はてなキーワード: 居留守とは
なんでか宅配食材も宅配便もセールスもご近所もみんな11時にうちのピンポンを押すのだが
3日ブリにいい波きたー!っておもってじっくり自分とむかいあってるときに宅配食材がピンポーン。
あわてるな、一応押してくれるだけだ。
居留守をつかえば居なくなる。ん、ちょっと出てきたな。ぴりっとする、また切れたか。
ところが常になく2回目のピンポン。まてまて、これはっ!でも経験豊富な俺様は慌てないね。
でるものをちょんぎって残りはひっこませてペーパーで押さえてズボン半下ろしでインターホンに。
しまった宅配ボックスに背かれたか!(2つ入れようとして間違えただけ。昨日も居留守だった)
「…すみません門のなかにいれておいてください」でられねえよマジだれかこの状態で出たらきゃあどころじゃねえよ。
ようやくしゃがみなおしておさえてたペーパーみたら真っ赤なの。え、いつもこんなに出てるの!?
別の意味でキャアいわれるよ。
で、もうこんだけ出てたらボウルの中なんかピンク色の原始の海なんじゃないかってのぞきこむと
あれだね、防汚のためあわあわで毎回出したモノとご対面もできない奴だったわ。ほんのすこしまんなかが凹んでピンクなだけ。
なにこれだれが選んだんだ。こんなことだからいつもどんだけ出欠してるかわかんねーんだよ!!
苦労して生んだアレと目もあわさずさようならしてインターネット監視業デスクにもどったら
こんどは電話だよ。なんだよ今日の会合?ってどきどきしながら電話とったら「ぴ~~~よれよれ」
ファクスうるせえよ!!
尻はまだいたい。
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あらうーの。
病院いかずに治す。
生活保護受給者って居留守するんだね。人と関わらないからノイローゼになるのか。孤立するのが問題点なのか。おれにとっては最高の環境なのに。人と接することは嫌だよね。特に生きていることに引け目を感じていると。談笑しながらメシを食ってみたいか。俺がそういったものに執着していないのはそんなものが大していいものではないと体験しているからなのか。だとすれば俺はなかなかに恵まれている、特に孤立に対しての耐性があるという点では。布団にくるまったまま死ぬって一体どんな状況なんだろう。人が死んじゃうってそんな簡単なことじゃないとしても、簡単に生まれるから問題なんだろうな。孤立死は緩慢な自殺。自己責任論は社会無責任論というのは分かりやすい。自己肯定感の問題はなあ。なんともいえない。俺もそうだし、まったく自己肯定感が育っていない。self-esteemの問題ってなかなか分からない。社会との接点を見つける。稼働年齢層に働けっていうのは至極最もだと思う。物質的に充実していていれば、俺はほんとにもう黙っとくんだけど。生きづらさの臨界。愚痴が言える相手がいるってのが必要なのか。それこそ自分で作ってろよと自己責任論に転化されそうな条件に思える。コメントを見ても。貧困はお金がないってことじゃないにしても、俺にとってはお金がないことなのでお金が欲しい。しっかし、そうしてみると俺はお金さえあればいいんだから、運が良かったら人生まっとうできるかもしれないね。働きたくないでござる。人の役に立ててることが幸せの条件の一つ。人の役に立てなくてもダラけた生活ができればいいのだが。俺は自己責任論者にスルーされるくらいに見せかけの努力をでっちあげる必要があるな。それさえできれば、本当に俺は人生を手放すこともないかもしれないのに。
俺も東京に行きたい。東京に住みたい。地下鉄の階段にホームレスの巣窟がある。完全個室になっている段ボールがあって面白い。段ボールを持っていない人もいる。寒いだろうに。4時になったらシャッターが上がるのか。最大でも睡眠時間5時間くらいしかとれないのか。新宿中央公園で炊き出し。若者のホームレスが増加って、30歳が若者扱いになるのか。建築関係の派遣社員はきっついだろうな。俺も同じ境遇だからよく分かる。ネットカフェで寝どまりは騒音問題があるから俺には無理。残金が6円。こぎれいなホームレスだけどダサい。生活保護で8万円。低いね。簡易宿泊所を住所指定して生活保護を受給しているらしい。