はてなキーワード: 核抑止とは
ほとんどすべての国が考えることと同じだ。自国の領土と権益を守りたい。ウクライナにNATOの基地ができたら、米国は数分でモスクワを破壊できることになって、米国との核抑止も怪しくなる。ウクライナ国境からモスクワまでは平原が広がっており、陸軍で侵略するのも簡単だ。キューバ危機と同じ構造だと思えばいい。当時はアメリカが引かなくて危うく核戦争になるところだった。
ロシアの国家モデルと権力システムが魅力的なものである必要があった。しかし、ロシアは魅力的なシステムを作ることができなかったので、ウクライナは、欧米に行ってしまった
これを正論だという人がいるが、これは不正義だと私は思う。「欧米に行く」というのは、ロシアと欧米が対立していることを仮定している。「欧米」は軍事面でも経済面でもロシアよりずっと強力で、欧米がロシアと本気で敵対したら、ロシアに勝ち目はない。そんなことはロシアもわかっていて、冷戦終了後はロシアはかなり歩みよっていた。
その流れを変えたのはNATO側だと私は思う。おそらく決定的な事件は、コソボの独立だろう。NATOが親ロシアのセルビアに空爆を行い、強制的にセルビアからコソボの独立を認めさせた事件だ。軍事攻撃で中央政府を恫喝し、無理やり一地方の独立を認めさせる、というのは、第二次大戦以降ではコソボが初めてだ。コソボではNATO軍に保護された住民投票によって独立が決定したが、普通、一地方の住民投票では国家からの独立はできない。また、コソボでは多数民族と少数民族が激しく対立しており、セルビアから独立するという決定を、単純多数決で行うのはかなり疑問が残る。実際、少数民族は独立後に激減している。ロシアがクリミア地方にやったこととほぼ同じだと思う。ただ、米国主導のコソボの独立は、ロシアと違って、どの国からも経済制裁を受けることはなかったけどね。
同時期のNATO東方拡大と合わせると、たとえロシアが欧米のルールを尊重しながら融和路線を取ったとしても、欧米はルールを無視して軍事力を使いながらロシアの影響力をじわじわと奪い取ろうとしてくるに違いないとロシアが感じてもそれは妥当だと思う。ウクライナにNATO基地ができたら、例えば対中国包囲網とかでロシアと欧米の利害が対立した時、軍事力をちらつかせながらロシアに屈服をせまるのは容易に想定できる。
これは私の想像だが、西側諸国が安定しているとロシアにとってはろくなことにならない、とプーチンは考えているのではないか。それ以外に、サイバー攻撃などで米国の大統領選挙に介入する理由が思いつかない。世界最強の軍事力を持っている国を怒らせるリスクよりも、アメリカが安定して世界の警察官始めちゃうリスクのほうが高い、と思っているんだろう。アメリカは、ヨーロッパと違ってロシアと戦争になっても本土が戦場になることはないから、ロシアには強気一辺倒だ。負けることはないし、軍需産業でも復興でも儲かるしなあ。
そもそも、軍事同盟として米国と西欧を含むNATOは強力すぎて、周囲に脅威を与える。ロシアだけじゃなくて、イスラム諸国もNATOに対する警戒感は強いし、軍拡の理由になっている。本来の目的であるソビエト連邦は消滅したにもかかわらず、拡大を続け、NATOと全く関係のない他国(セルビア)を分割するために軍事介入した事例のある危険な組織だ。NATOの軍事をつかさどる参謀総長は常にアメリカ出身者が占めている。もし平和維持軍的な軍隊が世界に必要なら、それは国連を中心としたものであるべきだと思う。
まだかまだかと言われてたものがようやく出ましたね。
https://cdp-japan.jp/news/20210924_2169
ただ、リソースの振り分けをすればいい国内政策と違って、外交・国防は相手がいます。大事なのはどう実現するかなのですが、立憲民主党にはその感覚が無さそうなので苦言を。
書いてある内容に異存はありません。が、「私たちこそが、現実的な尖閣防衛を進めていけると確信している」のであるならば対中政策を書かないと絵に描いた餅でしょう。
「特に核兵器禁止条約の締結国会合に対してオブザ―バー参加を目指す」
「抑止力を維持しつつ」
日本がこの条約に参加しない大きな理由はアメリカの核抑止力に頼っているからですが。立憲民主党の言う抑止力に核抑止力は含まれていないということ?それともアメリカに核兵器の放棄を迫る?
「辺野古新基地建設を中止し、沖縄における基地のあり方を見直すため、アメリカと粘り強い交渉を開始」
当面は普天間継続という理解でよろしいでしょうか。それに触れないのは控えめに言って不誠実かと。
まぁこれはそんなもんかと。
5.その他
現在の日本の国防語る上で絶対に避けて通れない対中戦略について何も書いてないのが不安で仕方ないです。アメリカだけでなく他の国も明らかに対中シフトに動いているのにね。
日本の防衛白書にたいしても中国は「中国を敵視するのはやめるように」って注文つけている状態ですよ。それを踏襲するの?しないの?
