人を虐げてきたのは歴史的事実から、いま責任を取るのはフェアだ、といったとします。まぁ、これはある一定妥当性があるので、アメリカ社会でも受け入れられてアファーマティヴアクションが続いているわけです。。。。


しかしね、、、これで何が起こったかというと、プアホワイト白人層が、軒並み宗教右翼シフトしたんですよね。特に中産階級形成していなかった貧困層右翼への転び方は、すごかった、イラクアフガニスタン戦争遂行したブッシュ大統領共和党の支持層は、まさにここですね。


えっと、何が言いたいのかというと、(1)勝利至上主義で、ちゃんと現実と闘って頑張った人が報われるべき!というのは、一つ目の正しさです。けれども、そうすると、(2)負けてしまった人々やそもそもマクロ的に頑張れない層が、才能の差によってもたらされたものケアしろ!といってきます。これは、2つ目の正しさです。


そうして、(1)で頑張った人の努力を奪って再分配を(2)にするとします。そうすると、(2)の層は、その再分配を糧に、頑張る人と、何もしない人が出ます。ようは、(2)が、(1)に転じる人が出てくるんですね。そうなると、(2)で頑張らずに努力しなかった人へ、強い批判が集まります特に、(2)から脱出した人が、凄い批判社になります、たいてい。これがスパイラルで何周回もしていきます


ということをしていくと、社会的不公平感が生まれてきて、特に頑張った層の中でも、それほど恵まれていない層が、右翼化するんですね。なんで、こんなにがんばっているのに、(2)の何もしない奴らに譲歩しなきゃならないんだ!!!って。さらに、(2)のなかでも、頑張らなかった層の中には、がんば『れなかった』人もいるわけです、社会マクロ的な要因や才能の差にしても、、、、そうすると、なんでできるやつにおれが責められなければいけないんだ!と怒り狂う。そんで、この人がルサンチマン化した左翼化になるようなんですね。あっ、ちなみに右翼化して、外国人移民排斥などの、さら弱者を探して叩くケースもよくあります。ちなみに、どちらかというと、ヨーロッパをみていると、現代の全地球的な傾向は、移民排斥ベースとした右翼の台頭が、基本のトレンドです。

2013-08-22

高校野球商業主義

私の苦手な夏のイベントが終わった。


野球は大好きである

ことプロ野球おいては、2月になればキャンプの様子が気になり

3月になれば新戦力がどれほどの力になるのか友人と討論し

いくつかの試合チケットを手配し早く開幕しろと心待ちにする。


ひいきのチームが早々にペナントいから遠のいても

来期のチーム作りが気になり毎日テレビ観戦はまず欠かすことがない。


さて2013年全国高校野球選手権大会は、なにかと花巻東高校を巡って話題のあった大会である

準々決勝のサイン伝達疑惑準決勝カット打法へのバンド適応がその話の中心である


先にも書いたが私は大の野球好きでありながら、高校野球が苦手である


そもそも高校野球は他の高校スポーツとは大きく異なる点がある。

それは言わずもがな莫大なお金が動いているということである


もちろん高校サッカー高校ラグビーだってお金は動いている。その他の競技においても多かれ少なかれそうだ。

しかしその人気からくる経済効果主催者やその周辺で動く金額は桁が何桁か違うことだろう。


そのために高野連新聞社は、ことのほか高校野球の商品としてのイメージにこだわる。

当たり前である。商品が傷つき価値が下がってしまっては商売にケチが付くことになる。

タレント事務所純正女優ワイドショー写真週刊誌から必死に守るのと同じことである


高校野球日本におけるアマチュアスポーツ最高峰であり

そこでプレーする球児は純情な汗を流し必死で白球を追いかけるというイメージで売っている。


学校だって高校野球を自らの商売のために利用しているに過ぎない。

もちろん純然たる教育の一環として高校野球に取り組んでいる学校監督も多くあるだろう。

しか全国大会に進出して優勝を狙おうってエリート校はそうはいかない。


なによりも勝つことが至上命題である

学校の将来がかかっている

校長の沽券がかかっている。

監督来季がかかっている。

選手未来がかかっている。

地元の重圧がかかっている。

OBプライド・・・


書き出したら切りがない。

高校野球は欲望の塊なのである


どんなことをしてでも勝ちたい!

多少後ろめたくても次の試合に!

当たり前のことであるスポーツであるのだから勝利を目指すのことは。

その上に、いろいろなしがらみが絡み合い

その勝利へのこだわりは並々ならないものになっている。


しか視聴者はそうはいかない。

マスコミに植え付けられたイメージである純血潔白の球児が見たいのである

勝利への執着をなんの見返りも求めない爽やかな汗と勝手解釈する。


そうなると「サイン盗みはずるい!」「そもそも疑惑さえもルール違反だ!」とまくし立てる。

一方、「スポーツなんだから勝利にこだわって当然!」「ばれなきゃいいんだ!プロだってやってる!」と擁護派も声高になる。


準決勝カット打法を咎められると、「千葉君が不憫だ。可哀相。。。」「なぜ今さら。。。」と。


高野連がいきなりカット打法いちゃもんをつけたのはなぜだろうか?

花巻東に勝ってもらっては困るんじゃないだろうか。


まりにも強い勝利のへのこだわりを露呈させてしまった彼らが優勝でもしようものなら

また勝利至上主義への批判が集まり高野連は矢面に立たされる。

一つ間違えば気づき上げてきた高校野球ブランド崩壊にも繋がりかねない。


高野連にとって花巻東は決勝には進出せずに敗退していただくのが都合がいいわけだ。


花巻東高野連商業主義としての高校野球おいて両者はなんら間違っていないのである


さて長々とまとまりもなく書いてきたが

結局、私が高校野球が苦手なのはこのあたりにある。


やってる側とみる側の意識がこんなにもかけ離れていてはスポーツ純粋に楽しむことができないかである

エンターテイメントスポーツとしての高校野球を楽しむことができないのである


もし高野連新聞社商業主義アマチュアスポーツが感動を生まないと考えているなら大きな勘違いである

オリンピックが最たる例である

あれだけのお金政治的思惑が絡んでいても十分にエンターテイメントスポーツとして大成功しているではないか


そろそろ高校野球お金上等!と前面に押し出してみてはどうだろうか?

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