ヨシオ、ハローワークに仕事探しをしているフリをしにいく。生活保護のための実績作り。これ、叩かれるやつだ。都営のパス券も生活保護で貰えるらしい。炊き出し行脚なんてあるんかい。一月8万6千円。軽快なBGMでヨシオがサングラスを購入。くそダサい。センスがない。俺も叩きたくなってきた。エスニックレストランに行くヨシオ。1000円。まあ普通の値段だね。ヨシオこれによく出演したな。「生活保護は小遣い」っておいおい。そういう方向性の番組だったのか、これ。ヨシオ、すっごくチビ。次はコウジ。不況が悪いわけではなって。自分が戦うのは自分自身……あーこういうやつね。コウジ、背が高くてシャキッとしている。パチンコの清掃か。まあ楽ではないと思うけどあんまり精神はすり減ることはなさそう。つーかみんなスーツを着てホームレスやっているんだ。対極的な二人を見せるって番組構成だったのか。衝撃のラストwwwコウジが声優になってコブクロが流れたwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだこれwwwwwwwwwwwwwwwヨシオがただのクズになっちゃうじゃねえかwwwwww
70 ボンベイ(チベット自治区). 2013/02/04(月) 10:04:03.02 ID:ZhE+Y0pO0
・4人集うと、盛り上がる3人+黙ってる1人の構図になる
・声が小さいために「はい?」とよく訊き返される
・親戚一同と会いたくない。てか誰とも会いたくない。町中でも遭遇したくない
・声も指も震えてしまう
・接客された程度の会話ですら変な汗をかく
・飲みにケーション的なつきあい・会合が大嫌いだ
・クリスマスは毎年一人。もしくは集団の端っこ。イルミネーションは氏ねと思う
・電話やインターホンが鳴ると基本ビクッと怯える。そして居留守
・「もしかして怒ってる?」とよく言われるが、その実言葉足らずでコミュ障なだけ
・外に出るのが嫌でヤフオク・楽天amazon等ネット通販ばかりに頼っている
・外に出るときは帽子やマスク。マスクしないと超小心者になって落ち着かない
・電車内やホームでは携帯・スマホだけをいじって人目を遮断。無いときはタヌキ寝入り
・プレゼン・面接など脳内シミュではペラペラ、本番ではあうあう。変な空気に
・痛い失敗が多いので、必然的に無口に
・痛い失敗は夜とか不意に思い出して、もうくつがえせないから、うああああとなる
私はネトゲ(オンラインゲーム)が大好きで、建前上仕事を探しているという証拠作りのためにハローワークに行く時以外は、基本的に日中のほとんどの時間をネトゲに費やしています。
やらない人には理解しがたいかもしれませんが、ネトゲは他の複数の参加者とリアルタイムでコミュニケーションをとりながら進めるもので、一人が勝手な理由で中断すると他の参加者に少なからず迷惑がかかります。
私は生活保護の資格を持っているのでたまにケースワーカーが訪問してくるのですが、ネトゲをやっているときに来られると中断せざるを得なくなり、非常に迷惑しています。
仕事とは言えわざわざ来た人を居留守を使って追い返すのも忍びなく、今のところは、その都度中断して相手をしてやっています。
進学や就職で都会に出て暮らし始めると、個人情報が漏れて色々勧誘を受けます。
ということで多少情報は古いだろうけど書きます。何かの参考になれば。
※対象年齢:18歳から30歳過ぎくらいまで
引っ越しをすると、新聞の勧誘が来ます。なぜ引越しをしたその日にタイミング良く来るんでしょうね。大家や引越し業者が情報を流しているからです。ですのでその手の情報を流されたくなければ予め言っておきましょう。尤も、彼らは情報を流していると公言はしてませんし流しているという証拠を掴むのも困難でしょうが。
特に首都圏はひどいようですね。基本は居留守です。賃貸物件のドアにつけることのできるカメラ&モニターも出てきているので必要に応じて利用しましょう。万が一ドアを開けてしまった場合はいらない必要ないの一点張りで。相手の話を聞いてはいけません。「最近よその地域からの勧誘員が来ててトラブルになるから今のうちに契約しといたほうがいいよ」とか面白いこと言ってくるのもいますが無視。
