はてなキーワード: 結果的とは
そうなんだよねー。韓国の裁判所は、法律と道義の問題を分けて日本の最高裁と同じように和解する方向に持っていけば、結果的に徴用工の方も救われる方向もあったのではないかと思う。現状の大騒ぎは被害者の顔が全然見えない。自国のマクロ経済が打撃を受けるとか、隣国との関係が決裂するとか、そんな責任を被害者に負わせてはならない。慰霊碑とか、道義的責任に基づく基金とか、謝罪の手紙とか、そういうもののほうが救われるんじゃないかと思う。
そして、韓国最高裁の判決が出たあとでも、日本の最高裁と判決が別れたわけだから、そこは日韓請求権協定に基づく政治の出番だったのに。「三権分立だから干渉できない」みたいに突っぱねちゃったらこうならざるを得ない。
批評記事を読んだだけで映画観た気になっているドラクエ5ファンは本当にもったいない。
子供の頃にSFC版ドラクエ5をプレーして今もドラクエが好きなら、絶対に一度は自分の目で観に行った方が良い。
リメイク版ドラクエ5もプレーしたことあるほど好きなら、尚更観に行った方が良い。
結果的に自分にあわなくても1000円ちょっとと2時間が無駄になるだけ。
でも、もしミルドラース戦の展開が受け入れられて主人公に共感できたら、たぶん最高の映画体験になる。
冒頭のシーンと相まって、最後のシーンで懐古心めちゃくちゃくすぐられる。
巷に溢れる細かい批判なんか気にならなくなるぐらい良いところが見つかる。
ビアンカとフローラは監督2人が一番力入れただけあってガチで原作超えて好きになる。
息子が天空の剣を初めて抜くシーンは下手したら泣く。
たった2時間の映画なのにラスボス後~エンディングはドラクエクリア後のような気分になれる。
そしてまたドラクエがしたくなる。
高校に入ると皆、多かれ少なかれ、高校デビューというものをする。それが「理想の高校生活」というイメージと混ざりあい、最初の3ヶ月は妙に皆テンションが高く、性格がおかしくなる。
俺はこれを俗に集団的高校デビューと呼んでいる。そして俺はこの集団的高校デビューというものに、根本的にトラウマを持ってしまった。
まず初めにいうと、俺の高校デビューは初っ端から失敗した。中学からの顔見知りが俺の事を話しのネタに使い、「こいつは下ネタ好きの変態ドインキャ」って事をバラされた。まぁこれ自体は大した話じゃない。下らない笑い話だ。
当時は斜に構えた腐った15歳だったから、高校デビューしてテンションが高い友人を薄ら笑いして見つめていた。
最悪だったのは、いや、最悪の始まりだったのは、集団的高校デビューした輩を統率する奴が居たことだった。
そいつは力が強く、常に偉そうで、周りにちょっかいをかけて声が大きくオラついてる。漂流ネットカフェの寺沢にそっくりだった。
「普通だったら」避けられるが、集団的高校デビューしている輩は一種の催眠状態なので、そう言うのに簡単についていってしまう。皆そいつが何か言えば機嫌をとり、無理して笑う。そいつに認められる為に媚び諂う。特に中学の頃からの顔見知りで俺を売った奴は、そいつのスネ夫ポジにいた。
俺はそう言うのが嫌でそいつにプチ反抗した結果、ボコされてカーストから外れた。
ピエロになった。
中学からの顔見知りや、その他取り巻きも俺の事をゴミみたいに扱った。
俺はそもそも斜に構えてたし、同じように寺沢っぽいやつを嫌って俺と交流する奴が居たから、つまらなくは無かった。寺沢はそんな俺にちょっかいを出し続けたが、正直どうでも良かった。寺沢にもまぁ憎めない所があったし。
高校生活への理想がなくなり、みんな省エネで目の前にある勉強や部活を楽しむ方向にシフトしていった。
そこに寺沢みたい奴の居場所はない。うるさくて、煩わしいリーダーを気取る奴は要らないのだ。
結果、皆そいつの事を無視し始めた。中学の顔見知りも最終的にそいつを無視し始めた。
寺沢を天辺に形成されたカーストが上下にひっくり返り、相対的に俺と寺沢が一番仲が良いと言う状況になった。
