はてなキーワード: ソーシャルスキルとは
カウンセリングを嫌がる理由だが、フェミニストカウンセリングみたいな糞やろーが現実にいてとにかくきつい言葉を浴びせるのが大好きなカウンセラーがいるせいだろうな。
現実問題、カウンセリングはそれなりにするんでおすすめはしない。
みたいなときはまま役に立つけどね。
ソーシャルスキルトレーニングは統合失調症向けで、ASDだとあまり役には立たない。
就労移行支援事業所とかでやってるところもあるんで、要件を満たせばただか安い費用で利用はできるけどね。
あと、雰囲気としては学校みたいな感じで、人間関係によるトラブルもあり、ASDだと排除されて、悪化することもままある。
特に発達障害持ちの女性は負の性欲が強くて、男性のASDでもアルファ男性じゃないタイプは排除する傾向にあるし、リーダー格の人も発達障害持ち女性の味方をする傾向にある。
だから、発達障害メインの医者はソーシャルスキルトレーニング自体は勧めてくれなかったな。
ASDだけど、背景にDVがあり、IQが高くて、見た感じ普通に話せて、WISCの凹凸が絵画配列だけ低いタイプだとソーシャルスキルトレーニング自体あまり意味がないし、かえって有害らしい。
帰脾湯や加味帰脾湯である程度、相手の反応を待てるようにはなるんで、ASDに帰脾湯や加味帰脾湯自体は効くこともあるんだけどね。
傷病手当を詐病でもらっているという人がいるが、イベントバーエデンで、表面的には詐病に見える人とあったことがある
https://m.youtube.com/watch?si=AgMUt6SjNGI_x_Lf&v=tjtg-AuBtMo&feature=youtu.be
この人はいかの経歴の持ち主で
この人は女性であることも相まってソーシャルスキルがあるように見えるんだが、女性でなければソーシャルスキルが無いように見え、まっさきに精神疾患を疑われたと思われる。
だが、話はここで終わりではない。同じ躁鬱病でも、病気と向き合い、病気を克服しようとすれば障害年金がもらえる、病気を克服する気がなく、開き直っているような人には障害年金や精神障害者手帳の申請をしないと開き直る医者がいるし、何でもかんでも重めに書いてしまう医者がいる。
とかくこのあたりの福祉はまじで闇が深い。
増田の厳しいお眼鏡に叶う「友達になりたい人」だけに話しかけてんじゃねーの
賢くて育ちが良さそうで見た目もまあまあ整った、集団で際立ってる人
それ以外の頭悪くてぱっとしない奴らには目もくれず、内心バカにして見下してるまであるんでは?
人は見てないようで色々観察してるし、増田が気づけないノンバーバルな情報交換も盛んだから、増田のファーストコンタクト前に集団のジャッジが済んでて、狙った人(集団の序列で高位の人)にそれに相応しいリアクションとられてるんちゃうか
高位の人が離れれば下位の人らもなぞるのが世の習い
ワイは増田のこと(文章だけの判断だが)おもしれー男だと思ったから、ボーダー下げてぱっとしない集団の、増田の許容範囲くらいに賢そうで見た目良くないやつに話しかけるとか試行回数増やしてみたら、そのうち友達できるんやない?
カウンセリングについて
精神科で発達障害の診断おりた知り合いがSST(ソーシャルスキルトレーニング)ってのを10代の頃に受けたらしいけど、その人が原因の揉め事は絶えないし
でも本人としてはマシになってる自覚はあるらしい
お互いに相手を選べるわけだから、高学歴高ソーシャルスキルな人はどちらかが欠けた相手を選ばないとして、
高学歴発達障害は、高学歴発達障害か、低学歴高ソーシャルスキルから相手を選ぶわけだ。
元増田の一族のケースが一般化できるとしたら、高学歴発達障害×高学歴発達障害は安定的。
低学歴高ソーシャルスキル×低学歴高ソーシャルスキルも、まあ、よく見かける。
高学歴発達障害×低学歴高ソーシャルスキルな一族をあまり見かけないのは、
のどれかなのだろうか。
彼は、働きながら大学院に進学した私のことを「俺はアイツを認めるつもりはないからな」といって憚らないような方である(この話は人づてに聞き、大変気分が悪くなった)。
昨年の10月〜11月は、仕事が大詰めだった。実際には休暇はほぼなかった。仕事の成果を発表するような会があるのだけれど、当然出ると思われていた上司は来なかった。副部長的な立場の人からのコメントすらなかった。悔しく、心苦しかった。「どうして一言、皆さんに『よくやった』と言ってくれないのだろう」「私のせいなのか。そんなに嫌われてしまっているのか」と感じていた。
そうしたこともあったためか、会終了後は喪失感のような、漠然としたやるせなさに包まれているような感覚を覚えていた。