大学生の人はもしかしてひっかかる人がいるかもしれません。わざわざ家に来てサークル勧誘することはおかしいと思いましょう。気持ち悪いのがにこやかに話しかけてきますが、勧誘に乗らないとわかると途端に態度を変えてきます。それに対して面白がって煽りを入れるのも面白いですがそれができる人はこんな文章は読まなくても大丈夫でしょう。うっかりここに電話番号を教えるとそれが色々な勧誘業者に拡散されます。
うちは新聞の勧誘も来なかった(無視した)し宗教のダミーも来てないよ!でも何故か知らない業者から変な勧誘電話が来ます。どうも自分の住所まで知っているようです。なぜなんでしょう?大学のサークルや会社の同期が作った名簿が漏れている可能性があります。
困ったものですね、いくらもらったんでしょうか。漏らした本人を特定することは難しいので吊るし上げることもできません。名簿に載せる情報には気をつけましょう。固定電話は捨て番号と割り切るか、固定電話代わりとしてプリペイド携帯を持つか(受信するだけならそれなりに安くあがります。SBが徐々に制度改悪してるけどね)。自衛手段を考えましょう。
固定電話は電話線を抜けばいいですし着信拒否もいいでしょう。しかしこの辺までくると、いくら田舎出の純朴な私やあなたも色々と慣れてきます。電話の会話を録音する機器を嬉々として揃える人も出てきます。これはこれで困ったものですね(別に構いませんし個々の判断でやればいいんですが)。何事もほどほどに。
今でも本屋いくと見かけますね。でも私はもう年を食っているので声はかけられません。自分がどのくらいの年齢に見られているかのベンチマークにもなります。抽選への応募と称して個人情報を聞いてきますがそれを教えると英会話の勧誘電話が延々とかかってきます。もちろん抽選になんて当たりません。
「あなたは○○に当選しました」「先日資料をお送りしましたが届いたでしょうか?」「つきましては説明会をするからどこそこのビルに来てください」とか言ってきます。「当選」というのは全プレのことです。自分が金銭負担をするところも含めてまさに全プレです、但し、その中身はあなたにとって欲しいものではありません。そこが違いますので注意しましょう。
また、資料なんてそもそも送っていませんし資料の存在自体がありません。「何月何日にどこの住所に送ったの?おたくの会社名と住所は?資料の中身は何?」とか聞いてみるとたまに面白い反応が聞けます。資料の存在自体がないわけですから。
で、こいつらは、たとえば鎌倉に住んでいる人に新宿まで来いとか面白いことを言ってきます。個性的ですね。
「ブライダル関係の展示会をやるのでなんちゃらホテルの会場に来てください」「アクセサリーに興味がありますか?」なんてものもあります。ガチャ切り&電話線抜きでいいのですが、疑問点や質問があったら聞いてみましょう。
「キミらのギョーカイって交通費やらの経費は全部自腹で、しかも人を騙して契約撮らないと給料ゼロって本当なの?ねえそれってすごい空しいよねマクドナルドでバイトしたほうがよっぽど儲かるじゃん?」と聞いてみると相手のおねえちゃんは途端に不機嫌になって「私はこの仕事好きでやってるしー。真面目に話ししないなら電話切りますね」と言ってもう話をしてくれません。「キミは『やりがいの搾取』をされているんだ!目を覚ますんだ!」と言おうとしたら既に電話は切れています。ああ、どうして騙されて搾取される犠牲者が後を絶たないのか(涙)。
余談ですが、この手のおねえちゃんに「質問」をすると「私はこの仕事を好きでやってる」ということを何回も繰り返し言ってきます。そう教育されているんでしょうか、そして自分でも必死になって暗示をかけているのでしょうか。
また、この手の電話がかかってくるのは大抵休日の昼間なのですが、アダルト動画の音声は切っておきましょう。あなたは休日に好きなことをして寛ぐ自由はありますが配慮をお忘れなく。勧誘電話をかけてくるのがウブなおねえちゃんの場合もたまにはあります。
街を歩いていると、一昔前のギョーカイ人ステレオタイプみたいな格好をした胡散臭いオッサンが話しかけてきます。誰このおっさん。
