はてなキーワード: 女性嫌悪とは
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女を落とすような女。ゲス女なんてそういう女。広まったって女の地位も知能も上がんない女であることを利用した公開オナニー。
僕が見たいのは、「そこそこの女」としてのマスターベーションじゃない。
と荒ぶっているけれど男と女を入れ替えただけで青二才の話になってしまうことに気づいてしまった……
男を落とすような男。ゲス男なんてそういう男。広まったって男の地位も知能も上がんない、(非モテ)男であることを利用した公開オナニー。
ホント青二才はなにはなくとも味噌るのだけやめて欲しいんだよね。
青二才が男女論語るとすぐに劣等感むき出しのミソジニーになるから。何度も言われてるのにそれを認めようといないでいつまでも言い訳して続けてるんだからお前こそオナニーだろっての。
で、僕はミソジニーじゃないって喚いてるけどお前の主観関係ないから。定義上ミソジニーにあてはまる行為やってるからミソジニーって呼ばれてるだけだから。
ミソジニー (英: misogyny) とは、女性に対する憎しみや軽侮、女嫌い(おんなぎらい)や女性嫌悪(じょせいけんお)のことである。
自分は女性より弱いから女性嫌悪を示してもミソジニーじゃないっていう青二才独自の定義全く意味が無いってことにいつになったら気づくんだよこの学習能力ゼロのブーメラン男は。
・ 青二才はミソジニー発言なんてしてない。言いがかりはやめろ
・ 青二才は劣等感の塊で全方位ルサンチマンの闇ブロガーだからミソジニーだけ問題にするのはおかしい
みなさんはどれだと思うかブコメで書けばいいと思うよ。
同人誌でもプロレスでもいいんだけど、コミュニティが面白くて安定していて(=内部の人間関係がよくて)閉鎖的(=新規参入者が少ない)状況の時、新規参入者を歓迎しないっていう風潮があるよね。
新規参入者が一定の割合(10%とか?)以下ならいいんだけど(うんちく語って先輩風孵化してドヤ顔だよね)、一定の割合を超えて一気に流入すると、自分たちが今まで作ってきた雰囲気や文化が壊れるので、新規参入者に否定的になる。まあ、ただの派閥問題なんだけどさ。
最近だとラブライブで「アニメから入った新参は情弱なので黙ってろ」みたいな言説も見た。
(こういう風潮はコミュニティの存続にマイナスだと思うけど、その話は今回脇道なので横においておく)
思うんだけど、社会において女性差別だとか蔑視って言われている者の幾割かは、この「新規参入者に対する嫌悪」なんじゃないかなあ。
一般社会、特に職業や職場においては、男性構成員がその文化を作ってきたので、そこに「新規参入者(=女性)」が入ってきて軋轢が生まれてることが結構あるんじゃないかと思うんだ。
この場合ポイントは「女性が入ってきたから反発してるわけじゃない」ってこと。
ホモソーシャルかよ死ねって思うかもしれないけれど、旧コミュニティメンバーの根底にあるのは「俺たちのコミュニティの雰囲気を一方的に変えるなよ」とう既得権益意識なんだ。
(弁護してるわけじゃなく、そういう意識のあるコミュニティは少なくないという話ね)
たまたま女性の集団が入ってきたとき問題が顕在化して昨今ではそれが報道されることが多くなった。
けれど、その集団は例えば一回り違う若い社員が20人いっぺんに入ってきた場合であっても、「あいつら酒もたばこもやらないし就業時間以外はこっちの話聞かないし」「おれがパチンコの話振ってるのに生返事だし」「向上心もやる気もないし出ていってほしい」などと、やっぱり反発して軋轢を起こすんじゃないかな。
「女が出しゃばって」っていう言葉は「新参者がでかい顔をして」と同じ意味である場合が少なくないと思う。
もちろん、だから許せとか放置しろとか、そういう話ではないよ。
でも、女性嫌悪と新規参入者嫌悪は(表面上全く同じに見えたとしても)違う問題だから、それぞれに対応した対処を考えないと、問題が複雑化しちゃうよねとは思った。
ミソジニー (英: misogyny) とは、女性や女らしさに対する憎しみや軽侮である。 女嫌い(おんなぎらい)や女性嫌悪(じょせいけんお)ともいう。 女性を憎んだり蔑んだりする男性をミソジニスト(misogynist)と呼ぶ。
対義語には、「男性や男らしさに対する憎しみや軽侮」を意味するミサンドリー(英:misandry)と、「女性や女らしさに対する愛しみや崇敬」を意味するフィロジニー(英:philogyny)の二つがある。
多かれ少なかれ女性に対しての嫌悪が皆無の人はいません。嫌悪感を抱くなと言っているわけではありません。おk?