そのときには、モヤモヤとした違和感を感じる程度だったが、その後、だんだんと不安や苦しさが強くなった。
昨年12月中旬から後半になると「ずっと気が休まらない」と感じることが多くなった。休暇中でも「不安や苦悩で頭がいっぱい」だと感じる、些細なことですぐに涙が出る、睡眠が浅く夜に何度も何度も目が覚める、動悸がする、仕事に行こうとすると足が震える、些細なこと不安が高まりやすい、吐き気が出る……などの症状が出現した。
これらは、直属の上司へも相談した。その際には具体的な指示はなかったが、耳を傾けてくれたことは少しありがたく感じた。
ただ出勤前日、出勤当日の朝は「本当につらい」と感じていることがほとんどで、「どうしてよいかわからない」という気持ちになっていることも多かった。
一昨日、1月中旬には長男の共通テスト直前出会ったにも関わらず、体調を崩し、発熱した。
休暇を取った日が、もともとの休暇の合間であったこともあり、皆さんにご迷惑をかけつつ、実質1週間の休暇となった。
この休暇中、ずっと頭を抱えていた。
今日で休みは6日目なのだけど「もうこのままの働き方ではもう持たないのかもしれない」「どうにかしないといけない」「心と身体が壊れそうだ」……と考えられるようになった。
そこで「現状を文章にしよう」と考え、この文章をまとめ始めた。
もともとストレスチェックの結果も優れなかった。自身のソーシャルスキルにも偏りがあり、不安・ストレス耐性の低さを自覚している。一人の時間が好きで、人と話すのは苦手だ。自信がなく、他者の和に入っていけない。
だからこそ、スキルを学び、「自分の頑張りが足りないためだ。学ぼう」「組織に認められない中でもみんな頑張ってる。私も頑張らないと」と自分に言い聞かせて頑張ってきた。
組織に認められていない現状だからこそ、組織内外で頑張り続けないと、ますます認められなくなってしまう……と感じていた。
しかし年齢的な部分で徐々に気力や体力が減っていることや、これまでの蓄積した疲労などが噴出したことで、葛藤に耐える力や頑張る力が低下してきているのではないのかもしれない。
前までは乗り切れたことができない、疲労や不安を感じやすい、以前は我慢できたことが我慢できない、葛藤に耐えられない、思うように成長に繋がらないなどの感覚が強くあり、それが日々悪化しているということは『些細な刺激にも弱くなることでより、葛藤や課題に取り組む力が弱まり、悪循環に陥っている』と思う。
「調子が悪いのに、活動をし続ける。活動するから疲労がたまり、調子が悪くなる」という悪循環は、ある種、アルコールでのストレス対処と同じような「活動にしがみついている」状態であると考える。活動をし続けることで、短期的に不安を和らげようとしているにすぎないとも考える。つまり今の状況では、こうした「(活動や仕事への)しがみつき」を手放し、「活動と休息のバランスを整えること」が必要なのかもしれない。でも、それは甘えなのかもしれない。
自分のやっていることが組織に認められていないような感覚は、自分の気持ちや身体を徐々に蝕んでいたのかもしれない。でも、もう少し頑張れるかもしれない。
回復の時間を確保せず、このまま疲労感を積み重ねていけば、取り返しがつかない状態まで自分自身を追い込む可能性もある。無理をしたまま突っ走っていると、遅かれ早かれどこかでポキッと折れてしまうかもしれない。でも、今が踏ん張りどきなのかもしれない。あとちょっと頑張ったら、楽になるかもしれない。
頑張れなくなるのは、怖い。
この文章をまとめようとするだけでも動悸がしてしまう。仕事量や生活の見直しを行うことと並行して、専門家への相談(受診)なども行っていく必要があると感じている。
俺はもうダメかも。
みんな、どうか、ご安全に。
列挙される項目の性質が揃っていないのが気持ち悪いし、それは何を目的とした定義なのかが考えられていないことを示唆している気がする。
たとえば「低収入」のような社会的評価が入るなら、他の項目は「彼女がいない」みたいなものの方が自然。
その場合、「弱者男性」という言葉を定義するのは「結果として不遇なものをどう遇するべきか」みたいな議論を想定してだと考えられる。
逆に、「低身長」のような生得的な能力と並べるなら、「コネ」や「ソーシャルスキル」の方が自然(後者は微妙か)。
その場合、「弱者男性」という言葉を定義するのは「本人に帰せられない理由で不遇なものをどう遇するべきか」みたいな議論を想定してだと考えられる。
いずれにせよ、何を持って特徴づけるかは、当てはまるものを適当に並べればいいというものではない。(数学気違い増田も何か言ってやれ。)