おっさんは「マーケティング」とやらをしているようです。「映画見るのと買い物するのどっちが好き?」と聞いてきます。どっちを答えてもルートは同じです。
そして、「マーケティングに協力してくれたお礼に割引カードをあげる」と言ってきます。気前がいいですね。そしておっさんは割引カードのパンフらしきものを出してこちらに見せてきます。パンフの「無料です」の部分を指して「声に出して読んでみて」と言ってきます。そういうプレイが流行っているんでしょうか。「声に出さなくても日本語は読めるよ、馬鹿にしてんの?」と無粋なことを言ってはいけないようです。
「無料」の部分を繰り返し声に出してカモに「無料」を印象付けるという基本テクニックです。「マーケティング」ってこういうことをやるんですね。
そして最後に「カードを渡すにあたりこの紙に署名して」と言って紙とボールペンを渡してきます。あれ?声に出して読みたい日本語はもう無いのでしょうか?でも紙には何か書いてあります。声に出して読んでみますと、カードをもらうにあたり私は5000円をおっさんに支払わないといけないようです。おかしいですね話が違いますね。「無料じゃないねこれ」「このマーケテングとやらをおっさんは誰に教わったの?」。
「物乞いするなら駅前でやったほうがいいですよ」とアドバイスをしてあげて歩き出すとおっさんはプルプルしながらこっちを睨み付けてきます。何かあったんでしょうか。
英会話とかブライダルとか、そういった勧誘電話は30才を超えたあたりから急にかかってこなくなります。街を歩いていても勧誘の人は声をかけてくれません。私は今も昔も私なのに。今までの喧騒が嘘のようです。っていうか年齢もいつの間にか把握されていたり、街を行き交う人の年齢も見て判断しているんですね。おじさんびっくりだよ。
人によっては、勧誘電話のあしらい方や遊び方が板についてきたあたりのいいタイミングでこの「終わり」を迎えます。残念ですか?
5年くらいが過ぎ、勧誘電話との戦いの記憶も薄れてきました。そんなある日、35才を過ぎたあたりで一本の電話がかかってきます。「不動産投資のお話なんですが~」。
俺たちの戦いはこれからだ! 第一部 完
僕は電話が苦手です。
元々、心配性で、「出るとき、鍵、ちゃんとかけたっけ...?」とか、「あんなことしたけど大丈夫かな...?」とか、表情に出すことはありませんが、常に様々なことで心配してしまいます。
その性格もあいまって、電話がかかってくる時は、「何かまずいことをしてしまったのではないか?」とか、「もしかして、あれ(自分の中で引っかかっていることなど)のことか?」とか、基本的に、マイナスの感情を思い浮かべてしまいます。
電話に出てみると、心配に及ばないことがほとんどですが、僕は常にマイナス感情ドリブンで電話を取っています。
頻繁に無意味な電話をかけてくる人には、「電話が苦手です。メールにしてください。メールであれば応答します。」という意思表示はしていますが、なかなか理解してもらえないものです。
心配性の僕には、メールを書くのがめんどくさいの一言で済まされてしまうには、ストレスがかかりすぎます。
一息付いてからなら、マイナスなことであってもしっかり取りかかれます。例えばメールだったら、用件を確認してから、落ち着いて取りかかることができます。
でも、「電話が苦手です。メールにしてください。メールであれば応答します。」と意思表示をしても、理解してくれない人は、大抵留守電は残しません。今までの経験で100%そうです。
メールが面倒という理由で電話をかけてくる人だからです。留守電を残すのも面倒な人だからです。
電話は突然です。
取るまで用件がわからず(くどくて申し訳ないですが、くだらない話をされるだけだとしても、僕はマイナス感情ドリブンで電話を取っています)、さらに電話に出ないことに文句を言われてしまうと、電話で用件を聞くことが、全てにおいて最優先になってしまいます。
一度、自分で落ち着ける時間があれば、優先度を自分で決定し、コントロールすることができますが、電話は常に優先度が最優先に設定されてしまいます。
電話は、こちらがどんな状況かはお構いましです。出ないことを批判されたら出るしかないし、100%割り込みのタスクです。
