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はてなキーワード: 正当化とは

2024-06-12

anond:20240612222933

いやいつ誰がそんなこと認めたんだよ(笑)

ついに幻覚幻聴が見え始めたか

屑ブス女が、自分の屑っぷりを正当化し続けるためには、存在しない文章幻視し、歪めまくった行間勝手に読みまくるしかないもんな。

anond:20240612145012

でも実際に漫画の真似して子ども強姦したり盗撮するんですよね。

限られたコミュニティの中で互いを正当化して子ども犯罪に巻き込む連中がどんどん増えてますよね。

そういう自省がなく居直ってるから小児性犯罪は増加してるんですよね。

お前みたいな奴がいるせいで性犯罪者が増え続けてるんですよ。知ってますか?

anond:20240612143529

風俗に通う男性はもれなく弱者男性ですよ?

まさか一般男性人身売買性風俗正当化するような人間たちだとでも言うつもりですか?

anond:20240611230235

男側はそれ以上に品定めされまくってるんだよ

加害性を正当化するな

2024-06-11

タトゥー大麻はなにより人生を浪費させる

https://anond.hatelabo.jp/20240611121129

定期的にタトゥー大麻正当性を訴える増田エントリーされるけど、ここまでしつこいとなると正当性を訴え続けるストレスは相当なもんだと思う。

タトゥーは人に見られたら誤解されるし行く場所仕事結婚相手制限されるし、大麻は仲間から口を割られたら人生崩壊する恐怖と罪悪感に戦い続けなければならない。一生。

おそらくタトゥー平和的なものに見られる時代は生きてるうちに来ないだろうし、日本大麻合法化も来ないだろう。

この恐怖に対抗する為に色々と考えて正当化しようとするんだがことごとく理解されないしそれどころか更に嫌われる始末。

このストレスは相当なもんだと思う。まさに人生の浪費だよな。

まあそもそもタトゥー大麻をやるような奴はちょっとオツムが足りてないか言葉を知らなくて文章もつたない。自分の言いたい事を上手く表現できないイライラもあると思う。

この先ずっと言い訳人生を生きるって、俺だったら耐えられない。

結婚できない人の「最近は未婚も多い」って自分の首絞めてるだけじゃね?

じゃあ私(俺)も結婚しなくて良いや。って考えて結婚したいなって思う人を減らしてる

結婚はした方がいいって考えが蔓延してる方が誰か結婚してくれる人が現れる可能性があったのに

できない自分正当化するために余計な事を言って可能性を潰してしまった

ん?「できないんじゃなくてしないんだ」が良い訳じゃなく事実になったんだから良かったのか

2024-06-10

風邪をひいたら休め

 ここに、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という規範を示す。

 本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲットである。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。

・「この程度の風邪なら大丈夫」と考え、外出をしたことがある

・「風邪程度で休むのは甘えである」と考えることがある

風邪をひいても休まないニンゲンがいる理由はなぜか?

 風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る風邪治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病蔓延を防止することができる。

 以上より、右規範合理性があることが明らかである

 ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。

 私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである

 しかし、かかる見解妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。

 以下、敷衍する。

★「人を傷つけてはならない」という規範

 なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。

 まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為禁止されているように、紀元前時代から常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民構成要件として配布していることからも明らかである

 そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者生理的機能障害傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。

 したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。

 よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである

もっとも、休めないときもあるのではないか判断枠組み

 そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範適用するのは妥当ではない。風邪自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いか判断するべきか。

パターン1 自覚症状なし

 まず、自らの病状につき善意無知である場合について、いかに解するべきか。

 故意責任本質は、反規範人格態度に対する道義的非難である

 すなわち、自分風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為道義的非難に値する。

 よって、自分風邪である認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である

 逆に、自分風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間存在するウイルスは多いことからも、このような結論妥当である

 以上より、自らの病状につき善意無知である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。

パターン2 風邪体調不良判断できない場合

 風邪体調不良判断が難しい場合は、いかに解するべきか。

 なお、ここでいう「体調不良」とは、月経片頭痛食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。

 この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズム観点からは、風邪体調不良判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。

 しかし、単なる体調不良であれば、他者生命身体侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。

 したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。

 具体的には、下記の事情伝染病である蓋然性を高める。

 ・平熱と比して体温が高い

 ・前日に気怠さがあった

 ・雨にうたれた

 ・知人が熱を出した

 反対に、下記の事情伝染病である蓋然性を低める。

 ・病状が軽微である

 ・月経片頭痛など伝染病以外の体調悪化事情がある

 ・病院伝染病ではないという診察を受けた

 たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしか月経という事情伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般風邪判断されるべきものである

 よって、伝染病である相当の蓋然性が認められるだろう。

 なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良場合自由意思尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解採用しなかった。