寺沢と一緒に俺にちょっかい出してた奴が、寺沢を無視する、その何というか変わり身の速さというか非情さというか
寺沢は、悪い奴では無かった。ただ俺とは相容れなかっただけだったはずなのに、その取り巻きは完全に、悪い奴だった。
結果的に寺沢を利用し、切り捨てた。権力に縋り、権力でなくなったら捨てた。
そいつの事を思い出すたびに、寺沢に対する少しのムカつきと、同情、その取り巻きの寺沢に対する仕打ち、人間のあり方に絶望する。このモヤモヤはずっと消えない
無料配布しているポスターなどの争奪戦が起きやすくリュックサックに刺すまででは無くなった
そしてオタクグッズの過剰包装も次第に減ってきており両手に紙袋になることも減った
更に今はネットでだいたい買えるので秋葉原で全部揃えなくとも良くなった
リュックサックに両手が大きな紙袋、リュックサックにポスターを挿すといういわゆる「ガンダムスタイル」も結果的にああなるんやで
当時の秋葉原で買い物をすると何故は当時はオタクグッズって過剰包装されていてなグッズの箱が大きいんだ
だから手に持って移動するのにも難だしリュックサックが標準装備になる。これで両手が開く
そして過剰包装なので店側は大きな紙袋を必ず渡して来る。どこの店もそうなので紙袋へ紙袋を入れたりする。これで両手に紙袋となる
大きな紙袋にはリュックサックへ入り切らなかったオタクグッズや店側が無料配布しているポスターが入る
配信するデータは統計的な要素でレコメンドされるけれど、それだと統計が誤っている可能性があるのでランダムにデータを配信することがある
Vtuberへ興味ある層へVtuberをレコメンドするのは正しいけど、統計の正確性を確認するためランダムにデータを配信した際にN国党関連があったとする
Vtuberに興味がある層の多くがランダムに配信されたデータの中でN国党のデータへアクセスしたのならばVtuberとN国党は関連深いと判断される
それは「まともな人」史観やな
超残念ながら貴兄のように、あれを見て自分も良い大学に行っていながら気分が悪くなる人ばかりでなく(そういう人も確実に一定数いた)、「人を差別する優越感の快楽」に目覚めてしまった者も一定数おる
でなければその後、2ちゃんねるであれほどの広範な差別ブームは起きてない
正確にはマミー石田に触発されたような奴は人数の上では少数だったかも知れぬ。しかし貴兄のようにまともな人間は派手に自説を力説しない。結果的に極端な意見を大声で広めるノイジーマイノリティばかりが目立つ
ただ、やはり正確には「かっこいいもの」とは思われてなかったろうな
■『私が悪い』の私です
『私が悪い』https://anond.hatelabo.jp/20190610002907
相手を特定できるのに私自身は匿名で身を隠している、というご指摘がいくつかありました。
何人かの方が特定なさっている方が私の言う『彼』であるとは私は言っていませんが、
私も名前を出すべきなのでしょうか…。
不公平であるとの上記のようなコメントを見てからずっと悩んでいました。
行き場のない思いを誰かに聞いてほしくて書いたのですが、結果的に良くない方向に行ってしまった気がします。罪悪感が倍になってのしかかってきている感じです。
そして、彼のご家族に与えてしまった不幸と言葉にならないであろう不快感、今の彼の平穏な幸せが、私の今の苦しみの上に成り立っていたら、それで構わない、本望であると考えます。
ですが、本当に浅はかでした。
申し訳ありません。
私が全て悪いと思いつつも、何故彼が数回の電話で私をストーカーと通報したのか、罪がある私なりに傷ついたことは事実です。
ここに書いたことで、より罪悪感とやり場のない想いが募り、初めて首吊りを試みました。
幸せになりたい、前向きになりたいと思いながらもそれ以上につらさが勝ってしまったからです。