履歴が残らないし、割り込みが許容できないタイミングで出ても、タスク漏れを起こしてしまうこともあります。
だから、僕は相手に嫌われようと、居留守をします。多大なるストレスから身を守るためです。
「電話が苦手です。メールにしてください。メールであれば応答します。」と何度伝えても、理解してもらえないのは辛いです。
3分程度のメール送信の手間を省くために電話をしてくるのだと思いますが、マイナス感情ドリブンで電話を取る僕は、通信音が鳴るだけで緊張と心労がのしかかります。
でも、そうでない人の電話は居留守します。上述の理由からです。
そういう人もいるってことを、ご理解いただけると嬉しいです。
携帯電話なんて、家族・恋人・友人感だけのものであればいいのに。
この文章に共感できる人がいたら嬉しいな。
まだ見たまま「手直ししないと不味いですよ」と言って来る人はまし。
「どこですか?」と聞いても、
「簡単には説明できないんです。玄関先まで出てもらえますか」
当然のように言うから「じゃあ説明要らないです」で終わらせているけど、なかなか引き下がらない人もいる。
あと近くでと言っても、どこの誰というぐらい遠い。
何度も来たり、中には粗品があるから手渡ししたいと言う人もいる。
「これ(粗品)を渡さないと上司に怒られるんです。お願いします」
頼み方としてはまだ上手だと思う。変に同情した。
逆にむかついたのが言ってる事は一緒だけど、「ポストに入れといてください」と言うと、
「上司に言われているから、手渡ししないと駄目や言ってるだろ」と怒鳴ってくる人もいた。
居留守が一番だけど、田舎だから玄関開けてたら、普通に入ってくる時もある。
当り前のように、玄関まで出て来いと言われるのが嫌。
別にいじめられたから、とかじゃないんだけどさ、
学校に行けてなくて。
前は進路すら決まってなかったからひどかったんだけど、
今はとりあえずこのままでいいよって言われて安心した。
友達から心配してるよってメールがくるんだけど、
返信できなかった。
なんかよくよく考えてみると本当に友達なのかなって疑問がでてくる。
お互い友達だって言ってみたって内心どう思ってるかなんて分かるわけないし、
もしかしたらこいつと付き合うのめんどくさいなんて思われてるかもしれないし。
でさ、そんなこと思ってたら恐くなるんだよ、
このメールをこんな風に返したらどう思われるだろう、うざく思われるかもしれない。
むしろ返さないほうが無難なんじゃないかな、
たまに電話もくるけど何話せばいいのか分からず、結局居留守使ったりして。
全部下書きに保存されたまま。
いざ送ろうってなってもやっぱり送れなくって、
だから自己解決するしかないんだけど、
自分のことがよく分からないから解決のしようがないから、
少しそれを躊躇っちゃう自分がいて。
でもやっぱり言わなくてもいいやなんて思いたくないから、
すこし考えて納得できれば言ってみたい。
そういう馬鹿親は以下の通り突っかかってくる。
「いやあ押したんですけどダメっぽいですね」
「昨日から壊れててダメなんですよ」
「今修理中なんです」
「本当に?嘘付いているんじゃないでしょうね?」
「子供が発信できるっていってるけど?」
「留守番なんでわかりません」
「(近所だから)この家の人だって知ってるよ」
家に入ろうとしたら
「今家の消毒中or改修中で、中に入れられないんですよ」
「そんな臭いしないけど?」
「すいません、今天ぷら揚げてるんであとにしてください」
「一旦火を止めてボタンを押してちょうだい」
あとは居留守。
「居るのはわかってるよ!しらじらしいわね!」
色々なコンプレックスを抱えながら生活してきた。
ニートをこじらせていた時期もあった。
いや、ニートを飛び越え、ヒッキーにまでクラスチェンジしていた。
基本スペックは、
人と関わるのはひどく疲れるので、最小限の人間関係しか築かない。
携帯の着信履歴もここ数ヶ月無い。
今思えば、目立ちたがり屋で、仕切りたがり屋で、見栄っ張りなナイスガイだったと思う。
そこそこモテた。
人生の絶頂期。
そして中学へ進学。
小学生の頃と比べると若干影が薄くなってはいたが、そこそこの存在感を出すためがんばって見栄を張っていた。
