はてなキーワード: シチューとは
解説する
フライパンには一昨日焼いたオーストラリア産ステーキ肉の脂と、もやしのカスが残っているのが
気にせずそのまま手羽元を投入する
適当に焼き目をつけたら、パック野菜をドバーッとフライパンに投入してまた塩をする
玉ねぎがいい感じに焦げてフライパンにこびりついたら、混ぜて放置する
野菜に火が通ったようなフィーリングを感じたら、大きめの鍋にフライパンの中身を移す
フライパンが汚れてるので水を入れて沸騰させて、汚れと一緒に鍋にザバーっと注ぎ込む
鍋をお湯でひたひたにしたら火にかけて具材をしっかり煮込む、ウインナーも気が向いた時に入れる
じゃがいもとか人参とかが煮えたら、アクが浮いてるので取って、バターとコンソメと牛乳を足してまたちょっと煮込む
最後に一煮立ちさせたらまたアクを取って、火を止める
それで夕飯には少し多めにつくって、朝食との兼用にすることも多々。
そんな折、久々に実家へと帰省すると今度も父が夕飯を作っていて、シチュー。
けっこう多めにあり、また翌朝用の分量も。翌朝、休日だったため父の起床は遅く、わたしと母が先に朝食を。
食べたのは残りのシチュー。父の分をとある程度は残しておいた。
そして父が起きてくると残ったシチューを食べるわけだけど、食べるのは少量ごく僅か。すると鍋の方にも僅かにシチューが残ってしまって、それなら食べちゃいなよ、と若い時分なら思っていた。
けれど今にしてその行為を目の当たりにすると、むしろああ、なるほど、と妙に納得してしまった。
というのもそれは妙齢となって自制を効かす父に対する思いというよりもむしろ、「残り僅かなんだから平らげてしまえ」と考えていた自分の浅はかな思慮に思い当たったからだった。
以前の自分ならばそのように、その状況に合わせてものに向き合っており、言わば『ものを自分に合わせる』行動で居た。しかし父の行動とは『自分にものを合わせる』というものであり、そうした本質的な行動規範、それを何気ない日常の最中で見つけてしまってハッとした。
思えば自分は自分がほしくないものでもほしがっていたり、それが自分にとって必ずしも必要でない。そうわかっていながらも、休息よりも労働を優先してしまっていた。
子供の頃は商売をしてる祖父母と同居してたから、祖母が店を閉める少し前に早めに帰宅してくれて、店の売れ残りとかレトルト食品とかを食べてた。夏は素麺・冷やし中華・冷やしうどん、冬は鍋鍋鍋。
あとは、子供向けにと思っていたのか肉類、特に豚肉がやたらよく出て、ケチャップ味とか生姜焼き風とか照り焼き風とか。ご飯・メインのおかず+付け合わせのキャベツやレタスやトマトの皿・汁物・大人用のおかず(煮物とか)が多かった。
中学に上がる前に祖父母が老人向けマンションに入ってからは、自分で父と妹の分を作ってた。母は帰りが遅くて、頑なにわたしの作ったものは食べようとしなかった。
祖母仕込みというほどの腕前では無いのでせいぜいご飯・生野菜・具の多い味噌汁のセットと焼いた魚か焼いた肉かクックドゥーの中華か…というのが関の山だった。もちろん夏は素麺と冷やし中華と冷やしうどんに夏野菜の焼き浸し、冬は鍋鍋鍋たまにシチューだし、割と高頻度でめんどくさくてパスタ茹でてレトルトソースかけたものとか、市販のチャーハンの素使ったチャーハンとかも出してた。凝ったものは本当に作らなかったから、生姜焼きも使ったことないし、煮魚も使ったことない。時々食べたくなった父親が自分で作ってたけど。
土日や朝食や弁当は母親が作ってたけど、全然料理上手な人じゃなかったから、二段の弁当箱の一段は白米もう一段は卵焼きとトマトとリンゴが三分の一ずつ入ってるのはしょっちゅうだったし、健康に気を使って規定量からさらに調味料を減らした味のしない野菜の炊き合わせとか、鱗の残った煮魚とか、老人向けの料理でももうちょっと彩りと味があるだろう…という食卓だった。