核抑止は、自国が打ったら相手国からも打ち返されて共倒れで文明崩壊するから、戦争が起きないって理論じゃん。
首都や主要都市が核攻撃されて、火の海に包まれるのは割に合わない、だから戦争が起きない。
自由主義国だったら、選挙で選んでくれた国民を不幸にしてしまうし、独裁者や専制君主であったとしても、自国が火の海になればものすごいダメージを受けて失脚する可能性が高い。
でも、個人で核兵器を持ててしまうと、このバランスの外にでちゃうじゃん。
ぶっちゃけ、自国や外国の知らない都市が火に包まれても知ったことじゃないわけじゃん。
報復で特殊部隊か何かに乗り込まれて殺されるかもしれんが、自殺願望の持ち主なら知るかよそんな事といえてしまう。
これはあまりにリスクの方が大きいから、個人では核兵器などの大量破壊兵器は持てない方が社会を守る上で合理的だと判断しているのだと思う。
ハイテク戦闘機の話だったと思うのに、核戦争に日本が勝てない話を始めた理由がよくわからんが。
核抑止がチキンレースっていうのは、冷戦下の米ソ間の比較の際には良く言われていたが、各影響下の軍備全般に適応するのは間違いだ。多くの場合、つまり今の日本も、俺たちはチキンレースに参加する前段階みたいな状況にあるからだ。「俺とチキンレースすんのか? お互いにただじゃすまんぞ? お?」と互いに凄みあっているのが核抑止という状況であって、この段階では現実にチキンレースになったときにビビって止まるかどうかなんて関係がない。
状況でも立場でも日本は主導して核兵器廃絶に向けて動けよって思うんだけど、
ほぼほぼ、何もしてこなかったツケを払わされてる感じがここにきてありますね。
核兵器禁止条約には反対して参加しない。その理由を述べるだけで効果的な対案を示さない。
少なくとも多数の支持を集めたこの条約が小さな一歩として今後大きく育てられた時に日本は何もしなかったで終わる。
国際社会からの尊敬は得られないし、あとからしゃしゃり出ていって何言ってんだこいつって思われる。
オバマの時に核の重要性というか、核兵器の保有を維持しろとアメリカに説いたらしいじゃない。
それをやったら北朝鮮が核を持つことに反対とか非難をできない行動なんだけど、そこんとこ分かってるのかと。
言うまでもないので恐縮ですが、核抑止は互いに核を持ちそれを互いに向け合って成立したという、なんか頭の悪い方法なんだけど、
だったら北朝鮮という相手が核を持つことを否定できない、国際社会に向けて北朝鮮は持つべきではないと訴えることができない。
ダブルスタンダートになるからね。ぼくらもダブスタの人を支持しないでしょ。
インドパキスタンもイギリスもフランスも持ってる、北朝鮮も持つでしょうよ。
問題の立て方が間違っている。なぜ人を殺してはいけないのか、ではなく「人を殺さなくても済むようになりたい」というのが正しい。
原始の人間社会においては、警察も裁判所も存在していない世界であり、自分の身は自分で守るしかなかった。
自分自身の家族や財産を自衛するには、自分の身の回りに近づく「敵」を排除しなければならない。
他人=敵を殺さなければ自分自身が生き残ることが出来ないのだから。
大昔の人たちは知恵を絞って、なるべく他人を殺さなくても、「誰もが平和に生きることが出来る社会=人を殺してはいけない社会」を作り上げて来たわけ。
その帰結として、人々でお金を出し合って集落を守る自警団組織が生まれた。
日本の歴史をこの視点で読んでみると、いかに暴力を個人から取り上げて、国家に独占させていくかの歴史とも言えるよね。
農耕の発明、集落の形成、部族を統一する神の出現、豪族、貴族、武士、近代国家の出現、軍隊と警察、核抑止、国際連盟、国際連合、世界政府・・・。
コントロールの容易で使用可能な核の開発は通常兵器と核の境界を曖昧にし低威力の核と高威力の核との間に明確な相違を生み出すことがない
通常兵器から高威力の核までが通常の戦争行為のなかに地続きで存在することとなる
使うことの可能な核の使用は報復の論理による使うことの可能な核による報復を肯定する
世間の認識として低威力の核と高威力の核との間に大した違いはない
使うことの可能な核の存在はそれ対する対抗手段としての核を獲得することを多くの国家に求めさせる
核が拡散した状態のなか一度でも核が使用されたなら報復の連鎖は止まらない
そして核が一度でも使用されればそれは使っていいもの使うことが可能なものとなり果てる
何人もが恐れるものでなければならない