そんなある日、面識の無い学生に話しかけられた。
たわいのない話だった。
「はぁ!?」
周囲に存在感を示すため、粋がっていた私はそう返した。
面識の無い学生は、わたしに殴りかかろうとしていた。
面識の無い学生のツレがそれを止めてくれた。
なんとかその場はおさまった。
・・・・ここから地獄が始まった。
「生意気な奴だ」
わたしの名は、同学年のヤンキー共に知れ渡ることとなった。
数々の嫌がらせ。
部活のランニング中、硬式ボールを顔面に投げられ危うく大惨事に。ということもあった。
呼び出してリンチ。なんて話も聞こえてくるようになった。
俗に言うイジメというやつだ。
恐怖にかられたわたしは、愛書「ろくでなしブルース」を擦り切れるほど読みつくし対応策を練った。
またジャンプの最後のほうについてる「2週間で強くなれる!」とかいう通販に手を出したこともあった。
そして天パをからかわれ、わたしは始めて天パを意識した。
朝はブローに1時間ほどかけ、チン毛を伸ばした。
汗をかくとチン毛に戻るので、部活も行かなくなった。
さらに、毛深いことを笑いのタネにもされた。
そんな中学1・2年を過ごしていた。
だが中学3年になると、徐々にわたしに対する嫌がらせは減っていった。
ヤンキー共の攻撃対象は、別のチン毛君に移っていた。
安堵した。
だが、いつ何時攻撃の対象に晒されるか分からない。
ヤンキー共と仲良くなる。
これが当時の私が出した結論だった。
一見すると友達のようだが、対等な立場ではないパシリ的な存在になりさがる。
殴られ、からかわれ、家に遊びに来ると物品が盗まれる。
そして逃げるように、ヤンキー達の手の届かない偏差値の高校へ進学した。
恐怖と緊張の毎日だった、中学生活とはうって変わって平凡な高校生活が待っていた。
男子校だったので、恋愛とは無縁だったが平和で落ち着いた日々が戻ってきた。
バイトなども始め、徐々に友達も増えた。
そこそこ楽しい日々だ。
だが、中学時代のヤンキー共から再び呼び出されることが多くなった。
殴られ蹴られエスカレートしていった。
夜中、一晩中殴られていたこともあった。
素っ裸にされ殴られたこともあった。
小学校時代の友達の前で殴られていたときは、言いようの無いみじめさだ。
昔好きだった子の前でなんて時もあった。
自宅の電話が鳴るのが怖くてしょうがなかった。
そして私は決心した。
これまでの交友関係は捨てる。
一切の電話に出ないようした。
格好悪いが逃げ回ることにしたのだ。
家まで来ることもあったが居留守を使ってやり過ごした。
バイト先に来たときは、心臓が縮みあがったが、何とか隠れきった。
そして、日本でトップクラスのFラン大学に合格した私は故郷を捨てた。
大学生活は平穏だった。
Fラン大学ゆえ、日本屈指の学生が集まっていたが、大学でのイジメは見たことも聞いたこともなかった。
イジメという恐怖から完全に開放された。
バイト関係の合コンが2,3度あった。一度もうまくいったためしはないが。
カラオケにも行った。
ユニコーンの「大迷惑」を歌った。
空気が重くなった。
「・・・ホント大迷惑だよ・・・」と言われた。
バイトをやめた。
それ以降、人前で歌ったことは無い。
2年に進級するとき、大学の友達は1人だった。
3年に進級するとき、その一人の友人は退学した。
大学に誰も知り合いがいない状況となった。
4年になると就職活動をしなければいけなかった。
「どもり」持ちである私は非常に憂鬱だった。
「え・・ぇえーーぇ、え、ぇーーえ、Fラン大学から来ました。ぁあ、まぁー、まー、増田です」
そしてこの時期、童貞を捨てた。
サイコーの腰使いだった。
FF11の廃人ギルドに入り、寝る、食べる、排泄、シコる、ゲーム以外の行為を行うことが無くなった。
そんな折、数少ない知り合いから運良く就職の話をいただく。
ニート生活丁度1年目のことだった。
デキちゃった婚だった。
だが仕事上、経験を重ねるごとに人前で話すことが多くなってきていた。
そして「どもり」が自分の中で大きな問題になった。
もうこれ以上は無理だ。転職しよう。
プログラマーになった。
これで人前で話すことは無いはずだ!