では問題になるミソジニーとはなにか。以下の3つを同時に満たす場合などは「問題のあるミソジニー」であると言えます。おk?
・「公の場」でその嫌悪を表明すること
更に、ミソジニーを指摘された時に「女性が悪い」と主張するのは無意味です。ミサンドリやフェミニズムの稚拙さをいくら指摘しようとも、今問題になっているのはその人がミソジニーであるかどうかです。いくら女性批判やフェミニズム批判をしてもその人がミソジニー的な発言をしていたらミソジニーです。おk?
大学進学と共に県外に出てバンドサークルに入って、ある意味大学デビューしたことでスクールカースト最底辺の気持ちを共有できる仲間に何人か出会った。先輩にもいたし後輩にもいた。意外に思うかもしれないがバンドやってる人間には一定の割合でこういう人間も存在する。もちろんいろんな人がいるけど。
それで感じたのはその多くが大人になってもスクールカーストを心のどこかで引きずっていることだ。「イケてる奴ら」に対するルサンチマンを持っててそれをまるで自分のアイデンティティのように感じている。
僕も劣等感とルサンチマンの塊みたいな人間で、何年経ってもなんだか満たされない違和感を感じてる。自分を好きになれないし、自分も自分の将来も肯定的に見ることができない。嫉妬とか妬みとか女性嫌悪とかで息苦しい。
普通以上のカーストに属する普通の学校生活ってのがどういうものなのかいまいち想像できない。不良に肩パンされたり意味もなく蹴られたり、笑いものにされたり、10代そこらで自分のヒエラルキーとか程度ってものを骨身にしみて理解してしまった。
今年の初め、絶対に誘われないと思ってた同窓会に誘われた。地元にいないのでいけないことを伝えると「そっか。また誘うわ」とのこと。自分らだけまともに大人になってんじゃねえ。
ダメさと魅力を両方持ったキャラ同士のストーリー性のあるエロを読みたい
凡人と完璧超人異性の組み合わせはもう飽きた
腐女子:名誉男性の母親から「女は嫉妬深く非生産的、世の中は男が回している」「オシャレはバカ女のすること」という教育を受け、灰色やカーキ色のユニクロしか着られないオシャレコンプレックス女。女なのに女性嫌悪。小学校高学年で腐を発症して以来、大学生になるまでBL依存。
百合厨:運動音痴と虚弱な身体のせいで、男子から下に見られ女子から無視されてきたのがコンプレックスの男。いじめっ子への嫌悪感と自己嫌悪によって「男は汚くて臭くて乱暴」というイメージを持ち、美しい世界を百合に求める。
共に「自分の性別は醜い性別、異性は清らか」という強烈な思い込みを持っている。腐女子は「BLは醜い自分と関係ないから素晴らしい」と思っているし、百合厨も「百合は醜い自分と関係ないから素晴らしい」と思っている。そんな二人が大学のオタクサークルで知り合って、お互いに性的に惹かれてしまったら自己嫌悪が凄そうでよい。
セックス依存症男:両親に構ってもらえず、学校で必死に注目を集めようとした結果、常に何らかのキャラを演じるようになった男。相手が求めるキャラを察して演じ分けるためモテる。しかしキャラを演じて居ない素の状態を見られて振られると自我が崩壊する気がして恐ろしく、恋人など継続的な関係が築けない。
学者女:学者ばかりの家系に育ち、他の選択肢を考えず学者になった女。会話の雰囲気を読み取るのが下手で、察しが悪いと言われることが多く、周囲からなんとなく距離を置かれている。特に子供とは会話が成立しない。
コミュ力が並外れて高い男と、ゼロに等しい女の組み合わせ。学者女が本を出すことになり、セックス依存症男が編集者として出会う設定など面白いと思う。セックス依存症男が学者女と関わる中で己の依存症を問題視するようになりセックス断ちを目論む中、学者女がセックス依存症男に対して性欲を覚えはじめて困惑したりなどすると大変こじれてよい。
