はてなキーワード: 男女平等とは
日本は雇用が固定的。これはいったん男性側が正規雇用に就いたら将来の安定が約束されるため、女性側から見たら寄生先が出来ることを意味する。
特に公務員の場合は定期昇給も約束されるため、女性側から見たら最高ランクの寄生先になる。婚活市場では長らく公務員は一番人気の銘柄だ。
早いうちに将来が安定している良い男を見つけ、その人に結婚という形で寄生する。そして妊活に苦しむ前に出産を済ませ子育てを開始する。近年はこの傾向が強まっているとも言われる。
男女平等指数が高い国に共通しているのは、雇用が流動化しており、男の経済力や将来性が不安定なことだ。また公務員の給料もかなり低くかつだいたいが非正規だ。
この場合、男が当てに出来ないため、必然的に女性側もキャリアウーマンにならざるを得ない。その結果として男女平等指数が高くなる。
日本も本気で男女平等を果たしたいのなら、公務員を含めた雇用流動化を行わなければならない。雇用流動化なき男女平等を果たしている国はないのだから。
これは本当にそう。
でもそれやっちゃうと女子が男子に負けるだけになって女子スポーツが衰退するから駄目だで何故か通ってる。
これは男女平等という言葉が強すぎるのがよくなくて、不当なレッテル貼りをやめろとだけ言えばいい。
結局はどいつもこいつもアイカツ乳盛りブチ切れ奴と同じで自分の考える正義の通りに世界が動かないことにキレてるだけのクズなんだよ。
でも森の仲間たち(歪曲表現)は自分らが既にその身勝手価値観によるわがまま放題を散々やってきたから返す刃で切られた。
アメリカでは銃を取り出す(意図がなくても服のポッケに手を入れる)なら撃たれてもしゃーないってことになってるけど、それと同じで自分が暴力をチラつかせたら暴力を振るなとモラルに訴えて止めるための手段が消滅するんだよね。
森のフレンズ(比喩)は今まで何度も政治的な暴力で社会に対して自分の理を通してきたから、自分が社会から理を通される側になると全部を黙って受けることになる。
正義があったとか、どっちが正しいとか、そもそも正しい奴がいねえとかは的外れ。
強い奴らが勝っただけだよ。
そういう競技なの
「私、一般企業に就職したけどお酌はしません」みたいな元アイドルの記事が流れてきて、まあそれは読んでないからどうでもいいんだけど、
ツイッターで見かける企業内の女性の不遇を語る人たち、そのなかにはキャリアウーマンでいわゆる「ガラスの天井」についての不満をぶちまける人も多いが、一方で「なんだそんなクソみたいな職場に入っちゃったの?辞めないの?」と言いたくなるような職場でわざわざヘイトを溜め込んでるような人も見かけて、なんというか不思議に感じる。
見てる感じ(統計ゼロ)だと何故か男女平等意識が高いような人ほどわざわざ糞職場に入ってるような気がするが、そうじゃなくて糞親父と糞まみれになってるうちになんか目覚めてきたのかもしれない。
高校卒業後に一般職として財閥系メーカーでOLやってた私の母の新人時代(1970年代後半)ですら、先輩OLから「○○ちゃん、こういう席でお酌なんてしなくたって良いからね」と言われ、その通りに過ごしていたと聞くのに。もちろん開明的な職場だったというわけではなく、むしろ当時としても古い部類の職場で、いまならセクハラと見做されるような発言もあったとは聞くが、ともかくお酌はしなかったのだ。
「そこまで言うんなら結婚しなきゃいい、みんな天皇の子」ETV特集 夫婦別姓に反対の亀井静香氏のインタビューが恫喝やセクハラ発言で批判殺到 #ETV特集 | まとめ部
こうした意見は、前にも見たことあるなぁと思ってたら・・・やっぱりこいつか!
田母神俊雄さん「女性は愛する男性の姓を名乗ることに喜びを感じる人が多いのではないかと私は思う」選択的夫婦別姓に賛成7割とのニュースに | ガジェット通信 GetNews
今朝のNHKのニュース、世論調査で夫婦別姓に賛成が7割だとか。信じられないがこれも日本ぶち壊しの一つか。田中さんの奥さんが鈴木さんで鈴木さんの奥さんが田中さんだとか言ったら混乱を招くだけだ。女性は愛する男性の姓を名乗ることに喜びを感じる人が多いのではないかと私は思う。
日本会議的な保守層は、日本国はこうあらねばならない、みたいな思想で凝り固まっているからで、この選択的夫婦別姓にめちゃくちゃこだわるのである。
恐るべき、日本の家制度にこだわる人たちで、結婚というものは、女性が男性の家に入って、家のために奉仕する存在であり、だから「嫁ぐ」というのである、みたいな。
この日本の伝統(伝統ってあのね・・・)を壊すのが選択的夫婦別姓であると言って憚らない。
どんだけ女性蔑視やねん、お前ら。
そしてここに、自分の意見などない、ネトウヨ・サヨク嫌い層などが加担する。
論理などここにはない。「選択的夫婦別姓絶対認めない」は、こいつらの牙城に過ぎないのである。世界の恥と言っていい。だって、選択的夫婦別姓を認めない国など、他にないからだ。
議員比率からジェンダーギャップ指数から何から何まで、ほんとに男女差がものすごいことになってるのに、法律的には男女平等だ? アホぬかせ。女性差別のきついインドと日本の女性議員比率はほとんど変わらない。
一体この国って何なんだ?