パターン3 どうしても外せない用事等がある場合

 では、自らの風邪自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。

 この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。

 そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである冠婚葬祭親族危篤会社学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズム第三者身体生命侵害正当化する場面は限定的であるべきである

 これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである

 では、いかなる判断枠組みが妥当するか。

 第三者身体生命は、きわめて重要法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事重要性・症状を鑑みて、第三者身体生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきである判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。

 たとえば、冠婚葬祭親族危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事重要性は高いものといえる。

 もっとも、当人が伝染させればきわめて身体生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ新型コロナウイルスノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれ事情存在しない限りは、外出するべきではない。

 そして、会社学校への出席は、上記用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。

 そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである

★まとめ

 以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という合理的規範が成立し、ニンゲン原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである

 規範限界については、判断枠組みを明確に提示した。

 その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。

★その他、想定される反論質問

・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?

 症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体生命侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである

 もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要考慮要素となりうる。

風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?

 友人の集まり会社等で、自己風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範妥当しないのではないか?という反論が考えられる。

 しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害惹起する可能性があるだろう。

 そして、合意者がさら第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。

・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?

 たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。

 しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病頒布他人傷害する行為であるから、伝染によって他人傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。

 また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的理由であるからエゴイズム第三者生命身体侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。

 したがって、上記で示した判断枠組みが変動することはない。

以上

anond:20240610022424

過去ネット犯罪歴があり、単に警察に目をつけられていなかっただけの存在が「もしかして、俺がやってたのってやばかったんじゃ」と気がついた途端に、俺は間違っているはずがない!と自己正当化を始めてる感じw味わい深いw

2024-06-08

あおやまです

何で彼らが早く死ねよとか私に言うのかと言うと、私が何かしたからじゃなく、単なる醜い嫉妬感情からなのです。

それを正当化するためにありもしない被害者意識を作り出しているのです

anond:20240608133718

それは嘘だ。昔はクレームは宝の山だなんてフレーズがあったように、クレーマーの言い分が正当化されていた。

今ではそれが問題視されるようになった。

2024-06-07

anond:20240607122620

老害待ったなしのただの自己中じゃん。怒ることで特別自分であろうとしてる。おもちゃ売り場で駄々をこねてるガキと何も変わらない。

あなた旦那人間関係を常に上下で見てる。相当な劣等感をもっているか自分ランク付けもかなり下なんだけど、さらに下を見つけて優越感に浸ろうとしてる。人間関係に上も下もないはずなのにさ。

解決策として、まずは怒りに使っている膨大なエネルギー量を認識することだと思う。怒るってめちゃくちゃ疲れるのよ。でも怒りを正当化してて疲れてることに気づいていない。仕事で疲れてるんじゃなくて、怒ってることに疲れてるんだ。その無駄エネルギー節約できれば、あなたにも他人にもやさしくなれる。

広告ブロッカー使ってる奴らが偉そうにコメントしていて草

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.publickey1.jp/blog/24/publickey_5.html

不快広告を見るのが嫌ならその広告を載せるメディアを見ないようにするのが筋だろ

自己正当化してタダ乗りしてる奴らが偉そうに支持するとか言ってんじゃねーよw

2024-06-06

anond:20240606153103

で?

ミソジニーの頭の中じゃ未成年けがやってるから問題ないとでも?

そういう子どもはだいたい大人の真似をして悪さしてるんだよチンカス

お前のカスみたいな言い訳ホモソーシャル正当化できると何故思うんだ?

そもそも男が悪さしてなきゃ、ホモソーシャルなんて言葉はないんだよアスペ

2024-06-05

anond:20240605171704

なら死ねだの何だのと気安く言うな

優生思想正当化するな

わかったかこのボケ

Xで大麻合法化について語ってるジャンキーども

国連の出してる「麻薬等の非犯罪化とハームリダクション」を「麻薬等をやることは悪いことじゃない」って理解の仕方してて草生える

数行のアナウンスすら読む能力が無い知的弱者が、社会から爪弾きにされた反動反社会的行動を起こすようになって、自己の行動を正当化するために大麻アルコールをめちゃくちゃに肯定していこうとする振る舞い、めちゃくちゃエモい

2024-06-04

anond:20240604230357

文章無茶苦茶で草

文章力がなくて表現の仕方がわからないってだけの話をここまで自己正当化する奴初めて見た

フーリガンオタクうぜえええええ】昔は漫画板、今はコメント欄

フーリガンオタクがウザい。

あいうの、昔は2ch漫画板にだけ籠ってたのに、今は電書アプリコメント欄に引っ付いて、少しでも自分の気に入らない感想に絡んでばかりいる。

漫画について「今回はちょっとわかりにくかった」くらいの、全体的にはまったく否定してないのに、単に調子の善し悪しに少し触れただけで「アンチ」とか言ってくるのマジどんな脳味噌してんの?