で、この度めでたく自分も結婚する運びになったけど、毎日の夕飯がどのくらいの量と品数を求められるものなのかいまだによくわからない。
手料理を振る舞ったこともあるけど、毎日ハンバーグと焼きそばとカレーってわけにも行かないし、共働きでそんなに時間もないだろうし、そもそも一人暮らししてて夕飯とかほとんどコンビニとレトルトだし。
雑誌読んでも二人前量少なくない?こんなに一度に複数の種類の食材用意できないよ?そんな調味料一般のご家庭にあるの???みたいな解せないポイントが多すぎて萎える
増田でよく見る育児辛い話って1歳までの事が多いと思うんだよね。
それを通り越して子供は今1歳半。
夜は10時間連続で寝るし、保育園行ってるから私は会社で好きな時にトイレ行けるし温かいお茶を温かいうちに飲めるようになったよ。
(どっちに辛さを感じるかは人それぞれだろうね)
赤ちゃんから幼児になってきたからさ、これから人間に育ててく必要があるんだよね。
衣服を着て過ごす必要があるし、ご飯は落ちたら食べない方が良いし、人を突然意味もなく殴ってはいけない。こーゆーのを教えていく必要がある。
えっと、すごい難しくない??
我が家の1歳半はね、20個くらいの単語は話せるよ。(まんま、ワンワン、ポッポ、ねんね、キレイキレイ、ナイナイとか)
でもこの単語は、自分の意志を伝えたい時に使える訳じゃないんだよね。
ねんねしようかって言ったら「ねんね!」って言いながら自分で寝室に行けるのに、自分が眠い時は泣くことしかでしか表現できないの。
で、こっちの話は大体わかってる。
靴下を元に戻してねって言えばタンスに持ってくし、おやつにしようか〜って言ったら喜ぶ。
抱っこを要求してきた時、ちょっと待ってねって言ったら拗ねて泣くし騒ぐ。
今の時期の意思表示はプチいやいや期らしいんだけど、うちの子は床に寝転んで泣く。
公園の手洗い場で寝転んで全身グチャグチャになったよ昨日。
本当のいやいや期が恐ろしいね。
そんなコミュニケーション状態の子にさ、人間の基礎を教えるのハードモードすぎない??
みんなすごくない??どうやってるの??
汚れたティッシュはゴミ箱に捨てるんだけど、ハンカチは洗濯機に入れて何度も使うとか。
湯船につかってる時にお湯をバシャバシャしてもいいけど、スープはしちゃだめとか。
保育園から貰った金メダルは首にかけていいけど、ケーブルはダメとか。
そういえば夫がさ、自分を指差しながらパパだよ〜って教えてたんだけど、人を指差すことをパパって覚えちゃったよね。
あれはママ、あれはワンワン、これはパパ!って感じで色々と指差しながら伝えてたんだけど、人を指差す=パパになったから、エレベーターで一緒になったお爺さん指差しながらパパ!って笑顔で言っちゃうよね。
まぁ命に関わらないことに関しては笑って過ごしてる。
いやさ、ここに書いたことすべて出来てない大人は居ないからいつか出来るよって良く言われるし自分も同意だから心底焦ってる訳じゃないんだけど。
でも、想定と違う結果が返ってきた時に「どうやって伝えたらいいんだろう」って割と絶望するんだよね。答えがないから余計に。
やっぱりさ、作ったスープに手を突っ込んでグチャグチャにされたり、シャワーの水を飲み始めたり、絵本を顔に投げられたりすると「このままで本当にいつか伝わるんだっけ?」って考えちゃうんだよね。
これはお友達の○○だから触ったらダメだよ。って公園で何百回言っただろう??
ダメって言葉を使わず具体的に説明した方がいいって本で読んだから意識はしてるけど難しいね。
オモチャだったら貸して〜ってなるかもしれないけど、水筒とかカバンはやっぱ触っちゃダメだよね?