中学生向けカルチャーと言えばボーカロイド、ライトノベル、アニメになってしまい、明るいノリのヤンキーも楽しんでいる。自分たちは頭のレベルが違うんだセンスが違うんだと思いたいある中学生男女は、古典文学を教室内でこれ見よがしに読んでいる。そして共に図書委員になり、おすすめの小説を貸しあうようになる。古典文学、芸術、を隠れ蓑にして、性的な内容を含む小説のやり取りもするようになる。表面的には動揺を見せず感想を述べ合う二人。
女性向けモバイルウェブサービスの改修を手がけることになり、クソコードに手こずるSE男とデザイナー女の共闘。デザイナー女は彼氏持ちで可愛く、ややサブカルスイーツ臭。SE男はインターネットアニメ評論家。ブラック労働でデザイナー女が彼氏に振られ、半分ヤケクソで仕事に打ち込むようになり接近する。泊り込み仮眠などがイベント。性交とそれぞれの転職成功がゴール。
だんだん雑になってきたけど例に挙げたものの共通項って伝わってるかな
こういう誰が見ても「めんどくせえなあ」ってなるようなエロが読みたいんだよ
お約束の如くグチャグチャとなったコメント欄を含め、ざっとまとめてみた。
【前提】
【推論】
推論のうち、どれかひとつだけで説明できる、というものではないだろう。後藤寿庵氏ほか「表現の自由」を守るためオタクには左翼政党を支持してもらいたい、と考える人は、これら複数を同時に対策していかねばならない、と思う。
横だけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャル (Homosocial) とは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと。それ自体同性愛的なものでありながら、男性同性愛者を排除し、異性愛者同士で閉鎖的な関係を築く。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている
どうみてもお前がwikipediaを読むべきだと思うぞww
「名のある」人なのに「誰だったか・・・」思い出せないなんて!……まさかとは思いますが、この「名のあるフェミニスト」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
まーネットに溢るるクズみたいな女性嫌悪発言にマジレスしてやるけどさー、「性犯罪は女性的なるものに対する犯罪」なんて発言、発想は「ぼくのかんがえたひどいふぇみにすと」が脳内に巣食っているあほチンがぐらいしか思いつかないと思うんだよねー。なぜなら性犯罪は男女間のみに起こるものではないから。性犯罪。精被害について少しでもまじめに考えたり学んだりしたことのある人なら知ってるっつーか学ぶことだから。夏休みだねー。
3つめだけわかる。
消臭剤のCMで、「夫のクローゼットは臭い」といった内容。実態以上に男性に対する侮辱だと思う。
家庭内における父親の居場所をなくすうえ、子どもに対しても父親の地位低下をきたす恐れがある。
そもそも、
女性や妻をいじめるような表現は女性差別とか蔑視になるし見てるほうも気分が良くないからと
男性や夫をいじめるような表現と言うのが社会には増えている。CMにも顕著。ずっと前から。
男性は相対的強者だからいじめてよい、という理屈があるんだろうけど
いい加減あれだって差別や蔑視に繋がるし、裏返した差別も差別だと思う。
見てる男性の中でも繊細な人の心には女性嫌悪や女性敵視が湧きかねないと思うんだけど。
フィクションでも女性が男性を無意味にぶちのめすような描写が多くて
(シリアスな敵対関係やSMのような情緒的関係があるなら必然だけどそうではない)
あれは「女性差別避け風潮」の中で育ったクリエイターが過適応してああいう作品が出来てきてる。
つまり
誰かをいじめることで間を持たすような作り、というのを放棄すればいいだけなんだけど。