ハングマンズノットでドアのノブにくくりつけてしばらく意識がなくなったものの、意識が戻ってしまい、また失敗してしまいました。
少し横になり、考えを巡らせてみて、彼が幸せならそれでいいのかもなぁと漠然と思いました。
いろんな方の、私へのコメントは、私がどうすれば良いか、私がどうしていけばいいかを考える手助けにもなりました。
一方で、被害者ぶるなというコメントを見て、確かにそうなのだけれど、別れ方が、車の中でただ淡々と新しい内縁の妻への思いと、私とは今後関わりたくない、ただそれだけ、30分にも満たなかった別れ話で10年の月日をないことにして捨てられたのがやはり一年以上経った今でも堪えていることを再認識しました。
今は楽しめることがなく、薬に頼る日々は続いていますが、いつか克服できる日が来ることを信じたいです。
この並べ方は新鮮だな
会社に入って以来、文章の書き方に文句をつけられて結果的に直されることが多い。
当然ではあるが、自分では読みやすい文章を書くことを心がけているつもりだ。
(なお上司に見せる前には自分で何度か読み直しておかしいと思うところがあれば直している)
としか思えないことが多い。
そんな感じでピンとこない風にしていると相手にイライラされてしまう。
そのため表面上は言われるがままに直しているが内心では納得できていない。
一般的にはどうなのかわからないけれど、少なくとも会社の中ではおそらく会社のやり方の方が正しいということなのだろう。
でも「本当にここまで言われるほどか?」と思うほど直されるし、マウントを取られたような気分になり悔しい。
私からしてみれば他の人の文章の方がよっぽどひどいのに「どうしてこんなに直されなきゃいけないんだろう」と悲しくなる。
たぶん、私は「良い文章」の基準が他の人と違っているんだと思う。
私には読みやすくてスルスル頭に入ってくる(私にとって)面白い文章の作品があるとしよう。
それを他人に勧めると
などと言われることが多かった(私調べ)。
当時は、それは単純に「好みの問題」であり、ちょっと寂しいだけだと思っていた。
しかし、まさか自分の中の「良い文章」の基準が違うせいで仕事にまで影響が出るとは思っていなかった。
ごくたまにすんなり受け入れられる指摘をしてくれる人もいる。
たぶん文章の上手・下手ではなく単に波長が合っているだけなんだろうな。
これが昔ならよかったんだよ、やかましいのは芸術がどうのアートがどうのと煙に巻いて黙らせればいいんだから
でも今の政治的正しさ至上主義っていうのは、特殊な社会の論理であっても正義の前にはとにかくひれ伏せ、被害者がいるんだから配慮しろの一点張りだ
前提:熱中症予防・軽度熱中症対策を念頭においている。頭痛・吐き気・意識障害(気絶)が発生した場合にはこの限りではない
また、熱中症は周りの気温・湿度が高く放熱がうまく行かない状況で全身の組織が高温になり発生する。
せっかく血液を冷やしても、循環するうちに周りの筋肉・脂肪から熱をもらって臓器に達するときにはぬるくなってしまう。
血管周囲だけを冷やすより筋肉や脂肪も一緒に冷やしたほうが効果的である
筋肉で発生した熱や周囲から皮膚・組織を通して伝わった温度によって、血液は温まったり冷えたりする。
そして血管は大なり小なり殆どの場所に存在するし熱を発散するため普段より広くなっている。
同じ面積で冷やすなら太い血管を冷やしたほうが得だろうが、アイスノン2~3個分の面積しか冷やせないというわけではあるまい。
広い面積で冷やしたほうが効率は悪くても伝導する熱は大きくなることが期待できる
汗をかく理由は汗が水蒸気になる気化熱で皮膚近辺の熱を奪うことである。
つまり皮膚を濡らしておけば汗の代わりになるということである。
手を洗う、顔を洗うことで汗の節約ができる。
また、アイスノンで冷やしても周囲の水分が結露して結果的に皮膚が濡れるが、流水のほうがいいだろう
他にも髪は風通しが悪く熱がこもりやすいので髪を洗うのもいい。