それで、(漫画に対する批評は少しでも自分の気に入らなければキツい表現扱いしながら)自分はまったく言葉を選ばずその相手人格根本から否定してくるようなことズケズケ言ってくるの。

ほんとどんなイカれた思考回路してればあんなことが疑問も持たずに出来るわけ??

 

良いオタクと悪いオタクをわける基準をたったひとつ選べと言われたら、

 社会常識 >>>>>>> 漫画アニメ

という価値観を持つことを自分絶対的に支持する。

漫画アニメ(今の言葉で言えば「推し」)に対する「愛」を言い訳にして暴れるフーリガンみたいな奴を「オタクから仕方ない」なんて認めたら絶対にいけない。

そんなの天地がひっくり返っても正当化されるべきことじゃないよ。ただの自己愛投射じゃないか

作品に対してだって失礼だよそんなの。

 

今どきは「オタク」が認められるようになった、ってのはあくま人間趣味として。オタク以前に人間としての常識を弁えなければ遅かれ早かれやっぱりただの侮蔑語に逆戻りだよ。

キチガイ陰キャという意味の「オタク」が許されることなんて未来永劫ないんだから

2024-06-03

カント定言命法ってなんかそれっぽい用語を使ってるから何らかの原理みたいに思えるけど、要するに仮言命法とは違って論理性という錦の御旗のないただの主義・主張でしかないんじゃないか?って思った。

他人に最低限の敬意を持ちましょう。って言われてまあそうかもねっていう素朴な共感はあるけど、それは感覚問題であってそこに論理はない。もっと言えばその感覚すらも社会的形成されたもの、というかキリスト教倫理規範のものなんじゃないか?って思う。

じゃあカントによる道徳の再定義正当化も、論理性・合理性という現代(?)風な科学ツールで飾り立てつつ、結局は聖書価値規範リブートしただけなんじゃないか?って思った。

もっと遡れば、じゃあその他敬を良しとする社会はどう構築されたののか?無から湧いてきたのか?って問題が出てきそうだけど。

神様がそうしたからです、という答えなら簡単に済む。人にそういう機能プリインストールされてるからです、だとそれも道徳正当化に使えそうだけど、事実規範すり替えないといけない。

道徳根拠として定言命法を持ち出すのは、少なくとも論理で語れる面については色々と新しい発見をしているすごいカント先生の言う事だから説得力があろうっていう権威主義的な要素もあるんだろうか。

実際に人間尊厳という概念社会に影響を与えているというのは事実にしても、それは別に論理必然性との関係はないよね?って思う。

そんなに徹底して厳格に理詰めで考えてたら、そもそも規範なんてありませんというニヒリズムに辿り着かざるを得ない。

じゃあある程度は感覚的なもの依拠する規範公理として置いて、そこから道徳の話を始めようって事なのかもしれない。それがキリスト教人権思想かは知らんけど。

そういう話ならまあ分からんでもないけど、それだとかなり重大な前提条件あっての議論な訳だし、それをさも論理的に話をしてるんですけど?みたいなスタンスで行くのは欺瞞じゃねえか?

って倫理学の講義聞きながら思った。

anond:20240603121627

「異性に好かれたい」場合じゃなくても、人間には人として接するべきだし、人間として扱うべきじゃない?

なんで相手が「好かれたい」と思っていないだけで、人として接されなかったり、人間扱いされないことが正当化されるの?おかしくない?

 

・・・・・という事になってしまうからおかしいよね、という話。

そもそもそうした対応の事を「人として接する」「人間として扱う」と強い言葉表現した事がこのおかしさの原因なのでは?

相手に好かれたいと思って無いならしなくて良いような事を、「人として接する」「人間として扱う」などと強い言葉で表すべきでは無いのでは?という事

2024-06-01

ノーブラで出かけてるんだけど、迷惑防止条例違反になったりする?

たまにノーブラで出かけてる。胸が大きいうえに主張の強い乳首をしているので、かなりくっきり浮き出ていて一目でノーブラとわかる感じ。

街行く人の視線ときたま感じる。一度すれ違った男性がもう一度すれ違いに来たこともあるし、若い女性たちにじろじろ見られてヒソヒソ話をされたこともある。

男性はともかく、女性から見たら多少不快だろうなー、と思う。最近YouTubeノーブラ散歩炎上しているのを見て、収益を得ていないだけで私もやっていることは変わらないなと思った。

上裸でうろついてるわけじゃないけど、本来なら隠すべきものを隠していないのはなんかの条例違反してしまったりするんだろうかと少し不安になったりもする。

まあ、チクポチおじさんが許されて私が許されない道理はないだろうと自分に言い聞かせてこの行為正当化しているのだけど。

ちなみにこれは夫の趣味で、私から進んでやってるわけではない。

最初こそ恥ずかしかったけども、もうすっかり慣れてしまい今や特に羞恥もなくなった。(夫には恥ずかしがっている素振りを見せているけど……)

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