それは男子に2年間いじめられ続けた結果、男が大嫌いになったってことだったんだよね。
で、ああいうくだらないことしてくる連中とは関わりたくない!って前々から宣言してて、
高校のときに会った女の子は、通学の電車内でスカートの中を盗撮されて泣き寝入りし、
私が知ってる男性嫌悪の人って、男性から何かしら嫌な目やら怖い目に遭ってる人なんだよね。
実害。
ある一人の男性から嫌なことされたからって、男性全部が悪いわけではないから、
行き過ぎた考えだなあとは思うんだけど、怖くなってしまう気持ちもわからなくは無い。
女の集団にいじめられて怖い思いしましたってことだったら女嫌いになるのもわかる。
でも大半の非モテミソジニーは、別にいじめられてなかったりする。
ただ女たちから恋愛対象に入れられなかったってだけ。実害はない。
で、美少女ゲームの美少女キャラのようにリアル女が媚びてこないからむかつく、三次元女死ね、ってなってる。
http://anond.hatelabo.jp/20100520011732
元増田です。
そうですね。ご指摘のとおりです。確かに変なことを書いていました。ホモソーシャルと「通常の性欲」を逆接でつなぐのは変ですよね。そこは訂正させてください。その上で、
真に価値があるのは男どうしの付き合い。
という価値観はまさに私の持っているものであります(結婚して家庭を持ちたいというようなことは別とすればの話ですが)。そして、「真に価値があるわけではない」女性との関係がうまくいかないことに悩んでいるわけです。
その理由は、いわゆるミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)が強すぎるからなのか。そうであるならば、いったいどうすべきなのだろう?私と同じ悩みを持った人っていないのだろうか?
あと思うのは、私が苦しんでいる理由としては、ホモソーシャルとかミソジニーとかそういう概念を持ち出すまでもなく、女性って男性とは考え方が違って話が合わないものなのじゃないかと思ったりするのです。それを「女なんて馬鹿なんだから適当にうまくやればものにできるんだよ」というように表現する男もいる。あるいは「男は論理的にものを考えるが、女は感情で動いている」というのもよく言われることです。それは「女は頭脳のレベルが低い」ということと通じる考え方ですよね。こういう書き方をすれば女性から反論・非難が浴びせられるのは目に見えていますが、実際のところはどうなのでしょうか。私と同じような苦しみを抱えている人も多いと推測しますが、それは男女の考え方・感じ方の違いからきているのか。そしてもしそうであるならば、解決方法はあるのか。
まとまりがない文章になって恐縮ですが、苦しみの原因として考えられるものとして最後にもうひとつ提示させてください。
「性」というものから見た男女の違いです。女性は「与える性」であり、男性は「与えられる性」である、ということです。女性は「価値」を持っており、男性はその「価値」を欲しいと思っている。
むしろ大半の女にとってセックス可な対象って、オプトイン形式だと思うのだよね。
デフォルトではみんな不可。妊娠のリスクを負ってもいいかもと判断できたら初めて対象になる。
逆に大半の男にとってはセックス可な対象はオプトアウトなんじゃないか。
デフォルトはみんな可だけど、面倒そうな相手だなと思うとこの人は不可と考える。