男女平等で平和がいいと言いながらKKOを迫害し非モテは死ねと言うフェミやリベラルはボノボを見習えよ。
https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/nikkei/10-2015-07-19.html
>隣り合ってすんでいる2つのボノボの群れが出会う場面にもたまたま遭遇した。ボノボは興奮して声をあげるが、けんかはしない。そのかわり老若男女すべての組み合わせでセックスする。男女だけではない。男性同士、女性同士もある。男女のときは男性器を女性器に挿入するので、行動の定義上、セックスとしか呼びようがない。一方、同性同士では、対面して抱き合い、互いの性器をこすりあわせる。その様子を見ていると、セックスと呼ぶよりもあいさつに近い。
男女平等は目指すべきでそのために是正されるべきだしそのために色々な対策を取られてきた
でも、ダイバーシティもワークアンドバランスもジョブ型雇用も結局男女ともに上澄みの我利我利亡者を利するための社会運動にしかなっていない
その上その我利我利亡者どもが稼げない労働者を見下して馬鹿にしてる上に労働者も下の稼げない人間を弱いもの達は夕暮れさらに弱い者を叩いてるじゃないか
15年前のジェンダーバックラッシュから価値観のアップデートを唱えながら一歩も進歩せずに資本主義の使いっ走りにしかなっていない自分たちの姿を見ろ
淡路島送りになるのがふさわしいわ
https://anond.hatelabo.jp/20210213230410
こちら、2児の父であり育児に全ステ振っている感じの父です。老増田心ながら、いろいろ伝えたい。
あなたと同じようなことがたくさんあった。ぱっと思い出すことを書いておく。今はこのようなことはない。過去の話だ。
保育園の送り迎えをしたくらいで褒められる。
雨の日、電動の子どものせ自転車に子ども2人を乗せて帰るときに、保育園の先生に「パパすごいわね」と声をかけられた。たしかに、これはかなりきつい。冬場は特にきつい。でもね、その発言がなされたとき、俺の隣にも雨の中で自転車に2人の子どもを乗せている別のママがいたわけ。そのママも同じだけすごくない?遅くまで残業している男女がいたときに、「ママすごいね」と言うのと同じ構図。褒めているようで侮っている。ちなみにその時は言いましたとも。「こちらのママ様も同様にすごいですよ」と。そしたら「あ」という顔をしていた。年配の保育士さんだったが、大悟したはず。
保育園の年配の先生の二人称複数形が「ママたち」「お母さんたち」
保育園の保護者会の役員をやったとき、自分一人だけが男性で、それでも「(ほぼ)ママたち」というくくりで呼ばれることがたびたびあった。「俺、ここにいるよ!」と毎回心の中で叫んでいた。
子どもを迎えに行ったら、「今日、トイレで汚してしまったんです。ママに伝えてください」と言われたこともある。
ん?俺が今、しかと聞いたぞ?
つまり、父親が育児における二級市民に序せられているという事実に、いろいろなところでチクチクされる。
しかし!以下の点から、そんな杞憂の8割くらいはなくなると思う。これを伝えたい。
第一に、そこまで育児ワークを多くこなしていれば、日常的に見ている人からの侮りやズレた褒めは減ってくる。
第二に、自分自身が慣れて気にならなくなってくる。
第三に、相手の言動がある程度予測できるようになってくるので、「事前に予測が立つ」 <- これポイント
ちょうど先日、近所にある学習塾が何周年記念とかで営業の人が家にピンポンきた。ノートをくれるというので、ひょいひょいとドアを開けた(ちなみに増田はコロナ前からずっと在宅勤務)。軽く前口上を聞いた後、営業さんは「お母様がいる時間にもう一度来る」と言う。そう来ると思っていた。マンション営業で夫がターゲットになるが予測できるのと同じで、学習塾・習い事系では母親がターゲット=意思決定者という前提になる。
「我が家の場合、これ系の窓口は私なんです。どうぞ私に話してください」などと伝えて、話してもらい、丁重にお断りしたらすんなり帰っていった。
一瞬、相手が「え?」という顔をするが、別に気にならない。そんな場面はたくさん見てきた。
保育園の入園説明会、保護者会、学校行事などなど、母親が来ることが想定されていて、父親がオマケ扱いされることが事前にわかっていれば、どのように切り返してそこに居座り、メインキャラクターであることを認識させるかを考えておくのがよい。
こんな感じで、切れることなく、男女平等だとかそういう高尚な話をすることもなく、ただ偶然、「うちの場合はこう」ということを伝えれば、角も立たずに丸く収まること請け合い。
父母のどっちか1人が担当になりそうな場面では、父が担当者になるよう事前に取り決めておくのもよいと思う。元増田の入園説明の場面を考えると、「あー、では妻が娘の相手をしますので、私がお話を聞きますね」などと言えば良い。その場で妻に向かって、「それでもいい?」と優しく付け加えるところを見せたりすれば、園長先生は誰か保育士を1人よこして娘の相手をし、父母の2人に話をしてくれるんではないかと思う。そして、園長先生には「俺はオマケじゃねー」というメッセージをしっかりと伝えることができる。希望的観測だが、その後は一級市民として扱ってくれるかもしれない。
瞬時のレスポンスを早くしようとするあまり、鼻息が荒くなってはいけない。大事なのは想定問答を用意しておくことだ。それにはある程度の失敗体験も必要。今回はそんな失敗体験の1つだ。