みんなどうやって教えてるの??
出産前にある程度の過酷さを分かってたつもりだけど、人間にしていく(社会性を身につける)とこって難しすぎるね。
親の価値観100%押し付けるつもりなくて、ほんとに最低限だけって思ってるんだけど、最低限が多すぎじゃない??
4歳とか?の言葉が通じるようになってから始めるのでも間に合う??
私はカレンダー通りの休日で夫は平日休み(子供は保育園)だから、他人との苦労場面に出くわした事がほぼなくて、これまた伝えるの難しいんだよね。ケースバイケースだし。
まじむず〜〜〜!!!
今日はね、
難しく考えてもお互いに良くないじゃ〜ん!!!って思って、
彼女が作ってくれたカレーライスにレトルトのシチューかけて「青ナイルと白ナイル」を作って、ぐちゃぐちゃに混ぜて「ナイルの賜物!」って食べてたら意味わかんない!って怒ってどっか行ったんだけど?
さっきラインで「ごめん、ネグロ川とソリモエス川だったわ」ってメッセージ送ったら「別れましょう」って返信きたんだけど?
いやいや青ナイルも白ナイルも、ネグロ川もソリモエス川は俺と君みたいに別々だけど2つで1つのナイルとアマゾンなんだけど?
ポロロッカしない?って言ったらブロックされたっぽいんだけど?
しばらく(1年ぐらいか?)読んでなかったが、最近また漫画を読むようになった。
少し前まではゲームにはまっていたから漫画の優先順位が下がったんだな。
時折あれの続きどうなってんだろとか気になることはあったがゲーム優先だった。
何故かはわからないが再び読み始めたら読みまくってしまうだろうという予感があった。
そしてまた最近読み始めたわけだが何か心境の変化があって、というわけではない。多分。
というのも、再開した時の状況をはっきり覚えていないからだ。
何を最初に読んだのかも記憶にはないが電子書籍の購入履歴を見るに
平方イコルスンは私が最も好きな漫画家だから、その新刊の存在を知って即座に買ったのはあり得る話で
納得感がある。1巻2巻3巻とどんどん面白くなっていくよな。1巻の時点で私は衝撃を受けていたけれども
2巻を読むと1巻はまだ粗削りだったのだと気付かされた。
平方イコルスンというと変わった言い回しとか奇天烈な設定が特徴という風に語られることが多いと思う。
実際、楽園の短編とかスペシャルの1巻とかはそういう雰囲気が確かにあるんだけど、
2巻ぐらいからは違うと思うんだよな。全然うまくは言えないけど。
で、うまくは言えないなりになんかその片鱗でも書きたい気がして
パパッと今読み返したけど全く考えがまとまらなかったから、またの機会にする。
もう少しスペシャルの話をすると、最新話の58話いいよな。
二葉さんここ4,5話輝いてる。『第七女子会彷徨』の坪井さんポジになるのかね。
今日の昼飯は生協でとったが、豆のスープと野菜系の小鉢2つとライスのSSを選んだら300キロカロリーぐらいしかなくて驚いた。
いや大したカロリーはないとは思ったがこれほどとはね。揚げ物一個ぐらいとるべきだったか。
ただ豆のスープは美味かったよ。生姜の効いたスープでベースは多分動物系の何かの出汁。
どこかの国の家庭料理といわれたら、へぇと頷いてしまうような素朴ながらも確かな味がした。
生協ってシチューとか揚げ物とかわかりやすく美味しいものが多いけどちょくちょく渋い系のうまいやつがある。
食後に絶対夕飯前にお腹空くだろうと思って購買で個包装のチョコを買って、
これを少しずつ食べながら間をつなごうと思ったんだけど、結構たくさん食べてしまった。
夕飯は王将。餃子とニラレバ炒めと天津飯のジャストサイズ。大抵この組み合わせを頼むんだけど
別にすごい気に入っているわけでもないんだよな。