という説明をしてくださった方がおられますが、その考え方に近いものです。ただ私の場合は「リスク」というよりも、「価値」を重視します。男性の方に想像していただきたいのですが、自分が女性であって「性的に非常に大きな価値を持った存在」であり、異性である女性がその「価値」を求めて言い寄ってくる。そういう場面を想像してみれば、自分にとって多くのもの(楽しみ?お金?愛??)を与えてくれる一部の男性だけを相手にし、それ以外の男性からは話かけられてもほとんど相手にしない、そういう戦略をとるということがありえるのではないか。異性から言い寄られることで自分の自尊心を担保することができるという「恋愛の担保的機能」を重視すれば、価値の低い異性は無視というのが合理的ではないか。担保は一定以上の量は必要ないものですから。そのように考えれば、女性は馬鹿だなんてことを言わなくてよくなる。「女性も合理的に行動している」と言える。
書いていて自分でも何がなんだかわからなくなってきました。申し訳ないです。私がそもそもこのトピック(?)を立ち上げた動機は、「私の悩みを聞いてください」ということだけではありません。非モテと呼ばれる問題(「非モテ」の定義についてなどは詳しくないのですが)などで苦しんでいる多くの人たちみんなの役に立つ議論を展開するきっかけを作りたいと考え、投稿させていただきました。「彼女ができない」と一口に言っても人それぞれ抱える問題点は違うのだろうと思いますが、共通する点だってあるだろうと思います。彼女を作るということの本質とは何なのか、なぜ彼女ができないのか。そういったところを深く考えてみたいと思ったのです。
元増田です。同性愛者というのは「異性愛」対して嫌悪感を抱くものだ、という定義のようなものをどこかで読んだような気がするのですが、もしそれが定義として正しいのであれば、私は同性愛者では無いということになると思います。街を歩くと、女性にばかり目がいきますから。顔、髪、胸のふくらみ、脚・・・。そして「この人はどんな毎日を送っているのかな」と想像をふくらませるのです(気持ち悪いですね(笑))。それに比べれば、街で男性を意識してみることはまれです。たまに「これだけイケメンだったらさぞモテるのかな」なんて想像をするくらいです。
ただ、自分が「ホモソーシャル」(体育会系のノリのような同性間の強い結びつき)には親和性があると認識しています。男数人が集まって酒を飲みながらわいわいするのが大好きす。
ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする男性同士の擬似同性愛的な強い親愛・連帯関係。
それ自体、同性愛と見まがうような強い接触・親愛関係でありながら、同性愛者と女性を嫌悪・蔑視して排除し、異性愛男性同士で閉鎖的な関係を構築する。
男子校で6年過ごしたせいなのか、男性社会の中でどのように生きていくか、ということにばかり目がいき、女性は「性の対象」または「征服の対象」でしかないと心の底で認識しているということなのかも知れません。女性をどうしても馬鹿にしてしまうようなところがある。でも、もちろん、接するときにはそれを隠すようにします。隠すというか、「この人ばかりは素敵な人に違いない」と信じて接する。ですが、女性と深い関係にならないので、「こういうすごい考えを持った女性もいるんだなぁ。自分が女性を馬鹿にしていたのは間違いだったなぁ」というように感じる機会がないのです。ずっと書いておりますように「女って一体、何を考えてるんだ!」という感想を持つことになるばかりなのです。
さて、少し話を戻しますが、男性数人でわいわいやるのが楽しい。それは事実なのですが、それとは別に性欲は存在するわけです。そして私の性欲は女性にのみ向いています。露骨な話になって恐縮ですが、毎日「おかず」を使ってマスターベーションをする。だけれども、それだけではやはり満足できない。あの女性の柔らかい肉体に触れたいという思いは消えないわけです。そして毎日が、大きな苦しみに耐える苦しみの日々なのです。
ホモソーシャルについてさらに参考URL(ご興味のある方はどうぞ)
http://www.kinokuniya.co.jp/02f/d05/scripta/nippon/nippon-2.html