しかし、電話番をまかされることになった。
「ぁ・・あぁはあ、は、はあーはー、あー、はい。ま、まぁー、まー、増田株式会社です」
1年で転職した。
「たった一年でやめやがって」と思われそうだが、地獄のような1年をよく耐えたと思う。
そこそこ平和だった。
だが、プレゼンをやることになった。←今ここ
「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」とコンプレックスが多い人生だ。
だけど「どもり」は別格。
「どもり」がある以上、仕事は制限され、恥をさらしてしまう恐怖に一生晒される。
おそろしす。
買う訳ねーだろボケ。マンションとか投資用不動産とかをさ。電話でさ。
そもそも技術部署の直電に俺宛の知らない企業知らない担当者からの電話なんてほとんど来るはずねーから、取り次がれた時点でもうセールスの確率99%でげんなり
社名名乗られた時点でgoogleで「迷惑電話」のキーワードでAND検索してる
でるわでるわ
それでも居留守使わないで出るのは、電話番の子の初々しい声で嘘をつかせるのが嫌だからに過ぎない
だからこっちから言う
「展示会等でお名刺差し上げたことないと思うのですがどなたからのご紹介で?なにか弊社の技術がお役に立てることがおありでしょうか」
そこで大体不動産のごあんないですとかいうので
「わたくしは不動産に興味はありません。技術に関するご相談など有りましたらまたお電話ください」
といって切る
ええと今何をどこまで進めてたっけ
一昨年の今頃、夫(当時61歳)の肺ガンが発覚した。
夫には姉(当時73歳)がおり、玄関と廊下だけ共有している二世帯住宅で同居していた。義姉はマイペース(というか、回りを見てない)な人でいろいろと軋轢はあったが、夫の入院まではなんとかうまくやっていたと思う。
さて、夫が「余命半年から一年」と診断されて、夫の親近者が主治医の先生の説明を聞きに行くことになった。夫の父親は夫が15歳のとき、母親は夫が28歳のときに他界されており、ほかに近しい親戚と言えば、もう義姉しかいない。当然、声をかけた。
「ガンがどんな病気だか知ってるから聞かなくていいわ」と断ってきた。こんなときまでマイペースな人だと思った。
しばらくすると「申し込んでいるツアーに出かける」と言い出した。3週間の海外旅行である。
「まだ大丈夫なはずですが、半年と言われて三日で亡くなった方もいらっしゃいますよ? 帰ってらしたときはお骨になっているかも知れませんよ?」と念を押したら「どうせ、間に合うようには帰って来られないから、弟が死んでも連絡しないで」と言う。このときもまだ私はマイペースな人だと思っていた。
「毎日、何してるの?」と訊く。繰り返すが夫は肺ガンの末期で入院加療をしているのだ。しかも、義姉は「それがどういうことだかわかってる」と言ったのである。
「寝てるよ」と夫が短く答えると。
「あら、毎日ゴロゴロ寝てられていいわね」と言い放った。
実は義姉は5年前にも入院した伯母のところに見舞いに行き同じことを言って病室を追い出されたことがある。伯母から義姉を口汚く罵る怒りの電話がかかってきたので私は知った。うちと義姉とは電話番号が違うので、義姉の許可を取って義姉の電話番号を教えた。伯母の怒りはおさまらず、1週間ほど義姉の電話が鳴りっぱなしなのが、壁のこちら側にも聞こえてきた。
あんなに怒られたのに病気で寝ている人間に「いいわね」などと言ったら神経をさかなでするということを覚えていなかったのだ。
このときを境に、夫は義姉の見舞いを嫌がるようになった。
