色々なコンプレックスを抱えながら生活してきた。
ニートをこじらせていた時期もあった。
いや、ニートを飛び越え、ヒッキーにまでクラスチェンジしていた。
基本スペックは、
人と関わるのはひどく疲れるので、最小限の人間関係しか築かない。
携帯の着信履歴もここ数ヶ月無い。
今思えば、目立ちたがり屋で、仕切りたがり屋で、見栄っ張りなナイスガイだったと思う。
そこそこモテた。
人生の絶頂期。
そして中学へ進学。
小学生の頃と比べると若干影が薄くなってはいたが、そこそこの存在感を出すためがんばって見栄を張っていた。
そんなある日、面識の無い学生に話しかけられた。
たわいのない話だった。
「はぁ!?」
周囲に存在感を示すため、粋がっていた私はそう返した。
面識の無い学生は、わたしに殴りかかろうとしていた。
面識の無い学生のツレがそれを止めてくれた。
なんとかその場はおさまった。
・・・・ここから地獄が始まった。
「生意気な奴だ」
わたしの名は、同学年のヤンキー共に知れ渡ることとなった。
数々の嫌がらせ。
部活のランニング中、硬式ボールを顔面に投げられ危うく大惨事に。ということもあった。
呼び出してリンチ。なんて話も聞こえてくるようになった。
俗に言うイジメというやつだ。
恐怖にかられたわたしは、愛書「ろくでなしブルース」を擦り切れるほど読みつくし対応策を練った。
またジャンプの最後のほうについてる「2週間で強くなれる!」とかいう通販に手を出したこともあった。
そして天パをからかわれ、わたしは始めて天パを意識した。
朝はブローに1時間ほどかけ、チン毛を伸ばした。
汗をかくとチン毛に戻るので、部活も行かなくなった。
さらに、毛深いことを笑いのタネにもされた。
そんな中学1・2年を過ごしていた。
だが中学3年になると、徐々にわたしに対する嫌がらせは減っていった。
ヤンキー共の攻撃対象は、別のチン毛君に移っていた。
安堵した。
だが、いつ何時攻撃の対象に晒されるか分からない。
ヤンキー共と仲良くなる。
これが当時の私が出した結論だった。
一見すると友達のようだが、対等な立場ではないパシリ的な存在になりさがる。
殴られ、からかわれ、家に遊びに来ると物品が盗まれる。
そして逃げるように、ヤンキー達の手の届かない偏差値の高校へ進学した。
恐怖と緊張の毎日だった、中学生活とはうって変わって平凡な高校生活が待っていた。
男子校だったので、恋愛とは無縁だったが平和で落ち着いた日々が戻ってきた。
バイトなども始め、徐々に友達も増えた。
そこそこ楽しい日々だ。
だが、中学時代のヤンキー共から再び呼び出されることが多くなった。
殴られ蹴られエスカレートしていった。
夜中、一晩中殴られていたこともあった。
素っ裸にされ殴られたこともあった。
小学校時代の友達の前で殴られていたときは、言いようの無いみじめさだ。
昔好きだった子の前でなんて時もあった。
自宅の電話が鳴るのが怖くてしょうがなかった。
そして私は決心した。
これまでの交友関係は捨てる。
一切の電話に出ないようした。
格好悪いが逃げ回ることにしたのだ。
家まで来ることもあったが居留守を使ってやり過ごした。
バイト先に来たときは、心臓が縮みあがったが、何とか隠れきった。
そして、日本でトップクラスのFラン大学に合格した私は故郷を捨てた。
大学生活は平穏だった。
Fラン大学ゆえ、日本屈指の学生が集まっていたが、大学でのイジメは見たことも聞いたこともなかった。
イジメという恐怖から完全に開放された。
バイト関係の合コンが2,3度あった。一度もうまくいったためしはないが。
カラオケにも行った。
ユニコーンの「大迷惑」を歌った。
空気が重くなった。
「・・・ホント大迷惑だよ・・・」と言われた。
バイトをやめた。
それ以降、人前で歌ったことは無い。
2年に進級するとき、大学の友達は1人だった。
3年に進級するとき、その一人の友人は退学した。
大学に誰も知り合いがいない状況となった。
4年になると就職活動をしなければいけなかった。
「どもり」持ちである私は非常に憂鬱だった。
「え・・ぇえーーぇ、え、ぇーーえ、Fラン大学から来ました。ぁあ、まぁー、まー、増田です」
そしてこの時期、童貞を捨てた。
サイコーの腰使いだった。
FF11の廃人ギルドに入り、寝る、食べる、排泄、シコる、ゲーム以外の行為を行うことが無くなった。
そんな折、数少ない知り合いから運良く就職の話をいただく。
ニート生活丁度1年目のことだった。
デキちゃった婚だった。
だが仕事上、経験を重ねるごとに人前で話すことが多くなってきていた。
そして「どもり」が自分の中で大きな問題になった。
もうこれ以上は無理だ。転職しよう。
プログラマーになった。
これで人前で話すことは無いはずだ!
しかし、電話番をまかされることになった。
「ぁ・・あぁはあ、は、はあーはー、あー、はい。ま、まぁー、まー、増田株式会社です」
1年で転職した。
「たった一年でやめやがって」と思われそうだが、地獄のような1年をよく耐えたと思う。
そこそこ平和だった。
だが、プレゼンをやることになった。←今ここ
「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」とコンプレックスが多い人生だ。
だけど「どもり」は別格。
「どもり」がある以上、仕事は制限され、恥をさらしてしまう恐怖に一生晒される。
おそろしす。