4カ月経って、一度危篤状態になり、私は病院に泊まらせてもらった。一カ月後に、いよいよ、もうダメなので会わせたい人は呼んでくださいと主治医の先生に言われたとき、私も夫も義姉はいらないと思っていたのだが、私の母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あんたは血の濃さをわかってない」とゴリ押ししてきて、義姉を呼んだ。
最後の対面となる。
その席で。
「増田(私のこと)がろくに家事をしないので、家の中がグチャグチャだ。なんとかするよう言ってやって」と言ってきた。
散らかっているのは、主に、義姉さんの荷物ですけど、と思いはしたが、まさか、たった一人の肉親との今生の別れのときに、ケンカを買うわけにもいかない。黙っていたら「あれも出来ない、これも出来ない、子供もひどい」とさんざん言い出した。
最後には夫が「もう黙れ。出て行け。二度と来るな」と怒鳴りつけて、ようやく口を閉じたのだ。
200909101314追記。
夫亡きあと(あれだけのことをしたのだから、当然出て行くつもり)だと思っていた思惑を外されまして。家庭裁判所にまで持ち込んで騒いだ挙句、「私は義姉が、75歳のお年寄りで年金暮らしの弱者であることを考慮して、死ぬまで私の家に住み続けることを認める」「義姉は玄関を分ける費用を出して、増田(私のこと)と増田の家族に今後いっさい干渉しない」と文書を交わして取り決めました。
ところが、昨日から、義姉は在宅している(洗濯物を干していたり、夜電気が点いていたりするのでわかります)にも関わらず、郵便屋さんが届けてくれる荷物を受け取ろうとしないのです。一昨日、うちのポストに入っていた不在票を義姉のポストに入れなおしたので、不在票を見て郵便屋さんに連絡を入れた上で、居留守を使っているのだと思います。他人に迷惑をかけ続ければ、私が折れて、また、夫が生きていたときのように義姉の召使をすると思ってるんでしょう。たぶん。今までのいろいろな経緯を考えると。
その手にのるか。とは思うのですが、なんの関係もない郵便屋さん(三回来てます)にご迷惑をおかけするのも心苦しく、一昨年の義姉の仕打ちを思い出して(ここで折れてはならない)と心に言い聞かせていたところ、ふとしたはずみに、また母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あの人だって決して嫌がらせしたわけじゃない。あんたはどこまで依怙地になるの」と言われて、頭に血が昇ってしまったので、このエントリーに吐き出せてもらいました。
ここまでされたら、通常、縁を切るってと、何度も母には言ってるんですけど理解してくれないんです。自分は兄弟と仲良くしているから、血が繋がっていても情が湧かない人が存在するということが理解できないんです。
その母ももう83歳で、まだ食事の支度はしていますが、ほかのことは私が援助している状態なので、そんな言い合いを続けているわけにはいかないんです。増田があって良かった。ここに書き込めたおかげで、また、母とは穏やかにやっていけそうです。
ちなみに、私は47歳です。夫と16歳違うんです。年々歳が近づいていくのが寂しいです。
夫は最期まで元気でした。若いとなかなか弱らないそうです。助からないと決まっているのなら、早く楽にしてと思う反面、元気そうに見える夫を見ていると奇跡が起こるんじゃないかと期待してしまったりして、いろいろしんどかったです。
今は元気です。義姉には関わらないように生きていこうと思います。
ありがとうございました。